反動化
反動化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 17:41 UTC 版)
「ピウス9世 (ローマ教皇)」の記事における「反動化」の解説
ところが、フランス2月革命の影響を受け、イタリアでも立憲政治を求める市民階級が革命運動を広めると、教皇自身は自由主義に次第に距離を置くようになる。まず、1848年3月にローマ新憲法を発布するも、教会側の優位を認めた保守的なもので、人々の失望を集めた。折から、統一運動を推進していたサルデーニャ国王カルロ・アルベルトがオーストリアに宣戦布告すると、教皇はカトリック国のオーストリアとの摩擦を恐れ、同年4月に、戦争はカトリック分裂の恐れがあるとの理由で教会は一切戦争に介入しないという教書を発し、リソルジメントとは一線を引くこととなる。このスタンスは、1864年の回勅「クアンタ・クラ」に付属する形で発表された「誤謬表」(シラブス)へと受け継がれていく。これは、自然主義や合理主義、自由主義など近代思想・文化を否定する内容で、教皇庁と近代社会との断絶は決定的になった。
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