作品選定
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「伊豆の踊子 (1974年の映画)」の記事における「作品選定」の解説
東宝とホリプロは「文芸作品」を構想し、幾つかの候補の中から東宝サイドは『伊豆の踊子』を希望した。しかしホリプロサイドは、初めての主役の百恵に、一種の時代劇的な役柄は不向きで、それよりも地に近い高校生役の青春ものの方が無難ではないか、また歌手であるからにはレコードも同時発売したいが『伊豆の踊子』というタイトルでは百恵の歌の傾向と違い過ぎると最終的な決定をしかねていた。西河は百恵をほとんど知らず「台詞が喋れるのかどうか怪しいな」と思っていたから、意見を求められた西河は、候補にあがった文学作品の中では『伊豆の踊子』が台詞も少なく、芝居が一番難しくないし、安定したネームバリューのあるタイトルに寄りかかった方が成功率が高い、映画の主役ならテレビに出ている山口百恵とは全く異なった、様変わりしたコスチュームで出演した方が得策であると進言し、協議の結果『伊豆の踊子』で行くと決定した。他に西河は1963年に吉永小百合主演で『伊豆の踊子』を一度撮っており、その経験で準備期間の少ないスケジュールで撮影の態勢を整えることが出来るなどの計算もしていた。 1973年4月に東宝の配給、興行、宣伝、外部からの企画窓口になる映画調整の各部を統合した東宝営業本部長に就任した松岡功は、「営業本部長になってほどなく、東宝演劇部の社員から電話があった。『バンド時代からの友人にホリプロの堀威夫さんがいるんですが、本部長に会いたいと言っています。訪ねてきた堀さんは『山口百恵で映画を作りたいんです。作品は『伊豆の踊子』。共演は三浦友和です』と切り出した。山口百恵こそアイドルの中で最も映画向きだと秘かに思っていた。『やりましょう』と即答した」などと話している。この松岡の証言が正しいのなら、映画の製作が正式に決まる前に山口百恵の相手役オーディションを行うことは有り得ず、オーディションは出来レースで、企画が持ち込まれた時点で百恵・友和コンビは決まっており、『伊豆の踊子』も最初から決まっていたということになり、上記の多くの話が嘘ということになる。
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作品選定
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2014年時点では毎日3-4作品、年間約120本の映画を上映しており、1スクリーンの映画館としては上映作品数が多いというが、河本はキラキラした顔で「まだまだ見てもらいたい映画はたくさんあるんです~☆」と語る。作品選定に関しては支配人の河本は冒険的、副支配人の北村眞悟は慎重であるため、北村は「上手くバランスが取れていると思いますよ(笑)」と語る。子どもやお年寄りが多い尾道の特性を考慮し、1ヶ月に1本はミニシアター系作品でない話題作を上映している。作品選択には深谷シネマ、経営には広島市で八丁座 壱・弐やサロンシネマを運営する序破急のアドバイスを受け、特に序破急代表取締役の蔵本順子が同じ「本」と「順」の字を持つ河本清順に対して投げかける厳しい意見は、同じ映画産業でシネコンとは異なる道を歩む同業者河本への愛情の裏返しである。
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作品選定
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第一回の上映作品は、一般投票と特別選定委員による推薦とを参考に、作品選定委員会が選んだ作品のうち、ニュープリントでの上映が可能な作品50本が選ばれた。なお、一般投票であげられた映画は565作品にのぼった。
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