首相就任と敗戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 14:37 UTC 版)
1917年2月4日、サイード・ハリム・パシャに代わってタラートが首相に就任したが、戦況は好転しなかった。 翌1918年にはエルサレム、バグダードが陥落し、同年10月14日にタラートは大宰相を辞任した。これによりタラート内閣は崩壊、同月30日にはムドロス休戦協定によりオスマン帝国は敗戦した。 第一次世界大戦の敗戦により三頭政治は終焉し、統一派政権も瓦解した。タラート、エンヴェル、ジェマルの三巨頭は黒海、クリミアを経てドイツ・ベルリンに亡命した。タラートはその政権を第一次世界大戦の敗戦という形で終えたにも関わらず、オスマン国民からは勇敢な愛国者と尊敬されており、世論は彼らの亡命を受けて動揺した。 亡命後、エンヴェルはボリシェヴィキの意向を受けてモスクワに出向き、ジェマルはドイツからスイスに移ったが、タラートはベルリンに留まっていた。 1921年3月15日、アルメニア人非合法組織のアルメニア革命連盟に所属する青年によりベルリンで殺害された(47歳没)。
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