事故の真相
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 06:07 UTC 版)
「クバーナ航空455便爆破事件」の記事における「事故の真相」の解説
爆発が機体後部で発生したことから当初からテロによるものとみられていた。被疑者としてキューバのカストロ政権に反発する反カストロ主義者が考えられた。455便に偽名で搭乗してバルバドスで降りた2名のベネズエラ人をトリニダード当局が逮捕し、その自供から事件の首謀者としてルイス・ポサダ・カリレスら2名が逮捕された。 事件の裁判はベネズエラで行われたが、1980年9月に同国の軍事裁判所は「証拠不十分」を事由に無罪を宣告した。これは不可解なことにバルバドスの捜査当局が収集した証拠資料の提出が遅れた上に、翻訳(バルバドスの公用語は英語、ベネズエラの公用語はスペイン語)されなかったのが原因であるという。しかしルイス・ポサダ・カリレスが首謀者であったことが、2007年5月に機密指定が解除されたCIAおよびFBIの公文書において判明している。この中でポサダがCIAに長年協力しており、クバーナ航空455便を爆破した実行犯の一員であると断言されている。 ポサダはその後もキューバに対するテロ活動を行っていたとされ、キューバの観光産業への打撃を狙った1997年のハバナにおける連続爆弾テロの時も、ベネズエラに滞在していた。しかし2005年4月になってアメリカ・マイアミへ逃走し、政治亡命を申請した。その際に、彼の顧問弁護士がアメリカ合衆国連邦政府に保護される要件として、彼がアメリカのために対外破壊工作活動に協力してきた点を強調した。そのためか2007年5月8日、エルパソ連邦地裁は、尋問に不備があったとしてポサダに対する全ての訴状を却下し、彼を釈放した。そのためベネズエラ、キューバ両国の外相は、テロ活動に対する「アメリカの二重基準」を厳しく批判した。ポサダはその後も逮捕されることなく、2018年5月23日にマイアミで死去した。 1998年、カストロがバルバドスを訪れた際にバルバドスの西海岸で事件の慰霊碑の除幕式が行われた。
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