在籍者 (学習者)
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学習者における在籍者(ざいせきしゃ)は、学校などに在籍している者のことである。
教育段階による呼び方の違い
歴史
日本で近代教育が行われるようになった当初は全てを「生徒」と称して区別がなかったが、諸外国で大学とそれ以下の学校で学ぶ者の名称が異なることから、1881年8月2日に東京大学の本科生を「学生」と呼ぶことが定められた[1]。
法令における呼称
学校教育法(昭和22年法律第26号)および学校教育法の下級命令(省令等)においては、次のとおり学校・課程ごとに呼称が異なっている。また、「中学生」「高校生」などのような通称・俗称が、所属する学校・課程に応じて存在する。
教育段階 | 学校・課程 | 在籍者の呼称[注 1] | 通称・俗称 | 一般的な年齢[注 2] | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
一条校 | 就学前教育 | 幼稚園(広義的には認定こども園を含む) | 幼児 | 幼稚園児(園児) | 3[2]~6歳 | ||||
特別支援学校 | 幼稚部 | ||||||||
初等教育 | 義務教育 | 小学校 | 児童[3] | 小学生 | 6~12歳 | ||||
義務教育学校 | 前期課程 | ||||||||
特別支援学校 | 小学部 | ||||||||
中等教育 | 前期中等教育 | 中学校 | 生徒[4] | 中学生 | 12~15歳 | ||||
義務教育学校 | 後期課程 | ||||||||
中等教育学校 | 前期課程 | ||||||||
特別支援学校 | 中学部 | ||||||||
後期中等教育 | 高等学校(高校) | 高校生 | 15~18歳 | ||||||
中等教育学校 | 後期課程 | ||||||||
特別支援学校 | 高等部[注 3] | ||||||||
高等教育 | 大学[注 4] | (下記以外) | 学部[注 5] | 大学生(学部生)[注 6] | 18~22歳 | ||||
大学院[注 7][注 8][注 9] | 大学院生(院生)[注 6] | 22~25/27/28歳 | |||||||
短期大学(短大)[注 10] | 短大生[注 6] | 18~20/21歳 | |||||||
高等専門学校(高専)[注 11] | 高専生 | 15~20歳 | |||||||
一条校以外 | 専修学校 | 高等課程(高等専修学校[6]) | 生徒[4] | 専門学校生(専門学生)など[注 12] | 15歳~ | ||||
専門課程(専門学校[7]) | 18歳~ | ||||||||
一般課程 | 学校により異なる | ||||||||
各種学校 | 学校により異なる |
法令上の「学生」について

上記のうち、高等教育を受けている「学生」とは、大学(短期大学および大学院を含む)および高等専門学校の「正規の課程」「別科[注 13]」「専攻科[注 13]」に在籍している者を指す用語である。この場合、学校教育法第105条に規定する「特別の課程」(履修証明制度[8])における学習者[注 14]、その他研究生・聴講生・科目等履修生などはこれに含まれない。
これらのほか、文部科学省所管外の施設においても、「防衛大学校」または「防衛医科大学校」にて幹部自衛官となるための教育訓練を受けている者を、法令により「学生」と呼んでいる[5][注 15]。
広義上の「学生」「生徒」について
高等教育を受けている者のほか、学校等の教育施設に在籍する者を総称して「学生」と呼ぶことがある。
この場合、学生の語に大学・高等専門学校の研究生・聴講生・科目等履修生を含め、さらに中等教育を受けている就学者(中学校・高等学校等に在籍している「生徒」)も広義の「学生」と呼ぶことがある(例:学生証、学生服(もともとは大学生を対象に発案されたためこのような通称となっているが、中等教育のものは正確には「生徒手帳」「標準服/制服」という)、学生割引など)。
また、初等教育を受けている「児童」や就学前教育を受けている「園児」も含めて「生徒」(「学童(がくどう)」とも)と呼ぶことがあれば、学生および生徒を総称して「学徒(がくと)」と呼ぶこともある(例:学徒出陣)。
また、学校ではなく児童福祉施設に当たる保育所(保育園)[9]に在籍している者に対しても「園児(保育園児)」「児童」などと呼ぶこともある。
報道等での呼称
日本の新聞やテレビの報道でも、初等教育就学者を「児童」、中等教育就学者を「生徒」、高等教育就学者などを「学生」[注 16]とし、それら以外については「予備校生」(専修学校・各種学校でないものも含めて)「専門学校生」「大学院生」などと区別している[10]。また、2023年現在、14歳以上18歳未満で逮捕された者は「生徒」または「少年・[注 17]少女」と呼ばれるが、18歳以上で逮捕された者は2022年の法改正により成人年齢が20歳から18歳に引き下げられたことで、学生であるかに拘らず「男・女」と報道されることが多い[注 18][11]。
学生証、学生・生徒への優遇
日本において学生や生徒は、学生証という身分証明書を持つ事によって自分自身の身分を証明することができる。なお、児童や幼児に対して身分証明書の交付が行われることは日本ではあまりない。
日本にも学生割引(学割)と呼ばれる文化があり、このサービスがある場合、学生や生徒は学生証等を提示することによって物品やサービス(公共交通機関や、入館料など)を通常より低い値段で受けることができる。この制度の目的としては、苦学生の支援、若いうちに文化に触れてほしいという意図、自由になる金銭の少ない学生については割引をする事でかえって売り上げを伸ばせる、など様々である。ソフトウェアにおいて学生割引・教職員割引などを行うパッケージは、アカデミックパッケージなどと呼ばれる。
日本の学生や生徒が日本国外で学生の身分を証明する方法としては、世界的に通用する国際学生証があり、日本国外では、これを提示して学生割引を受けることもできる。
また、20歳以上の日本居住者には基本的には国民年金や国民健康保険料の支払い義務があるが、学生や生徒は一定条件の下での支払いを国民年金については延期、国民健康保険料については減免できる制度がある。国民年金の支払い延期について、詳しくは学生納付特例制度を参照のこと。
脚注
注釈
- ^ ここでいう呼称とは、「学校教育法」においての呼称を指す。
- ^ 留年や飛び級、浪人(過年度生)などを除く。
- ^ 「特別の必要のある場合」(学校教育法第76条第2項また書き)は高等部のみを置くことができる。この特別支援学校については「高等特別支援学校」、または「特別支援学校○○高等学園」というふうに呼ばれている。
- ^ 大学のうち、学校教育法第83条の2に規定するものを「専門職大学」という。
- ^ 学校教育法第141条にて「学群」等を含む。
- ^ a b c 表のとおり「短期大学」も大学の一種であり、また「大学院」も学部とともに大学(大学院のみの大学である「大学院大学」を含む)に置かれるものであることから、この意味では短大生や大学院生についても「大学に在籍する学生」であるため「大学生」ということになるが、一般に「大学生」とは大学の学部に在籍する者、すなわち「学部生」においてこのように呼ばれている(「学歴#最終学歴」も参照)。
- ^ 大学院の下に「研究科」(学校教育法第141条にて「学府」「教育部」等を含む)を置く。「博士課程」「修士課程」などの全課程。
- ^ 大学院のうち、学校教育法第99条第2項に規定するものを「専門職大学院」(専門職学位課程)という。
- ^ 「教育研究上特別の必要がある場合」(学校教育法第103条)は大学院のみを置くことができる。この大学については「大学院大学」と呼ばれている。
- ^ 大学のうち、学校教育法第108条第1~3項に規定するものをいう。またこのうち、同条第4項に規定するものを「専門職短期大学」いう。
- ^ 高専5年間のうち1~3学年は高校3年間に相当するが、それでも後期中等教育ではなく高等教育として扱われる。
- ^ 大学受験予備校(専修学校一般課程または各種学校)に在籍する者については一般に「予備校生」と呼ばれている。
- ^ a b ただし、高等専門学校には別科を設置できない。また、大学院は短期大学を除く大学に学部等とともに置かれるものであり、大学院の別科・専攻科というものはない。
- ^ 同条では、「当該大学の学生以外の者」と規定されている。
- ^ ただし、正式な身分は国家公務員である。「大学校#入学対象者別の分類」を参照。
- ^ 高等専門学校就学者については「生徒」と「学生」を併用する場合もある。
- ^ 神戸児童連続殺傷事件の犯人は「少年A」と報道された。
- ^ 18歳かつ高校生は「生徒」と呼ばれることもある。
出典
- ^ 「学生称呼の起源」『東京帝国大学五十年史』東京帝国大学、1932年、483-484頁。NDLJP:1453584/295。
- ^ 幼稚園の保育年数は3年保育だけではなく、2年保育や1年保育のものもある。
- ^ 法令用語研究会(『有斐閣 法律用語辞典 第3版』、有斐閣、2006年、ISBN 4-641-00025-5)「児童」の項目
- ^ a b 法令用語研究会(『有斐閣 法律用語辞典 第3版』、有斐閣、2006年、ISBN 4-641-00025-5)「生徒」の項目
- ^ a b 法令用語研究会(『有斐閣 法律用語辞典 第3版』、有斐閣、2006年、ISBN 4-641-00025-5)「学生」の項目
- ^ 学校教育法第126条より。
- ^ 学校教育法第126条第2項より。
- ^ 大学等の履修証明制度について(文部科学省)
- ^ 児童福祉法第7条に規定。
- ^ 木村晋介・中野麻美・島村麻里『二十歳の法律ガイド 第4版』(有斐閣、2001年、ISBN 9784641027602)166頁。
- ^ “18歳男子高校生、強盗致傷疑いで逮捕 集合住宅の一室に侵入、住人男性にけが負わす 千葉中央署”. 2023年7月21日閲覧。[リンク切れ]
関連項目
塾生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 00:08 UTC 版)
以下のとおり。記載名,順は山梔窩塾勤王家一覧表による。 大鳥居理兵衛信臣(大鳥居啓太信臣),神官,従四位,後に文久2年(1862年)2月19日(20日の説も)筑前黒崎にて駕籠の中で自刃。 水田謙次,里正,従五位,久留米藩士池尻岳五郎,古松簡二とともに水戸天狗党の挙兵に加わり,元治元年(1864年)8月13日筑波山で戦死、筑波山では武田耕雲月,藤田小四郎と挙兵。 吉武助左衛門,里正,羽犬塚人馬問屋の山口嘉助の養子となり嘉兵衛となるが後に嘉助に男子が生まれたため山口家を譲り里正となる。助左衛門妻そでは淵上郁太郎と謙三の実姉。文久2年(1862年)2月4日,人馬問屋の助左衛門邸に薩摩藩大久保一蔵(大久保利通)が立寄り真木和泉守保臣,平野国臣,淵上郁太郎が倒幕協力について会談している。 古松簡二,医師, 医師清水潜龍の子,父が生まれた上妻郡福島町古松にちなみ古松を名乗る。文久3年(1863年)脱藩,筑波山義挙に関わり広島で3年入獄,久留米藩難に関わり東京で入獄,入獄先でコレラが発生し囚人の看病を努めるも自身も感染し明治15年(1882年)病死。48歳。 大鳥居固太郎,水田天満宮留守別当職大鳥居啓太信臣の長男で真木保臣の甥,足を患っていた啓太信臣の後継者であったが、後に安政2年(1855年)10月26日,水天宮訪問時に熱病となり11月3日死亡,20歳。。 淵上郁太郎,医師,弟は淵上謙三である,正五位,慶応3年(1867年)2月18日柳川領内にて暗殺。29歳。 角大鳥居照雄,神官,真木保臣脱藩前に淵上郁太郎と長州藩へ入る。三条実美の護衛となる。明治2年(1869年)水田天満宮祀官,明治4年(1871年)12月,大楽源太郎隠匿の罪で入獄,明治6年(1873年)8月12日病死,37歳。 下川根三郎,神官,淵上郁太郎妻政子の実弟,真木保臣脱藩入薩後入洛,三条実美の護衛,七卿落ちに伴う。慶応3年(1867年)11月投獄,明治2年(1869年)解囚後は藩の軍部局員,明治4年(1871年)東京の久留米藩邸で事務,明治9年(1876年)帰郷,明治25年(1892年)病死。 酒井伝次郎,藩士,従五位, 藩老有馬右近の家臣。寺田屋事件に関わり幽囚。解囚後の文久3年(1863年)天誅組で挙兵するも八月十八日の政変で敗れ京都で入獄。元治元年(1864年)2月16日処刑。26歳。 古賀簡二(1835-1882),藩士,正五位,真木保臣脱藩入薩後,文久2年(1862年)6月18日寺田屋騒動に加わる。保臣と共に捕えられ大阪久留米藩邸に幽閉,文久2年(1862年)病死。23歳。医家の二男に生まれ、勤王の志を抱き、水戸天狗党の筑波山挙兵に参加するなど活躍、維新後久留米に帰り、明善堂教官になったが、反政府運動家として捕まり、東京・石川島獄でコレラのため死去。 鶴田陶司,医師,従五位, 寺田屋事件に関わり久留米藩に幽囚,解囚後の文久3年(1863 年)に中山忠光卿を担ぎ,大和(奈良県)での大和義挙・天誅組の乱に挙兵するも敗れ幕府側に捕らわれ,文久4年(1864 年)2月16日処刑される。25歳。 淵上謙三,医師,兄は淵上郁太郎である,従五位,後に忠勇隊。慶応2年(1866年)11月10日大宰府小野加賀邸玄関先で自刃。25歳。 荘山舎人敏功,神官,真木保臣脱藩入薩後入洛,三条実美の護衛,七卿落ちに伴う。文久3年(1863年)10月投獄,慶応2年(1866年)10月の解囚後は藩の監察属,高良大社主典,水田天満宮社司,明治40年(1907年)7月死亡。 中垣健太郎,藩士,従五位, 後に寺田屋事件に関わり幽囚。解囚後の文久3年(1863年)天誅組で挙兵するも八月十八日の政変で敗れ京都で入獄。元治元年(1864年)2月16日処刑,24歳。 荒巻洋三郎,神官,従五位, (半三郎、羊三郎とも)寺田屋事件に関わり幽囚。解囚後の文久3年(1863年)天誅組で挙兵するも八月十八日の政変で敗れ京都で入獄。元治元年(1864年)2月16日処刑,26歳。 原道太,藩士,従四位,元治元年(1864年)7月19日,禁門の変で負傷後, 鷹司邸にて自刃。27歳。 真木菊四郎,神官,従四位,真木保臣の四男,忠勇隊。慶応元年(1865年)2月14日,父真木保臣の意思を継ぎ薩長同盟を目指すも馬関(下関市観音寺付近)にて反対派に暗殺される。23歳。 大鳥居次郎,神官,従六位,大鳥居理兵衛信臣の第2子,理兵衛信臣自刃の後の大鳥居家を守る,明治29年(1896年)3月6日病死。 横枕覚助(1844-1891),里正,正八位,庄屋横枕兎平の子,古松簡二の影響を受けて、藩内農民でつくる殉国隊長などを務め、久留米藩難事件に関わり東京,新潟で入獄,明治7年(1874年)出所後は官途に就く,山梨県北多摩郡長となり、任地先の山梨でコレラにより死亡。 大鳥居菅吉,神官,大鳥居理兵衛の第3子,理兵衛自刃後は七卿落ちに伴い長州に下り王政復古に尽くす。明治4年(1871年)12月,大楽源太郎隠匿の罪で投獄,後に病死,28歳。 宮崎土太郎,大鳥居八兵衛の弟勘兵衛の子,真木保臣の弟大鳥居啓太宜臣の養母お悳の遠戚で久留米南薫町宮崎の養子となる。後に真木保臣の回天運動に関わる。 真木直人外記,従五位,真木保臣の実弟。忠勇隊。兄真木保臣と天王山で戦ったが、天王山と決別し長州に下る。後に浜田県知事(島根県),明治34年(1901年)5月13日死亡。80歳。
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