ゲイリー・ブルッカー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/14 16:49 UTC 版)
ゲイリー・ブルッカー Gary Brooker MBE |
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ドイツ・ニュルンベルク公演(2018年)
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基本情報 | |
生誕 | 1945年5月29日 |
出身地 | ![]() |
死没 | 2022年2月19日(76歳没)[1] |
ジャンル | ロック アート・ロック プログレッシブ・ロック ピアノ・ロック バロック・ポップ |
職業 | ミュージシャン、シンガーソングライター、鍵盤奏者、音楽プロデューサー |
担当楽器 | ボーカル、ピアノ、キーボード、ハーモニカ |
活動期間 | 1962年 - (2022年死去) |
レーベル | クリサリス・レコード マーキュリー・レコード Gazza Records |
共同作業者 | パラマウンツ プロコル・ハルム エリック・クラプトン リンゴ・スター ビル・ワイマン |
ゲイリー・ブルッカー(Gary Brooker、1945年5月29日 - 2022年2月19日[1])は、イングランド出身のミュージシャン、ロック歌手、鍵盤奏者、音楽プロデューサー。
ロックバンド「プロコル・ハルム」の主宰として知られる。2003年、大英帝国勲章を叙勲。
来歴
ロンドンで生まれ、1955年にエセックス州に移る[2]。1959年に中学校時代の仲間達と「パラマウンツ」というグループを結成。1962年頃から本格始動し、翌1963年にコースターズの'Poison Ivy'のカヴァー[3]でシングルデビューを果たす[2]。レイ・チャールズらに影響を受けR&B色の濃い楽曲を制作したが、1966年に解散。

1967年に詩人のキース・リードと出会い、共に「プロコル・ハルム」を結成してピアノとリード・ヴォーカルを担当し、リードの詞に曲をつけた。彼が作曲したデビュー曲「青い影」は世界的な大ヒットを記録した[1]。彼は1977年に解散するまで、多くの曲をリードと共作した。
プロコル・ハルム解散後はソロとして活動する傍ら、エリック・クラプトン・バンドのバンドマスターを務めたほか、ジョージ・ハリスンやリンゴ・スターといった元ビートルズのメンバーとも共演した。またアラン・パーソンズ・プロジェクトにもリード・ヴォーカルとしてゲスト参加している。

1991年にプロコル・ハルムを再結成し、各国をツアーした。また1997年から1999年にかけて、リンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンドのツアーにも参加して「青い影」や「征服者」等を歌った。同じ時期にビル・ワイマンが率いるリズム・キングスにも名を連ねていた。
2003年、チャリティー活動が評価され、王室から大英帝国勲章(五等勲士、MBE)を授けられた[1]。
2022年2月19日、がんのため自宅にて死去。76歳没。訃報はプロコル・ハルムの公式サイトで伝えられた[1]。
ディスコグラフィ
プロコル・ハルム
ソロ
スタジオ・アルバム
- No More Fear of Flying(1979年)
- Lead Me to the Water(1982年)
- Echoes in the Night(1985年)
ライブ・アルバム
- Within Our House(1996年)
脚注
外部リンク
固有名詞の分類
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