ヨーロッパデビュー
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1965年、ズビグニェフ・ジェヴィエツキに師事したのち、第7回ショパン国際ピアノコンクールで、第4位入賞と最年少者賞を併せて受賞した。この時の1位はマルタ・アルゲリッチである。同コンクール「第7回1965年の入賞者一覧」 参照のこと。これは、1955年の第5回ショパン国際ピアノコンクールで、田中希代子が第10位で日本人として初入賞して以来、10年ぶり二人目の入賞であった。中村は、受賞以降、今日に至るまで公式ウェブページをはじめ様々な形で、プロフィールに『ショパン・コンクールで日本人初の入賞 』と自己紹介・自己PRをしているが、これは正確ではない。同コンクール「第5回1955年の入賞者一覧」 参照のこと。1974年9月に芥川賞作家庄司薫と結婚した。演奏旅行で家を空けることの多い中村の愛猫を庄司が預かるなどするうちに交際、結婚に至った。(「アルゼンチンまでもぐりたい/中村紘子著/文春文庫」には、庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて」の中に中村紘子の名前があると聞き本を読んだとき、「カバーについていた小さな写真を眺めながら、あ、私この人と結婚するな、って確信しちゃった」とあり、その後、自分からモーションをかけたことを書いている。)
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