オウム真理教と密教経典との関係
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「金剛乗」の記事における「オウム真理教と密教経典との関係」の解説
元四天王寺国際仏教大学教授で国選弁護人として林泰男の弁護をした中島尚志は、密教の経典『秘密集会タントラ』第五分において、殺人などの大罪を犯す者、嘘つき、他人の財物を欲しがる者、常にセックスを求めて性行を悦楽する者は、梵行を行っている行者に等しく、麻原の教義とインド後期密教の経典との間に表現上の根本的な矛盾はないと指摘している。続けて『秘密集会タントラ』第五分では母、妹、娘にセックスを求める者は最上の悟りの境地に達するであろうと書かれており、この他にも『最勝楽出現タントラ』『ヘーヴァジュラ・タントラ』でも性行について書かれ、また『摂大乗論』にも殺害の許可が書かれている。 また、密教・金剛乗の経典には以下のように貧欲行(ragacarya)が記されている。 この如来の三昧耶悉地秘密タントラとは次の如くである。「汝は三昧耶なり」 と告げて、すべての女性を愛欲すべ し。「有情利益を厭うことなかれ」と言って、修法者は仏を愛欲すべし。と世尊大毘盧遮那が語られた。 — 真実摂経、教理分 厳しい苦行や制戒(niyama)に頼っていては、成就を得ることができない。その逆に一切の欲の享受に身を委ねるならば、速やかに成就を得ることができる。貧欲に耽りながら〔五〕智を望む者は、常に五妙楽(Pancakamaguna) に身を委ねるべし。堅個な心をもつ、〔大印と作す〕12歳の乙女を手に入れてそれぞれの部族別の喩伽によって自らの精液でもって供養すべし。 — 秘密集会タントラ第七品 提婆(アーリヤデーヴァ)は、色などの諸対象は煩悩を生じる因であるから諸罪過の因と説かれているのに 矛盾ではないかとの質問に答えて、『吉祥最勝本初』大喩伽タントラでも貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の三毒は不適切に用いられると毒になるが、甘露としても役立つと説かれ、宝積経でも、「般若と方便を等しく具えた菩薩にとっては、諸煩悩もまた饒益となる」「般若と方便を等しく具足した菩薩は煩悩によって堕落させられない」と答えた。 上祐史浩は、五仏の法則や秘密集会タントラのような経典に書かれている悪行(上記、貪欲行)の説教についてのダライ・ラマ14世の説教を紹介する。 ある経典には、自分の親を殺さなくてはならないと書かれています。このような経典の言葉を、文字通り、額面通りに理解するわけにはいきません。さらなる解釈が必要です。この場合、親とは、汚された(有漏の)行いと執着のことです。それらの結果として、輪廻の中に再生する、それ故、そのような汚された行為と執着を断て、という意味なのです。同じような表現は、「秘密集会タントラ」のような密教経典の中にも見いだせます。そこでブッダは、「仏を殺せ、仏を殺せば、最高の悟りに到達できるだろう」と言っています。もちろん、このような教えを文字通りに受け取るわけにはいきません — ダライ・ラマ14世『宇宙のダルマ』1996,角川書店 また、時輪タントラ(カーラチャクラ・タントラ)には五仏の法則、および、シャンバラ王ルドラチャクリンが最終戦争で悪の王を破壊する予言が書かれていたが、麻原はこれをヨハネ黙示録のハルマゲドン(世界最終戦争)と同様にヴァジラヤーナ路線として使用した。しかし、この経典はイスラム教がインドに進出し、仏教が衰退した時代に成立したもので、武力で仏教が滅ぼされる際の正当防衛という解釈が成り立つ。これに対してオウム真理教の場合は、自分たちを滅ぼす軍事的な勢力がいなかったにも関わらず弾圧されていると陰謀論を主張したが、これは事実に反すると上祐は考察している。
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