首相官邸襲撃
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5月15日当日は日曜日で、犬養首相は折から来日していたチャップリンとの宴会の予定変更を受け、終日官邸にいた。 午後5時5分、三上中尉率いる第一組9人は靖国神社に集合した。三上中尉、黒岩予備少尉、陸軍士官学校本科生の後藤映範、八木春雄、石関栄の5人が表門組、山岸宏海軍中尉、村山格之海軍少尉、陸軍士官学校本科生の篠原市之助、野村三郎の4人を裏門組としてタクシー2台に分乗して首相官邸に向かった。タクシー車内において武器の分配と計画の最終確認が行われた。ところが、三上の拳銃が表門組車内に見当たらず、途中でタクシーを止め、裏門組から拳銃を受け取った。しかし、その拳銃も故障しており、全弾装填出来ない状態であった。官邸付近に到着すると、三上は拳銃を出して運転手を脅し、表門を突破して表玄関前に車を着けるよう指示した。恐怖した運転手が言われるまま車を進行させ玄関前に着けると、5名は降車し午後5時27分頃、正面玄関から官邸に入った。 対応に出た警視庁の警察官に対し、来客を装い首相に面会したい旨を告げると、警察官は一同を待たせて奥へ向かった。門前にいた守衛が不審に思って駆けつけて来ると、三上らは拳銃を取り出し発砲、警察官の後を追い、手当たり次第に部屋の扉を開けて首相を探した。表の洋館から首相の居室である日本館に続く扉を蹴破った三上らは、そこにいた警備の田中五郎巡査に首相の居場所を尋ねるが、答えなかったため銃撃した(田中五郎巡査は5月26日に死亡する)。 表門組と裏門組は日本館内で合流。三上は日本館の食堂で犬養首相を発見すると、直ちに拳銃を首相に向け引き金を引いたが、一発しか装填されていなかった弾を既に撃ってしまっていたたため発射されなかった。三上は首相の誘導で15畳敷の和室の客間に移動する途中に大声で全員に首相発見を知らせた。客間に入ると犬飼首相は床の間を背にしてテーブルに向って座り、そこで自分の考えやこれからの日本の在り方などを聞かせようとしていた。この時、首相と食事をするために官邸に来ていた嫁の犬養仲子と孫の犬養康彦が姿を現したが、黒岩が女中に命じて立ち去らせた。一同起立のまま客間で首相を取り囲み、三上が首相といくつかの問答をしている時、山岸宏が突然「問答無用、撃て、撃て」と大声で叫んだ。ちょうどその瞬間に遅れて客間に入って来た黒岩勇が山岸の声に応じて犬養首相の頭部左側を銃撃、次いで三上も頭部右側を銃撃し、犬養首相に深手を負わせた。すぐに山岸の引き揚げの指示で9人は日本館の玄関から外庭に出たが、そこに平山八十松巡査が木刀で立ち向かおうとしたため、黒岩と村山が一発ずつ平山巡査を銃撃して負傷させ、官邸裏門から立ち去った。官邸付近にいた警察官が、不審に思って近づいてくるとこれを拳銃で威嚇、警察官が怯んだ隙に逃走し、拾ったタクシー2台に分乗し桜田門の警視庁本部へ向かった。 三上らは犬養首相が即死したと思っていたが、首相はまだ息があり、すぐに駆け付けた女中のテルに「今の若い者をもう一度呼んで来い、よく話して聞かせる」と強い口調で語ったと言う。家族の連絡を受けて駆けつけた医師が応急処置を施し、息子で首相秘書官の犬養健の問いかけにも応じていたが、次第に衰弱、午後9時過ぎに容態が急変し、午後11時30分頃になって死亡した。
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