カルト人気
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 07:56 UTC 版)
「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」の記事における「カルト人気」の解説
初公開時には佐藤重臣など、ごく一部の映画評論家を除いて黙殺された。「あんなもん江戸川乱歩じゃない」と言われたり、石井のエログロ映画は、日本映画史から無かったことにした映画評論家もいたとされる。下品な大見出しや、お色気記事で定評のある某夕刊紙からは「ウチの紙面が汚れるからお断りします」と紹介記事の掲載を断られた。『週刊ポスト』は「こんな映画がヒットするようなら、いまの世の中にはよほど奇形人間が多いということになるのではないか」などと批判した。しかし『恐怖奇形人間』というタイトルの凄まじさから、1970年代終わりごろに名画座で掛かるたびに怖いもの見たさの観客が押しかけ、口コミで面白さが伝わり、先の佐藤の1980年『フリークス』自主上映運動などもあり、さらに1980年代にアメリカからカルト映画という概念が入り、『恐怖奇形人間』は、和製カルト映画の誉れをモノにした。 2003年、イタリアのウーディネで開催されたウーディネ極東映画祭で、石井の特集上映が組まれ、『セクシー地帯』や『網走番外地』などとともに本作も上映され、招待された石井が上映前に「これは日本では非常に評判が悪くて、片輪みたいな映画だけれど、デキの悪い子ほど可愛いんですよ」と喋ったら、上映後はスタンディングオベーションで拍手が鳴りやまず、外に出たらサイン責めに遭った。「さすが異常性愛の巨匠・パゾリーニの出たお国柄だ。イタリアは日本とは全然感覚が違うなあ」と思ったという。石井はイタリアで評価されたことをことのほか喜び、死の直前、一部面会を許した映画仲間にもイタリアの話をし、退院したらイタリアに行くつもりだったという。
※この「カルト人気」の解説は、「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」の解説の一部です。
「カルト人気」を含む「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」の記事については、「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」の概要を参照ください。
- カルト人気のページへのリンク