首相就任と大統領選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 17:18 UTC 版)
「エドゥアール・バラデュール」の記事における「首相就任と大統領選挙」の解説
1993年の総選挙で、社会党は一連のスキャンダル事件のため大敗北を喫し、第2次コアビタシオンが成立する。しかし、シラクはミッテランの下で首相に就任することを拒否したため、バラデュールに首相の地位が回ってきた。ここにバラデュール内閣が成立する。首相になったバラデュールは、穏健な政治姿勢と着実な政治手腕によって国民的支持を集め、次第に共和国連合総裁であるシラクから離反するようになる。さらに、党内の実力者で内相として入閣していたシャルル・パスクワの支持を得て、次期大統領選挙に立候補を決定する。こうして1995年の大統領選挙では、右派・保守陣営はシラク派とバラデュール派に分裂する。当初、バラデュールは支持率において候補者中の1位であったが、次第にシラクと社会党第一書記のリオネル・ジョスパンの間に埋没し、第1回投票における得票率は18.5%、第3位に留まり、大統領選挙から脱落した。結局、この大統領選挙ではシラクが勝利した。選挙後、シラクは当然のごとく、バラデュール及びバラデュールの支持者を冷遇した。この中には、後の大統領ニコラ・サルコジがいる。
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