佐藤重臣とは? わかりやすく解説

佐藤重臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/04 04:44 UTC 版)

佐藤重臣(1967年)

佐藤 重臣(さとう しげちか、1932年9月2日 - 1988年2月27日)は、日本の映画雑誌編集者映画評論家、映画コレクター、映画上映活動家。「アングラのジューシン」と呼ばれた。

略歴

1932年(昭和7年)9月2日福島県西白河郡釜子村(現:同県白河市東釜子)に生まれる。両親が離婚し、4歳のときに父と一緒に東京に引っ越す。

東京第一師範学校男子部附属国民学校(現:東京学芸大学附属世田谷小学校)、麻布学園卒業。

中学3年の時に山際永三(のち映画監督)に出会って映画研究会を作り、手書き同人誌『ソフト・フォーカス』を刊行。高校時代には淀川長治主催の「映画友の会」に参加、アメリカ映画の配給会社セントラル映画社CMPE)でアルバイトをし、試写会に入り浸る。映画仲間として知合った副島輝人、そして山際と映画評論同人誌『シネ・エッセイ』を刊行する。

1951年(昭和26年)、日本大学芸術学部映画学科入学。1954年(昭和29年)には山際と雑誌『現代映画』を創刊するが、1号のみで終わった。この頃、まだ新潟在住だった佐藤忠男が上京した際に、知り合う。佐藤忠男によると当時の重臣は「純情な映画青年で、のちの『アングラの帝王』の雰囲気はなかった」とのこと[1]

1956年(昭和31年)に大学を中途退学。「キネマ旬報」「映画評論」「映画批評」などに映画評論を投稿。1958年(昭和33年)、佐藤忠男の推薦で、『映画評論』誌と経営者が同じ高田俊郎だった合同通信社に入社し、『映画評論』の編集に携わる。

1962年(昭和37年)には江藤文夫の誘いで「映画芸術」編集部へ。この頃、「週刊読売」記者だった長部日出雄と知合う。1964年、飯村隆彦石崎浩一郎大林宣彦高林陽一金坂健二ドナルド・リチー足立正生らと実験映画製作上映グループ「フィルム・アンデパンダン」を結成。

フリーライターを経て、1965年(昭和40年)に長部とともに、再度『映画評論』編集部へ。

佐藤が編集長を務めていた頃の『映画評論』。1967年4月号の表紙。

1966年3月号より、品田雄吉の後任として編集長となり、海外のアンダーグラウンド映画や、日本の若松プロダクションの映画を雑誌の中心とする。また、1968年(昭和43年)には「日本アンダーグラウンド・センター」(事務局長はかわなかのぶひろ)を結成し、内外のアングラ映画を紹介。また「新宿少年団」を結成してハプニング活動を行っていた秋山祐徳太子とも知合い、パフォーマンス・イベントのプロデュースも行った。他に大和屋竺監督の「毛の生えた拳銃」など、多数の映画に出演もしている。

1975年(昭和50年)に『映画評論』は休刊となり、その後はフリーの映画評論家となる。

1980年(昭和55年)には『フリークス』『ピンク・フラミンゴ』を上映し、話題を呼んだ。

1987年(昭和62年)には日本映画学校生徒により、『フリーク大将 天下御免』という佐藤を題材としたドキュメンタリー映画が制作された。

1988年(昭和63年)2月27日、脳出血のため死去した。満55歳没。

佐藤重臣コレクション

佐藤は、上映用プリントのコレクションを行い、1972年(昭和47年)から「サトウ・オーガニゼーション」として上映活動を開始、1976年(昭和51年)から「黙壺子フィルム・アーカイブ」と名称を変更した。この活動には、安岡卓治が映写技師として関わっていた。上映の根拠地はアートシアター新宿であった。

没後、佐藤のコレクションは、アートシアター新宿の活動を継承した芝居小屋アール・コリンが継承、上映活動を行っている。

ビブリオグラフィ

  • 『阪妻の世界』池田書店、1976年
  • 『魅せられてフリークス』秀英書房、1982年3月 - 監修
  • 『祭りよ、甦れ! 映画フリークス重臣の60s-80s』ワイズ出版、1997年1月

フィルモグラフィ

  • 裏切りの季節』:監督大和屋竺若松孝二、製作若松プロダクション、配給N.S.P.、1966年12月13日公開 - 出演[2]
  • 『避妊革命』:監督足立正生、製作若松プロダクション、配給日本シネマフイルム、1967年2月21日公開 - 出演・ブルーフィルム男優役[2]
  • 『性犯罪』:監督若松孝二、製作若松プロダクション、1967年公開 - 出演・コールガールを買う男役[2][3]
  • 毛の生えた拳銃』:監督大和屋竺、製作若松プロダクション、1968年5月公開 - 出演[2][3]
  • 『無人列島』:監督金井勝、製作かない・ぷろだくしょん、1969年4月25日公開 - 出演[4][5]
  • 『狂走情死考』:監督若松孝二、製作若松プロダクション、1969年9月公開 - 出演[3]
  • 『GOOD-BYE』:監督金井勝、製作金井プロダクション、1971年公開 - 出演[3]
  • 温泉みみず芸者』:監督鈴木則文、製作東映京都撮影所、配給東映、1971年7月3日公開 - 出演・役人D役[2][3][4][5]
  • 『(秘)女子高校生 課外サークル』:監督若松孝二、製作若松プロダクション、配給東映、1973年2月3日公開 - 出演[2][3]
  • 『さらばパラノイアの群れ』:監督蔵田實、製作恋慕プロダクション、1973年6月2日公開 - 出演[2][4][5]
  • 『カレンダー・レクイエム 黄色い銃声』:監督伴睦人、製作伴映画工房、1974年4月24日公開 - 出演[2][4][5]
  • 『実録たまご運搬人 警視庁殴りこみ』:監督土方鉄人、製作騒動社、1975年10月3日公開 - 出演[2][4][5]
  • 『アクマストキングIII 特攻任侠自衛隊 ATTACK★GANG ARMY』:監督土方鉄人、製作騒動社、1977年6月22日公開 - 出演[2][4][5]
  • 『家獣』:監督青山定司、 製作:シネマギルド花魁譚、1979年10月3日公開 - 出演[3][4][5]

脚注

  1. ^ 佐藤忠男・岸川真編著『「映画評論」の時代』カタログハウス
  2. ^ a b c d e f g h i j 佐藤重臣日本映画データベース、2012年2月12日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 佐藤重臣allcinema ONLINE、2012年2月12日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 佐藤重臣キネマ旬報映画データベース、2012年2月12日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g 佐藤重臣、日本映画情報システム、日本映画製作者連盟、2012年2月12日閲覧。

参考文献

外部リンク


佐藤重臣

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ヤスジのポルノラマ やっちまえ!!」の記事における「佐藤重臣」の解説

柄の悪さ日本一、バンカラポルノで世界一。と、フレコミ以上に凄い。ナマの裸のオンナがあえぐよりもポルノ度がずっと凄い気がする。とにかく、さすがの私もビックラした。少しぐらいの毒っ気なら、チート驚かない思っていた私が、ヤスジポルノラマ『やっちまえ』を見て唖然としてしまった。まさにポルノの壁を、この映画は完全にぶち破っているのである。これをPTA主婦連のおシャモジばあさん見せたら、半年ぐらいは月のモノなくなってしまうのじゃないか、と想像したくなるものだ。(中略)普通のお客さんには、とてもこの映画笑いきれないだろう。自分たちが、どうしようもないくらいにセックスに対して飢餓感に陥っている、という現実が、そのままぶつけられるからだ。なにしろ“キンタマ”なんて言葉出てくるのは映画史始めてのことじゃないかネ。(中略)このヤスジポルノラマは、映画コード週刊誌コードと同じレベルになったということ指し示すじゃないか。相当に問題になる映画だと思うけど、ポルノ・ユートピアを蹴っとばすようなパワーに、私は恐れ入っていたのである。(中略)そして、ポルノラマが、なによりいいのは、飢餓感ウンザリ感、排泄感、全部セックスに結びつけていることだ。

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