アンギャン公
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:28 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動アンギャン公(フランス語: duc d'Enghien)は、フランス貴族の爵位。
アンギャンとは、エノー地方(現ベルギー)にある地名(fr)である。ブルボン=ヴァンドーム伯フランソワの元へ輿入れしたマリー・ド・リュクサンブール=サン=ポルが持参金としてもたらしたもので、当初は伯爵領であった。
第1期(1566年 - 1569年)
1566年、上記のマリー・ド・リュクサンブールの孫にあたるコンデ公ルイ1世のアンギャン伯爵位が公爵に昇格した。登記が完了していなかったため、1569年、彼の死とともに失効した。
第2期(1689年 - 1830年)
ルイの孫であるコンデ公アンリ2世が1633年にモンモランシー公を相続し、孫のアンリ3世が1689年にモンモランシー公をアンギャン公と改名した(モンモランシー公爵領近くにあるアンギャン=レ=バンにちなんだ)。以降アンギャン公は、コンデ公の長男が儀礼称号として用いた。
- 1689年 - 1709年:アンリ1世(1643年 - 1709年)
- 1709年 - 1710年:ルイ1世(1668年 - 1710年)
- 1710年 - 1740年:ルイ2世アンリ(1692年 - 1740年)
- 1740年 - 1818年:ルイ3世ジョゼフ(1736年 - 1818年)
- 1818年 - 1830年:ルイ4世アンリ(1756年 - 1830年)
ルイ4世アンリの子ルイ・アントワーヌ(1772年 - 1804年)がこの称号で呼ばれる。ルイ・アントワーヌは、ナポレオンの命令により冤罪によってヴァンセンヌ城で処刑され、これによりナポレオンとブルボン家の関係は修復不可能となった。
ルイ4世アンリが1830年に死去すると、公位はルイ1世の玄孫にあたるルイ・フィリップ王に渡った。この継承は女系によった。ルイ・フィリップはアンギャン公継承の1ヶ月前にフランス王になっていた。
アンギャン公
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「ナポレオン -獅子の時代-」の記事における「アンギャン公」の解説
フランス革命時の亡命貴族。人望に篤く身分を問わず人気があり、ブルボン家の中で最も王にふさわしいとされていた。カドゥーダルの第一執政暗殺計画の際に、中立のバーデン公国から拉致され王党派幹部として逮捕、処刑される。しかしこれは冤罪で、無実であった王族の処刑は全欧州へ衝撃を与えた。
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