カルト・スターとの決別
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 14:19 UTC 版)
「デヴィッド・ボウイ」の記事における「カルト・スターとの決別」の解説
1980年、再びアメリカに戻り、ニューウェーブを前面に出した、RCA時代最後のアルバム『スケアリー・モンスターズ』を発表した。初ヒット曲の「スペイス・オディティ」の登場人物・トム少佐を再び登場させ、「アッシュズ・トゥ・アッシュズ(英語版)」で彼のその後と自分を重ね合わせて歌い、ボウイはカルト・スターとしての「デヴィッド・ボウイ」と決別することになった。 一転して1980年代はナイル・ロジャースをプロデューサーに起用したアルバム『レッツ・ダンス』はキャリア最大のヒット・アルバムとなり、ファン層を広げた。1983年の『シリアス・ムーンライト・ツアー』では新しいファンをも取り込んでの大規模なワールドツアーを大成功させ、カルト・ヒーローからメジャー・ロック・スターの座につくことになった。ただこのころから以前のようなカルトなアーティスティックな作風からポップ・ロック路線へと作風が変化するが、迷走と模索の時期ともなった。この頃のボウイは俳優としての出演も多い。
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