オウム真理教に入信
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「高橋克也 (オウム真理教)」の記事における「オウム真理教に入信」の解説
そんな時に麻原彰晃の著作『超能力「秘密の開発法」』を読み、興味を持ち春頃には世田谷の公民館で行われたセミナーに参加。1987年5月にオウム神仙の会に入信し、7月に全財産である自動車と現金300万円をオウム真理教に布施して出家。麻原のシャクティ・パットを受けてクンダリニーの覚醒を体験。「バクティ」と呼ばれる奉仕活動に励み、セミナーの準備や新しい信徒への対応、九州支部の設立準備などの「ワーク」を精力的にこなし、教団幹部の自動車を運転したり、自動車の整備をする「車両班」に配属され、若くして教団幹部となった井上嘉浩の運転手となる。柔道の有段者であることを買われ、麻原の身辺警護を担当する「SPS(尊師パーソナルスタッフ、後の自治省)」にも所属したが、諜報省に移籍し井上嘉浩の補佐役となった。 公証人役場事務長逮捕監禁致死事件では拉致と遺体焼却の実行犯、地下鉄サリン事件では帝都高速度交通営団(現東京地下鉄)日比谷線でサリンを散布した豊田亨の送迎役を務めたとして警察から特別指名手配された。上記の指名手配容疑以外にも会社員VX殺害事件における運転役、被害者の会会長VX襲撃事件における実行役の補佐役、東京都庁小包爆弾事件における爆弾の起爆装置製造の容疑で起訴された。 1996年(平成8年)11月に埼玉県所沢市のマンションに菊地直子、北村浩一らと5人で潜伏していたことが判明している。
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