成功の後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/22 09:38 UTC 版)
すぐにニューオーリンズの他のバンドが追いかけてきてニューヨークで演奏し始め、ラロッカは競争をいやがった。トランペッターのFrank Christianは「ラロッカから200ドルと帰りの汽車の切符を渡されたよ」と回想している。 ニューオーリンズ出身のAlcide Nunez、Tom Brown(トロンボーン)、Ragbaby Stevens(ドラムス)からなるバンドがこの戦いに勝つと、Ragbabyのドラム・セットは何者かにより破壊されていた。 ラロッカはバンドで英米をツアーし、1920年代初頭に神経衰弱になり、ニューオリンズに帰り、音楽をやめ、建設契約業を始めた。 バンドには10代のトランペッターHenry Levineが入った。レヴァインは後にNBCのラジオ番組『The Chamber Music Society of Lower Basin Street』のハウスバンドで活動した。 1936年ラロッカはバンドを再結成し、ツアーと録音で成功した。ラロッカは「スイング音楽の発明者はおれたちだ」と主張した。 彼らはニュース映画シリーズ『The March of Time』の1937年劇場公開作『Birth of Swing』で『タイガーラグ』を演奏した。 内輪もめで1937年にバンドはまた解散。ラロッカは引退。1961年に故郷で亡くなる。
※この「成功の後」の解説は、「ニック・ラロッカ」の解説の一部です。
「成功の後」を含む「ニック・ラロッカ」の記事については、「ニック・ラロッカ」の概要を参照ください。
- 成功の後のページへのリンク