チェレプニン
1.生涯
作曲家でピアニスト、指揮者としても活動したニコライの息子として生まれた。父親の職業柄、幼少の頃から自宅を訪れる著名な音楽家や芸術家と交流し、大いに刺激を受けた。第1次世界大戦の勃発する前には、父親のヨーロッパ旅行に同行。1918年、ロシア革命の難を逃れて故郷サンクトペテルブルクを離れ、トビリシに移った。当地で音楽院に通っている。1921年、政局のさらなる悪化を受け、一家でパリに移り住んだ。この地で、ヴィダルやフィリップ、マルチヌー、ミハロヴィチ、コンラート・ベックらの作曲と関わった。パリを起点とし、ロンドンにおける西ヨーロッパ・デビューを果たすなど、作曲家としてもピアノストとしても国際的な活動を開始した。アメリカ合衆国や極東も旅行している。なかでも、中国や日本の音楽思想にふれたことは、作風を変えるほど影響を及ぼした。東洋の国で音楽の指導にあたり、後進を積極的に支援するために、東京に出版社を設立している。
チェレプニン
チェレプニン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/06/24 16:20 UTC 版)
チェレプニン(ロシア語: Черепнин, ラテン文字転写: Tcherepnin)は、ロシア語の姓。
- ニコライ・チェレプニン(1873年 - 1945年) - ロシアの作曲家。
- アレクサンドル・チェレプニン(1899年 - 1977年) - 作曲家。ニコライの子。
- セルゲイ・チェレプニン(1941年 - ) - 作曲家。アレクサンドルの子。
- イワン・チェレプニン(1943年 - 1998年) - 作曲家。アレクサンドルの子。セルゲイの弟
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