首相官邸の仮装舞踏会
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「鹿鳴館時代」の最も華麗な舞踏会のひとつとして知られるのは、1887年4月20日の仮装舞踏会「ファンシー・ボール」である。この舞踏会は、実は鹿鳴館ではなく首相官邸で行われたもので、しかも外交とは直接関係のない催しだった。 伊藤博文首相・梅子夫人の主催ということで開かれたこの舞踏会は、実際には時のイギリス公使夫妻が主催したもので、伊藤は好意で官邸を会場に貸し出したにすぎなかった。しかし当時の国粋主義者たちは、このことを知るや「亡国の兆し」と口を極めて罵った。アメリカへの渡航歴があり、外務大丞を務めたこともある勝海舟でさえ、これを契機に憂国の感を深め、これを21か条の時弊を挙げた建白書にしたためて政府に意見した。
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