事故の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 18:39 UTC 版)
「ジェネラル・スローカム」の記事における「事故の状況」の解説
1904年6月15日水曜日、ジェネラル・スローカムは約1360人の乗客を乗せて出港した。航行中、船体中央部の物置部屋から出火した(原因は不明)。乗務員の消火活動はおざなりであったうえ、不注意にも窓と扉が開け放たれたため、火は風にあおられて燃え広がった。船はイースト川をさかのぼっていたので、その時点で川岸に接岸すれば人的被害は避けられたであろうし、付近を航行中の船も多く、また火災を知った消防隊も出動したにもかかわらず、ジェネラル・スローカムは無視して全速力で川を遡上した。沿岸には石油タンクがあり、まだ木造家屋も多かったニューヨーク市街に火が及ぶのを恐れた船長が、数キロメートル先の島に船を擱座(かくざ、座礁)させようと考えたためとされるが、これは完全な判断誤りであった。船が長時間前進したため火災は艫(とも、船尾部)に広がり、炎と煙に追われた多くの乗船客が川に飛び込んで溺死した。ようやく島に着いた際にも、砂浜に乗り上げずに誤って岩礁にぶつかり、多くの生存者は火と水に挟み撃ちされる結果となった。船の外輪は回転を続けたので、水に落ちた人々を巻き込んで負傷させた。何隻かの船が現場に急行してわずかな生存者を救助したが、死者は1031人にも及びアメリカ同時多発テロ事件発生以前では最悪の犠牲者数だった。 船長はこの件で懲役10年の実刑判決を受けたが、他の乗務員や船会社は何の処罰も受けなかった。
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事故の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/12 15:38 UTC 版)
1940年8月29日、南鳥島南方沖で実施の連合艦隊応用訓練に参加中、水上機母艦瑞穂の搭載機の制圧を受け、急速潜航を実施した際に原因不明で沈没した。第30潜水隊司令奥島章三郎中佐、艦長の大畑正中佐以下88名の乗員と演習審判官1名全員が殉職した。原因は瑞穂の搭載機の状況報告から、後部昇降口の閉鎖がなされず、潜航直後から浸水が起こり後部から急速に沈下したと推定された。
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事故の状況
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「伊号第百七十九潜水艦」の記事における「事故の状況」の解説
1943年7月14日夜、国東半島沖で急速浮上を実施後に物資を揚陸する訓練を行っていた。浮上後、最前部の1番ベント弁が開き、1番メインタンクの空気が放出され、各メインタンクに注水されたため、艦体が急速に沈下すると共にハッチから浸水が起こり沈没した。
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