向井 亜紀
芸名 | 向井 亜紀 |
芸名フリガナ | むかい あき |
性別 | 女性 |
生年月日 | 1964/11/3 |
星座 | さそり座 |
干支 | 辰年 |
血液型 | A |
出身地 | 埼玉県 |
身長 | 170 cm |
URL | http://www.mukaiaki.com/ |
ブログURL | http://www.mukaiaki.com/akiblog/ |
靴のサイズ | 24.5 cm |
プロフィール | 日本女子大学在学時に、文化放送の『ミス・ディスクジョッキー・コンテスト』で優勝。同年、文化放送『ミスDJリクエストパレード』でデビュー。以後、司会業のかたわらアイドルとしてグラビア・写真集で活躍。トレンディードラマなどにも出演。1985年にフジテレビ『TVプレイバック』の石田純一やザ・ドリフターズのメンバー、司会の萩本欽一などと共演し、この番組がきっかけでお茶の間に名前と顔が知られる。1994年、プロレスラーの高田延彦と結婚。2000年、妊娠するも子宮頚がんによる子宮全摘出で、16週の小さな命を失う。翌年から復帰し、日本テレビのワイドショー『レッツ!』の司会を務めた。2003年、米国での代理出産により双子の男子を授かる。以降、テレビの司会、ラジオや全国での講演などで多方面で活躍する。著書に『おしゃべりなからだたち~向井亜紀交友録~』(双葉社)『16週~あなたといた幸せな時間』(扶桑社)『会いたかった 代理母という選択』(幻冬社)など。 |
代表作品1年 | 2001 |
代表作品1 | 著書『16週 あなたといた幸せな時間』 |
代表作品2年 | 2002 |
代表作品2 | 著書『プロポーズ 私たちの子供を産んでください』 |
代表作品3年 | 2003 |
代表作品3 | 著書『会いたかった』 |
職種 | 俳優・女優・タレント/文化人 |
趣味・特技 | グルメ/サイエンス/健康に関すること |
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向井亜紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 01:27 UTC 版)
向井 亜紀(むかい あき、1964年11月3日[1][2] - )は、日本の女優・タレント。本名:髙田 亜紀(たかだ あき)、旧姓:向井。夫はプロレスラー・総合格闘家の高田延彦。所属事務所は髙田道場[1]。現在は東京都在住。
注釈
- ^ 1973年に馬宮東小学校から分離。
- ^ 現在は学部再編により、理学部物質生物科学科生物系となっている。
- ^ 全国各地で開催されており、アマチュアレスリングの要素を取り入れたプログラムがある。他にもマット運動を中心としたプログラムで身体を動かすことの楽しさや、触れ合いの中から生まれる自己肯定感を子どもたちに伝えている[5]。
- ^ 当時地元に移動図書館が来ていたが、そこにある本を読破しようと考え、両親や兄妹の図書館カードまで使って毎回数十冊も借りるほどだった
- ^ 実際には、高校3年生の頃に同事務所からスカウトされたが、「受験生なので」と断った。その際「大学生になったらもう一度考えてほしい」と告げられており、大学入学後に同事務所から再び誘われた[3]。
- ^ 審査員から大学生になってやりたいことを聞かれ、「山手線での通学が初めてなので全駅に降りてみたい」と答えた。審査員たちが呆気に取られる中、一人の審査員が「こういう女子大生がいるのも面白い」と推しことで優勝が決まった。
- ^ 自身の著書『会いたかった』では、ネバダ州の担当医師から提供卵を用いることを打診された経緯を説明している。
- ^ この時点で2人の子供は、米国国籍を持ち、パスポートを取得して日本入りしている。
- ^ この出生届は、出産していない向井を「母親」とし、双子を「(向井の)実子」とするものだった。しかし、現状分娩者を母親とする日本の戸籍法の解釈から、区役所側は「法務省に判断を仰ぐ」とした。
- ^ ただし「(双子の)日本国籍は認める。養子とする方法もある」などとして、子供の国籍は認め、かつ子を養子に入れることを勧めた。
- ^ 東京家庭裁判所 平成17年(家)第844号 市町村長の処分に対する不服申立事件。
- ^ 東京高等裁判所 平成18年(ラ)第27号 市町村長の処分に対する不服申立却下審判に対する抗告事件。
- ^ 「我が国の従来の考え方と異なり、問題が残っている」「(法解釈では)出産した女性を母親とする」「議論を深める必要がある問題だ」との理由から。
- ^ 許可抗告とは、判例違反及び法令解釈上、非常に重要な問題が含まれている場合に抗告の許可を求めて行われる。
- ^ 最高裁判所 平成18(許)第47号 市町村長の処分に対する不服申立て却下審判に対する抗告審の変更決定に対する許可抗告事件。
- ^ 当時は批判の声に落ち込むことも時々あり、渡米時には代理出産の病院があるネバダ州リノ近くのタホ湖で散歩したり夕焼けを見て心を癒やした[3]。
- ^ シンディが双子を妊娠中、向井は彼女に負担をかけることは分かってはいたが、さすがに気がとがめることもあった。しかしそのたびにシンディは、「亜紀にも子供を持つ喜びを味わってほしいから、私自身も出産がすごく楽しみなの」と励ましてくれたという[3]。
- ^ 怖いという理由以外に、本人曰く「取材した後、番組で面白おかしく編集されてしまうこともあるため、絶対にやらない」とのこと[1]。
出典
- ^ a b c d e f g h [1] 向井亜紀オフィシャルウェブサイトのプロフィール。
- ^ a b c 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、150頁。NDLJP:12276264/76。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai 週刊現代2022年12月10・17日号「私の地図」第539回・向井亜紀p78-80
- ^ “【30年の時を超えてミスDJ・千倉真理 読むっきゃない!!】メンバーに川島なお美、長野智子、向井亜紀…ミスDJは“女子大生ブーム”の走り(2/3ページ)”. zakzak(夕刊フジのネット記事) (2019年4月8日). 2022年12月13日閲覧。
- ^ [2] 「ダイヤモンド・キッズ・カレッジ」公式サイトより。
- ^ 「憧れのミスDJ座談会」での本人発言
- ^ “【向井亜紀 女子大生になっていた「58歳の私にも…」待望の報告に「泣いちゃだめだと思って、大谷の…」”. スポニチannex (2023年8月13日). 2023年8月13日閲覧。
- ^ “平成18年(ラ)第27号 市町村長の処分に対する不服申立却下審判に対する抗告 事件(原審・東京家庭裁判所平成17年(家)第844号)”. 裁判所 (2006年9月29日). 2009年12月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月25日閲覧。
- ^ “判決文”. 裁判所. 2011年11月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月25日閲覧。
- ^ “ラジオ「Changeの瞬間~がんサバイバーストーリー」好評放送中 【随時更新】”. 日本対がん協会. 2023年5月7日閲覧。
固有名詞の分類
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