オウム真理教との関わりとは? わかりやすく解説

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オウム真理教との関わり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 00:03 UTC 版)

中沢新一」の記事における「オウム真理教との関わり」の解説

袴谷憲昭は、中沢新一の『虹の階梯 - チベット密教瞑想修行』(1981年平河出版社)が、オウム真理教聖典とも目されていたと述べている。オウム後継団体Aleph元代野田成人は、「教団の中では教祖である麻原彰晃書籍以外読んではいけないことになっていたが、『虹の階梯』はタネ本として半ば公になっており、教団内にふつうに存在し皆が参照していた」と述べている。中沢自身も、『虹の階梯』が麻原彰晃座右の書であることに言及している。宗教学者大田俊寛は、ポアという言葉オウム真理教教えたのは、『虹の階梯』であると指摘している。 『週刊ポスト1989年12月8日号の中沢自身インタビューオウム真理教のどこが悪いのか」では「僕が実際に麻原さんに会った印象でも、彼はウソついているじゃない思ったむしろいまの日本宗教やっている人の中で、稀にみる素直な人なんじゃないかな。子供みたいというか恐ろしいほど捨て身楽天家印象ですね」と麻原持ち上げ自身談話掲載された。 中沢宗教学立場から新宗教についても論じ1980年代の末に、自身チベット仏教研究からも影響をうけているオウム真理教関心示し発言をしていた。1995年平成7年地下鉄サリン事件など一連の事件オウム真理教による組織的犯行であることが発覚すると、中沢批判対象とされた。元オウム真理教幹部・現ひかりの輪の上史浩によると、1988年麻原は、自分前生グルであると考えていた、当時チベット仏教カギュ派総帥カル・リンポチェ面会した。彼は麻原高く評価し偉大な仏教の師」とし、「あなた方グル奉仕し、そして彼がするようにといったことは何でもするようにしなさい」と説法したという。上祐は、この麻原への称賛影響受けた中沢週刊誌取材に対してカル・リンポチェ師は、神秘的な人であり、簡単にだませる人ではないとしてオウム肯定する根拠一つとした」と述べている。 事件後の1997年には、中沢朝日新聞において、麻原とは2回対談したが「彼は一種天才的な直観力持っており、密教実践については並み学者より深く正確だった」と評した1995年8月には、青土社雑誌imago」の特集号として「オウム真理教深層」を責任編集し自身は、河合隼雄元信者である高橋英利との鼎談同じくオウム事件に関して批判集めていた博物学者荒俣宏人類学者信者だった坂元新之輔の両者との対談、クンダリニー・ヨーガを軸に宗教としてのオウムとらえた論考「『尊師』のニヒリズム」を寄稿している。1995年4月25日号の雑誌週刊プレイボーイではインタビュー宗教学者中沢新一の死」が掲載されオウム事件への間接的責任について問われると「こんなことにならないよう僕なりにがんばって来たつもりでしたが、努力が足らなかった。だから、<宗教学者中沢新一>なんてもう終わりにします。そんな奴は死んだのです」と答えている。 以上のように、事件直後には教団に関して多く発言残したが、その後積極的な発言はおこなっていない。その理由について本人は「マスコミ表面出ている議論は、あの教団もっているものに触れていない」「あの教団については、未だにわからない部分がある」と語っている。宮崎哲弥は、賛否はともかくオウム真理教擁護したことで批判を受けながらも筋を通した吉本隆明山崎哲比して中沢態度逃げであると評している。事件後、かつて共にニューアカデミズムブームの中心にいた浅田彰は、中沢対談しバカが本を誤読して暴走したからといって本の著者責任はない」と中沢擁護した事件後、中沢は、自分と同じく強い批判曝されショスタコーヴィチマルティン・ハイデッガー伝記熟読し深くつきながらも作品中にその傷をあらわさない彼らの姿勢学んだ、と述べている。 福岡講演会坂本弁護士一家失踪事件関し創価学会はじめとする宗教団体への調査結果、どの宗教オウム仕業じゃないといった。別の組織によって八丈島連れて行かれ埋められた」と聴衆向かって発言講演後新聞記者そのことについて聞かれて「嘘に決まってじゃない」と一言。「自分立場有利に進めていくためには、どんなことでも言ってしまうわけよ。あの人学会植木等だよ、あのくらい調子よけりゃ、許せ部分もあるけどね」と小林よしのり評される別冊宝島229でのテリー伊藤との対談お笑いオウム真理教」にて)。中沢発言については、ノンフィクション作家岩上安身も、中沢直接話したことと正反対のことをメディアで発言しており、言うことがころころ変わる評している。 大田俊寛は、中沢は自らが関わったオウム事件について総括していないと述べている。また中沢は、チベット学者や仏教学者から批判にも応じていない。宮崎哲弥は、オウム真理教教義佐保田鶴治ヨーガ哲学中沢の『虹の階梯』に拠るところが大きく、ともに新宗教阿含宗系の出版社版元であることに留意促し中沢は、オウム思想母体造った責任含めてゾクチェンの毒、如来蔵思想危険性を自ら認めるべき」であると述べ、こういった総括行わない中沢言説日本知的良識代表する朝日岩波といった出版社引き受けている現状疑問呈している。 大田俊寛は、中沢学問的フレームワーク十分に時間をかけて習得した形跡がなく、ニューアカ・ブームの波に乗って著名な知識人となり、非常に無自覚な仕方オウム運動後押しており、オウム事件総括しないのではなくできないではないか述べている。そして事件当時中沢は「方向性見失ったオウム信者たちを今後自分引き受け、彼らに生き方指針を示す」といったことを発言したが、研究者という立場ありながら軽々しく事態介入しグル代わりに生き方を示すようなメッセージ軽薄に発してしまったことには大きな問題があったと厳しく批判し、「宗教学者として近代における宗教在り方問題どのように捉えるかという、学問的フレームワーク持っているきだった」と評している。 仏教学者福田孝雄は、1992年朝日新聞中沢記事について、麻原との2度対談評価下しているが、2回程度対談で「そのすべての能力宗教的境地深浅程度が、はたして分かるものだろうか」、そもそもそういった判断ができるほど密教学者修行者人間的交流があったのかと疑問呈し宗教学客観的実証的立場忘れ主観的価値判断に基づく評価普遍化しようという目的による発言としか思えない批判している。また同記事で、中沢麻原について「結局、彼は宗教利用した革命家だったのではないか」と述べているが、そうであるなら最初から革命家であって真正宗教者ではないと指摘している。 批評家芸術ジャンル表現論研究者佐々木敦は、オウム真理教暴発中沢思想本質的に関与したとは思わない述べ中沢自己批判する必要もその責任もないとしている。ただし、中沢が「責任がない」 ことを説明する責任」 を果たしたというと微妙な気がする述べている。 かつて文藝春秋社社長務めていた松井清人自身記事で「一連の事件麻原逮捕されたあと、島田裕巳氏のように過ち認め自分なりに総括行った学者もいる。だが中沢氏には、反省のかけらもないようだ」と中沢非難している。

※この「オウム真理教との関わり」の解説は、「中沢新一」の解説の一部です。
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