オウム真理教
1995年の「地下鉄サリン事件」など、複数の無差別テロ事件・殺人事件を起こしたことなどで知られるカルト宗教団体。麻原彰晃(本名・松本智津夫)を教祖および最高指導者として崇めた。
オウム真理教は1987年に「オウム真理教」の名称で活動を始めたとされる。1989年には坂本堤弁護士一家殺害事件を実行、1994年に松本市で神経毒ガスのサリンを散布する無差別テロ事件「松本サリン事件」を実行した。松本サリン事件では被害者8名が死亡している。翌1995年3月に、東京都内の複数の地下鉄構内でサリンを散布する同時多発テロ「地下鉄サリン事件」を実施。13名の死者、6000名を超える負傷者を出す大惨事となった。
オウム心理教の代表・麻原彰晃は地下鉄サリン事件の首謀者として1995年5月に逮捕され、実行犯およびサリン製造者の大半も1996年までに逮捕された。判決が出ている者にはほぼ死刑か無期懲役刑が下されている。
事件後逃走を続けた平田信、菊地直子、高橋克也らは、警察庁による特別手配に指定されたが、10年あまり消息がつかめなかった。2011年12月31日に平田信が警察署に出頭し、17年目にして逮捕された。2012年6月3日には菊地直子が逮捕され、続けて高橋克也も2012年6月15日に逮捕された。これによりオウム真理教の事件絡みの逃亡犯は全て逮捕されたことになる。
2012年6月18日現在、高橋克也は逃走中にも教祖であった麻原彰晃の写真や著書を所持していたこと、拘束中にも蓮華座や立位礼拝といった修行行為を行うなど、現在もオウム真理教に帰依している様子が見られることが報道されている。
事件後、オウム真理教の残った信者は教団「Aleph」を結成し活動を続けている。また、幹部の一人であった上祐史浩は宗教団体「ひかりの輪」を結成している。
オウムしんり‐きょう〔‐ケウ〕【オウム真理教】
読み方:おうむしんりきょう
麻原彰晃(本名、松本智津夫)を教祖とする新興宗教の一派。カルト集団の一つ。
[補説] 仏教系であるが主神はヒンズー教のシバ神。教義の中心は「無常」と「煩悩破壊」にある。ヨーガ修行団体「オウム神仙の会」を基に、昭和62年(1987)「オウム真理教」を設立。平成元年(1989)東京都から宗教法人の認定を受ける。同年、坂本弁護士一家殺害事件を起こす(のちに発覚)。平成2年(1990)、衆議院議員総選挙に多数立候補するも全員落選。平成6年(1994)に松本サリン事件、平成7年(1995)に地下鉄サリン事件などを起こし、教祖をはじめ多数の幹部が逮捕された。同年、東京地裁より解散命令を受け、宗教法人格を失った後も公然と活動を継続。こうした団体の活動を監視し、無差別大量殺人行為の再発を防止するために団体規制法が制定された。平成12年(2000)、名称を「アレフ」に変更(その後アーレフ、Aleph(アレフ)と改称)。平成19年(2007)、一部の信者が元教祖からの脱却を標榜して新団体「ひかりの輪」を設立したが、両団体とも団体規制法による観察処分を受け、公安調査庁の監視下にある。
【オウム真理教】(おうむしんりきょう)
1980年代より日本に存在したカルト宗教団体。
松本サリン事件や地下鉄サリン事件などのテロ行為のほか、数々の反社会的活動を行っている団体である。
1996年に宗教法人としての法人格を失ったものの活動を継続。
2000年に破産に伴い団体名を「アレフ」に改称。
さらに分裂と改称を経て、現在は「Aleph」と称する団体、「ひかりの輪」と称する団体に分裂。
それらの団体が教義や信者の一部を引き継いでおり、現在も公安当局の監視下に置かれている。
オウム真理教の始まり
1984年、松本智津夫(自称、麻原彰晃)が発足させたヨガサークル「オウム神仙の会」を母体とする。
1987年、「オウム真理教」と改称。
1989年、東京都知事から宗教法人の資格を取得。
1989年以降に積極的な布教活動を展開し、最盛期には約1万人の信者を擁した。
山梨県上九一色村の「サティアン」と称する大規模施設を中核に、全国各地に20数箇所の支部を設置している。
アメリカ、ドイツ、ロシア、スリランカに教団支部、オーストラリアと台湾に関連企業を有していた。
教団の理念・教義は既成宗教を換骨奪胎した、いわゆる「ニューエイジ系」。
瞑想や苦行によって煩悩を捨てて悟りを開き、神秘体験を経て解脱に至る事を旨とする。
強いて分類すればチベット仏教などに代表されるヴァジュラヤーナ仏教に近い。
松本智津夫自身、チベットのヒマラヤ山脈で最終解脱を果たしたと詐称している。
テロ組織への変貌
組織の拡大に伴い、オウム真理教は発展目標として「日本ジャンバラ化計画」なるものを標榜。
その手段として麻原彰晃が独裁者として統治する祭政一致の専制国家体制樹立が必要だと主張。
この目的のために政治団体「真理党」を結成し、1990年2月の衆議院議員選挙に麻原代表以下25人が出馬した。
結果、当然ながらというべきか、幸いにもというべきか、立候補者の全てが落選に終わった。
また、1990年5月に熊本県波野村に進出した際、地元住民による反対運動を受ける。
同年10月、国土利用計画法違反などの容疑で強制捜査を受け、8人が逮捕、32箇所が差し押さえを受けた。
教団上層部はこうした経緯を「国家権力による弾圧」であると被害妄想的に断定。
教団の存続と拡大のために国家を「打倒」する必要がある、と内部で主張し始めた。
そのために自動小銃や化学兵器の開発計画など、テロ実行準備を刻一刻と進めていった。
また、1994年6月ごろには教団代表の麻原彰晃が「神聖法皇」「最終解脱者」を自称。
自らを「尊師」「グル」と呼ばせ、信者に絶対服従を求めた。
ついには独裁を前提とする23の省庁を内部に設置し、一種の擬似国家の体裁を執り始めた。
これに伴って教団で唱える教義も暴力的に変質。
「ポア」と称して教団の指示による暗殺を正当化し、ここに至って教団は完全にテロ組織と化した。
テロ事件
1989年11月、教団は「坂本堤弁護士一家殺害事件」を実行。
坂本弁護士は、出家信者の母親から脱会についての相談を受けた。
これについてオウム真理教幹部と交渉が持たれたが決裂、坂本弁護士は民事訴訟の準備に入った。
教団はこれを教団の発展に対する障害として認識し、信徒に弁護士の暗殺を命じた。
結果、信徒の犯人グループが坂本弁護士宅に押し入って坂本夫妻と長男を殺害。
遺体は新潟、富山、長野の山中に遺棄された。
教団が名義を偽って土地を取得し、地主がこれを詐偽にあたるなどとして訴訟を起こした。
この訴訟は教団敗訴の可能性が高く、また訴訟に連動して地元住民による進出反対運動等を起こす。
これに対して教団は裁判官と付近住民の抹殺を命じ、研究段階にあったサリンが散布された。
これにより住民7名が死亡、144名が負傷した。
さらに、1995年2月に「目黒公証人役場事務長拉致監禁事件」を引き起こした。
1993年、教団は女性信者に対して約3億円相当(時価)の土地・建物を布施として譲渡するよう要求。
女性信者はこれを拒否、身の危険を感じて逃亡し、その実兄である事件被害者に匿われた。
教団はこの件に対する尋問目的で被害者をワゴン車で拉致、教団の「サティアン」に監禁した。
教団は当初女性信者の行方を聞き出した後、麻酔薬で記憶を消す予定であったが、失敗。
記憶消去が不可能である事にこの時点で初めて気付き、証拠隠滅のために殺害が決断される。
被害者は麻酔薬で殺害された後、「教団独自の技術による焼却炉」で焼却され、湖に投棄された。
こうした事件を繰り返す中、1995年には教団が一連の事件における最有力容疑者として浮上。
連日に渡る事件報道の中、教団上層部は警察による大規模な強制捜査に対する危機感を募らせた。
これに対する捜査撹乱を目的として「地下鉄サリン事件」を実行した。
強制捜査と裁判
地下鉄サリン事件から2日後、警察庁はオウム真理教に対する強制捜査を決断。
約2500名の警察官が投入される厳戒態勢で、教団施設に対する一斉捜索が行われた。
自衛隊から防毒マスクが貸与されるなど、非常な厳戒態勢の下での捜査であった。
結果、松本智津夫を筆頭に489人の教団幹部が逮捕され、うち189人が起訴された。
裁判では被疑者中13人に死刑判決、5人に無期懲役判決が出された。
オウムしんりきょう 【オウム真理教】
オウム真理教
オウム真理教(現・Aleph)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 01:21 UTC 版)
「江川紹子」の記事における「オウム真理教(現・Aleph)」の解説
2006年(平成18年)9月15日に地下鉄サリン事件被告・麻原彰晃の死刑判決が確定したことに関連し、読売テレビ『ウェークアップ!ぷらす』(2006年9月16日放送)およびフジテレビ『ワッツ!?ニッポン』(同日)において、被告側の弁護団が控訴趣意書を期限内に提出しなかったことが控訴審が一度も開かれないままの異例の死刑確定へと繋がった点に触れ、「弁護団が控訴趣意書の提出を拒否したのは出来る限り裁判を長期化させようとしたためであるのは明白で、自らの主義に固執したために結果的にそれが被告(麻原)の裁判を受ける権利を奪うことになったのではないか(要旨)」と弁護団の法廷戦略を厳しく断じた。また、自身のサイトにおいて、被告人の利益を損なった弁護団に対して即座に懲戒処分を下さなかった弁護士会について「被疑者・被告人の利益を守らない弁護士を放置していながら、外に向かって被告・弁護人の権利を主張しても、あまり説得力がないのではないか」と述べている。なお、2008年6月11日に「オウム被害者救済法」が成立し、同法により、被害者に対して国が見舞金を給付し、教団に対して国が損害賠償請求権を得ることになる。
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オウム真理教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 02:45 UTC 版)
リフトンは、オウム真理教もまた集団自殺的であったが、オウムと人民寺院には恐ろしいほどの共通性があると指摘する。
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オウム真理教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/08 06:29 UTC 版)
「オウム真理教の国家転覆計画」も参照 オウム真理教の麻原彰晃は一代で全国統一を成した明の太祖朱元璋の生まれ変わりを自称しており、1994年2月22日より麻原ら一行が中華人民共和国の孝陵(朱元璋の陵墓)などの縁の地を巡った際には、同行した村井秀夫、新実智光、井上嘉浩、早川紀代秀、遠藤誠一、中川智正に対し旅の途中、麻原は「1997年、私は日本の王になる。2003年までに世界の大部分はオウム真理教の勢力になる。真理に仇なす者はできるだけ早くポアしなければならない」と説法し、日本国を武力で打倒して「オウム国家」を建設し、更には世界征服をも念頭に置いている旨を明らかにした。
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オウム真理教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 07:57 UTC 版)
一連のオウム真理教事件によりオウム真理教は宗教法人の認証認可取り消し処分を受けた。警察の捜査と幹部信者の大量逮捕により脱退者が相次ぎ(地下鉄サリン事件の発生から2年半で信徒数は5分の1以下になった)、オウムは組織として大きな打撃を受け破産したが、現在[いつ?]はAleph(アレフ)に改組し活動を続けている。Aleph2代目代表で、現ひかりの輪代表の上祐史浩は、地下鉄サリン事件が起きた際、オウム真理教の事件の関与を否定し続けたスポークスマンであった。日本の公安審査委員会は破壊活動防止法(破防法)に基づく解散措置の適用を見送ったが、オウム新法(団体規制法)が制定され、アメリカ国務省は現在もAlephをテロリストグループに指定している。 地方自治体や賃貸住宅が信者の居住を拒否したり、商店主が信者への商品の販売を拒否する事例も相次いだ。また、信者への住居の賃貸、土地の販売の拒絶も相次ぎ、一部の自治体では信者の退去に公金を使うこととなった。
※この「オウム真理教」の解説は、「地下鉄サリン事件」の解説の一部です。
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オウム真理教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 09:49 UTC 版)
オウム真理教の開祖である麻原彰晃は、オウム真理教を設立する2年前の雑誌『ムー』1985年11月号に、「幻の超古代金属ヒヒイロカネは実在した!?」という記事を投稿し、酒井勝軍と面識があった老人からヒヒイロカネを譲り受けたと宣伝していた。 オウム真理教では、酒井がヒヒイロカネであるとした餅鉄を大量に用意しており、これを邪気を吸収するエネルギーを持つ霊石「ヒヒイロカネ」と称してイニシエーションに用いていた。
※この「オウム真理教」の解説は、「ヒヒイロカネ」の解説の一部です。
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