燃える人の舞踏会
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燃える人の舞踏会(もえるひとのぶとうかい、仏: Bal des Ardents)または野蛮人の舞踏会(仏: Bal des Sauvages[1])は、1393年1月28日にパリで開催された仮装舞踏会[注釈 1]。この舞踏会においてフランス王シャルル6世は、5人の貴族と共に仮装してダンスを披露した。その際、シャルル6世の弟ルイ・ド・ヴァロワが会場に持ち込んだ松明を火元とする火災が発生し、ダンスを行った6人のうちの4人が焼死したが、シャルル6世ともう1人の貴族は事なきを得た。パリ市民はこの出来事を宮廷が堕落している証左であると考え、支配層の貴族に対して反乱を起こす兆候を示した。一般市民の怒りを鎮めるため、王と王弟ルイは罪を償うための苦行の実施を強いられた。
注釈
出典
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- 1 燃える人の舞踏会とは
- 2 燃える人の舞踏会の概要
- 3 年代記における描写
- 4 脚注
- 5 外部リンク
燃える人の舞踏会
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「シャルル6世 (フランス王)」の記事における「燃える人の舞踏会」の解説
詳細は「燃える人の舞踏会」を参照 1393年1月29日、ある女官の結婚を祝うため、王妃イザボーはサン・ポール館で仮装舞踏会を開催した。ユゲ・ド・ギゼという貴族の提案により、この舞踏会でシャルル6世は他の4人の貴族たちと共に「森の野蛮人」に仮装してダンスを披露することとなった。野蛮人のコスチュームは松脂を染み込ませたリネンに麻を張り付けたもので、シャルルたち踊り手の全身がけむくじゃらに見えるようにしたものだった。踊り手の1人であるイヴァン・ド・フォワの勧めにより、王は松明を持った者に対して「野蛮人のダンス」には近寄らず部屋の端に立つことを事前に命じていたが、会場に遅れて来た王弟オルレアン公ルイがそれに反して松明を踊り手の1人に近づけたため、誤ってそのコスチュームに火をつけてしまった。火は瞬く間に燃え広がり、会場はパニックに陥ったが、ベリー公妃ジャンヌ2世はとっさに自らのガウンのトレーンをシャルルにかぶせ、火の粉から王を守った。数人の騎士は炎を消そうとして重い火傷を負った。野蛮人に仮装した者のうち、ヴァレンティノワ伯の息子エメリー・ド・ポワティエ、ユゲ・ド・ギゼ、イヴァン・ド・フォワ、ジョワニー伯の4人が火傷によって死亡した。ナンテュイエ伯の息子ジャンは洗い水の入った桶に飛び込むことで一命をとりとめた。
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