首相就任と自殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:12 UTC 版)
「ヨーゼフ・ゲッベルス」の記事における「首相就任と自殺」の解説
ソ連軍によるベルリン包囲網が狭まるにつれて政府指導者やナチ党幹部の多くはベルリンから脱出したものの、ゲッベルスはヒトラーの側に残る道を選んだ。2月には兄ハンスに過去の手紙や著作を焼却するよう依頼した一方で、公開することを意識した日記はマイクロフィルムで撮影し、複数のコピーを作成した。ベルリンの戦いのさなか、妻と6人の子と共にヒトラーの総統地下壕に移り住む。マクダは当初子供達を救いたいと主張していたが、やがてゲッベルスの意見に同意した。地下壕入りしたゲッベルスは宣伝省の仕事に見向きもせず、自らの日記を整理することのみに集中していた。4月29日、ゲッベルスは党官房長マルティン・ボルマンとともに、ヒトラーとエヴァ・ブラウンの結婚の立会人となり、その後の二人の死を見届ける。4月30日、ヒトラーの政治的遺書(英語版)の指名により首相に就任した。しかしゲッベルスはヒトラーの政治的遺書を受け、「総統は私にベルリンを去って、新しい政府に首班として参加するよう命じた。私は初めて、総統に従うことを断乎として拒否する」として、「無条件に死に至るまで彼(ヒトラー)の味方になる」ため、「無用な生を、総統の傍らで終える」ことを表明している。その資格においてソ連軍と条件付降伏交渉を行うが、ソ連軍からは無条件降伏を求められ、決裂した。 5月1日、6人の子供達とともに、ゲッベルス夫妻は無理心中によってゲッベルスの血筋は途絶えた。死の経緯については様々な説が伝えられているが、首相官邸の中庭で死亡したことは確実である。その後二人の遺体はガソリンを用いて焼却されたが、火が消えても黒こげのままで放置された。それ以降のゲッベルス一家の遺体の行方は長らく分からなかったが、冷戦終結によるグラスノスチによって、1970年にヒトラー夫妻の遺体と共に掘り起こされて完全に火葬された上、エルベ川に散骨されたことが明らかとなった。
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