都講
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 03:25 UTC 版)
都講は藩校崇徳館(文化5年創設。総建坪116坪半)および江戸藩邸上屋敷内の藩校就正館(文政13年(1830年頃)創建。上屋敷は度々移転しているためか詳細不明)の校長にあたる。崇徳館および就正館にそれぞれ2名ずつ設置。目付格。 崇徳館初代都講は伊藤東岸と秋山景山で文化12年に任命。藩校の役職には他に教授(4名、中間頭格)、助教(14名)などがあり、崇徳館および就正館に置かれた。ただし、崇徳館のみ都講と教授の間に督学(2名)が置かれた。北越戦争の際には崇徳館職員は概ね恭順派。
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