第1期(番勝負:1938年(開催されず))
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「名人戦 (将棋)」の記事における「第1期(番勝負:1938年(開催されず))」の解説
最初の実力制名人は、当時の最高段位であった八段の全棋士が名人候補者決定リーグに参加し、リーグを勝ち抜いた名人候補者2名による六番勝負(3勝3敗の場合は候補者決定リーグ1位の者が名人)で争うことになった。当初は、1935年から2年間のリーグを行い、1937年に番勝負を開催する予定だったが、神田事件によってリーグが半年間中断され、番勝負は1938年に変更された。
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第1期 (1967年)
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「プロコル・ハルム」の記事における「第1期 (1967年)」の解説
ゲイリー・ブルッカー (Gary Brooker) - ボーカル、ピアノ マシュー・フィッシャー (Matthew Fisher) - オルガン レイ・ロイヤー (Ray Royer) - ギター デイヴィッド・ナイツ (David Knights) - ベース ボビー・ハリソン (Bobby Harrison) - ドラム キース・リード (Keith Reid) - 歌詞 デビュー・シングル「"A Whiter Shade Of Pale" / "Lime Street Blues"」録音。 このメンバーで収録したのは、デビュー・シングルのA面・B面のみ。ボビー・ハリソンはデビュー曲収録直後にレーベル側から解雇され、同時に脱退したレイ・ロイヤーとともにフリーダムというサイケデリック・ロック・バンドを結成。 「青い影」でドラムスを叩いているのはボビー・ハリソンではなく、ビル・エイデン (Bill Eyden) というジャズ系のドラマーである(ハリソンは「青い影」のB面「ライム・ストリート・ブルース」のみドラムスを担当)。 ロックバンドの作詞を専門に担当した詩人として、古くはクリームのピーター・ブラウンが知られるが、作詞の専門家であるキース・リードを正式にバンド・メンバーとしてクレジットしたところにプロコル・ハルムの特色がある。このスタイルは、ピート・シンフィールドを擁したキング・クリムゾンにも受け継がれることになる。
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第1期(30分枠)
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「テレビ東京火曜10時枠の連続ドラマ」の記事における「第1期(30分枠)」の解説
ファミリータイズ(1986.10.07-1987.03.31) - 1987年4月より土曜19:00に移動。 俺がハマーだ!(1987.04-09.01)
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第1期(1633年)
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「ポートランド伯爵」の記事における「第1期(1633年)」の解説
大蔵卿(英語版)を務めた政治家リチャード・ウェストン(英語版)(1577-1634?)にイングランド貴族として授けられた例が初出である。彼は1628年4月13日にサフォーク州ネイランドのウェストン男爵(Baron Weston, of Neyland in the County of Suffolk)に叙されたのち、さらに最晩年にあたる1633年2月17日にはポートランド伯爵(Earl of Portland)に陛爵した。この両爵位には特別継承権が付与されており、彼と叙爵時の後妻フランシス(?-1645)との男子と限定されていた。彼ののちは、後妻フランシスとの息子ジェロームが爵位を相続した。 2代伯ジェローム(1607-1663)は外交官で駐仏英国大使や駐フィレンツェ公使を歴任した。 その子である3代伯チャールズ(1639-1665)はローストフトの海戦にて嗣子なく戦死したため、爵位は甥のトマス(1609-1688)に相続されたが、彼もまた継承すべき男子を欠いたことですべての爵位は廃絶した。
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第1期(1969年10月 - 1970年1月)
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「フジテレビ木曜8時枠の連続ドラマ」の記事における「第1期(1969年10月 - 1970年1月)」の解説
黄金のスパイ作戦▲ - この作品のみ20:00 - 21:26に放送。
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第1期(2003年4月 - 2004年10月)
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「コスモアースコンシャスアクト ずっと地球で暮らそう。」の記事における「第1期(2003年4月 - 2004年10月)」の解説
2003年4月からは週末の15分番組としてリニューアル。パーソナリティーは一十三十一(ひとみとい)。日本各地の自然の風景を紹介した。 JFNで「RADIO JAPAN on Sunday」をネットしていたほとんどの地域では7:15から放送されていた。 2004年4月からは週末の5分番組に変更。柴田玲をパーソナリティーに、月ごとのゲストによるコラムで構成した。 夏川りみ(2004年4月) 向井亜紀(5月) 渡辺貞夫(6月) 渡辺満里奈(7月) 長谷川理恵(8月) 清水國明(9月)
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第1期(1997年4月 - 5月)
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「名古屋が最高!」の記事における「第1期(1997年4月 - 5月)」の解説
この当時は、各回でテーマに取り上げる町の写真を使った神経衰弱ゲームに挑戦する企画を主体にしていた。スタジオには、その回でテーマに取り上げる町の在住者たちを招いていた。しかし、この企画は5回限りで終わってしまった。
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第1期(2009年4月 - 2012年12月)
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「板東英二のおばあちゃんと話そう」の記事における「第1期(2009年4月 - 2012年12月)」の解説
MBSラジオでは、1996年4月から2009年3月まで、毎週金曜日の夕方に『板東英二金曜生BAN BAN』(以下『生BAN BAN』と略記)を放送していた。しかし、MBSテレビで2009年4月から放送される『バンバンバン』(JNN系全国ネット)の司会として板東が出演することが決まったため、『生BAN BAN』を終了させた。 ただ、『生BAN BAN』でも人気のあった『おばあちゃんと話そう』のみ、事前収録・スポンサー付きの独立番組として同年4月12日から毎週日曜日の17:00 - 17:38に放送。『バンバンバン』が2010年3月で終了してからも、放送を続けてきた。ちなみに、『生BAN BAN』からは、アシスタントの沢田尚子(フリーアナウンサー)も板東と共に続投している。 また、MBSラジオの公式サイトでは、番組の大半をストリーミングで配信(同局での放送翌々日の火曜日に配信)。2010年4月11日からは、MBSラジオと同じJRN・NRN加盟局のFBCラジオでも、時差ネット形式で放送するようになった。 突然の放送休止 2012年12月中旬には、板東の個人事務所による所得税の申告漏れや板東の主導による所得隠しが判明。しかし、MBS・FBCとも、当番組を同月30日まで放送していた。 2012年の最終回に当たる同日の放送では、板東と親交の深いリリアンが、前週に続いてゲストで登場。電話出演・リスナープレゼントへの応募の告知や、板東が出演するスポンサーのCMを通常どおり放送したうえで、出演者全員による新年への挨拶で同年の放送を締めくくっていた。 しかしMBSでは、以上の問題による社会的影響を考慮したうえで、2013年1月からテレビ・ラジオとも板東がレギュラーを務める自社制作番組を当面休止することを決定。1月6日からは、当番組の放送枠で『嘉門達夫と上ちゃんのどんなんやねん!』を開始するとともに、当番組公式サイトの閉鎖・ストリーミング配信の終了に踏み切った。ちなみに、ネット局のFBCでも、同日は当番組の放送枠を自社制作の特別番組に差し替え。翌週からは『八神純子 Music Town』(2012年10月から全国11の民放ラジオ局で放送中の30分番組)のネット受けに切り替えた。
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第1期(1974年~1984年)
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「TBS水曜10時枠の連続ドラマ」の記事における「第1期(1974年~1984年)」の解説
1974年 華やかな荒野(10月~1975年3月)出演:古谷一行、中野良子、篠田三郎 1975年 ※これよりMBS制作 青銅の花びら(4月~6月)出演:小川真由美、田村正和、関根恵子 放浪家族(7月~12月)出演:芦田伸介、香山美子、平幹二朗 1976年 禁じられた美徳(1月~3月)出演:岩下志麻、田村正和、池部良 青春の門(4月~9月)出演:小川真由美、北大路欣也、中村敦夫 愛と憎しみの宴(10月~1977年3月)出演:二谷英明、新珠三千代、丹波哲郎 1977年 天北原野(4月~8月)出演:北大路欣也、山本陽子、松坂慶子 分水嶺(9月~11月)出演:香山美子、近藤正臣、梶芽衣子 1978年 青春の門(2)(1977年12月~1978年5月)出演:江藤潤、中村敦夫、松坂慶子 幸福の断章(6月~9月)出演:平幹二朗、山本陽子、酒井和歌子 風をみた女(10月~1979年3月)出演:香山美子、田村正和、入川保則 1979年 不毛地帯(4月~10月)出演:平幹二朗、山本陽子、若山富三郎 旅立ちは愛か(11月~1980年2月)出演:若尾文子、田中健 1980年 未亡人(3月~7月)出演:佐久間良子、近藤正臣、寺田農 さよならお竜さん(7月~9月)出演:岩下志麻、緒形拳、梅宮辰夫 ミセスとぼくとセニョールと!〜夢飛行〜 → 春の訪問者・ミセスとぼくとセニョールと!(9月~1981年2月)出演:郷ひろみ、藤竜也、阿木燿子 1981年 結婚したい女(2月~3月)出演:三田佳子、中村敦夫、柳生博 うわさの淑女(4月~6月)出演:山本陽子、津川雅彦、山村聰 日本悪妻に乾杯!(7月~9月)出演:中野良子、中村敦夫、泉ピン子、和田アキ子 秋なのにバラ色(9月~12月)出演:若尾文子、杉浦直樹、三木のり平 結婚したい女2(12月~1982年1月)出演:岸本加世子、中村敦夫、柳生博 1982年 カムバック・ガール(2月~3月)出演:浅丘ルリ子、原田芳雄、山城新伍 人情紙風船(4月~5月)出演:渡瀬恒彦、関根恵子、芦屋雁之助 ガラスの知恵の輪(5月~6月)出演:萩原健一、大竹しのぶ、火野正平 男と女のあいだには(7月~9月)出演:中村敦夫、中原理恵、和田アキ子 はじめまして・再婚(10月~11月)出演:三田佳子、藤竜也、加賀まりこ ここから22:00 - 22:54に変更(1分縮小)。 1983年 ちょっと噂の女たち(1982年12月~1983年2月)出演:八千草薫、伊東四朗、梅宮辰夫 男はたいへん(2月~3月2日)出演:芦田伸介、片平なぎさ、あおい輝彦 松本清張ドラマスペシャル・夜光の階段(3月9日~30日)出演:いしだあゆみ、風間杜夫、岡田茉莉子 シリーズ・水曜の女擬装結婚(4月~6月)出演:大原麗子、藤竜也、岡田奈々 赤い足音(6月~7月)出演:島田陽子、中山仁、三浦洋一 ひと夏の復讐(8月~9月)出演:十朱幸代、関口宏、宅麻伸 さよならを教えて(10月~12月)出演:古谷一行、古手川祐子、小川知子 1984年 弦鳴りやまず(1月~3月)出演:樋口可南子、中村嘉葎雄、鹿賀丈史 生きて行く私(4月~6月)出演:十朱幸代、小野寺昭、高瀬春奈 週末だけの恋人(7月~8月)出演:泉ピン子、竜雷太、川谷拓三 やさしい闘魚たち(9月)出演:秋吉久美子、渡瀬恒彦、紺野美沙子
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第1期(1618年)
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「ポーズコート子爵」の記事における「第1期(1618年)」の解説
ウィンフィールド家の祖サー・リチャード・ウィンフィールド(英語版)(1550-1634)はサフォーク出身の軍人で、16世紀後半にアイルランド島に渡ったのち定住した。彼は1618年にアイルランド貴族としてポーズコート子爵(Viscount Powerscourt)に叙せられた。これがウィンフィールド家に対する初の叙爵例であったが、彼には子がなかったため、同人の死を以て、爵位は廃絶した。
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第1期(第4シーズン、2010年4月 - 2011年3月)
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「ええじゃないか。」の記事における「第1期(第4シーズン、2010年4月 - 2011年3月)」の解説
伊勢神宮のお膝元にある旅行雑誌社「週刊ええじゃないか。」。カメラマンと取材記者、普段からコンビで取材に出掛けている事からの様相を呈していた。そこで男性カメラマンは「弥次さん」、女性記者は「喜多子」といつしかニックネームで呼ばれるようになる。その2人が三重県や東名阪の各地を取材しながら、旅を繰り広げる。
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第1期(1618年)
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「ヴェルラム男爵」の記事における「第1期(1618年)」の解説
哲学者フランシス・ベーコン(1561-1626)はイングランド王として即位したジェームズ1世の後ろ盾を得て、1617/18年の大法官就任時にイングランド貴族としてヴェルラム男爵(Baron Verulam)に叙された。これがヴェルラム男爵の初めての創設である。 ベーコンはさらに1621年にセント・オールバンズ子爵(Viscount St Albans)に昇叙したが子がなかったことから、同人の死をもって両爵位は廃絶した。
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第1期(2010年 - 2014年)
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「BiS」の記事における「第1期(2010年 - 2014年)」の解説
歌手として活動していたプー・ルイが音楽配信・情報サイトOTOTOYでのインタビューにて、「アイドルグループがやりたかった」と発言。これを発端に公開メンバー選考オーディションを行い、2010年11月より活動を開始。マネージメントは渡辺淳之介、サウンドプロデュースは松隈ケンタが担当。 日本語名称として「新生アイドル研究会」、英称として「Brand-new idol Society」と呼称・記述される。その名の通り、結成当初は、「アイドルを研究して、アイドルになろうとする、アイドルになりたい4人組」をコンセプトに、「自給自足」をモットーとし、活動初期は振り付けやイベントのブッキングも自ら行っていた。また、南波一海を講師として、「OTOTOYアイドル研究室」の生徒として授業を受けていたこともある。 破天荒なプロモーション手法(ロマン優光曰く、「昭和の新日本プロレス的なトラブルをトラブルで解決するような現実とシナリオが交錯する炎上商法」)が有名となり、特に1stシングル「My Ixxx」のミュージック・ビデオでは、メンバーが全裸に近い状態で出演し、話題を集めた。日本武道館での解散コンサートを目標に活動していたが、武道館側からNGが出されたことにより会場を横浜アリーナに変更。2014年7月8日、「BiSなりの武道館」と銘打たれた公演をもって解散した。
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第1期(1699年)
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「ウィンザー子爵」の記事における「第1期(1699年)」の解説
庶民院議員トマス・ウィンザー(1669–1738)は1699年6月19日にアイルランド貴族爵位の「ブラックキャッスルのウィンザー子爵(Viscount Windsor of Blackcastle)」に叙されたが、これが第1期の創設にあたる。トマスはドロイトウィッチ選挙区(英語版)やブランバー選挙区(英語版)選出のトーリー党に属した政治家で、彼はさらに1712年1月1日にグレートブリテン貴族として「ワイト島のマウントジョイ男爵(Baron Mountjoy in the Isle of Wight)」を授けられている。トマスは初代プリマス伯爵(英語版)の次男であるため、伯爵家の祖アンドリュー・ウィンザー(英語版)とその妻メアリー(第2代マウントジョイ男爵(英語版)の娘)の子孫にあたっており、爵位名は夫妻に由来する。 しかし、その子である2代子爵ハーバート(1707–1758)が子のないまま没すると、すべての爵位は廃絶した。 なお、2代子爵の娘シャーロットはビュート伯爵家に嫁いだが、彼女の夫であるジョン・ステュアート(英語版)は1796年にウィンザー伯爵及びワイト島のマウントジョイ子爵を授けられている。
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第1期(1761年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 14:45 UTC 版)
「タルボット伯爵」の記事における「第1期(1761年)」の解説
シュルーズベリー伯爵タルボット家の分流で法律家、ホイッグ党の政治家だったチャールズ・タルボット(1685–1737)は、1733年11月に大法官に就任し、それにより12月5日にグレートブリテン貴族爵位グラモーガン州におけるヘンソルのヘンソルのタルボット男爵(Baron Talbot of Hensol, of Hensol in the County of Glamorgan)に叙された その息子である第2代タルボット男爵ウィリアム・タルボット(英語版)(1710–1782)もホイッグ党の政治家であり、1761年から1782年にかけて王室家政長官(英語版)を務め、1761年3月19日に第1期のグレートブリテン貴族爵位タルボット伯爵(Earl Talbot)に叙せられた。さらに1780年10月17日にはグレートブリテン貴族爵位カーマーゼン州におけるディネヴァーのディネヴァー男爵(英語版)(Baron Dynevor, of Dynevor in the County of Carmarthen)に叙せられている。このディネヴァー男爵位は彼に男子がなかったために娘セシル(英語版)とその男系男子を特別継承者(special remainder)とする規定が付けられた爵位だった。初代タルボット伯の死後、タルボット伯爵位は廃絶したが、ディネヴァー男爵位は特別継承者の規定通り娘セシルに継承され、タルボット男爵位は甥にあたるウィリアム・タルボット(英語版)(1749–1793)が継承した。
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第1期(1713年)
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「ビングリー男爵」の記事における「第1期(1713年)」の解説
ロバート・ベンソン(c.1676-1731)は財務大臣や王室会計長官(英語版)を歴任した政治家であった。彼が1713年7月21日にグレートブリテン貴族爵位のヨーク州ビングリーのビングリー男爵(Baron Bingley, of Bingley in the County of York)に叙されているが、これが第1期目の創設にあたる。彼には一人娘であるハリエット(1704?-1771)がいたのみであったため、爵位は一代にして廃絶した。領地はハリエットが相続している。
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第1期(1682年)
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「ゲインズバラ伯爵」の記事における「第1期(1682年)」の解説
ゲインズバラ伯家の祖、バティスト=ヒックス は ロンドン でも高名な織物商であり、長じてタヴィストック=テュークスベリーの選挙区から英国庶民院議員に選出された。その後1627年に彼はグロスター州カムデンの准男爵の地位を与えられたことを皮切りに、翌年にはウォリック州イルミントンのヒックス男爵、カムデン子爵に叙された。ヒックスの死後に准男爵位は消滅したが、残りの2爵位はその継承条件にヒックスの娘婿エドワード・ノエル及びその子孫の相続を特に認めるものだったため、彼がその後を襲った。また彼自身もラトランド選挙区から庶民院議員に選出されていた他、爵位を継ぐ12年前の1617年にリドリントンのノエル男爵に叙されていたため、この爵位もカムデン子爵の従属爵位として加わっている。なお彼の死後はその息子バティストが選挙区を引き継いでいる。 その後、4代子爵エドワードの代で更に位階を進めることになる。 彼はラトランド州やハンプシャー州統監職を歴任し、父より爵位を襲う1年前にティッチフィールドのノエル男爵に叙された。その翌年には父祖の爵位を継承するとともにゲインズバラ伯爵に昇った。いずれもエドワードの子孫及び彼の父の男子にまで遡っての継承継を認める特別継承権付きのものであり、2代伯ののちは特別継承権に基づいて、彼のいとこである3代伯バティストが継いだ。 しかし、6代伯ヘンリーの代でいずれの子孫も絶えていたため1798年に彼が死去したことで、6つすべての爵位が廃絶した。 なお、初代伯バティスト・ヒックスの兄であるサー・マイケル・ヒックス(1543年 - 1612年)はその子孫が長じてセント・アルドウィン伯爵に叙されている。
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第1期(1674年)
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「ポウィス伯爵」の記事における「第1期(1674年)」の解説
詳細は「ポウィス侯爵」を参照 ステュアート朝の廷臣ウィリアム・ハーバート(1626-1696)が1674年4月4日にイングランド貴族爵位のモンゴメリー州ポウィスのポウィス伯爵(Earl of Powis, of Powis in the County of Montgomery)に叙された。彼は続く1687年にポウィス侯爵(Marquess of Powis)に陛爵している。 しかし、その孫にあたる3代侯爵ウィリアム(1698-1748)が嗣子なく没すると、すべての爵位は廃絶した。なお、一族の居城や地所は遠縁のヘンリー・ハーバート(1703-1772)が相続するとともに、第2期のポウィス伯爵叙爵に繋がることとなる。
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第1期(2001年4月 - 2012年10月)
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「ANN NEWS&SPORTS」の記事における「第1期(2001年4月 - 2012年10月)」の解説
2001年4月8日(7日深夜)から『ANNニュース&スポーツ』のタイトルで、本番組と同じく日曜日未明(土曜日深夜)に放送されていた2番組『速報!スポーツCUBE』(0:00 - 0:40)・『ANNニュース』(0:40 - 0:55)を統合して、0:00 - 0:30の時間帯でスタートした。内容は特集などを省いたシンプルなニュース番組になった。 2003年10月の社屋移転を期にタイトルロゴ及びオープニングテーマを一新し、日曜版と同じく英文表記 となったが、タイトルロゴは引き続き日曜版とは別のものを改めて導入していた。 ニュース・スポーツ共にテレビ朝日報道局「ニュースルーム(Nスタ)」から伝えられ、両コーナーを15分ずつ放送されていた。スポーツコーナーはCGを使いながらの放送となっていた。0:24頃からは一部地域でローカルニュースに差し替えられる(エンディングでネット復帰する地域もあればローカルのまま番組が終わる地域もある。後者に該当するメ〜テレではこの土曜版でもエンドクレジットに日曜版のタイトルロゴが使われていた)。 2010年7月4日(3日深夜)の放送から、地上アナログ放送では16:9レターボックス画面での放送に変更された。 2012年9月30日(29日深夜)をもって土曜版の放送は一旦終了し、10月7日(6日深夜)から『ポータル ANNニュース&スポーツ』にリニューアルされた。その『ポータル』も2015年3月で終了し、土曜日の最終版ニュース・スポーツ枠自体から『ニュース&スポーツ』の名称自体が、一旦は消滅していた。
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第1期(2002年4月 - 2017年4月)
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「ANN NEWS&SPORTS」の記事における「第1期(2002年4月 - 2017年4月)」の解説
2002年4月に『GET SPORTS』に内包する形で放送を開始した。単独番組扱いで放送している局もある。こちらは当初から英字タイトルの『ANN NEWS&SPORTS』であった。 それまで23:30 - 翌0:25で放送されていた『ベストポジションSPORTS』の前半30分を『やべっちFC』に充当し、後半を『GET SPORTS』内包のニュース番組としてスタートした。 放送時間は開始から2006年3月までは0:00 - 0:25、その後『やべっちFC』の時間拡大により2006年4月からは0:15 - 0:40となったが、2010年4月の改編により23:00 - 23:55に『日曜ナイトドラマ』を設置、その影響で25分繰り下がった『やべっちFC』の放送時間が23:55 - 翌0:30(全体では10分縮小)となった為、0:30 - 0:55になった。さらに2011年10月の改編で『日曜洋画劇場』の放送時間16分拡大により、『世界の車窓から』が16分繰り下げの上1分縮小、『日曜ナイトプレミア』・『やべっちFC』がそれぞれ15分ずつ繰り下がったため、0:45 - 1:10の時間に変更となった。 ニュース部分とスポーツ部分は当初、別スタジオからの放送で、ニュース部分はテレビ朝日報道局のニュースルーム(Nスタ)から、スポーツ部分は『GET SPORTS』のスタジオ(テレビ朝日第3スタジオ)からとなっており、同番組のレギュラーである南原清隆や中西哲生らも登場していた。しかし、2011年ごろから南原と中西が平日に帯番組を持つようになり、朝からスケジュールを抑えられている状態になったことから『GET SPORTS』を『N&S』開始前に事前収録するようになり、『N&S』のパートだけ生放送で行うようになった。やがて『GET SPORTS』が完全収録番組になったことや『N&S』部分のみしかネットしない局に配慮し、スポーツのパートはニュース映像をバックにキャスターが立って伝えるのが基本となった(クロマキー合成処理を使用。ごく稀に、大きなスポーツイベントがある際『GET SPORTS』が生放送となった時は、スタジオからの放送が復活していた)。 内容自体も、かつての土曜版と比べてスポーツコーナーの比重が大きい構成となっており、スポーツコーナーではVTR切り替えのジングルが存在したりする他、キャスターの原稿読みは『GET SPORTS』の本編と同様に冊子式の原稿を読む形になっていた。 年末年始を除く月曜日未明にテレ朝の放送機器点検(2006年6月5日)などで『GET SPORTS』が休止される場合は、日曜版を土曜版のフォーマットで放送した。この日はキャスター陣のうち中山とニュースキャスターのみが出演し、ニュース・スポーツニュース・天気予報のすべてを担当する。 1:05からは、土曜版と同様に一部の局(メ〜テレなど)でローカルニュースに差し替えられていた。また、朝日放送(ABC)は0:52.55からCM、0:54.55からローカルニュースに差し替えられ0:57.00で終了となっていた。別の一部の局(山形テレビ・静岡朝日テレビ・愛媛朝日テレビ・長崎文化放送・琉球朝日放送)では0:58で終了となっていた。 番組終了時には「N&S」としてのエンディングらしいものはなく、テレビ朝日のみ『GET SPORTS』本編の内容予告テロップ(その日の『GET SPORTS』が「N&S」部分だけとなる日は次週の予告)が出るだけであった。『GET SPORTS』の放送がなく且つローカル差し替えのない系列局はこのゾーンにて各局独自のエンドクレジットを挿入していた。 日曜版も土曜版と同様に2010年7月5日(4日深夜)の放送から、地上アナログ放送では16:9レターボックス画面での放送に変更された。 2012年3月第2週の『日曜版』は12日(月曜日)ではなく、11日(日曜日)に放送となった。これは11日に『東日本大震災から1周年』の特別編成を行った関係上、『やべっちFC』と枠を交換して23:30 - 23:55に、臨時に12日未明の『GET SPORTS』から分離し、全局単独番組扱いとして放送した。 土曜版が『ポータル』に移行した2012年10月以降も、日曜版は『GET SPORTS』内包番組であることを考慮して、従前通りの体制で放送することになり、土曜版兼務であった萩野と松並も引き続き担当していた。 2017年3月13日(12日深夜)の放送は前夜の『2017 ワールド・ベースボール・クラシック』中継の大幅延長により、『GET SPORTS』が全局休止となったため、内包番組である本番組も同様の措置となった。 2017年4月23日から『サンデーステーション』(開始当初は日曜20:54 - 21:54に放送)の開始によりこの時間帯のニュース枠である本番組は同月17日をもって廃枠になり、同月24日以降の『GET SPORTS』からは内包番組が消滅し、全編ローカルセールス枠に降格した(これにあわせ、通常編成時の放送時間も1:10 - 2:40に短縮された)。なお、5月1日から月曜0:40 - 1:10(日曜深夜)には新ドラマ『サヨナラ、えなりくん』が開始された。
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第1期(1968年 - 1972年)
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「いすゞ・117クーペ」の記事における「第1期(1968年 - 1972年)」の解説
1968年12月発売。少量限定生産車であったことから、一般に「ハンドメイド・モデル」「ハンドメイド117」と通称される初期形である。 117スポルトをなんとか販売したいといういすゞ首脳陣の意向を汲んで、生産化にむけてのリデザインがジウジアーロ自身の手で行なわれ、オリジナルの美しさを可能な限り尊重して主に室内高を増やすなどの変更が加えられた。しかし、極端に細いピラーなど、当時の自動車製造技術では手作業でしか生産できない難しさがあり、コンセプトカーとしてデザインされた117スポルトを市販車として改良することは困難で、当時のいすゞの製造技術では全ての外板をプレス機で再現することは難しく、また経営状態が芳しくなかったことから設備投資への余裕もなかった。 しかしながらベレットより格上のイメージリーダーを欲していたいすゞは、大まかなラインだけをプレスで出し、パネルのトリミングや穴あけなどの生産工程の大部分を手作業とすることを決断、117クーペとして市販化にこぎつけることに成功した。1970年にいすゞに入社した山懸敏憲は「ハンダを盛ったり、ヤスリでこすったりして“手作業”で作っていた」と書いている。手作業での生産ゆえ、ごく初期の車両ではスポット溶接の位置が揃っていないものも存在する。 この小規模生産体制のため、販売価格は当時としては非常に高価な172万円で一般的な1.8Lクーペのおよそ2倍の金額であり、月産台数も30 - 50台程度に限定された。こうした希少性は117クーペの名声をさらに引き上げることにつながったが、収益の改善までには至らなかった。ボディカラーは標準色としてアストラルシルバーメタリックとプリムローズイエローの2色が、また特別にオーダーすれば他のいすゞ車に使われているカラーも選べた。 エンジンはいすゞ初の量産DOHCとなる、1.6LのG161W型エンジンを新規に開発する。型式の記号と番号の意味は、Gはガソリンエンジン、16は1.6L、1は、0から始まる開発番号で2番目に開発されたこと、Wはダブルオーバーヘッドカムシャフトをそれぞれ表す。また、エンジン開発にエンジニアのみならずデザイナーが加わったことにより、外観も非常に美しいエンジンに仕上がった。さらにこの時期、国産クーペ初となる1.95LのC190型OHVディーゼルエンジン搭載車が30台程度生産されている。ディーゼルエンジン搭載の高級パーソナルカーは世界的にもほとんど前例のない試みであった。 1970年11月に電子制御燃料噴射装置(ボッシュ製Dジェトロニックインジェクション)搭載モデルECと1.8L(正確には1,817cc)ツインキャブレターSOHCが追加されるが、電子制御インジェクションは日本初装備となるなど、エンジン技術の面で国内他車をリードした。 一方で、本車の普及に対する試みとして1971年11月に1.8L SOHC車をシングルキャブレターとした廉価版、1800Nが追加されたが、高価な車であることに変わりはなかった。 この世代の室内は上質な発泡レザートリムや台湾楠のウッドパネル(1800Nを除く)、リアウインドウのデフォッガをフロント用と同様の送風式にし熱線プリントを排したすっきりとしたリアガラス(最初の一年間に生産された車両のみ)、ダイヤルで開閉できる三角窓などを採用し、当時主流だった吊り下げ式の一体型クーラーユニットから操作スイッチを独立させセンターコンソールに配置するなど、造り込まれた豪華なものであった。惜しむらくは、本場のイタリア車のような「木」と「革」の持ち味を生かした洒落た内装を手がけられなかったことで、当時の日本メーカーの「意あって力足らず」の限界が現れている。 組み立ての自動化率は最後まで上がらず、3年間の総生産台数は2,458台に留まった。 エンジンルームエアクリーナー、プラグコード、エキゾーストマニホールドなどはノンオリジナル 室内ドアキャッチ下のレバーはトランクオープナー
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第1期(年末特番を除く)
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「ハロー・ジャガー」の記事における「第1期(年末特番を除く)」の解説
1980年代初頭よりジャガーは、千葉テレビでコンサートの自前告知スポットCMを流していたが、1985年に定期放送を開始。 初期は千葉テレビのみ5分枠で、ジャガーが当時所有していたライブハウス「ジャガー・カフェ」で収録した自作曲の前後に、多重エコーを掛けたジャガー本人のDJが流されるだけだったが、その余りに難解な内容が次第にカルト人気を博し、サブカルチャーシーンで一躍注目の的になる。 間もなくテレビ神奈川(mucom5枠)・テレビ埼玉(SSC5枠)にも5分枠(実質3分弱)でテープネットされるようになり、更に千葉テレビのみ、5分枠をフルに使った別内容に拡張された。 バブル崩壊に伴い、テレビ埼玉、続いてテレビ神奈川分が終了。その後も千葉テレビ単独で放映が続いたが、末期は同一のプロモーションビデオが1年以上毎週流されるだけで、特に挨拶もないまま終了した。 「ハロー、ジャガーでーす。皆んな、元気かーぃ?」のシャウトで番組開始し、エンディングでは「それじゃまた、逢おうぜぃ、ぃえーぃ、ぃえぃ、ぃえぃ…」とシャウトした(千葉テレビのみ)。 放送局期間曜日時間備考千葉テレビ 1985年10月2日 - 1986年3月26日 水 19時25分 - 1986年4月2日 - 1987年4月1日 水 18時55分 - 1987年4月6日 - 1990年9月24日 月 18時55分 - DJ付長尺版 1990年10月4日 - 1992年3月26日 木 23時00分 - DJ付長尺版 1992年4月3日 - 1992年10月1日 金 19時50分 - 1993年10月7日 - 1994年3月31日 木 19時50分 - テレビ神奈川 千葉とは別内容の短縮版 テレビ埼玉 千葉とは別内容の短縮版
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第1期(1961 - 1967年)
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「日本アート・シアター・ギルド」の記事における「第1期(1961 - 1967年)」の解説
初期のATGの活動は主に日本国外の芸術映画の配給・上映であった。上映する映画は批評家によって構成される作品選定委員会によって審査、決定するシステムをとった。当時の映画の輸入は政府によって割り当て制(クオータ制)となっていたため、会社ごとに輸入本数制限があったが、東和映画をはじめ他の映画会社が協力して自社の割り当て分を積極的に提供したため、ATGはフェリーニ、ゴダール、サタジット・レイなど、良質の外国映画を豊富に配給することができた。第1回配給作品は『尼僧ヨアンナ』で、1962年4月20日に封切られた。 初期のATGは日本国内外の芸術映画の配給のみを行っていたが、三島由紀夫の実験的短編室内劇『憂国』がヒットしたことや、今村昌平が『人間蒸発』の企画をATGへ持ち込んだことをきっかけに、独立プロと費用を折半する形で、1000万円クラスの低予算実験映画の製作に参加することになった。1967年に公開された本作品の配給権は日活に委譲したものの、この後ATGは積極的に映画製作に乗り出すようになる。
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第1期(1992年 - 1996年)
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「シルキーズ」の記事における「第1期(1992年 - 1996年)」の解説
1992年8月21日 - 48夜物語 1992年9月17日 - PREMIUM 1992年11月20日 - イクイクパッ君 1993年1月28日 - PREMIUM II 1993年3月18日 - MARINE BUSTER 1993年6月25日 - Oh! Pai! 1993年10月21日 - CRESCENT 1993年12月22日 - 河原崎家の一族(DOS版。エルフよりWindows版が発売) DL 1994年4月28日 - REIRA 1994年6月30日 - 野々村病院の人々(DOS版。エルフよりWindows版が発売) DL 1994年9月30日 - 愛姉妹 二人の果実(DOS版。エルフよりWindows版が発売) DL 1994年11月30日 - Birth Days(バース・デイズ) 1995年4月14日 - 失われた楽園 1995年5月26日 - 恋姫 〜Mystic Princess〜(DOS版。エルフよりWindows版が発売) 1995年6月30日 - メビウスロイド 1995年9月29日 - Figure 〜奪われた放課後〜 1995年11月30日 - JACK 〜背徳の女神〜 1995年12月22日 - フェルミオン 〜未来からの訪問者〜 1996年2月9日 - バレンタイン・キッス 〜バースデイズ2〜 1996年8月30日 - ビ・ヨンド 〜黒大将に見られてる〜(DOS版。エルフよりWindows版が発売)
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第1期(2018年12月 - 2019年9月)
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「告RADIO」の記事における「第1期(2018年12月 - 2019年9月)」の解説
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第1期(2010年4月 - 2011年9月放送分)
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「戦国鍋TV 〜なんとなく歴史が学べる映像〜」の記事における「第1期(2010年4月 - 2011年9月放送分)」の解説
2011年9月に制作局4局(tvk・チバテレ・テレ玉・サンテレビ)での本放送は終了し、『戦国★男士』の放送に移っている。現在は各ローカル局での放送のみである。放送局は2013年7月現在で、放送終了した局も含め全27局となっていて、系列を問わず全国で放送されている。 放送対象地域放送局放送期間放送日時系列備考神奈川県 テレビ神奈川(tvk) 2010年4月6日 - 2011年9月24日 土曜 22時30分 - 23時00分 独立協共同制作局 幹事局 2011年3月までは火曜23時00分 - 23時30分に放送 千葉県 千葉テレビ放送(CTC/チバテレ) 2010年4月7日 - 2011年9月30日 金曜 24時00分 - 24時30分 2011年3月までは水曜 25時00分 - 25時30分に放送。2011年6月18日からは土曜20時00分 - 20時30分に第1回から再放送開始。派生番組に関しては後述。 兵庫県 サンテレビジョン(SUN-TV) 2010年4月10日 - 2011年10月1日 土曜 24時00分 - 24時30分 リピート放送あり2011年3月までは土曜 23時55分 - 24時25分に放送 埼玉県 テレビ埼玉(TVS/テレ玉) 2010年4月10日 - 2011年9月26日 月曜 23時30分 - 24時00分 リピート放送あり2011年3月までは木曜 23時00分 - 23時30分に放送 北海道 北海道テレビ放送(HTB) 2010年6月5日 - 7月25日 不定期放送 テレビ朝日系列 第8回まで 2010年8月15日 - 2010年9月26日 日曜 25時45分 - 26時15分 2010年10月4日 - 2011年9月26日 月曜 25時15分 - 25時45分 2011年10月2日 - 2012年3月18日 月曜 25時30分 - 26時00分 前日にHTBローカルのプロ野球中継が16:00を超えて延長があった場合は放送できなかった16:00-17:25のネット番組を時差放送する関係上休止となり、翌週以降に繰り越される。 山形県 さくらんぼテレビ(SAY) 2010年8月1日 - 2011年5月22日 日曜 14時25分 - 14時55分 フジテレビ系列 2011年7月10日 - 2013年6月17日 日曜 24時25分 - 24時55分 福島県 福島放送(KFB) 2010年8月6日 - 2011年9月25日 日曜 25時00分 - 25時30分 テレビ朝日系列 2011年10月4日 - 2012年3月27日 火曜 25時50分 - 26時20分 2012年4月3日 - 2012年5月1日 火曜 25時20分 - 25時50分 静岡県 静岡放送(SBS) 2010年10月1日 - 2012年4月13日 金曜 26時10分 - 26時40分 TBS系列 宮城県 東北放送(TBC) 2011年1月9日 - 2012年7月22日 日曜 24時55分 - 25時25分 福岡県 九州朝日放送(KBC) 2011年1月11日 - 2011年3月29日 火曜 26時20分 - 26時50分 テレビ朝日系列 第1回から第10回放送、約9ヶ月遅れ 2011年5月6日 - 2012年4月6日 金曜 25時56分 - 26時26分 毎月最終金曜は休止。最終金曜以外も休止することがあり、遅れの差が広がっていた第42回をもって打ち切り TVQ九州放送(TVQ) 2013年4月2日 - 9月24日 火曜 26時05分 - 26時35分 テレビ東京系列 第53回から放送。第2期と併せて1つの番組とみなされており、9月24日の放送は最終回扱いとならず、翌週から第2期第1回の放送に入った。 岩手県 IBC岩手放送(IBC) 2011年1月16日 - 2012年8月26日 日曜 25時00分 - 25時30分 TBS系列 熊本県 熊本県民テレビ(KKT) 2011年3月3日 - 2013年2月21日 木曜 25時15分 - 25時45分 日本テレビ系列 大分県 大分朝日放送(OAB) 2011年4月2日 - 土曜 26時00分 - 26時30分 テレビ朝日系列 月1回(基本的に第1土曜)は月刊!ホークス放送のため休止。遅れの差が広がっている(2013年7月13日現在76回を放送)。第1回から放送、約1年遅れ 富山県 富山テレビ(BBT) 2011年4月2日 - 2012年11月7日 水曜 25時45分 - 26時15分 フジテレビ系列 第1回から放送、約1年遅れ 岡山県・香川県 西日本放送(RNC) 2011年4月5日 - 2012年3月27日 火曜 26時04分 - 26時34分 日本テレビ系列 第1回から放送、約1年遅れ第49回をもって打ち切り 福井県 福井テレビ(FTB) 2011年4月7日 - 2012年10月11日 木曜 24時40分 - 25時10分 フジテレビ系列 第1回から放送、約1年遅れ 長崎県 長崎文化放送(NCC) 2011年4月7日 - 2012年5月24日 木曜 25時25分 - 25時55分 テレビ朝日系列 第1回から放送、約1年遅れだったが、未放送分が多々有り、2012年5月で第1期分終了 石川県 北陸朝日放送(HAB) 2011年4月7日 - 2012年12月11日 木曜 25時50分 - 26時20分 第1回から放送、約1年遅れ 鹿児島県 鹿児島放送(KKB) 2011年4月14日 - 2012年9月29日 木曜 25時15分 - 25時45分 2012年10月6日 - 2013年2月7日 木曜 25時45分 - 26時15分 中京広域圏 中部日本放送(CBC) 2011年4月19日 - 2012年11月6日 火曜 25時25分 - 26時00分 TBS系列 広島県 広島テレビ放送(HTV) 2011年7月4日 - 2011年9月26日 月曜 25時29分 - 25時59分 日本テレビ系列 第1回から放送、約1年3ヶ月遅れ 2011年10月4日 - 2012年4月17日 火曜 25時04分 - 25時34分 2012年4月26日 - 2012年7月5日 木曜 26時13分 - 26時38分 第52回まで 2013年2月5日 - 火曜 25時59分 - 26時29分 新潟県 新潟テレビ21(UX) 2011年8月5日 - 2012年7月6日 金曜 25時45分 - 26時45分(2回連続放送) テレビ朝日系列 第1回から毎週2回連続放送、約1年4ヶ月遅れ。2012年3月末までは金曜 25時25分 - 26時25分に放送されており、放送期間全てを通して毎月最終金曜は休止していた。 山口県 山口朝日放送(yab) 2011年10月7日 - 金曜 25時34分 - 26時04分 約1年6ヶ月遅れ。毎月最終金曜は休止 青森県 青森テレビ(ATV) 2012年10月2日 - 火曜 24時25分 - 24時55分 TBS系列 第1回から放送 山梨県 テレビ山梨(UTY) 2012年10月16日 - 火曜 25時25分 - 25時55分 高知県 高知さんさんテレビ(KSS) 2013年7月2日 - 火曜 26時10分 - 26時40分 フジテレビ系列 第1回から放送
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第1期(遊☆戯☆王ZEXAL)
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「遊☆戯☆王ZEXAL」の記事における「第1期(遊☆戯☆王ZEXAL)」の解説
ハートランドシティに住む13歳の少年九十九遊馬は、チャレンジし続ける精神「かっとビング」が口癖の不屈の闘志を持つデュエリスト。ふとしたことから学園一の不良、シャークこと神代凌牙と自分のデッキを賭けたデュエルをすることになるが、連戦連敗の遊馬は成す術もなく窮地に陥る。
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第1期(腎症前期)
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症状はない。医学的な異常所見も見あたらない。糖尿病を発症した時点で第1期と解釈することができる。
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第1期(腎症前期)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 20:53 UTC 版)
糸球体濾過量 (GFR) が増加する。糸球体濾過量が増加することを濾過過剰 (hyperfiltration) という。
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第1期(2009年度:『スーパーサッカー』と『J-SPO』の統合)
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「S☆1」の記事における「第1期(2009年度:『スーパーサッカー』と『J-SPO』の統合)」の解説
これまでも姉妹編として長らく放送されてきた、土曜日の『スーパーサッカー』と日曜日の『J-SPO』の連携を更に深め、番組のスタッフも統合。各曜日それぞれの基本的なコンセプトはそのままに踏襲し、新たに2番組連動の共通企画も実施するなど、「統一感」と「連動感」を高めた総合的なスポーツニュースを目指した。 『JNNスポーツ&ニュース』終了以来、分割して放送されていた週末深夜のJNNニュースも7年ぶりに統合・内包され、本番組の1コーナーとして放送されている(詳細は後述)。 日曜版は以前の『J-SPO』と同様の規模が維持された一方で、土曜日に関してのみでいえば、サッカーファンに長らく愛され、常に6 - 8%の高視聴率を保ってきた以前の『スーパーサッカー』に対して、「JNNニュース」を含めた放送時間が55分から半分の28分に短縮されてしまった。 視聴率は3 - 4%と低迷した。他のスポーツ番組との差別化を図ってきた『スーパーサッカー』と異なり、他のスポーツ番組と区別できないような平凡な内容となっているほか、元々短くなった番組内に当日のスポーツニュース及び全国ニュースまでも押し込まれたことで、番組内容が全体的に窮屈になってしまった。特にJNNの最終ニュースとしては枠が5分弱で全国ネットニュースは実質1 - 2項目程度と、『世界・ふしぎ発見!』の前の『JNNフラッシュニュース』とさほど変わらなくなってしまった。
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第1期(2003年10月 - 2004年3月)
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「絶体絶命でんぢゃらすじーさん」の記事における「第1期(2003年10月 - 2004年3月)」の解説
おはスタ内で不定期に放送された35秒のアニメ。原作にあった話を元にしているが後期はオリジナルも含まれていた。このときの作品は2004年夏に発売された作品のグッズやゲームなどを集めた「でんぢゃBOX」同梱のVHSに収録されている(ただし、「時限ばくだんから逃げろ!!」、「つりの極意!!」、「虫歯を治せ!」、「コタツは最高!」、「ピーマン克服法」、「じーさんのひげ」、「ブランコ」、「覚悟!もちの焼き方」、「なくした靴下」、「ルンルンハイキング」のみ収録)。2009年10月よりYouTube内「小学館集英社プロダクションチャンネル」でビデオ未収録作品も交え配信。
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第1期(1928年-1955年)
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「松平頼則」の記事における「第1期(1928年-1955年)」の解説
南部地方の民謡に基づく新古典主義的なオーケストラ曲「パストラル」(1935年)でチェレプニン賞第2席を獲得し、デビューする。当時の作風は深井史郎から「カチカチ」と評されたが、譜面が整いすぎてアゴーギクに支障が出ることは否めなかった。そのような中でも「古今集」(1939年-1945年)で見られる和声付けの典雅さは後年の資質を感じさせる。この頃からすでに増四度音程に偏愛を見せていたが、それは晩年まで一貫する彼の作風の特徴となる。「前奏曲ニ調」(1934年)はアレクサンドル・チェレプニンの演奏で録音されている。 梶井基次郎も臨席したアンリ・ジル=マルシェのピアノリサイタルは、当時の日本の常識を覆す近代作曲家の日本初演の連続で聴衆を驚愕させたが(ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカからの3楽章」はこの時に日本初演)、このリサイタルに大きな感銘を受けたことがきっかけで、松平は驚異的なスピードで印象派以降の和声イディオムを吸収した。 ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮とイヴォンヌ・ロリオの独奏で演奏されたピアノとオーケストラのための「盤渉調越天楽による主題と変奏」(1951年)(ツェルボーニ社の楽譜でのタイトルでは単に「主題と変奏Tema e Varie」)は、越天楽の演奏で最も良く聴かれる平調ではなく盤渉調を採用しており、メロディラインがよく知られたものとは若干異なる。この曲は20世紀前半に完成された近代和声の見本市のような様相に加え、十二音技法が部分的に採用されている。一方、第5変奏ではジャズやブギウギのリズムが用いられており、クラシック音楽と商業音楽の中継点を模索する姿勢がうかがえる。
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第1期(スタッフ)
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「HERO (テレビドラマ)」の記事における「第1期(スタッフ)」の解説
脚本 - 大竹研(1)、福田靖(2 - 7・9・11)、秦建日子(5)、田辺満(8・10) 音楽 - 服部隆之 演出 - 鈴木雅之(1・2・4・7・9・11)、平野眞(3・5)、澤田鎌作(6・10)、加門幾生(8) 主題歌 - 宇多田ヒカル「Can You Keep A Secret?」(レギュラーシリーズのみ使用)ドラマのために書き下ろされた楽曲ではないが、企画書を読んだ宇多田が歌詞の一部を書き直しているという。 サウンドトラック - 服部隆之『HERO オリジナル・サウンドトラック』 演出補 - 加門幾生(1 - 6・9・10)、長瀬国博(7 - 11)、本間美由紀、洞功二、金成国 企画協力 - 樹林伸 スケジュール - 梅沢利之 制作担当 - 青木啓二 制作主任 - 堺光範、中保眞典、松本幹之、稲葉裕紀、信平隆行、難波杏里 制作デスク - 市場美枝 記録 - 戸国歩(1・2・4・7・9・11)、河野ひでみ(3・5・8・11)、山田佳子(6・10・11) 編成 - 長部聡介 広報 - 大貫伊都子 技術プロデューサー - 佐々木俊幸 TD/撮影 - 増井初明 撮影 - 大石弘宜 スタジオカメラ - 篠田忠史、浅野仙夫、船橋正成、磯貝喜作 CA - 岩瀬寛 照明 - 田頭祐介 照明助手 - 保坂裕之、堀越路博、海老原靖人、堀川由美、荒川光代 音声 - 島田隆雄 音声助手 - 渡部満裕、池谷鉄兵 映像 - 桜庭武志 録画 - 今村信男 編集 - 田口拓也 編集助手 - 浅沼美奈子 ライン編集 - 大方泉 ライン編集助手 - 杉山英希 選曲 - 藤村義孝 音響効果 - 泉清二 MA - 古跡奈歩 技術プロデュース補 - 友部節子 技術デスク - 長谷川美和 スタジオ営業担当 - 中村彰 CG - 西村了 CG編集 - 青山洋詠(5) 美術プロデューサー - 柴田慎一郎 デザイン - 荒川淳彦 美術進行 - 森田誠之 大道具製作 - 吉野宏昭 大道具操作 - 竹田勝美 建具 - 阿久津正己 装飾 - 田原真二、福留克年 持道具 - 岩本美徳 衣裳 - 片岡英樹、宇高さおり スタイリスト - 堀井香苗、塚田亜矢子、税田裕子、棚橋公子、岡島千景、城寶昭子、ICHIKO、坂本久仁子 メイク - 内野晶子、岡やす子、西巻千代江 視覚効果 - 高橋信一 電飾 - 井野岡利保 アクリル装飾 - 青木順一 生花装飾 - 相原るみ子 植木装飾 - 原利安 タイトル - 山形憲一 撮影協力 - 逗子マリーナ(1)、石原ダンスクラブ(1)、佐川航空(1)、井上商事(1)、センチュリーハイアット東京(1)(4)(7)(11)、住友ケミカル(1)、ジューアイ・イーシー(1)、ユージー・グローイングクラブ(1)、ブッツトリックバー東京(1)、都市基盤整備公団東京支社(2)、ミツトモインターナショナル(2)、JTRIP BAR西麻布(2)、カフェ・デ・プレ広尾(2)、京菓匠鶴屋吉信(2)、SUN FIELD TENNIS CLUB(2)、井上商事(2)、京王電鉄(2)、お茶の水スクエア(2)、三菱地所(3) - (11)、リストランテ マキャベリ(3)、たちばな(3)、壷中庵(3)(7)、八芳園(3)(7)、リバージュ品川ビル(3)、長島梱包(3)(4)、八王子中央病院(4)、Pentel(4)、割烹藤味(4)、安楽亭(4)、御宿いしい荘(5)、ホテルカルチャークラブ(5)、千葉県御宿町(5)、LOGOS(6)、東京流通センター(6)、日の出みりん(6)、FUJITSU(7)、ホテルセンチュリーサザンタワー(7)(11)、東京逓信病院(8)、霞が関東京會舘クリスタル(8)、明治生命(8)、セガ(9)、InSpiRAL(9)、ユニエックス(9)、横浜情報文化センター(9)、TRC東京流通センター(9)、FORUM8(9)、横浜ビジネスパーク(9)、国土交通省京浜工事事務所(10)、東邦港運・ベルタワー(10)、日本住建商事(10)、関西ペイント(10)、財団法人東京港埠頭公社(11)、ビッグタイムリゾート伊計島(11)、澤○○商店(11)、喫茶あめんぼ(11)、東京イースト(11)、埼玉県浦和市(11)、浦和市駒場スタジアム(11) プロデュース - 石原隆、和田行 協力プロデュース - 東海林秀文 プロデュース補 - 榊原妙子、牧野正 制作協力 - バスク、渋谷ビデオスタジオ 制作 - フジテレビ
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第1期(エピソード)
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「HERO (テレビドラマ)」の記事における「第1期(エピソード)」の解説
エピソードタイトルは新聞の番組欄のもので、映像では「第1話」などと表記される。 話数エピソードタイトル初回放送日 脚本演出視聴率第1話最悪の出会い 2001年1月8日 大竹研 鈴木雅之 33.4% 東京地検城西支部が密かに内偵を進めていた代議士の贈収賄事件が、佳境を迎えていた。午前8時、マスコミの注目を集める中、牛丸部長自ら中村検事・雨宮事務官を伴って収賄容疑で岬代議士を逮捕。同時刻、芝山・江上検事が事務官・警察を引き連れ、贈賄企業の強制捜査を行っていた。まさにその日、青森地検から一人の検事が城西支部に赴任した。周囲が収賄事件で盛り上がる中で、彼が担当したのは下着泥棒。事件に疑問を持った彼は独自に捜査をするが、彼の事務官を志願した雨宮は彼の経歴・姿勢に戸惑いを禁じえずにいた。 第2話帰れないふたり 2001年1月15日 福田靖 鈴木雅之 32.7% 久利生の下に顔に殴られた痕跡のある被疑者が送られてきた。警察で「相手が殴りかかってきたので振り払ったら、階段から転落して死亡した」と供述した後は、一切の質問に黙秘を続ける。被疑者の父親の依頼で弁護に乗りだした大物弁護士、坂ノ上が正当防衛を主張するなか、久利生は被疑者の態度と事件の状況に違和感を覚えて捜査に乗り出す。捜査を続けていくにつれ、被疑者や証人(被疑者の友人達)の証言に不信感を募らせる久利生。だが担当事務官の雨宮は江上に誘われたK-1の観戦時間が迫り、牛丸部長は坂ノ上の圧力を受け、他の検事や事務官も久利生が担当する仕事を急遽分担することになり、誰もが久利生の捜査に苛立ちを隠せないでいた。そして何の手がかりも掴めない久利生は、最後に事件現場へと向う。 第3話恋という名の犯罪 2001年1月22日 福田靖 平野眞 30.8% 江上と雨宮がいつものバーでいつものように噛み合わない会話をしていた時、突如背後で争いが起きる。別れ話のもつれから、男性が女性に食事用のナイフで切りかかったのである。翌日、その傷害事件の被疑者として宮川雅史が久利生の下に送検されてきた。そして被害者の証言に何か割り切れない物を感じた久利生は、捜査を開始する。徐々に明らかになる被害者の過去。異口同音に語られる巧妙な手口の数々。最も難しいとされる結婚詐欺の立件に二の足を踏む久利生に対し、「アーネスト・ホーストにビビッて、リングにも上がれない臆病者」と噛みつく雨宮。江上の手を離れたフランス大使館のパーティ招待状と共に、事件は意外な方向に進展していく。 第4話彼に教わったこと 2001年1月29日 福田靖 鈴木雅之 30.7% 女子大生がストーカーに殺される事件が発生。担当の江上は雨宮を連れて被害者の司法解剖に立ち会い、怪我で入院している容疑者と面会する。そして凶器が発見されていない事や被疑者が病院に入院している事などから、警察の意向に逆らって逮捕を見合わせ、引き続き捜査続行を指示する。が、その夜、容疑者小山田は病院を脱走。江上は警察だけでなく、マスコミからも非難を浴びることになる。久利生の一言から真犯人の可能性を見出した城西支部の面々は、謹慎中の江上を救うため独自に捜査を開始。大手法律事務所から移籍話が舞い込んでいた芝山も、無銭飲食の事案を担当していた久利生も捜査に参加する。検察の独自捜査に反発を強める警察。慣れない捜査に四苦八苦する検事・事務官達。だが捜査の甲斐なく、小山田逮捕の一報が届く。誰もが諦める中、久利生は現場へと向かう。 第5話二人きりの夜 2001年2月5日 秦建日子福田靖 平野眞 34.9% 検察庁内で起きた不倫騒動が格好の話題となる中、不倫の果てに妻を傷つけた夫が傷害容疑で送検されてきた。しかし夫は「包丁振り回したのは女房なんです」と容疑を否認。そして愛人は、男の容疑を認める証言を行う。愛人の証言に引っかかる物を感じた久利生は、彼女の本心を知るため南房総へと向かう。不倫話の最中に勢いで不倫宣言してしまった雨宮は、捜査の為、久利生と共に被疑者の愛人の実家が経営するホテルに赴き、成り行きで久利生と同じ部屋に泊まることになる。そのころ城西支部では、不倫が現在進行形の芝山が、遠藤に検察庁で起きた不倫騒動の情報を集めさせていた。部下の不倫宣言に動揺する牛丸部長、雨宮の身を案じる江上、芝山の動きに不快感を隠せない美鈴、そして江上に振り回される末次、不倫情報を集める遠藤。様々な思いを背景に久利生と雨宮は一夜を共に過ごす。 第6話彼女の一番大切なモノ 2001年2月12日 福田靖 澤田鎌作 36.1% 警官殺しの容疑者が送検されてきた日、雨宮はいつものバーで知り合った男に誘われてバー「Hungry Heart」を訪れる。が、突然の警察の強制捜査(賭博容疑)に巻き込まれ、警察署で不安な夜を過ごすことになる。同じころ警察に自首した被疑者は金で真犯人の身代わりになったとして、一転して容疑を否認。そして真犯人として金融業を営む男が翌日には送検されてきた。いつになく性急に捜査を進める警察。身内を殺された警察の勇み足を警戒する検察。アリバイを主張する被疑者。三者三様の思案を解きほぐすべく久利生は捜査を開始する。が、久利生に同行する雨宮は、長引いた取調べでの寝不足に加え、強制捜査のときに落とした「落し物」の心配で捜査に身が入らない。一方、雨宮が必死に探す「落し物」は憶測が憶測を呼び、周囲に波紋を広げて行く。そして警察の強制捜査の真の目的が明らかになったとき、雨宮は封鎖された「Hungry Heart」の前に到着していた。 第7話君に会えてよかった 2001年2月19日 福田靖 鈴木雅之 34.5% 遠藤、末次は検事の人使いの荒さや事務官の仕事に不満を漏らし、雨宮は副検事になるための内部試験を受けようと熱意に燃える。そんな折雨宮が掛け持ちしていた久利生の担当事務官として、新たに正木事務官が異動してきた。遠藤、末次はいつものバーで正木に仕事の愚痴を話すと、正木は「事務官の仕事にやりがいはない」と即答し、事務官を辞め原宿の裏通りにクレープ屋を開く予定だと話す。遠藤、末次はそんな正木に同調するようになる。一方久利生は大手貿易会社の専務が被疑者となった痴漢事件を担当していた。容疑を徹底して否認し、被害者の女性社員を解雇した被疑者。被害者の過去を調べ、圧力をかける顧問弁護士。口を固く閉ざす会社関係者。そんな不利な状況を打開するため、久利生と雨宮は会社関係者からの事情聴取を試みる…… 第8話過去を知る女 2001年2月26日 田辺満 加門幾生 36.8% 痴漢事件の裁判でマスコミ注目の美人弁護士巽江里子が中村検事を論破したことが城西支部で話題となる中、医療過誤事件が送検されてきた。専門知識が必要な上、情報を握る病院側の妨害が予想される誰もが嫌がる事案で、当然のごとく担当になったのは久利生。そして病院が雇ったのは、久利生とは司法修習の同期で友人だった話題の巽江里子。警察での自供から一転、容疑を全面否認する被疑者。手術ミスの証言を土壇場で撤回する証人。巽江里子の容赦ない攻勢に、久利生は反撃の糸口を求め捜査を続ける。 第9話俺がずっとそばにいる 2001年3月5日 福田靖 鈴木雅之 34.4% 通勤途中の雨宮が不可解な事故に遭遇したある日、東京地検城西支部にピザの宅配を装った暴漢が侵入し、煙幕を焚き手当たり次第に備品を破壊して逃走するといった襲撃事件が勃発する。予想もしていなかった事態にパニックに陥った検事・事務官からまともな証言が得られず、難航する捜査。国家権力に対するテロなのか、特定の検事に対する遺恨、はたまた単なる愉快犯?等の憶測が飛び交う中、過去の被疑者による仕返しに怯え、難航する捜査に苛立ちを隠さない検事・事務官。疑心暗鬼の中、バッグに爆弾を仕掛けられた雨宮は、狙われた事に身の危険を感じて久利生の部屋に泊まることに…… 第10話別れの予感 2001年3月12日 田辺満 澤田鎌作 35.1% 久利生の下に人気キャスター暴行事件の被疑者が送検されてきた。しかし警察での自白を一転して否定、久利生は捜査を開始する。古田を犯人だと主張する被害者榎本は犯人の顔を見ておらず、久利生は証拠不十分として不起訴を決断する。納得できない榎本は検察審議会に提訴し、更に検察や久利生個人への非難を繰り広げる。そんな中、再度榎本が帰宅途中に暴漢に襲われる。脅迫状の指紋や榎本が襲われた時に見た腕の傷から、警察も古田以外の真犯人の存在に気付くが、面子を保つため古田への追及の手を緩めず、マスコミによる検察=久利生バッシングが激しさを増す中、警察に怯えた古田は最悪の結末を選択してしまった。 最終話最後の事件 2001年3月19日 福田靖 鈴木雅之 36.8% 榎本由起暴行事件での非難報道の波紋は大きく、検察上層部は久利生に非がないことを認めつつも、石垣島への異動を決定する。そのころ久利生はサッカースタジアムの警備員殺しの事件を担当していた。その捜査の中被害者の息子・良太と出会う。被疑者が完全黙秘を続ける中で、突如東京地検特捜部が警備員殺しの被疑者を取り調べるため城西支部に乗り込んでくる。目的を隠したまま取り調べを始める特捜の検事達、検事・事務官を引っ掻き回す良太。そんな中、特捜検事の言葉から久利生の異動を知った城西支部の面々は、一致団結して各々のやり方で調査を進めていく。やがてこの事件の背後に、大物政治家と建設業者の黒い関係が浮かび上がる。 平均視聴率 34.3%(ビデオリサーチ関東地区)
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第1期(2022年3月まで)
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「沼にハマってきいてみた」の記事における「第1期(2022年3月まで)」の解説
MC 高橋茂雄(サバンナ) 桜井日奈子:月曜生放送担当 松井愛莉:火曜・水曜担当 ナレーター 小野寺一歩 その他 杉岡英樹(NHKアナウンサー)2019新型コロナウイルス感染防止対策の臨時出演者。2020年4月20日 - 5月18日の月曜生放送スタジオMC、2020年4月28日のナレーターを担当。
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第1期(1969年4月 - 1980年7月)
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「テレビ東京月曜9時枠の連続ドラマ」の記事における「第1期(1969年4月 - 1980年7月)」の解説
東京12チャンネル時代の1969年4月に放送開始された『プレイガール』は、お色気ドラマとして大きな話題となり7年続いた。その後は海外ドラマ『特別狙撃隊S.W.A.T.』や『愛のドラマシリーズ』などが放送されていたが、1980年の『ミラクルガール』をもって、この枠でのドラマ放映は一時中断する。 プレイガール - 21:00 - 21:56で放送。 プレイガールQ - 21:00 - 21:55に変更、更に1975年10月からは21:00 - 21:54に再変更(いずれも天気予報枠拡大のため)。 特別狙撃隊S.W.A.T. - 火曜20:00に移動。 愛のドラマシリーズ ザ・スーパーガール ミラクルガール
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第1期(腎予備能減少期)
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「慢性腎不全」の記事における「第1期(腎予備能減少期)」の解説
GFR(糸球体濾過値)が正常〜50%の間に減少した時期であるが、生体の恒常性はほぼ正常に維持されており、無症状である。
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第1期(2002年10月号 - 2003年9月号)
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「双恋」の記事における「第1期(2002年10月号 - 2003年9月号)」の解説
2002年10月号から2003年9月号までの連載では読者参加ゲーム(12月号から)とイラストが交互に掲載された。 この時期の読者参加ゲームでは、参加者は5組の双子から1組を選び、その双子とある状況になった時にどのような行動をし、それに対して2人がそれぞれどうするかを選ぶ方式であった。状況は各姉妹共通で、行動は各姉妹に対応する5つがあり、反応は10通りで5組10人にそれぞれ対応しており、参加者は自分で選んだ姉妹に対する行動とそれに対する反応(一方でよい)が選んだ姉妹のものと一致すれば賞品がもらえるという形式であった。 イラストの回では特定のテーマにあったイラストが掲載され(11月号 - 2003年7月号)、2003年3月号からはこの各双子のプロフィールを当てるクイズ「双子白書」も開催された。また、「双子白書」と平行する形でキャラクターファイルが掲載された。 正解発表の回ではその回における参加者数が姉妹毎に集計され順位も発表されたが、この順位は全て白鐘→一条→桜月→千草→雛菊であった。 総投票数は、第1回(2003年2月号)が5628票、第2回(4月号)が5290票、第3回(6月号)が3699票、第4回(8月号)が3026票となっている。
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第1期(2021年11月 - 2022年3月)
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「ジャパンマラソンチャンピオンシップシリーズ」の記事における「第1期(2021年11月 - 2022年3月)」の解説
G1 男子第75回福岡国際マラソン選手権大会(2021年12月5日) 第70回別府大分毎日マラソン大会(2022年2月6日) 第10回大阪マラソン・第77回びわ湖毎日マラソン統合大会(2022年2月27日) 東京マラソン2021(2022年3月6日) 女子第41回大阪国際女子マラソン大会(2022年1月30日) 東京マラソン2021(2022年3月6日) 名古屋ウィメンズマラソン2022(2022年3月13日) 東京マラソンについては「東京マラソン2022」として開催予定の2022年3月6日に「東京マラソン2021」が延期されたことに伴い変更された。 G2 男子第52回防府読売マラソン大会(2021年12月19日) 女子第10回大阪マラソン・第77回びわ湖毎日マラソン統合大会(2022年2月27日)
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第1期(2009 - 2014年度)
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「上泉雄一のええなぁ!」の記事における「第1期(2009 - 2014年度)」の解説
MBSラジオのナイターオフ限定・平日夜間の生ワイド番組(2006・2007年度は『上泉雄一の発信!UWAらじお』、2008年度は『上泉雄一のFANFANレディオ』)に続いて、上泉をメインパーソナリティに起用。前番組の『さてはトコトン菊水丸』(2009年3月27日放送終了)から、放送枠や一部のコーナー・企画を引き継いだ。 初代のプロデューサーには、『上泉雄一のFANFANレディオ』に続いて、上泉と同期入社の新堂裕彦(当時は毎日放送ラジオ局に所属)が就任。2009年3月30日(月曜日)から同年4月3日(金曜日)までは、プレスタート番組として『上泉雄一の来週からいよいよええなぁ!』を放送していた。 本放送の開始を機に、留守番電話専用の回線を開設。メールやFAXに加えて、毎日24時間対応で、リスナーからのメッセージを受け付けた。また、緊急時・特別編成時を除いて、エンディングでは『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』(後枠の生ワイド番組)との間で出演者同士のクロストークを展開していた。 放送1年目の2009年には、第47回ギャラクシー賞上期・ラジオ生ワイド部門で入賞。奥野史子が日替わりパートナーとして出演した6月2日(火曜日)放送分の内容が高く評価された。さらに、上期・下期を通じた2009年度の年間表彰(第47回ギャラクシー賞)でも、同じ内容でラジオ部門の優秀賞を受賞した。 2010年1月1日には、当番組の特別版として、『上泉雄一のええなぁ!お正月スペシャル 元旦からええ話を聞きタイガー!!』を放送。前年度(2009年1月2日放送の『上泉雄一のMOWMOWレディオ お正月からもぅ〜ちょっと聞いてよ!うわちゃんスペシャル』)に続いて、上泉が11時間半に及ぶ正月特別番組のパーソナリティを務めた。2013年2月20日には、レギュラーでの通算放送回数が1000回に達している。 2014年には、4月4日の11時7分9秒から毎日放送本社新館の運用を本格的に開始したことから、当番組の放送枠で特別番組『MBSグランドオープンスペシャル 上泉雄一のええなぁ!公開生放送』を編成。9月1日には、MBSラジオの番組で最も早く、11時台から「radiko」プレミアムを通じて日本全国への同時配信を開始した。
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第1期(2015 - 2017年度::『上泉雄一の週末もええなぁ!』)
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「上泉雄一のええなぁ!」の記事における「第1期(2015 - 2017年度::『上泉雄一の週末もええなぁ!』)」の解説
2015年4月4日から毎週土曜日の13時台に放送。放送上は、上泉が土曜日の午前中に『せやねん!』へ出演した後に、当番組へ登場する。ただし、プロ野球シーズン中に『MBSベースボールパーク』として13:00開始のデーゲームを中継する場合や、特別番組を編成する場合には当番組を休止。また、公式のメールアドレス、twitterやFacebook上の公式アカウント、公式サイトを『ええなぁ!』と共用している。 この番組では、新刊本や新作映画などから、上泉が感銘を受けた複数の作品を紹介。また、新刊本の作者、新作映画の出演者、放送日の直後に関西地方で催されるライブ・イベント・舞台公演への出演を予定しているアーティストや俳優に向けた(事前収録かスタジオからの電話による)上泉のインタビューを随時放送している。インタビューが事前収録の場合には、放送前日までの『ええなぁ!』でダイジェスト音源を流した後に、この番組で全編を放送。『ええなぁ!』のパートナー(嘉門タツオ・香西かおりなど)をアーティストゲストとして迎えることもあれば、谷口真由美のように、当番組へのゲスト出演をきっかけに『ええなぁ!』にも定期的に登場するようになった人物もいる。 なお、「MARUZEN & ジュンク堂書店梅田店」(売場面積で日本最大級の規模を擁する毎日放送本社付近の書店)では、この番組の放送開始を機に「上泉雄一のええ棚!」を1階フロアに常設。この番組や『ええなぁ!』の本編で紹介した書籍を販売している。もっとも実際には、MBSラジオの他番組(主に『次は〜新福島!』)で紹介した書籍も展示するようになったことから、2019年12月下旬のフロアリニューアルで「MBSラジオの棚」に変わっている。 2015年9月26日までの放送時間は13:00 - 13:30だったが、後枠で放送していた『1179 いい話 泣く話』(13:30 - 13:45)が同日で終了したことを受けて、翌週(10月3日)以降は放送時間を13:00 - 13:45に拡大。「週末にゆっくり聴きたい1曲」というテーマで、リスナーから楽曲のリクエストを受け付けるとともに、寄せられたリクエストから毎回1曲を放送している。 2016年1月9日からは、13:30 - 13:45に『シルクのべっぴん塾』を編成する関係で、当番組の放送時間を13:00 - 13:30に戻した。2017年7月1日からは、13:15 - 13:30に『サトケンの買って!?ちょ〜だい!』(九州朝日放送発のラジオショッピング番組)を編成する関係で、当番組の放送時間を13:00 - 13:15に短縮した。 なお、番組開始から2017年3月25日放送分までは、番組の中盤(または後半)にはラジオショッピングコーナーを内包。上泉がインタビューの感想を述べてから、フリートーク風にコーナーを始めていた。同年4月1日放送分からは、ラジオショッピングコーナーを内包せずに、全編をインタビューで構成することが多かった。
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第1期(ソモサン・セッパ!)
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「クイズ・ソモサン・セッパ!」の記事における「第1期(ソモサン・セッパ!)」の解説
太字は優勝者。肩書は放送時の表記に準じる。 シーズン 1 回放送日順位参加者肩書得点説破1 2012年10月16日 1 三浦奈保子 東大卒 49 4 2 春風亭昇吉 東大卒 落語家 28 3 3 石原良純 慶応大卒 17 3 4 高橋茂雄(サバンナ) 芸人 12 2 5 ヒャダイン 京大卒音楽プロデューサー 8 2 2 2012年10月23日 1 山西惇 京都大学工学部卒 俳優 45 4 2 吉田たかよし 東京大学工学部・医学部卒NHK退社後医師免許取得 33 3 3 渡部建(アンジャッシュ) 芸人 32 5 4 山本舞衣子 東京大学医学部卒元日本テレビアナウンサー 20 3 5 加藤博人 数々の資格を持つスーパー小学6年生 4 1 3 2012年10月30日 1 勝間和代 慶應義塾大学・早稲田大学大学院修了経済評論家 40 4 2 板倉俊之(インパルス) 芸人 作家としても活躍 29 3 3 松尾依里佳 京都大学卒 ヴァイオリニスト 27 3 4 哲夫(笑い飯) 関西学院大学卒M-1グランプリ2010優勝 25 4 5 東田大志 現役京都大学大学院生パズル研究家 15 3 4 2012年11月6日 1 岡本玲 現役女子大生女優 高校全国模試6位 50 4 2 Tehu 灘高校2年14歳で開発したアプリが世界第3位の大ヒット 20 1 3 塚地武雅(ドランクドラゴン) 芸人 13 2 4 角田龍平 弁護士 立命館大学卒 元芸人 10 1 5 パックン(パックンマックン) ハーバード大学卒東京工業大学非常勤講師 10 1 5 2012年11月13日 1 博多大吉(博多華丸・大吉) 芸人 54 4 2 小島よしお 早稲田大学卒 芸人 30 3 3 栗原一貴 東京大学卒 イグノーベル賞を受賞 19 3 4 安座間美優 法政大学卒 CanCam専属モデル 5 1 5 津田大介 早稲田大学卒ニュースサイト「ナタリー」を開設 5 1 6 2012年11月20日 1 西村賢太 作家 『苦役列車』で芥川賞受賞 25 2 2 高橋茂雄(サバンナ) 芸人 立命館大学卒 20 2 2 塙宣之(ナイツ) 芸人 THE MANZAI 2011準優勝 20 2 4 米山維斗 自ら考案したカードゲームの会社「ケミストリークエスト株式会社」の取締役社長を務める中学生 20 1 5 秋元優里(フジテレビアナウンサー) 慶應義塾大学卒 14 3 7 2012年11月27日 1 山口真由 東京大学首席卒 元財務省官僚 弁護士 45 3 2 千原ジュニア(千原兄弟) 芸人 俳優や司会者としても活躍 43 5 3 本村健太郎 東京大学卒 弁護士 24 4 4 光浦靖子(オアシズ) 東京外国語大学卒 芸人 24 4 5 石田衣良 小説家 直木賞受賞 8 2 8 2012年12月4日 1 大関綾 株式会社ノーブル・エイペックス代表取締役社長17歳で起業した 40 4 2 高橋晋平 株式会社バンダイ社員∞プチプチの開発者 34 3 3 野々村友紀子 2丁拳銃・修士の妻 放送作家 25 3 4 永野彰一 現役早稲田大学法学部学生100以上の資格を持つ 3 1 5 溝畑宏 元観光庁長官 元自治省官僚 2 1 9 2012年12月12日 1 おおたわ史絵 東京女子医科大学卒 医師 40 3 2 眞鍋かをり 横浜国立大学卒 元祖高学歴アイドル 25 3 3 大久保佳代子(オアシズ) 千葉大学卒 タレントとOLの両立を長年経験 24 2 4 山本舞衣子 東京大学医学部卒元 日本テレビアナウンサー 13 2 5 美馬怜子 お天気キャスター 元モデルフェリス女学院大学卒 2 1 10 2012年12月19日 1 高橋智隆 ロボットクリエイター 「エボルタ」製作者東京大学先端科学技術研究センター特任准教授 43 4 2 グローバー Jackson vibe、SKA SKA CLUBのボーカル現役東大生 31 4 3 向井慧(パンサー) 芸人 明治大学卒 28 4 4 川島明(麒麟) 芸人 M-1グランプリ3年連続3位 26 3 5 崎本大海 俳優 慶応大卒 17 3 11 2013年1月2日 1 高橋晋平 バンダイ社員 ∞プチプチの開発者 55 5 2 福田萌 横浜国立大学卒 夫はオリラジの中田 34 3 3 博多大吉(博多華丸・大吉) 福岡大学中退 20 3 4 秋山竜次(ロバート) キングオブコント優勝 4 1 5 山西惇 京都大学工学部卒 俳優 0 0 決勝 福田萌 横浜国立大学卒 夫はオリラジの中田 × / × / - 高橋晋平 バンダイ社員 ∞プチプチの開発者 ○ / ○ / - 12 2013年1月8日 セッパマスターズ出場者の紹介とオーディションの模様 13 2013年1月15日 1 勝間和代 第3回大会優勝 経済評論家 38 4 2 山口真由 第7回大会優勝 東大首席卒弁護士 元財務省官僚 30 2 3 三浦奈保子 第1回大会優勝 東大卒 気象予報士 15 2 4 千原ジュニア(千原兄弟) 第7回大会 全問説破 8 2 5 西村賢太 第6回大会優勝 芥川賞作家 3 1 14 2013年1月22日 1 春風亭昇吉 第1回大会準優勝 東大卒 落語家 55 5 2 おおたわ史絵 第9回大会優勝 内科医 作家 40 3 3 向井慧(パンサー) 第10回大会成績優秀者 明治大学卒業 12 2 4 大関綾 第8回大会優勝 17歳で起業した女性社長 9 2 5 岡本玲 第4回大会優勝 現役大学生 9 2 15 2013年1月29日 決勝 勝間和代 第3回大会優勝 経済評論家 × / ○ / ○ 春風亭昇吉 第1回大会準優勝 東大卒 落語家 × / ○ / × シーズン 2 回放送日チーム参加者肩書得点説破1 2013年2月5日 男 佐戸井けん太 俳優 上智大学中退 10 3 高橋茂雄(サバンナ) 芸人 立命館大学卒 5 鈴木勝大 慶應義塾大学2年生 特命戦隊ゴーバスターズ出演 3 女 江上敬子(ニッチェ) 芸人 30 3 眞鍋かをり 横浜国立大学卒 5 春香クリスティーン スイス出身 3
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第1期(1979年 - 1985年)
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「シスターズ・オブ・マーシー」の記事における「第1期(1979年 - 1985年)」の解説
最初期はエルドリッチとギタリストのゲイリー・マークスの2人がバンドメンバーであり、エルドリッチがボーカルとドラムを兼任する形で2枚のシングルをレコーディングしている。その後、エルドリッチが正式メンバーとして「ドクター・アバランシュ(Doktor Avalanche)」と名付けたドラムマシンにビートを任せることでドラムレスの形態を取り、ギターに元デッド・オア・アライヴのウェイン・ハッセイ、ベースにグレッグ・アダムスを加えた4人(と1台)組としてデビュー・アルバム『マーシーの合言葉』を発表。しかしその直後、独裁的にイニシアティヴを発揮するエルドリッチと他の3人の関係が悪化しバンドは分裂。来日公演を目前に控えた1985年7月に解散を発表した。バンドを脱退したウェイン・ハッセイとグレッグ・アダムスは揃ってザ・ミッションを、ゲイリー・マークスはゴースト・ダンスというそれぞれが新たなゴシックロックのバンドを結成しエルドリッチのもとを去った。
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第1期(スーパーJチャンネル内包時代)
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「くまパワJ」の記事における「第1期(スーパーJチャンネル内包時代)」の解説
2019年4月1日 - 2019年9月27日 月 - 金曜日16:45 - 19:00(日本時間/135分)祝日は、17:53 - 19:00の短縮放送となる場合がある。 『Do You のうぎょう? +プラスワン』を1時間繰り上げる場合は、16:50 - 18:54の短縮放送。 6月中旬~7月上旬にかけて、18:50 - 19:00に『めざせ!甲子園~出場校の横顔~』を放送するため10分短縮。 7月中旬~下旬にかけては、18:45 - 19:00に『めざせ!甲子園~ダイジェスト~』を放送するため短縮放送。 『めざせ!甲子園』(全国高等学校野球選手権熊本大会中継)の1回戦から準々決勝前を中継する時期は、16:45 - 16:50のパートは休止。 『めざせ!甲子園』の準々決勝から決勝(予備日を含む)を中継する時期は、16:45 - 17:53のパートは休止。(全国高等学校野球選手権大会の熊本県代表が決まったときのみ16:50 - 17:53のパートを放送。) 2019年10月2日 - 2020年3月27日 月 - 金曜日16:50 - 19:00(日本時間/130分)祝日は、17:53 - 19:00の短縮放送となる場合がある。 『Do You のうぎょう? +プラスワン』を1時間繰り上げる場合は、16:50 - 18:54の短縮放送。
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第1期 (1983年 - 1987年)
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「ニール・キノック」の記事における「第1期 (1983年 - 1987年)」の解説
キノックの党首としての1期目(1983年 - 1987年)は、強硬右派との闘争であったと位置づけられる。ただ、キノック自身も左派の出身であり、彼の作った影の内閣には、かつての左派の同志たちも多数入閣していた。
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第1期(NECO PLASTIC)
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「ネコプラ」の記事における「第1期(NECO PLASTIC)」の解説
KissBee所属の新ユニットとして2016年12月24日活動開始。 キャッチコピーは「そう遠くない新世界を想像する、緑型ダークマターユニット」 全員同じ黒と緑の衣装を着た7人組女性アイドルグループで、メンバーはKissBee候補生を中心に選ばれた。 ファンは「のらねこ」と呼ばれていたほか、「ネコプラ」は略称として使われていた。 ステージは会場で禁止されている場合を除き、他人に迷惑の掛からない範囲で静止画動画ともに撮影が可能。 楽曲は転調の多い、いわゆる沸ける曲が多く、歌詞は単なる言葉遊びの部分も多いが、全体として哲学的でもある。 2017年夏頃からメンバーの脱退が相次ぎ、同年10月をもって活動休止、移籍して再出発することとなった。
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第1期(2003年4月 - 2004年10月)
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「コスモアースコンシャスアクト 未来へのタカラモノ」の記事における「第1期(2003年4月 - 2004年10月)」の解説
2003年4月からは週末の15分番組としてリニューアル。パーソナリティーは一十三十一(ひとみとい)。日本各地の自然の風景を紹介した。 JFNで「RADIO JAPAN on Sunday」をネットしていたほとんどの地域では7:15から放送されていた。 2004年4月からは週末の5分番組に変更。柴田玲をパーソナリティーに、月ごとのゲストによるコラムで構成した。 夏川りみ(2004年4月) 向井亜紀(5月) 渡辺貞夫(6月) 渡辺満里奈(7月) 長谷川理恵(8月) 清水國明(9月)
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第1期(過剰摂取後6時間以内)
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「鉄中毒」の記事における「第1期(過剰摂取後6時間以内)」の解説
嘔吐、吐血、下痢、腹痛、易刺激性、眠気。重篤な場合、呼吸や脈拍が速くなり、昏睡、意識消失、けいれん発作、低血圧。
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第1期(コンプレックス番組時代)
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「スーパーJチャンネルくまもと」の記事における「第1期(コンプレックス番組時代)」の解説
(ANN)スーパーJチャンネル 1998年10月5日 - 2000年9月29日 月 - 金曜日17:00 - 18:25(日本時間/75分)17:40 - 17:54は九州朝日放送から『ほっと540九州沖縄』を放送。 2000年10月2日 - 2005年7月1日 月 - 金曜日16:55 - 18:15(日本時間/80分) 2005年7月4日 - 2005年9月30日 月 - 金曜日16:54 - 18:15(日本時間/81分) スーパーJチャンネル九州・沖縄 2000年10月2日 - 2005年9月30日 月 - 金曜日18:18 - 18:28(日本時間/10分) KABニュースラウンド 1998年10月5日 - 2000年9月29日 月 - 金曜日18:28 - 18:50(日本時間/22分) 2000年10月2日 - 2005年9月30日 月 - 金曜日18:28.30 - 18:55(日本時間/26.5分)
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第1期(KRT制作)
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「TBS金曜8時枠の連続ドラマ」の記事における「第1期(KRT制作)」の解説
枠は全て20:00 - 20:30。 海賊船サルタナ▲ アニーよ銃をとれ(KRT版第1シリーズ)▲ プレイハウス90▲ アニーよ銃をとれ(KRT版第2シリーズ)▲ 少年航路 キャノンボール▲ おトラさん - 金曜21:15より移動。この後NET(現:テレビ朝日)に移動し継続。
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第1期(1968年 - 1971年)
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「マルタン・サーカス」の記事における「第1期(1968年 - 1971年)」の解説
プログレッシブ・ロック・バンドとしてスタート。 ジェラール・ピサーニ(Gérard Pisani、1941年 - ) - サクソフォーン ボブ・ブロー(Bob Brault、1945年 - ) - ベース、ボーカル パトリック・ディーチェ(Patrick Dietsch) - ボーカル、ギター ポール=ジャン・ボロスキ(Paul-Jean Borowsky) - ボーカル、キーボード ジャン=フランソワ・ルロワ(Jean-Francois Leroi) - ドラム
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第1期(1858年)
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「ストラスペイ男爵」の記事における「第1期(1858年)」の解説
ジョン・オギルヴィ=グラント(英語版)(1815–1881)は1858年8月14日に連合王国貴族として「インヴァーネス=マリ州ストラスペイのストラスペイ男爵(Baron Strathspey, of Strathspey in the Counties of Inverness and Moray)」に叙されたが、これが第1期の創設にあたる。彼は叙爵前の1853年に父から「シーフィールド伯爵」を継承していたため、男爵位は伯爵位の従属爵位となった。 しかし、その子である8代伯イアン(1851-1884)が1884年に生涯未婚のまま死去すると、男爵位は廃絶となった。一方で、伯爵位は叔父ジェームズが継承するとともに、彼が直後に第2期の叙爵を受けることとなる。
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第1期(1997年春 ~ 2000/9/24)
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「ハイパーヨーヨー」の記事における「第1期(1997年春 ~ 2000/9/24)」の解説
ヨーヨーの歴史上、最大のブームとなった時代。1997年後半から1998年のブーム時には大型量販店で売り切れが続出したことで社会現象になり、ワイドショーなどでもたびたび取り上げられ、中村名人やハイパーヨーヨーの全国大会入賞者がテレビ出演することもあった。 また、各地でイベントや大会が行われたり、ハイパーヨーヨーを使うパフォーマーも現れるほどになる。さらに全国各地のバンダイが指定した店でトリックの認定が行われた。1990年代中期の『月刊コロコロコミック』全盛時のホビーであるミニ四駆やビーダマンの中では最も後発ではあったものの、最終的には高い人気を得た。ブーム時には他社から様々な類似品も発売された。 しかし金属ベアリングの「レイダー」などの高級モデル(5000円程度)の登場以降はブームは終息に向かい、「ハイパードラゴン」発売の頃にはブームは沈静化した。 2010年代のヨーヨー世界チャンピオンの大半は日本人選手であり、この時代でヨーヨーの存在を認知するきっかけとなった選手も多い。
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第1期(1908年-1925年)
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「東京文献学派」の記事における「第1期(1908年-1925年)」の解説
歴史地理調査部の創設から、その成果である『満鮮地理歴史研究報告』の刊行と1925年に東京帝国大学における東洋史学の基礎を築いた白鳥庫吉の定年退官まで。この時期の調査活動は、基礎研究としては重要であったが、満鉄の活動へどれだけ寄与したかは疑問である。この時期の特徴は、歴史地理調査部と東京帝国大学文科大学東洋史学科にて、日本における文献学的な東洋学の基礎作りおよび実証主義的(考証的)な中国・満蒙・朝鮮の東洋古代史研究の基礎を確立したとともに、資料の蒐集にも重視した。この時期の主なメンバーとしては、白鳥庫吉と彼の弟子津田左右吉、池内宏、松井等、箭内亘、橋本増吉、重松俊章、原田淑人、清水泰次、石田幹之助、和田清らが挙げられる。多くの代表者は、白鳥庫吉に直接師事し、彼から多くの影響を受けていることは、特筆すべきだろう。第1世代は、東洋史学の実証的方法を提唱して多くの成果を挙げた。
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第1期(1967年1月~1971年9月)
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「テレビ朝日土曜夜8時枠時代劇」の記事における「第1期(1967年1月~1971年9月)」の解説
1967.01~1968.12 - 素浪人 月影兵庫 第2作 1969.01~1970.12 - 素浪人 花山大吉 1971.01~1971.04 - さむらい飛脚 1971.04~1971.09 - 人形佐七捕物帳(林与一主演版)本作のみ東宝制作。ほか3作品はすべて東映制作。
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第1期(土ドラ枠)
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「ファーストクラス (テレビドラマ)」の記事における「第1期(土ドラ枠)」の解説
各話放送日サブタイトル演出視聴率第1話 4月19日 女の格付け地獄開幕 虐げられるシンデレラ 沢尻以外、全員悪女 水田成英 06.5% 第2話 4月26日 沢尻VS泥棒猫悪女 盗まれた企画書! もう許さない! 反撃開始 09.1% 第3話 5月03日 毒入りサンドの罠! 殺す気…? 沢尻もはや終了? いや大逆襲か 樹下直美 06.1% 第4話 5月10日 今夜も悪魔の声炸裂 盗撮攻撃で性悪女逆襲 最狂の地獄絵図来た 06.7% 第5話 5月17日 地獄の底辺泥沼決戦 セレブVS最下位女! 最凶蛇女、牙を剥く 小林和紘 06.1% 第6話 5月24日 ドロドロ第一章今夜衝撃決着! 恋×友情=地獄! 蛇女は見た! 水田成英 08.8% 第7話 5月31日 お待たせしました! 第二章開幕で黒い沢尻解禁! 蛇女愛欲の罠 及川博則 07.8% 第8話 6月07日 地獄の使者乱入で悪女肉弾戦! 死ぬのは誰? 岡野宏信 08.9% 第9話 6月14日 最終章は悪女W杯開幕! 頂点も結局地獄 樹下直美 09.2% 最終話 6月21日 歓喜のち地獄のち奇跡のち地獄の最悪最終回 水田成英 10.3% 平均視聴率 8.0%(視聴率は関東地区、ビデオリサーチ社調べ)関東地区の視聴率は最終話のみ10パーセント台を記録している。
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第1期(円盤石の秘密)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 17:30 UTC 版)
「モンスターファーム (アニメ)」の記事における「第1期(円盤石の秘密)」の解説
1999年4月3日 - 2000年3月25日(全48話) 前週の特番を経て放送された『モンスターファーム』初のテレビアニメである。原作は育成ゲームであるが、ファームでのモンスター育成の要素は全く取り入れておらず、冒険主体のストーリーとなっている。朝の放送枠ではあるが、モンスターの死を描いたストーリーが多く、人の業を多く描いたのも本作品の特徴である。ダチョウ倶楽部やつボイノリオなどのタレントも声優として出演していた(特につボイは続編でも同じ役柄を演じている)。 主題歌は同じ制作会社による『名探偵コナン』で前例のあるビーイング(GIZA studio)アーティストを起用している。 同時期に並行して『月刊少年ガンガン』にて幸宮チノによる漫画が連載された。幸宮側には前田実によるデザイン設定が主要キャラクターのもの以外は届かなかったため、アニメ版とは一部キャラクターのデザインが異なっている。 2018年1月2日よりテレビ埼玉で再放送されている。
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第1期(たまごっち!)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 01:36 UTC 版)
「たまごっち!」の記事における「第1期(たまごっち!)」の解説
オープニングテーマ 「GO-GO たまごっち!」(第1話 - 第73話)作詞 - マイクスギヤマ / 作曲 - 鈴木盛広 / 編曲 - 亀山耕一郎 / 歌 - ならゆりあ(第1話 - 第48話)/ コーラス - ヤング・フレッシュ(コロムビアミュージックエンタテインメント) 第1話 - 第25話は冒頭にナレーションが入りOP全体で1:40分であった。第26話からはナレーションを廃止し映像も変更され、時間も1:30分に短縮された。 第49話からは劇中のキャラクターが1ヶ月毎に歌を担当し、歌詞もアレンジされ間奏にはキャラのセリフ(たまとものみんなバージョンはなし)が入る。映像にはどれみっち、そぷらっち、メロディチャームが先行登場していた。2011年2月版のものは音楽がバイオリン調になっている。2010年10月(第49話 - 52話) 歌 - ラブリン(真堂圭)、メロディっち(三瓶由布子)、くろまめっち(加藤奈々絵) 2010年11月(第53話 - 57話) 歌 - めめっち(柚木涼香)、まきこ(岡村明美)、くちぱっち(矢口アサミ) 2010年12月(第58話 - 61話) 歌 - ちゃまめっち(儀武ゆう子)、ハピハピっち(こおろぎさとみ)、まめっち(釘宮理恵) 2011年1月(第62話 - 65話) 歌 - テルリン(金田朋子)、ふらわっち(佐々木日菜子)、ラブリっち(真堂圭) 2011年2月(第66話 - 69話) 歌 - まめっち(釘宮理恵)、どれみっち(こおろぎさとみ)、そぷらっち(植竹香菜)、メロディっち(三瓶由布子) 2011年3月(第70話 - 73話) 歌 - たまとものみんな 「Like & Peace!」(第74話 - 第98話)作詞 - leonn / 作曲 - y@suo ohtani / 編曲 - 日比野裕史 / 歌 - Dream5(avex trax) 音楽が本格的に変更され、アーティストも再び歌手かつユニットとなった。 今回テロップはEDと同様のものが使われる。 歌詞は当アニメ専用のものが使用されており、歌詞の一部がノーマル版と異なっている。 「キラキラ Every day」(第99話 - 第122話)作詞 - leonn / 作曲 - 松田純一 / 編曲 - 日比野裕史 / 歌 - Dream5 OPで初めて、冒頭にTamagotchiID Lが登場せず、途中でたまプロフィが登場する。 また今回からテロップが新しくなった。いずれも丸ゴシック体だが2代目以降のテロップとはやや仕様が異なる。 全てのシーンに渡って、全キャラクターが歌に合わせて口を動かす演出がなされている(キャラそのものが歌っている訳ではない)。ちなみに、一部の場面でキャラが歌に合わせ口を動かす演出がなされたOPは過去にもあった。 前期と同様、歌詞は当アニメオリジナルのものだが、たまごっち仕様にアレンジされた部分が増えている。 最初はともみが登場していたが、第114話からはともみのいた部分がひめスペっちに置き替えられた。 「I★my★me★mine ダイスキver」(第123話 - 第143話)作詞 - leonn / 作曲 - 松田純一 / 編曲 - 日比野裕史 / 歌 - Dream5 前期と同様、歌詞は当アニメオリジナルのものだが、たまごっち仕様にアレンジされた部分が多い。 エンディングテーマ 「たまともフォーエバー」(第1話 - 第25話)作詞 - 仁科薫理 / 作曲・編曲 - 神津裕之 / 歌 - はいだしょうこ(ポニーキャニオン) 映像は、たまカフェで本編にとかさっちやめいどっち達が遊んでいるところを背景に、ラブリンカーがたまともを次々に乗せるものだった。 「もしも☆パラダイス!」(第26話 - 第48話)作詞 - マイクスギヤマ / 作曲 - 鈴木盛広 / 編曲 - 亀山耕一郎 / 歌 - mao(コロムビアミュージックエンタテインメント) 映像はほとんど静止画で構成されたシンプルなものだった。 このエンディングの後に、たまステっちによるたまごっちの紹介が追加された。 「ハッピーハッピーハーモニー」(第49話 - 第73話)作曲・編曲 - メロディっち / 作詞・歌 - ラブリン(真堂圭) 作詞・作編曲者はキャラクター名義でクレジットされているが、実際の作詞・作編曲者名は非公表。 映像はほとんどがCGで構成されている。キャラクターは2D静止画である。 背景にわずかながら、すいせいっちも登場している。 提供クレジットの背景に、メロディーチャームが大きく出てきて終わる(一部の衛星放送はなし)。 『ハッピーバースディ! まめっち』では、まめっちのハッピーバースデーver.も披露された。 第4期第50話(第271話)では、ラブリン(真堂圭)とゆめみっち(福圓美里)・キラリっち(豊口めぐみ)によるスペシャルver.が披露された。 「Smiling!」(第74話 - 第85話)作曲・編曲 - 日比野裕史 / 作詞・歌 - Lay(rhythm zone) アーティストが再び歌手に戻され、映像も再び2Dアニメオンリーになった。 映像では、メインキャラはラストのみの登場で、その他のキャラは瓶が流れるシーンの背景として登場している。キャラクターの出番が少ない。 第74話〜第75話ではまめっちが紙を広げその紙に提供を出すパターンだったが第76話からは広げなくなった。 「キズナ」(第86話 - 第98話)作詞 - 小川コータ / 作曲 - adult education / 編曲 - 生田真心 / 歌 - SHU-I(avex trax) アーティストが当アニメ主題歌で初めて、全員男性かつ韓国人歌手となった。 エンディングで初めて、ミラクルスピンバトンによるダンスシーンがある。ダンスはラブリっち、メロディっち、もりりっちが披露している。持っているバトンの色は、ラブリっちはピンク、メロディっちともりりっちは青である。 今までのエンディングと比べると、キャラクターの動く回数が非常に多くなっている。 「いのり」(第99話 - 第122話)編曲 - KZ(エイジアエンジニア) / 作詞・作曲・歌 - エイジアエンジニア(rhythm zone) 前期と同様、男性歌手ユニットが歌を担当した。 OP同様テロップが新しくなった。 映像は、最初にメインキャラがシルエットで登場し、次にハート型の枠の中に他のキャラがスクロールで登場、最後に全てのキャラが集まって終わる。 第114話からは、OPと同様にともみが登場していた部分がひめスペっちに差し替えられ、新たにきずなっちも追加されたほか、一部修正されている。 2012年から、イントロが微妙に変更されている。 「じゃんけんPON!」(第123話 - 第143話)作詞 - leonn / 作曲 - 松田純一 / 編曲 - 渡辺徹 / 歌 - Dream5 Dream5がEDを担当するのは初である。 挿入歌 「エブリーラブリー」作詞・作曲・編曲 - くらしっくっち(ポニーキャニオン)/ 歌 - ラブリン(真堂圭) 『たまともフォーエバー』のカップリングになっていて、たまごっちとしては初のキャラクターソングになる。この曲をオーケストラ風、オルゴール風にアレンジされたBGMも本編で使われている。 第48話と56話では、メロディっちが演奏を務めた「エブリーラブリー♪バイオリン」も披露された。 「ミラクルキッチン」歌 - ラブリン(真堂圭) 『もしも☆パラダイス!』のカップリングソング。本編上では最初、シェイカーっちの歌として使用されたが、後にラブリンの新曲として使用された。第45話と第48話で使用。 「テルトハッザ」メロディっちが演奏する曲のひとつ。 曲名は、ザッハトルテを逆から読んだもの。 「ラブリーメロディ」メロディーチャームの音楽につけられた名称。 アニメ本編ではこの名称は明言されず、メロディバイオリンの玩具で名称が明らかになった。 「ハッピーハート」歌 - ラブリン(真堂圭) 作中ではラブリっちが作詞、メロディっちが作曲した。 歌の途中でキーが2回変わる。 「明日の笑顔」歌 - ラブリン(真堂圭) 作中では、メロディっちがムジカの森で演奏して、後日ラブリっちが歌詞をつけた。
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第1期(誕生期)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 02:54 UTC 版)
企画段階 第1期たまごっちは、1995年6月、ウィズの横井昭裕がバンダイの本郷武一に原案となる企画書を提出したのが発端である。これは横井が1996年の年末商戦用にバンダイに提案した企画であり、女子高校生をメインターゲットとして開発された。第1期たまごっちは「携帯ペット」と銘打っていたが、開発者の横井が動物好きであったことから「ペットを育てる」という発想が生まれたものである。 携帯に便利ということで時計型にする発想が生まれ、「卵型の玩具は売れる」ということで卵型にする発想が生まれた。当初は名称の由来どおり腕時計型にしてベルトも付ける予定であったが、安い電子製品を使い製造するとかさばるという理由から撤回し、最終的にキーチェーン型となった。1996年11月23日、初代たまごっちが正式発売された。 社会現象になり大ヒット 1997年を中心に、社会現象になるほど爆発的な人気を誇った。人気は本来想定していた女子高生以外にまで広まった。口コミの評判にマスコミの煽りが相まって異常人気となり、入荷の情報を聞きつけた人々が徹夜で店に並ぶ様子が連日新聞やテレビで報道された。入荷の情報はテレビでは取り上げられず、もっぱらインターネットとラジオ番組によって発信された。 その結果、たまごっちを持っていることが一種のステータスとなり、街には数個たまごっちを所有していたり、忙しい人向けの「たまごっち託児所」なる預かり所が登場したりもした。「飼育」していたたまごっちの「死」によってペットロス症候群に似た現象が一部のユーザーで見られるようになるなど、たまごっちブームは社会現象化した。50個のたまごっちの抽選販売に対して、抽選整理券が4000枚配られた所もある。 ブームの火付け役は、音楽番組で安室奈美恵が持っていたからだとも、テレビドラマ『踊る大捜査線』で和久平八郎(いかりや長介)が育成していたためだとも、スチュワーデスが持っていたからだとも言われる。 初代たまごっちの初回オーダーは当初6万個を予定していたが、販売価格を引き下げるため30万個に変更した。その後テストセールスの結果、大きな反響があったため100万個に再変更された。しかし正式発売後、人気の過熱により慢性的な品薄状態が続き「生産調整をしている」という噂も流れた。バンダイには問い合わせの電話が1日に5000件かかり、バンダイの公式ウェブサイトは1日に1万件を超すアクセスが殺到した。バンダイに直接出向いてたまごっちを求める人まで現れたが、実際にはバンダイやウィズの社員でさえたまごっちは入手できないほどだった。1997年6月のバンダイの株主総会では株主にたまごっち1個が贈呈された。 1997年2月にはニッポン放送のラジオ番組で行ったたまごっちのプレゼント告知に15万通の応募が殺到した。 たまごっちのパロディ本として『新ネタ発見!!ブッたまごっち』も扶桑社から出版され、話題になった。 ウィズは前述のように当時のたまごっちを女子高校生向けに開発していたが、タイアップした雑誌は小・中学生向け少女マンガ雑誌の『なかよし』(講談社)と『ちゃお』(小学館)、男子小学生向け雑誌『コミックボンボン』(講談社)『月刊コロコロコミック』(小学館)に限られていた。 日本以外にも世界30カ国で発売され、アメリカやアジア各国でも@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}大流行[要出典]。アメリカの人気ドラマ『ER』にも登場した。1997年、「数百万人分の労働時間を仮想ペットの養育に費やさせた」功績により、ノーベル賞のパロディ的な賞であるイグノーベル賞の経済学賞を受賞している。また、同年には新語・流行語大賞のトップテン、DIMEトレンド大賞を受賞している。 さまざまな社会問題 たまごっち欲しさに恐喝を働いたり、詐欺事件が発生するといった数々の社会問題も報道された。 ブームの全盛期には、白いデザインのたまごっちが非常に稀少だとして特に人気が集中したことがあったが、横井は「単なる噂」としている。実際には他にも生産量の少ないたまごっちは存在していた。横井は、稀少価値があるとされた白いデザインの商品が1個9万円で取引されたり、色を塗り替えて稀少品であるように見せかけた商品が1個18万円で取引された話を聞いたという。 仕入れをした販売店によっては、100個仕入れたうちの50個だけ定価で店頭販売して、プレミア価格がついた5~20万円以上になっている人気のたまごっちは裏で売りさばいていたという。さらに転売屋が、たまごっちを組み立てていた韓国の工場から直接たまごっちを卸してもらって密輸し、20億円もの利益を得たケースもあったという。 1997年2月14日には、日の丸タクシー・イースタンモータース・宮園自動車・東京コンドルタクシーが東京都内で新たにスタートさせる初乗り運賃1kmまで340円のタクシーの愛称を「たまごっちタクシー」と発表したところ、バンダイから「商標の無断使用」と警告される事態も発生した。 ブーム終息による赤字 しかし、1998年に入るとブームが沈静化。それまでに経験したことがない大ブームに大増産を行ったバンダイは不良在庫の山を抱えることになり、在庫保管費などが経営を圧迫、1999年3月にメーカー在庫250万個を処分。不良在庫の処分により60億円の特別損失を計上し、最終的に45億円の赤字となった。大ヒットしたにもかかわらず、社内では失敗という声も出た。 本郷武一によれば、第1期たまごっちシリーズがブーム定着に失敗した理由は「社内で情報を共有できなかったことに尽きる」という。関係各部門が独断で出荷を決め、品薄状態の店舗に追加出荷したものの、たまごっちを欲しがっている一般顧客は複数店舗にそれぞれ予約しており、実際の需要は予約件数よりずっと少なかった。 発売元のバンダイによれば、これら第1期のたまごっちシリーズは全世界で4000万個(日本国内で2000万個、日本国外で2000万個)を販売したという。
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第1期(深夜放送時代)
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「世界は言葉でできている」の記事における「第1期(深夜放送時代)」の解説
2011年#放送日(CX)シーズン主宰者偉人コトバスター言葉を贈られる人03月26日(パイロット版) 〜心に響く言葉の総合バラエティ〜世界は言葉でできている - ゲーテ赤塚不二夫雪国まいたけの社訓チェ・ゲバラココ・シャネル 水道橋博士立川談春又吉直樹宇多丸林修 - 110月4日(1時間SP) シーズン0〜開幕戦スペシャル "SUPER STAR"〜 金田一秀穂 レディー・ガガナポレオン・ボナパルト本田圭佑ジャッキー・チェン 設楽統宇多丸若林正恭林修 野田佳彦 210月11日 イチロージョン・レノン 三浦皇成 310月18日 シーズン1〜天才の名言 "GENIUS"〜 青山真治 ビートたけしウィリアム・シェイクスピア 設楽統Zeebra有吉弘行林修 スティーブ・ジョブズ 410月25日 ウサイン・ボルトヴィンセント・ヴァン・ゴッホ カダフィ大佐 511月1日 手塚治虫アルベルト・アインシュタイン 高島彩 611月8日 シーズン2〜オンナの名言 "LADY"〜 渡辺淳一 瀬戸内寂聴マリリン・モンロー 板尾創路小島慶子又吉直樹林修 菅野智之 711月15日 マザー・テレサオードリー・ヘプバーン ギリシャ 811月22日 シーズン3〜青春の名言 "ADOLESCENCE"〜 箭内道彦 あだち充太宰治 水道橋博士ムロツヨシ又吉直樹斉藤賢司 渡邉恒雄 911月29日 甲本ヒロト古谷実 清武英利 1012月6日 みうらじゅんジェームズ・ディーン 立川談志 1112月13日 シーズン4〜伝説の男 ジョー・ストラマーSP〜 髙嶋政宏 甲本ヒロトジョー・ストラマー 設楽統谷中敦大谷ノブ彦斉藤賢司 芦田愛菜 1212月20日 ボノジョー・ストラマー 浅田真央 2012年#放送日(CX)シーズン主宰者偉人コトバスター言葉を贈られる人131月10日 シーズン5〜いいオンナの名言with小泉今日子 "FINE LADY"〜 小泉今日子 松岡リリー 設楽統BIKKE又吉直樹林修 AKB48 141月17日 レディー・ガガ沢村貞子 新成人 151月24日 しずかちゃんブリジット・バルドー ダルビッシュ有 161月31日 シーズン6〜作家の名言 "AUTHOR"〜 横里隆 三島由紀夫フランソワーズ・サガン 板尾創路Mummy-D又吉直樹枡野浩一 浜崎あゆみ 172月7日 司馬遼太郎サン=テグジュペリ 川勝正幸 182月14日 シーズン7〜サッカーの名言 "SOCCER"〜 松木安太郎 ヨハン・クライフ澤穂希 設楽統小島慶子又吉直樹浜野謙太 鳩山由紀夫 192月21日 ロベルト本郷ディエゴ・マラドーナ 赤西仁 202月28日 シーズン8〜恋愛の名言 "LOVE"〜 YOU ドクター・スースバイロン 板尾創路山田真歩若林正恭谷中敦 - 213月6日 小津安二郎三浦綾子 - 223月13日 シーズン9〜天国からの名言 "FROM HEAVEN"〜 箭内道彦 スティーブ・ジョブズつかこうへい ビビる大木ムロツヨシ若林正恭Mummy-D - 233月20日(最終回) 忌野清志郎エリザベス・テイラー - 2012年4月12日23:15 - 23:55に「CHAMPIONSHIP 2012」がフジテレビ系で全国放送された。これまでの成績優秀者から選ばれるという主旨だったが、出演回数も成績もバラバラで平等性に欠けた選出となった。超ニーチェ君を獲得済みの有吉弘行は他番組の収録と重なったために参加できなかったとされる。設楽統、谷中敦、又吉直樹、林修、ビビる大木、ムロツヨシ、若林正恭、斉藤賢司が出場し、名誉会員は金田一秀穂、石原良純、指原莉乃、西山茉希、片瀬那奈、小出恵介、日村勇紀、春日俊彰、白鳥久美子、川村エミコ。設楽、谷中、大木、若林が決勝進出し、若林が第1回キング・オブ・コトバスターに輝いた。
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第1期(深夜時代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 02:43 UTC 版)
「世界は言葉でできている」の記事における「第1期(深夜時代)」の解説
放送対象地域放送局系列放送日時放送期間備考関東広域圏 フジテレビ(CX) フジテレビ系列 水曜日 0:45 - 1:10(火曜深夜) 2011年10月5日 - 2012年3月21日 制作局 宮城県 仙台放送(OX) 同時ネット 広島県 テレビ新広島(TSS) 2011年10月12日 - 2012年3月28日 7日遅れ 福岡県 テレビ西日本(TNC) 水曜日 1:30 - 1:55(火曜深夜) 長崎県 テレビ長崎(KTN) 水曜日 0:45 - 1:10(火曜深夜) 2011年10月19日 - 2012年4月4日 新潟県 新潟総合テレビ(NST) 木曜日 0:35 - 1:00(水曜深夜) 2011年10月14日 - 2012年3月29日 8日遅れ 岡山県・香川県 岡山放送(OHK) 木曜日 0:45 - 1:10(水曜深夜) 2011年10月13日 - 2012年4月5日 中京広域圏 東海テレビ(THK) 土曜日 2:55 - 3:20(金曜深夜) 2011年10月22日 - 2012年4月21日 10日遅れ 高知県 高知さんさんテレビ(KSS) 火曜日 0:35 - 1:00(月曜深夜) 2011年10月17日 - 2012年4月2日 13日遅れ 北海道 北海道文化放送(UHB) 火曜日 0:55 - 1:20(月曜深夜) 岩手県 岩手めんこいテレビ(mit) 金曜日 0:35 - 1:00(木曜深夜) 2011年10月21日 - 2012年4月6日 16日遅れ 近畿広域圏 関西テレビ(KTV) 木曜日 1:58 - 2:28(水曜深夜) 2011年10月21日 - 2012年4月12日 29日遅れ 秋田県 秋田テレビ(AKT) 水曜日 0:35 - 1:00(火曜深夜) 2011年10月26日 - 2012年4月11日 21日遅れ 山形県 さくらんぼテレビ(SAY) 長野県 長野放送(NBS) 水曜日 0:40 - 1:05(火曜深夜) 佐賀県 サガテレビ(STS) 水曜日 0:35 - 1:00(火曜深夜) 2011年11月2日 - 2012年4月18日 福島県 福島テレビ(FTV) 水曜日 0:40 - 1:05(火曜深夜) 2011年11月1日 - 2012年4月3日 鹿児島県 鹿児島テレビ(KTS) 水曜日 0:45 - 1:13(火曜深夜) 2011年10月27日 - 2012年4月4日 熊本県 テレビ熊本(TKU) 土曜日 16:00 - 16:30 2011年11月6日 - 2012年5月20日 25日遅れ 沖縄県 沖縄テレビ(OTV) 日曜日 1:25 - 1:50(土曜深夜) 2011年10月30日 - 2012年7月28日 島根県・鳥取県 山陰中央テレビ(TSK) 月曜日 15:05 - 15:29 2012年1月17日 - 不明 石川県 石川テレビ(ITC) 火曜日 16:28 - 16:53 2012年4月4日 - 備考 ^初回は24:55 - 25:55に放送。 ^テレビ新広島:初回は25:35 - 26:35に放送。 a b c 初回のスペシャルは放送なし。 a b 初回は25:25 - 26:25に放送。 ^初回は2011年10月13日(木曜日)24:50 - 25:50に放送。 a b c 初回は24:50 - 25:50に放送。 ^初回は25:55 - 26:55に、2回目はその後の26:55 - 27:20に放送。 ^初回は25:10 - 26:10に放送。 ^初回は24:35 - 25:35に放送。 ^初回は25:30 - 26:31に放送。 ^2011年12月までは木曜日 25:30 - 25:58。最終放送日(2012年4月11日)は2回分放送。 ^初回は24:45 - 25:45に放送。 ^初回は2011年10月26日(水曜日)24:50 - 25:50に放送。
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第1期(1889年竣工)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 01:21 UTC 版)
「歌舞伎座」の記事における「第1期(1889年竣工)」の解説
木造、外観は西洋風の劇場。設計:高原弘造、施工:大倉組。1907年、修繕改築。
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第1期 (-1985年9月)
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「カーグラフィックTV」の記事における「第1期 (-1985年9月)」の解説
自動車雑誌「カーグラフィック (CG誌)」 の監修番組として1984年10月5日にスタートし、当初から田辺憲一がブレーン役・番組コーナー担当の一人として関与している。関東地区の放送は金曜日の深夜0時台 (前時間帯の番組は「タモリ倶楽部」)。日本のテレビで初めてF1グランプリをダイジェスト版で全戦中継した。放映回につき一つのテーマを取り上げるのではなく、新車インプレッション、モータースポーツなどコーナーが細分化されていて雑誌を読ませるように構成されていた。番組のイメージキャラクター・「カーグラガール」として、若手女性タレントの矢吹藍子・井丸ゆかりが選ばれ、田辺らカーグラフィックの編集スタッフたちのサポートを得ながら番組を進行する形式で放送された。なお、この時期のナレーターは神谷明が担当。 初期はバラエティ番組要素が強く、CG誌編集部員をタレント化したコーナーもあった。また、“CGガール”と称した若い女性にインプレッションをさせるコーナーが存在し、当時の深夜番組「11PM」や「オールナイトフジ」のようだと酷評されていた。以前からCG誌のファンだった松任谷正隆もこの時期の番組には批判的で、第2期以降の番組出演の話が来た当初は難色を示したという。これら初期の番組構成については、1000回放送の頃に田辺が「当時はCG誌のテレビ番組として何をすべきか試行錯誤の状態であった」と述懐している。 テーマ曲は、ボーイズ・タウン・ギャングの「天使のささやき」 (スリー・ディグリーズのカバー)。
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第1期(1984年~1996年)
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「ドイツツーリングカー選手権」の記事における「第1期(1984年~1996年)」の解説
詳細は「旧ドイツツーリングカー選手権」を参照 Deutsche Tourenwagen Meisterschaft(DTM 第1期)は1984年から1995年までドイツ国内で開催された選手権。ドイツには欧州の主要な自動車メーカーが集積していることもあって、毎年のようにドイツの自動車メーカー同士による激闘が繰り広げられ、そこに他国の自動車メーカーが殴り込みをかけてくる欧州きっての熾烈なタイトル争いが繰り広げられるツーリングカー選手権として知られる。当初はグループA規定に沿った市販車をベースとした改造範囲の狭いレギュレーションの中で行われていたが、1993年シーズンからFIAのクラス1規定(2.5L)に基づきベースマシンの大幅な改造が許されるようになった。4WD化はもちろんのことABS・トラクションコントロールなど、ハイテクデバイスを満載したマシンの迫力や、独自のウェイトハンディキャップ制を導入するなどの要素がシリーズを盛り上げ、よりF1に近いツーリングカー選手権としてドイツ国内は元より欧州を中心に世界中で絶大な人気を誇った。 その絶大な人気ぶりから、1995年にはFIAの梃入れでDTMに倣った国際ツーリングカー選手権(International Touringcar Championship 通称ITC)が新設され、DTMと平行して行われるようになる。1996年シーズンよりDTMはITCと統合し、引き続きメルセデス、アルファロメオ、オペルの3メーカーがワークスチームとして参戦した。しかし、かつてのシルエットフォーミュラやプロトタイプ並に先鋭化した結果、あまりのコスト急騰からメーカーの撤退が相次ぎ、同年限りで選手権は廃止となった。 BMW M31989年シリーズチャンピオンマシンDriver:ロベルト・ラヴァーリア Mercedes 190E Evo II1992年シリーズチャンピオンマシンDriver:クラウス・ルドヴィック Alfa Romeo 155 V6 TI1993年シリーズチャンピオンマシンDriver:ニコラ・ラリーニ
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第1期(1999年3月号 - 2000年2月号)
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「シスター・プリンセス」の記事における「第1期(1999年3月号 - 2000年2月号)」の解説
電撃G'sマガジン1999年3月号で連載開始。前号の予告で明らかにされたのは「天広直人がキャラクターデザイン」というだけで内容については全く掲載されず、非常に突発的なスタートであった。この時点で登場した妹は可憐・花穂・衛・咲耶・雛子・鞠絵・白雪・鈴凛・千影の9人。特に白雪は髪型が違っていたり二人称が「あに兄」であるなど設定がかなり異なるが、4月号からは髪型と二人称が修正された。 当初は隔月連載の予定でスタートしたが、あまりにも読者の反響が大きかったため、急遽毎月連載に変更した上で誌上ゲームを展開した(SDキャラクター担当作画・霧賀ユキ)。その内容は、相手となる妹を1人選んでメール交換やお泊まり・料理・テニスなどをするというものであった。 この時点では、妹にはそれぞれ兄がいる「一対一の関係」が前提とされており、妹同士の横の繋がりは家族関係でなく交友関係と見られていた。妹たちの共通項は、どの妹も家庭の事情で兄とは離れて暮らしており、「お兄ちゃんの日」に限り兄と会えるという設定である。
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第1期(奇獣)
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「影鰐-KAGEWANI-」の記事における「第1期(奇獣)」の解説
無人島の奇獣 EPISODE1、第2期EPISODE4登場 首長竜を彷彿とさせる巨体と長大な首、鳥類のような頭部が特徴の奇獣。いわばネッシーのような外見をしており、トカゲが影鰐の細胞を捕食し、突然変異により誕生した個体。地上に生息する四足歩行の生物で、巨体とは裏腹に動きは非常に素早い。また長大な首を自由自在に動かせることから索敵範囲もかなり広く、森から首を伸ばして獲物を認識し、捕食する。動画を撮るために無人島に入ってきたタケル、ショウゴ、サトシを喰い殺し、数日後にタケルの持っていたカメラを無人島の外側へ吐き出した。 その後は第2期EPISODE 4にて無人島を訪れた番場の攻撃により首を切断されて倒されていたことが判明した。 雪山の奇獣 EPISODE2登場 雪男のような外見をした奇獣。熱を感知して獲物に襲いかかるサーモグラフィーの性質を持ち、嗅覚も鋭く音にも敏感だが、逆に言えば熱や音、臭いを発しないものは感知することができない。 黒田ミカと低体温症になっていた男性以外の隊員を全滅させた後、ミカを気絶させてクレーター(餌場)に連れ去る。その後、ミカはこの奇獣の性質に気づき、防寒着を脱いで自身の体温を下げた。こうして周りの景色に溶け込んだミカをそれでもなお発見寸前まで追い詰めたが、突如鳴りだした彼女の父の持っていたオルゴールの音に反応。彼の遺体を崖から落とした後、クレバスの奥に消えていった。 海辺の奇獣 EPISODE3登場 クラーケンや海月のような外見をした奇獣。海中において透明化する能力を持つ。また、地上でもある程度は活動できる。その正体は海でこの奇獣に襲われた人間が変異したものであり、CTスキャンで体構造を分析した結果、素体となった人間の骨格が写っている。水崎が番場に見せた写真の奇獣と劇中に出てきたケンタと彼の恋人・ハルカが変異した奇獣の合計3体が登場した。ミナト ハルカ/ハルカが変化した奇獣 EPISODE3登場 ケンタの恋人。ケンタと共にダイビングをしていた最中、奇獣の襲撃を受けて行方不明となる。その後、奇獣化し変わり果てた姿で海岸に出現するも、ケンタはこの奇獣が彼女だとは気付かず、銛で串刺しにされて砂浜で燃やされてしまう。それでもなお生存しており、ケンタとジュリの前に再び現れる。最終的にケンタにナイフで攻撃されるが、体内にハルカの面影を見出して怯んだ彼を掴み、共に崖から落下。後日、奇獣化したケンタとその遺骸が砂浜に打ち上げられた。その際、二体とも互いの触手を絡み合わせた状態であり、まるで手を繋いでいるようにも見て取れる。 カメ型奇獣 EPISODE4、EPISODE12、EPISODE13登場 下水道に出現したワニガメのような外見をした奇獣。脱皮をして成長する生態を持つ。巨体に反して移動速度は非常に速く、ヤモリやイモリのように天井を這い回る不規則な移動も可能とする。遭遇した作業員を喰い殺した後、下水道に落下したドローンを探しにやって来たユウタとシュンという少年と番場を追い回したが、最後は木村達の火炎放射器による攻撃で焼き殺された。その後、研究の為にこの奇獣の卵は木村達によって回収され、孵化した個体は影鰐のクローンを生成する実験台にされていたが、サトルの手によって解放され暴走。多数の研究員たちを喰い殺し、重傷を負った番場にも襲い掛かろうとしたが、彼の傷痕に残る影鰐の細胞に共鳴。危害を加えることはなかったが、突如現れた影鰐(クローン)の攻撃を受けて絶命した。 コンビニの奇獣 EPISODE5登場 カエル男のような外見をした奇獣。体色を変えるカモフラージュの性質を持ち、周囲の景色に溶け込むことができる。また、かなりの怪力の持ち主でもあり、鍵のかかったドアを容易にこじ開けている。 コンビニ店員のサイトウを丸呑みにした後、同じくコンビニ店員のレンと偶然居合わせた女子高生、アユミも捕食しようとしたが、換気扇から逃げられる。最後は現場に現れた木村ら猿楽製薬スタッフの火炎放射器による攻撃を受けて絶命した。 南極海の奇獣 EPISODE6登場 ニンゲンやヒトガタのような外見をした奇獣。人間に近い姿の棲生物だが、エラ呼吸を用いることで深海でも活動できる。数十メートルはある巨体から衝撃波を放つことができ、潜水艦の電力を停止させ氷山を削るほどの威力を持つ。しかし、これは敵を攻撃するものではなくイルカ等がコミュニケーションに用いるそれに近く、自身と同じく音波を出す物体は仲間と認識して攻撃しない。また、奇獣の中では例外的な温厚で大人しい性質である為、危害を加えられるか敵と見なさない限りは対象に襲い掛かることはしない。また好奇心が旺盛なのか、潜水艦を掴んでは珍しげに見つめていた。 深海プロポーズを行っていた潜水艦の前に突然出現。その後、潜水艦を敵と見なしたらしく、浮上しようとした潜水艦を追いかけ衝撃波を放ち電力を停止させるが、発された救難信号を聞き、潜水艦を仲間と感知して深海の底に消えていった。 校庭の奇獣 EPISODE7、EPISODE8登場 モンゴリアン・デス・ワームや野槌のような外見をした奇獣。地中に生息しており、5メートル程の鋏部分のみを地上に出しているが、これはあくまでも尻尾に過ぎず、本来は4足歩行の非常に巨大な生物である。音を感知して襲う性質を持ち、音を発するものは即座に切り刻んでしまう。また、カズトの投げた石が囮であることに早く気づくなど知能は高い。幻覚効果のある甘い香りのガスを口内に漂わせて獲物を幻惑、トンネルに化けて口に入った車を丸呑みにするなど、非常に高度な補食行動を行う。ミノリが聞いた曾祖父の話によるとその地方に古くから地下に棲息し、栄養補給の為に周期的に活動すると伝えられ、数年前にも出現しているらしい。後に猿楽製薬の私設軍による空爆を受けて舌を切断され、絶命した。トンネルの奇獣 EPISODE8登場 トンネル(校庭の奇獣の体内)に寄生している奇獣で巨大なシラミのような外見をしている。高いジャンプ力を持ち、校庭の奇獣の体内に入ってきた車の運転手たちの血肉のみを吸い取って捕食していた。 植物園の奇獣 EPISODE9登場 食人木の様な外見をした植物の奇獣。 廃墟になった植物園に入ってきた人間の水分を餌としている。また夜行性である為、光を当てられると動きが著しく鈍る。実は植物園に入ってきた四人組の一人・サトルがこの奇獣の正体である。元は影鰐の細胞を吸収した植物が肝試しにきたサトルに寄生したことで知性を維持した稀有な奇獣となる。小森智(こもり さとる) 声 - あろまほっと(M.S.S Project) 植物園の奇獣が住み着いていた植物園に肝試しに来ていた四人組の1人。花を愛する気弱で大人しい性格の青年で、ダイキら3人から日常的にいびられていた。植物園の奇獣の襲撃から奇跡的に生き残ったが、実は彼自身がその奇獣の正体である。内向的な言動から油断を誘い、その他様々な手段で人間を餌場である植物園に誘い込んで捕食、人間社会に適応するなど知能は非常に高い。背中から蔓状の植物を放出して操る能力を持ち、睡眠薬に対する抵抗力を有する。平時は他の人間となんら変わらない外見だが、奇獣の力を開放する際や太陽光に晒された際には全身の皮膚や眼球の白目の部分が生々しい緑色に変色した姿となる。ダイキ達を殺害、捕食して復讐を果たすも最終的に正体を看破され、警察での事情聴取の後、木村達にモルモットとして本社へ連行された。 後の猿楽製薬による検査の結果から、影鰐の細胞に侵食されているものの、自身を虐げるダイキ達への復讐心と人間に擬態する為に宿主を得ようとする奇獣の利害が一致したことから同化後もサトルとしての意思が失われていないいわゆる「共生関係」にある事が判明。厳重な監視下に置かれていたが、その隙を突いて植物を操り、施設内を混乱させ、隔離されている影鰐(クローン)とカメ型奇獣の解放の為に活動した。 猿楽事件以降の消息や生死は不明であったが、第2期EPISODE 7で生存していたことが判明する。本人の発言から、植物園でダイキたちを殺害してから猿楽事件を引き起こすまでの記憶が曖昧であることが示唆されている。猿楽製薬の研究施設からの脱走後は、人里離れたとある雪原の小屋の中で1人でひっそりと暮らしていたが、霧子に居場所を突き止められてしまう。その直後に自身を感知して出現した雪原の奇獣の襲撃を受けた霧子を奇獣の力を解放して救い、彼女に再び他人と会話できたことへの感謝の言葉を残して炎上する小屋の中から逃がした後、自身の力で人間を救えたことに満足しながら雪原の奇獣と共に炎の中に消えた。 誕生日は10月24日。年齢は16歳。蠍座。血液型はB型。趣味は花の栽培とゲームセンターで音ゲーをすること。目的は平和に暮らすこと。植物園の奇獣と一体化した影響で体が変色してしまうため、太陽光が苦手。 影鰐 声 - マフィア梶田 島根の漁村に突然出現した影の奇獣。メガロドンに類似した巨体にミノカサゴのようなヒレがついているのが特徴で、身体中に無数の眼球を備える。 村に古くから伝わる生物であり、この奇獣に影を喰われればその本体も喰われてしまう。故に影鰐が出現した年には決して漁に出てはいけないという言い伝えがある。影を感知して襲う習性があり、村をいくつも全滅させている。しかし、逆にその特性を利用して暗闇や物陰などに避難すれば、影鰐も探しようがなく襲われる事がない。またこの奇獣そのものが影である為、海だけでなく地上でも移動でき、分裂することも可能。さらに、自身の天敵となりうる存在が現れた際には、それに対抗するために無限に進化し続ける性質を持つ。実体を持たず「影」という二次元に存在する故に通常攻撃は通用せず、影鰐を何らかの物体に閉じ込めた後にその物体ごと焼却、あるいは封印するしか倒す術がない。6,70年前に 漁に出た町蔵とシーロン、及び彼の出身である島根の漁村を襲った。その後、町蔵に船の帆まで誘導され、シーロンの援護射撃によってランプの火をつけられて逃げ場を失い、最後は町蔵がシーロンに借りた小型の包丁で帆諸共真っ二つに引き裂かれ、そのまま灰になって消滅した。しかし、その灰化して各地に散らばった細胞を他の動植物が摂取、変異した事により新たな影鰐が誕生。25年前に番場の故郷・上久井村にも別個体が出現し、彼の両親を含めた村民のほぼ全員を捕食した。蔵に閉じ込められ難を逃れていた番場も喰い殺そうとしたが、シーロンに妨害され蔵の窓から逃亡。分裂状態を解き、森の奥へ消えていった。 その正体は、シーロンの出身でもある中国雲南省のメイ族がナギの父親から奪った技術を基にあらゆる動物をベースとした蠱毒という呪術を幾度も繰り返した末に生み出した妖怪に近い生命体。元は敵対するヤグル族を滅ぼす為に生み出されたが、その比類ない凶暴性は人間の制御の及ぶものではなく、ヤグル族はおろか生みの親であるメイ族すら喰い尽くし、後の時代においても遭遇した者達を容赦なく捕食、殺戮した。 前述の通り、奇獣誕生の元凶にして太古の生物兵器といえる存在でもある。その出自からメイ族とヤグル族、双方の末裔が何代にも渡り討伐を試み、追い続けている。 更に猿楽製薬の研究で奇獣の保有する黒い液体を通して他の生物に寄生・増殖することが可能であることや液体の純度によりさまざまな能力を有する他、液体自体にも自我があり、本来還るべき影鰐の身体を求めて共鳴し合っていることが判明している。また宿主が人間である場合、被寄生者であるその人物が何らかの強い目的意識を持ち、寄生者である影鰐とも利害が一致した際は、人の姿や理性を保ったまま異形としての能力を行使できる共生関係が成立することもある。作中ではサトルと番場が該当するが、両者共に奇獣の能力を行使する際は外見の著しい変容が認められ、一時的ながら奇獣化に近い状態になるともいえる。また、能力を行使しない通常の状態でも肉体に変化が生じており、薬物に対する耐性の獲得や外的ダメージの急速な回復、記憶の共有が見られた。オリジナルの影鰐 中国雲南省のメイ族の集落の跡地に存在するかつて蠱毒の術に用いられた古井戸の中に潜んでいる、原種である影鰐。影鰐(クローン)の細胞から共有された記憶を頼りに居場所を突き止めた番場・木村と彼らを追って姿を現したナギに無数の分裂体を差し向けるが、ナギの音叉で動きを封じられて一方的に蹂躙されたことで、彼女に対抗すべく生き残った分裂体たちが本体と融合、4つ、6つに裂ける口を持つ大蛇のような外見に変貌し、掠るだけでも相手を切り裂いたり、ナギの音叉を無効化するほどの力を得てナギを追い詰める。天敵にあたるナギに襲いかかり、食い殺そうとしたが番場による妨害を受け、番場とナギに襲いかかるが、番場とナギによる共闘により追い詰められ、弱ったところを木村によって吸収され、木村共々クローンの影鰐に喰われた。 周りが赤みを帯びたクローンの影鰐に対してオリジナルは青みがかった体色である。 クローンの影鰐 木村たちの手によって誕生したオリジナルの影鰐と同等の特性を有するクローン。カメ型奇獣の巣から入手した卵から孵化した個体から黒い液体を採取、抽出して生成された。オリジナル同様に実体を持たない影の奇獣であることから、あらゆる角度から特殊な光を照射する部屋で常に抑制、隔離されていた。サトルの手によってカメ型奇獣と共に解放された後、襲われていた番場の前に現れた。カメ型奇獣を倒した後は自身も彼の中の影鰐の存在を察知したのか、危害を加えることはせず、顔の傷口から体内に侵入し、同化した。その際に番場とは「両親を殺した影鰐を倒す為に宿主となる」「宿主を得る代わりに力を与える」という利害が一致したことから共生関係となった為、同化後も肉体の主導権は番場が握っている。平時は左半身に痣として共生し、番場が力を解放する際は彼の影から顕現、対象を捕食する。また、番場が目の代わりとなる事で単体では発見不能な暗所に隠れた対象も視界に入るか、彼が位置を把握、特定すれば捕食する事ができる。反面、番場とは一心同体である故に、戦闘等で影鰐が傷つけば彼にもその影響が及び、ダメージを負う。
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第1期(用語)
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「影鰐-KAGEWANI-」の記事における「第1期(用語)」の解説
京王理科大学 番場が所属する大学。彼の研究室の壁一面には新聞記事のスクラップが貼り付けられており、25年前の誕生日に両親からプレゼントされる予定であった怪獣「ガズラ」の人形が飾られている。 猿楽製薬(さるがくせいやく) 木村が所属する製薬会社。サルの顔を模したロゴマークが特徴。私設軍隊を所有しているほか、奇獣の研究や実験中に発生した事故の真相を揉み消せるほどの権力を有する。本社の地下には極秘の巨大な研究施設が存在し、奇獣の研究やクローンの影鰐の開発が行われている。 上久井村 番場の故郷である村。25年前の影鰐の襲撃により、番場以外の村人全員が死亡した。現在は復興しており、過去の事件の影響もあってか「怪獣の里」をキャッチフレーズとしている。
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第1期(第1話〜第21話)
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「美肌泉隊SPAレンジャー」の記事における「第1期(第1話〜第21話)」の解説
女性の美と健康にチョッカイを出す『チョッカー』から世の女性を守るため、石井キャップ(石井宏子)の指令に基づき、美肌に良いとされる各地の温泉・観光スポットを堪能するのがSPAレンジャーの任務である。任務は毎回レッドと他のメンバー2人の計3人で行われる(たまにレッドが休みの時もあり)。SPAレンジャーはまず温泉地の名所をめぐり(地元の美女と一緒の時が多い)、宿泊する宿で料理を味わってから、温泉を楽しみ、その後、出現したチョッカーを倒すのが基本の流れ。なお、温泉に入る時には、それまでに摂取したカロリーを様々な方法で燃焼させてから、素肌を人にさらすのが嗜みとなっている。その際、「任務遂行の時が来た」、「美肌の湯を満喫するのだ」、「出動だ!」の掛け声とともに脱衣シーンを経て、温泉に入浴する。
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第1期(2012年3月まで)
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「レコメン!」の記事における「第1期(2012年3月まで)」の解説
月曜日には「バカヤロー清水」というコーナーがあった。番組開始及び各コーナー冒頭などでかかるジングルに併せて、世知辛い世の中に対して「バカヤロー清水」が、不満を爆発させていくというものである。ただし、K太郎はネタに対して、否定的なコメントをする事が多かった。火曜日のエンディングでは、文化放送での次番組である『リッスン? 〜Live 4 Life〜』を担当するAKB48メンバーとK太郎とのクロストークが恒例となっていた。タイムテーブルは下記の通りである。「レコメン パート○」とあるが、実際は日替わりコーナーやゲストコーナーで、このようなコールをすることは少なく、このタイトルは便宜上のものとなっている。 時間月火水木K太郎のレコメン! 関ジャニ∞ 横山裕・村上信五のレコメン! 22:00オープニング挨拶→フリートーク オープニング横山・村上の冒頭挨拶→フリートーク→タイトルコール→番組開始のジングル 22:05突撃!アド街ックK太郎(月) フリートークor当日募集テーマ発表(火) フリートークor当日募集テーマ発表(水) レコメン ガールズ! ランキング 22:15Hey! Say! 7 Ultra Power(Hey! Say! 7) 22:25レコメン パート1当日の企画・メール紹介(大成建設提供) ゲストと当日の募集企画 22:40レコメン パート2(TVガイド提供)ジャニーズステーション(TVガイド提供) 23:00レコメン パート3当日の企画紹介 23:05アド街ックK太郎 宣伝する街募集 当日の募集企画 レコメン! あるなし大辞典 23:20STOP THE SMAP(SMAP) 23:35レコメン パート4国分太一 TOKIO ザ・ライド AKB48 明日までもうちょっと。 桐谷美玲のラジオさん。 Berryz工房 嗣永桃子のぷりぷりプリンセス 23:50フリートークゾーン(クリエイト提供)アド街ック 次回の宣伝する街発表 フリートークゾーン 翌0:00全国ゾーン オープニングレコメン パート5今井翼のto base R-One KAT-TUN KちゃんNEWS 週ごとの企画 K太郎&ゲスト 翌0:30K太郎ザ・ベストテン! レコメン! 知恵袋 どうでもいい ランキング シーズン3 メール紹介 翌0:35KinKi Kids どんなもんヤ! 当日の企画 翌0:45KinKi Kids どんなもんヤ! 翌0:55エンディング
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第1期(1989年10月 - 1997年9月)
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「筑紫哲也 NEWS23」の記事における「第1期(1989年10月 - 1997年9月)」の解説
1989年10月、放送開始。筑紫のほかに浜尾朱美・池田裕行を中心に進行。スポーツキャスターの初代は野球解説者の小林繁。 この時期は、番組前半では報道局とスポーツ局が制作するニュースと特集、スポーツニュースを放送、23:50からのローカル枠(TBSは後述する「OBJECTION」を放送)を挟み、23:55からの番組後半では社会情報局(TBSビデオ問題後の社内改革で廃止)が主に制作する特集を放送。また当時、本番組は「報道」「スポーツ」「情報」の3つから成る、という表現もしていた。番組後半はアシスタントを阿川佐和子、有村かおり、後期は渡辺真理が務めた。放送時間帯は阿川がキャスターを務めた『情報デスクToday』の後継枠であるが、ニュース部分を報道局担当パートに集約させたため、いわゆる「企画枠」として、インタビューからドキュメントまで幅広く扱った。 『情報デスク』時代に引き続き、本番組でも番組後半は「任意ネット=ローカル」枠で、ネットしない放送局があった。そのため、番組前半の終了時に(番組後半のエンディング曲のインストゥルメンタル版をBGMに)筑紫もしくは浜尾が「今日のニュースとスポーツをお伝えしました」と言って締め、番組前半のみでネットを終える局への挨拶代わりにしていた。ただし、特別編成により全国一律で番組前半のみの放送となる場合は、番組前半の終了時に番組後半のエンディング曲のオリジナル版を流して締めの挨拶を行っていた。前半終了時の提供クレジットはローカルセールスだったため、後半もネットする局でその後に流す「筑紫哲也ニュース23 このあともひきつづき…」というテロップも各局で送出していた。後半非ネットの局は「筑紫哲也ニュース23 終」のテロップに差し替えていた。 この頃の新聞のラ・テ欄表記は「筑紫哲也ニュース23」で、番組内でもよく使用していた。 1996年3月25日、坂本弁護士一家殺害事件の契機となったとされるTBSビデオ問題では、内部調査の結果として一貫して否定していたTBS側が、一転して事実を認めて謝罪したことを受け、筑紫が番組コーナー『多事争論』内で、マスメディアが視聴者との信頼関係の上で存在していることに触れながら、「TBSは今日、死んだに等しいと思います。……今日の午後まで私はこの番組を今日限りで辞める決心でおりました」と発言した。この発言は大きな波紋を呼んだが、筑紫はその後10年以上にわたってメインキャスターを務めた。しかしこの問題が発覚して以降、裏番組で老舗である『NNNきょうの出来事』(日本テレビ)や、1994年4月より始まった後発の『ニュースJAPAN』(フジテレビ)といった、同時間帯の他局のニュース番組に視聴者が流れ、一時は視聴率が急速に低下した。
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第1期 (創刊から休刊まで)
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「ラブベリー」の記事における「第1期 (創刊から休刊まで)」の解説
創刊から長年公式サイトが存在していなかったが、2008年7月1日に開設された。編集長は2011年5月号まで羽田朋美が務め、同年6月号より宇津木有紀が就任した。 マスコットキャラクターとして、イチゴをモチーフにした「ベリーナ」が存在した。ショッピングが大好きで、グリーンのワンピースがお気に入りのラブベリーナ。最近隣のクラスの男子がすごく気になるんだけど、告白する勇気は全然ない…、という設定。 終期には少子化の影響で発行部数が減り、東日本大震災の影響による読者離れと紙の高騰が重なって採算がとれなくなり、アイドルグループ「AKB48」やその姉妹グループのメンバーを表紙や連載記事、専属モデルに起用する戦略でテコ入れしたが、2012年3月発刊の3月号をもって一旦休刊となった。休刊に際し編集担当者は「AKBのファンの方が買ったのかも知れませんが、前田敦子さんや板野さんが表紙になると、震災後かなり落ちていた部数が上がっていました。AKBのお陰で持ちこたえた感じです。 元々、子どもでも買えるよう、500円前後の価格に設定し、付録も付けていたため利益率が悪く、以前から休刊にする、しないという話があった。ローティーン誌の市場において、改めて見直していきたいとの思いから一度ここで区切りをつけた」と回答している。最後の撮影シーンはアイドリング!!!(地上波版)番組内でも放送された。その時の収録メンバーはあさひ★、ふぅちゃん、カレン、アスミ、なおすけ、アヤカ、ふるえり、アイアイ、かえぴょん、なっちゃん、サッキー、リコ。 また編集担当者は休刊に際して「(まだ具体的な計画はないが)もう一度ローティーン誌を創刊することは考えている」と述べており、今後の復刊についての含みを残していた。
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第1期(2010年4月 - 2017年3月)
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「Nスタ」の記事における「第1期(2010年4月 - 2017年3月)」の解説
前番組『総力報道!THE NEWS』の視聴率低迷・早期打ち切りを受け、『 - THE NEWS』の直前の時間帯に関東など一部地域で放送(一部時間帯は関東ローカル)されていた情報ワイド番組『イブニングワイド』に全国ニュース枠を内包させ改題・枠拡大する形で2010年3月29日に本番組をスタートした。TBSテレビ公式サイト内の番組紹介では、本番組を「『THE NEWS』で培った機動力・取材力と『イブニングワイド』で培った解説力を兼ね備えたハイブリッドニュース番組」と称している。 開始当初の全国ニュースは17:45 - 18:15(JST。以下、表記時刻は全てJST準拠とする)の30分間。さらに、2009年9月以来半年ぶりに全国ニュースと関東ローカルニュースを統合した。放送終了時間が19:00となり、8年間実施されていた平日19時台のフライングスタートが廃止。開始当初、本番組は17:45を境とした2部制を敷いており、第1部(ローカルセールスパート、16:53 - 17:45)・第2部(17:45 - 19:00、うち全国ニュースパートは17:45 - 18:15)から構成されていた。 番組開始当初のキャスター陣の面々は『イブワイ』からそのままスライドされ、総合司会には元NHKアナウンサーの堀尾正明、その他にもTBSアナウンサーの長峰由紀、藤森祥平をはじめとする面々に加え、かつて『筑紫哲也 NEWS23』でキャスターを務めた経験があるTBSアナウンサー兼報道局記者の佐古忠彦が起用された(佐古は2011年9月30日で一時降板)。 番組全編において、キャスター陣による掛け合いトークを多用しており、場合によってはコメンテーターがそれに参加する。当初は『イブワイ』同様にスタッフの笑い声やコメンテーター紹介時の拍手が入っていた。ステレオ放送(『イブワイ』は2009年12月で2か国語放送を中止し、2010年2月からステレオ放送を実施)。 2011年6月6日から9月9日まで節電の一環としてクールビズを導入した。半袖シャツにネクタイを締めて出演することが多かったお天気キャスターの森田正光などを除き、堀尾・佐古ら男性出演者のほとんどはネクタイを着用せずに出演した。 2012年3月23日をもって女性メインキャスターの長峰とサブキャスターの赤荻、江藤愛が降板。長峰と赤荻は日曜版メインキャスターに転出。同年3月26日からは久保田智子がメインキャスターに着任。番組自体のリニューアルも行われ、『イブワイ』時代から続いたバラエティ色の強い演出はされなくなった。これまで全国ニュース枠にレギュラーコメンテーターは出演していなかったが、コメンテーターとしてかつて『JNNニュースの森』キャスターを務め、夕方枠には4度目の復帰となる杉尾秀哉が出演する。 2013年3月29日、メインキャスターの久保田が降板。翌週4月1日からは『みのもんたの朝ズバッ!』でサブキャスターを務めていた加藤シルビアと『総力報道!』でキャスターを務めていた竹内明が新たに加わり、産休だった山内あゆも番組に復帰。堀尾が全国ニュース枠への出演を取りやめ、番組内容もリニューアル。また、第2部および全国ニュース枠の開始時刻は17:50に変更。 2013年9月30日から、TBSテレビにおける放送開始時刻を15:50に繰り上げ3時間10分番組とし、この当時としては在京キー局では最も開始時刻の早い・最も放送時間の長い夕方ニュース番組となった。これにより、TBSテレビにおける朝、昼、夕方ワイド番組の放送時間がいずれも約3時間となる。また、フィールドキャスターに2013年入社の新人アナウンサーが新たに加入。番組は16:53・17:50を境とした3部制を敷き、第0部(15:50 - 16:53)・第1部(16:53 - 17:50)・第2部(17:50 - 19:00、うち全国ニュースパートは17:50 - 18:15)から構成される。第0部はバラエティ色の強い演出や構成手法が取り入れられている。 2014年10月6日より、番組が下降傾向だったことを受け、本番組を第0部・第1部の『Nスタ ニュースワイド』(15:53 - 16:53・16:53 - 17:50)・第2部の『Nスタ ニューズアイ』(17:50 - 19:00)の2番組(コンプレックス)に大別し、両方の天気コーナーを担当する森田を除く出演者もそれぞれに分割。『ニュースワイド』はバラエティ色のあるニュース解説と生活情報・芸能情報を軸に、『ニューズアイ』はJNN協定に基づく全国ネットワークニュースを軸とした「本格派報道番組」となっていた。『ニュースワイド』は堀尾と山内が総合司会を務め、『ニューズアイ』は竹内と3年ぶりの本枠復帰となる佐古がメインキャスター、加藤がサブキャスターを務めたほか、開始当初は元バドミントン選手の潮田玲子がコーナーキャスターとして参加していた。開始時間は3分遅い15:53開始(2016年10月3日からは開始時刻を15:50に復している)。この改編によって視聴率は上昇しTBSテレビのゴールデンタイムが浮上する大きなジャンプ台にもなった。硬派な企画が意外にも視聴者に共感を呼び、これを受け本編終了は18:57.05から19:00に繰り下げられ、19時台の番組への接続が5年半ぶりにステブレレス(CMなしで次の番組が開始)となった。なお、『ニュースワイド』に関しては全編ローカルセールス枠だったため、放送しない系列局もあった。 2017年3月31日をもって、『Nスタ ニュースワイド』『Nスタ ニューズアイ』は2番組とも放送を終了。これと同時に、『イブニングワイド』時代からTBSの夕方枠報道・情報番組の総合司会を務めてきた堀尾が当枠を降板した。なお、堀尾は同年4月3日から『ビビット』のコメンテーターに就任したほか、2番組の番組終了時の出演者のうち山内・山本恵里伽・小林由未子・森田は同年4月3日からの『Nスタ(第2期)』に続投となった。また、日比麻音子は『Nスタ ニュースワイド』の終了以降、2021年10月4日から『Nスタ(第2期)』のニュースプレゼンターに起用されるまでの4年半、平日夕方の時間帯から離れることとなった。
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第1期(各話リスト)
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「PSYCHO-PASS」の記事における「第1期(各話リスト)」の解説
話数サブタイトル脚本絵コンテ演出作画監督総作画監督#01 犯罪係数 虚淵玄深見真 塩谷直義 楠美直子 八尋裕子、荒木弥緒源氏糖蜜 浅野恭司 #02 成しうる者 浜名孝行 中村深雪、植田実安食圭 #03 飼育の作法 矢萩利幸 河野利幸 古川良太 #04 誰も知らないあなたの仮面 川崎逸朗 村田峻治長谷川和世(原画) #05 誰も知らないあなたの顔 増井壮一 鈴木薫 細越裕治、中村深雪新妻大輔、西村元秀田邊博 浅野恭司naO #06 狂王子の帰還 金﨑貴臣 江島泰男 清水空翔、小林利充 堀内修naO #07 紫蘭の花言葉 二瓶勇一 西本由紀夫 長田絵里 naO #08 あとは、沈黙。 浜名孝行 宮前真一、植田実 #09 楽園の果実 佐野隆史 イシグロキョウヘイ 横松雄馬、酒井孝裕 #10 メトセラの遊戯 酒井和男 中村深雪、西村元秀容洪鈴木明日香(原画) #11 聖者の晩餐 増井壮一 遠藤広隆 古川良太、細越裕治沼田くみ子(原画)常木志伸(義体) 千葉崇洋 #12 Devil's Crossroad 高羽彩 川崎逸朗 容洪長谷川和世(原画) 恩田尚之 #13 深淵からの招待 虚淵玄深見真 澤井幸次 江島泰男 細越裕治、鈴木俊二臼田美夫 千葉崇洋 #14 甘い毒 増井壮一 吉沢俊一 植田実、二宮壮史飯飼一幸、松川哲也容洪 恩田尚之 #15 硫黄降る街 浜名孝行 左藤洋二 中村深雪、西村元秀容洪 千葉崇洋 #16 裁きの門 矢萩利幸 平田豊 古川良太、細越裕治矢萩利幸、容洪堀元宣 恩田尚之 #17 鉄の腸(はらわた) 酒井和男 野亦則行 齋藤雅和、小川浩司加藤洋人 千葉崇洋 #18 水に書いた約束 増井壮一 永居慎平 飯泉俊臣 恩田尚之 #19 透明な影 佐野隆史 江島泰男 鈴木俊二、細越裕治容洪、西村元秀角田桂一 千葉崇洋 #20 正義の在処 矢萩利幸 川崎逸朗 植田実、二宮壮史安食圭、飯飼一幸 恩田尚之 #21 血の褒賞 増井壮一 左藤洋二 中村深雪、堀元宣西村元秀、容洪角田桂一 千葉崇洋 #22 完璧な世界 塩谷直義 川崎逸朗塩谷直義 古川良太、細越裕治矢萩利幸、安食圭二宮壮史、千葉崇洋 恩田尚之 新編集版 2014年7月より放送された『PSYCHO-PASS サイコパス 新編集版』は、第1期全22話を全11話(1話あたり、おおむね本来の2話分)にまとめ、新しいシーンを追加したバージョンである。このシーンのために新たに脚本を起こしてシリーズ構成を行っており、物語の中に「わかりやすく」挿入されている。放送枠は1話あたり約1時間が与えられており、いわゆる「総集編」ではない。なお、新編集版にはサブタイトルは付されていない。 第4話(本放送当時における第7話・第8話に相当)は、2014年7月31日時点において「放送するのにふさわしくないという判断」が下され、次週放送予定の第5話を繰り上げて放送することになった。第4話は放送中止の措置を執り、FODやdアニメストアでの配信については、新編集版第4話と第5話を同時に2014年8月1日正午より配信予定となっていたが、そのうちdアニメストアではまもなくテレビ放送に合わせて第4話の配信を中止した。この措置は「佐世保女子高生殺害事件」の影響と思われる。放送中止について、監督の塩谷直義は自身の責任であるとTwitterで謝罪している。 ただし、2014年10月のニコニコ生放送では一挙配信が行われたほか、同月発売のBlu-ray BOXへも収録され、FODをはじめとする配信サイトでも配信されているため、欠番扱いではない。
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第1期(昭和期)
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1978年に浅草松竹演芸場で結成。ピースが口に咥えた極太ゴム紐をホープが引っ張り、顔面に直撃させるゴムパッチン芸で、一躍脚光を浴びた。 『花王名人劇場』への初出演を前に、澤田隆治プロデューサーと「よろしくネ」のポーズやゴムパッチン芸を改良し、学園ドラマ風の掛け合いから、生徒(ピース)に咥えさせたゴム紐を教師(ホープ)が引っ張りつつ、 「人生は長いようで短い。短いようで長い。そう、この1本のゴムのように…」 「さあ、人生を噛み締めろ」 「人生は、長い、長い、道のりを歩かなければならない」 「人生とは、痛みに耐えるものなんだ」 「人生は厳しい。そして、人生は2度ある」 …等と説教するツカミを加えて、人気を不動のものにする。 ゴム紐が伸び切ったところで生徒がすかさず口を開き、教師に逆襲するというバリエーションもある。ゲストや客を相手に敢行する場合もあり、誰もが痛がることから察するに、実際に相当痛い模様。 コマーシャルにも多数出演するなど幅広く活躍したが、その後ゴムパッチンがマンネリ化して受けなくなったため、『ゴム地獄からの脱出』と銘打ってゴムパッチン無しのパターンにも挑むが、ジリ貧に喘ぐ。 『田端グループ』の長としてホープの若手育成能力を高く評価する澤田が、東阪企画のスカウト兼教育係にと誘ったがこれを断わり、自前の芸能事務所『チャンプ企画』を設立。しかしこれが元で借金が嵩み、ホープは躁鬱病から酒、睡眠薬、ギャンブル依存症に陥って、家庭も崩壊した。 「ご容態に伴う自粛」で営業が激減した事でも打撃を受け、1989年に所属事務所に無断で解散を強行。この時ホープの盟友ビートたけしの計らいで、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の番組内で『最後のゴム』と題した解散式を行ったが、ホープはニュースタッフエージェンシーから破門を申し渡されて仕事を干され、借金苦から芸も荒れて、表舞台からフェードアウトする。 ピースは歌舞伎町のスナックの雇われ店長で糊口を凌いだ。
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第1期(2012年)
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「ドクターX〜外科医・大門未知子〜のエピソード一覧」の記事における「第1期(2012年)」の解説
2012年10月18日 - 12月13日、全8話。 初回・最終回は15分拡大(21:00 - 22:09)。 通算回エピソードタイトル初回放送日演出視聴率時系列ope.Ⅰその手袋で触るな!全員、ホールドアップ! 2012年10月18日 田村直己 18.6% ---- ope.Ⅱ死なせません。私、失敗しないので 2012年10月25日 松田秀知 17.6% ---- ope.Ⅲいりません。ネーミングがヘンだし、まずいので 2012年11月8日 田村直己 17.4% ---- ope.Ⅳ私にとって手術は、プライスレスのライフワークです 2012年11月15日 松田秀知 17.1% ---- ope.Ⅴあなたの手術、失敗したんじゃないですか? 2012年11月22日 松田秀知 17.7% ---- ope.Ⅵ私は切って助ける! 2012年11月29日 田村直己 18.6% ---- ope.Ⅶ本当のことを教えてあげるのが医者の義務じゃないんですか? 2012年12月6日 松田秀知 20.1% ---- Last ope(最終話)手術場には、馴れ合いも、助け合いも、御意もいらない。助けなきゃいけない病人がいるだけ 2012年12月13日 田村直己 24.4% ---- 平均視聴率 19.1%(視聴率は関東地区・ビデオリサーチ社調べ) 初回視聴率は18.6%で、米倉が同枠で主演したドラマの初回視聴率としては自己最高となり、瞬間最高視聴率は24.6%を記録した(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)。 11月1日は、プロ野球・コナミ日本シリーズ2012第5戦北海道日本ハムファイターズ対読売ジャイアンツ放送のため休止。 最終回視聴率は2012年の民放ドラマでは最高の24.4%で、瞬間最高視聴率は29.8%を記録した(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)。また、同枠で『熟年離婚』の最終回の記録(21.4%〈ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム〉)を抜いて歴代最高となった。なおこの最終回は、2012年12月31日放送の『お願い!ランキング』年またぎスペシャル(21:00 - 2013年1月1日1:30)でも放送、番組内では大門と毒島院長がCGアニメキャラ(声は米倉と伊東がそれぞれ担当)になって登場し、解説を行った。 台湾でも好評を博し、2012年に台湾で放送された日本のドラマ作品45タイトルのうち、平均視聴率・最高視聴率ともに第1位を獲得。
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第1期(2007年4月~2008年4月)
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「エンタの味方!」の記事における「第1期(2007年4月~2008年4月)」の解説
芸人たちのプレゼンテーションおよび自由研究(ある特定のテーマに沿ったコント)を評価するのは、2人の水着姿の聴講生(いずれも女性)で、プレゼンテーションの最中、そのイベントや映画に行きたい、もしくはそのDVDが欲しいと思ったときは「行く(欲しい)ボタン」を押す(回数制限なし)。これとは別に全体の評価を出すときは星の数で評価し、3つ星(2008年に入ってからは6つ星)を満点として0.5星刻みで点数に相当する星の数を出している。最終的に最も評価の良かった芸人コンビに対しては、聴講生からの「ご褒美」として「ワンダーロープ」と題し、芸人コンビが回す長縄跳びに水着姿の聴講生が飛び跳ねて、芸人コンビがいい思いをするという手筈になっていた。 なお番組開始当初、行く(欲しい)ポイントを貯めると豪華商品と交換できることになっていたが、MCが西田真生に交代した後は、この制度は消滅したものと思われる。
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第1期(1982年~1983年)
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「カプセルマガジン」の記事における「第1期(1982年~1983年)」の解説
月曜から金曜の24:05~24:15までの10分間放送。 当時、既に若者向けの自社制作番組『スマッシュ!!11』が放送されていたRKBラジオと違い、KBCラジオでは「KBCナイトタウン」が1979年10月に終了して以来「夜ワイド」の中断期間にあり、主にキー局である文化放送やニッポン放送からのネット番組で占められており、その中で唯一の自社制作番組となっていた。 パーソナリティは当時まだ若手だった局のアナウンサー達が担当。
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第1期(SHE THREE ハートフルタイム REPROFILE)
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「REPROFILE」の記事における「第1期(SHE THREE ハートフルタイム REPROFILE)」の解説
女性タレント(一部例外あり)をゲストとしてスタジオに招き、「表には見えないこだわり」「今まで誰にも言えなかった本当にたいせつなもの」をテーマにトークを行っていた。制作局のニッポン放送のみ、全身脱毛サロン「シースリー」が冠スポンサーとして一社提供しており、「SHE THREE ハートフルタイム REPROFILE(シースリー ハートフルタイム リプロフィール)」として放送されていた。一方、ナイターオフシーズンにネット受けしていた地方局はローカルセールス扱いのため、スポンサー冠が付かない「REPROFILE」のタイトルで放送された。このため、番組冒頭やCM明けに流れるジングルも、地方局向けには別に作成して裏送りしていた。またエンディングの挨拶も、地方局向けの放送では「SHE THREE ハートフルタイム」のくだりを省いたものに差し替えられていた。 2016年度ナイターオフシーズンに、日曜夜の単発枠「SPECIAL BOX」にて数回放送したのち、2017年度ナイターシーズンにナイター非開催時限定ながら日曜夜のレギュラー番組となる。2017年度ナイターオフシーズンに入ると土曜夜に放送枠を移動した上で、NRNのラインネット番組となり、一部の地方局へネットされるようになった。なお、地方ネット局は後続で放送される『春奈るな るなティックワールド』『玉城ティナとある世界』とセットで放送しており、NRN公式サイトの番組一覧や一部の局の番組表では、本番組を含めた3番組によるコンプレックス枠と扱われていた。 2018年ナイターシーズンは再びローカル放送に戻るうえ、日曜ナイター開催時限定という不定期に近い放送形態となるが、同年ナイターオフシーズンは火曜夜に移動し、再びNRNのラインネット番組となる。この形態の放送は2019年3月26日が最後となったが、該当回の放送ではその旨の告知は特に無かった。
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第1期(1994年度)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 20:39 UTC 版)
「NHKニュース11」の記事における「第1期(1994年度)」の解説
スタート当初は1994年4月4日から1995年3月31日まで23:00 - 23:15(以下全てJST)の15分番組で、その日のニュースをコンパクトにまとめたコーナーと解説を放送。司会は藤田太寅解説委員。音楽は杉本竜一が担当。
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第1期(テッド・コッペルの時代)
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「ナイトライン」の記事における「第1期(テッド・コッペルの時代)」の解説
番組は1979年イラン米大使館占拠事件の際、毎晩11時頃に放送していた番組(The Iran Crisis - America Held Hostage)が基礎となり発足した。当時『ABCワールド・ニュース・トゥナイト』のアンカーだったフランク・レイノルズ(Frank Reynolds)がアンカーを務め、のちにアメリカ国務省の番記者として活躍したテッド・コッペル(Ted Koppel)が代役を務める。そのときの手腕を買われて「ナイトライン」が始まった(ワシントンから放送されていたのもこのため)。毎日1テーマに絞り、主として記者リポートとゲストインタビューの2部構成で、おもに金曜日は全編ドキュメントを放送した。 「ナイトライン」としての第1回目は占拠事件で人質の母親とイラン政府の広報官が衛星中継で対話するというもので、番組20周年のアンケートで最も印象に残った回に選ばれた。 その後「ナイトライン」は放送枠を15分から30分に拡大し、金曜にも放送。またジョン・レノン死去のニュース(20周年アンケートで2位)や、南アフリカでのタウンミーティングと、徐々に報道番組の信頼と権威を増していった。 のちにサブアンカーとしてクリス・ビューリー(Chris Bury)をはじめ、テリー・モラン(Terry Moran)らワシントン駐在の記者たちも、週2-3回のペースで登場していた。 ABCのトークショー導入の是非で、幾度か番組終了の騒動が起こったが、そのたびに継続された(最近では2002年に明るみに出た)。 イラク戦争では、当時63歳のコッペル自身が陸軍第3歩兵師団に従軍取材。戦争開始から1年経った2004年4月、イラク戦争で死亡したアメリカ兵全員の名前を読み上げるだけの番組を放送し、議論を招いた。 2005年に入り、コッペルは12月以降のABCとの契約を結ばないことを表明。同年11月22日の「モリー先生との火曜日」(A Tuesday with Morrie)を最後に、番組そしてABCを離れた(NHK-BS1では11月24日に放送)。
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第1期 (1967年)
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「コメットさん」の記事における「第1期 (1967年)」の解説
ブラザー劇場の5作目として、九重佑三子主演で初めてドラマ化された。ビデオなどでは後述の大場版との区別のため『九重佑三子のコメットさん』と表記されることもある。 第1話 - 第19話はモノクロ、第20話からカラー制作になった。また、第49話より主人公が住み込んでいる家庭の両親役(職業、家とも変更)が変更(子ども役2人は続投)され、これをもって前期と後期に区分される。後年の地上波(主にTBS)での再放送はもっぱらカラー版のみで、長らく全話の再放送はされていなかったが、1990年代にはキッズステーションにて、2000年代にはチャンネルNECOにて再放送された。 第1回週刊TVガイド賞(現・テレビ大賞)最優秀バラエティ喜劇番組賞など数々受賞。日本以上にメキシコで根強いファンが多く、幼いころにこれを観て影響を受けた映画監督もいる。ギレルモ・デル・トロは、第75話を基に1992年に『クロノス』を制作し、翌年のカンヌ国際映画祭で批評家週間グランプリを受賞した。またアルフォンソ・キュアロンは、1991年に制作した『最も危険な愛し方』に登場する日本人の役名に、本作品の住み込み先の家庭の子どもの役名を使用していた。 こうした事情から、「九重佑三子は、メキシコで最も有名な日本人」といわれるほどであり、2018年9月8日に放送された「陸海空 地球征服するなんて」(テレビ朝日)において、「あなたの知っている日本人は?」とメキシコの26ヵ所で1,000人に調査したところ、37票で3位にランキングされたことで改めて立証された。同番組では2019年1月26日放送分「22の国・地域で20,000人に聞いた世界で一番有名な日本人ランキング」でもこのことが取り上げられており、こちらでは59位にランキングされている。 本作品の特徴として、アニメと実写の合成パートもある。アニメ部分(校長先生やオープニングなど)は、当時東京ムービー(Aプロダクション)に在籍していた芝山努、椛島義夫が手がけていた。また、人形アニメの多用も特筆される。人形アニメートは当分野の第一人者である、真賀里文子が担当している。アニメ部分はモノクロ版とカラー版では、冒頭のコメットのいたずら(流星を大砲で飛ばす→モニュメントを天馬で壊す)、校長の「いたずらしてはいかんとあれほどいっていたのに!!」の台詞場面(コメットの目前で言う→コメットの場所に移動しながら言う)、OPでの星への落書き(ロケット自身で落書き→バトンの魔法で落書き)など、様々な点で相違点がある。さらにカラー版では第49話より、校長先生のキャラが「ラッキョウ顔で柄パンツを着用」から「丸顔でマントを着用」に変更されたため、冒頭場面は校長キャラと「天馬が壊したモニュメント」を変更した。 子供の視点(いたずらや学校のことなど)がドラマの中心となっており、主人公であるコメット自身も、校長からイタズラっ子として扱われている。ベータ星から地球へ追放されたのも、いたずらを戒めるためという理由付けがなされている。ベータン(第14話より最終話)、コメットの祖母(第35話より第44話)がレギュラーである点も特徴である。 主題歌(の一部)は寺山修司作詞・湯浅譲二作曲だが、その冒頭部では湯浅がメシアンより影響を受け、自身の初期作品『内触覚的宇宙』などでも多用した移調の限られた旋法第2番が用いられている。
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第1期(2003年10月 - 2005年9月)
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「WAKE UP NEWS」の記事における「第1期(2003年10月 - 2005年9月)」の解説
第1期は「立花裕人のMORNING FREEWAY」「6Sense」に内包。スポンサーはアサヒ飲料だったが、2005年6月いっぱいでスポンサーから撤退(2005年6月までの正式名称については下記参照)。7月からはノンスポンサーで放送した。2005年9月に終了。 モーニングショット WAKE UP NEWS(アサヒ飲料提供、2003年10月 - 2004年9月放送) モーニングショット WAKE UP NEWS 〜timestamp〜(アサヒ飲料提供、2004年10月 - 2005年6月放送) WAKE UP NEWS 〜timestamp〜(2005年7月 - 9月放送) 第2期まで、World in Motionを放送
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第1期(1566年 - 1569年)
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「アンギャン公」の記事における「第1期(1566年 - 1569年)」の解説
1566年、上記のマリー・ド・リュクサンブールの孫にあたるコンデ公ルイ1世のアンギャン伯爵位が公爵に昇格した。登記が完了していなかったため、1569年、彼の死とともに失効した。
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第1期(1957年 - 1987年)
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「時事放談」の記事における「第1期(1957年 - 1987年)」の解説
ラジオ東京テレビ時代の1957年7月から日曜日の早朝番組として放送され、朝日新聞出身の細川隆元と日本経済新聞出身の小汀利得の歯に衣着せぬ毒舌が評判を得ていた。後に小汀が体調を崩し、1970年6月7日放送分で番組を降板して以降は、細川と藤原弘達、土屋清、加藤寛(経済学者)、参議院議員の斎藤栄三郎(1974年3月に参院選出馬のために降板)らなど主に大臣クラスの大物国会議員や政界の主要人物らを招き、1対1の対談形式となる。 30年目の1987年3月に同タイトルでの放送を終了し、以後は『日曜放談』と題して1992年3月まで放送した。 毎回番組の途中で女性アナウンサーが対談者に茶菓子を供す場面がある。
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第1期(2012年度)
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「維新政治塾」の記事における「第1期(2012年度)」の解説
参加受講料は12万円/年。当初は全応募者の中から400人程度に絞り込んで受講してもらうという計画であったが、予定定員を大幅に上回る3,326人が応募。面接で候補者の絞込みをする予定だったが、面接を中止し、書類選考でできる限り多くの参加者に受講してもらう方針を固めた。その中には現役の国会議員も含まれていたが、現役国会議員は基本的に入塾を認めない方針であった。 書類選考を通過した約2000人は塾生という扱いではなく、塾生候補者という扱いで、第一期の第一クールは2012年3月24日に開講された。同年6月に適正調査、人間性調査、資金力等を考慮しての選考を再度行い、915名が合格。その中で888人が入塾を果たし、正式に第一期維新政治塾の塾生となった。同年6月23日、大阪市中央公会堂にて入塾式が行われ、石原慎太郎東京都知事が基調講演を行い、正式に第二クールがスタートした。その後、2013年2月9日に第1期修了式が行われた。 回日付場所受講生・塾生変移(応募総数) - - 3,326人 (書類審査合格者) - - 2,262人 開講式&受講生第1回 2012年3月24日(土) 大阪国際会議場 2,025人(受講料納付者) 受講生第2回 2012年4月14日(土) 大阪市内 〃 受講生第3回 2012年4月28日(土) 大阪市内 〃 受講生第4回 2012年5月12日(土) 大阪市内 〃 受講生第5回 2012年5月26日(土) 大阪市内 〃 (塾生合格者) - - 915人 2012年6月23日(土) 大阪市中央公会堂 888人(入塾料納付者) 塾生第1回 2012年7月7日(土) 大阪アカデミア 〃 塾生第2回 2012年8月4日(土) 大阪国際会議場 〃 塾生第1回街頭演説会 2012年9月15日(土) 難波髙島屋前 選抜者14名 塾生第3回 2012年9月15日(土) 大阪国際会議場 888人 (第46回衆議院議員選挙第1次公募) 2012年9月28日(金)締切 日本維新の会宛 塾生518人・行政経験者327人合計845人 塾生第4回 2012年10月6日(土) 大阪アカデミア 〃 第1次公募第1次面接1日目 2012年10月13日(土) 大阪アカデミア 塾生・行政経験者450人 第1次公募第1次面接2日目 2012年10月14日(日) 大阪アカデミア 〃 第1次公募第1次面接3日目 2012年10月20日(土) 大阪アカデミア 〃 第1次公募第1次面接4日目 2012年10月21日(日) 大阪アカデミア 〃 (第46回衆議院議員選挙第2次公募) 2012年11月1日(木)締切 日本維新の会宛 塾生・行政経験者以外 塾生第2回街頭演説会 2012年11月3日(土) 梅田ヨドバシカメラ前 選抜者14名 塾生第5回 2012年11月3日(土) 大阪アカデミア 888人 第2次公募第1次面接1日目 2012年11月 日(土) 大阪アカデミア 塾生・行政経験者以外 第2次公募第1次面接2日目 2012年11月 日(日) 大阪アカデミア 〃 塾生最終回・第1期生卒塾式予定 2013年2月9日(土) 大阪市内のホテル 約800人
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第1期 (1978年-1979年)
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「ザ・キュアー」の記事における「第1期 (1978年-1979年)」の解説
ポストパンク期にリリースされたデビュー・アルバム『スリー・イマジナリー・ボーイズ』は、シンプルながらもクールで捻くれたギターサウンドが特徴的で、記号化されたスリーヴ・デザインと相まって、すでに独自の世界観を築き上げていた。また、ロバートはスージー・アンド・ザ・バンシーズの全英ツアーのサポート・ギタリストとしてステージに上がったりもした。
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