講演後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 10:00 UTC 版)
質疑応答の時間では、シャプレーの師であるヘンリー・ノリス・ラッセルが発言し、シャプレーの説を強く支持した。またこれに対して島宇宙説の擁護者も応酬した。 シャプレーは後に、この討論について、「私は割当てられた主題という観点からすれば論争に勝ったと思う」と述べている。また、「カーチスはなかなかのものだったと思う。理論は間違っていたが、論述がすばらしかった」とも述べた。一方カーチスは、「ワシントンでのディベートは成功した。私はしかるべき評価を受けたはずだ」と家族に報告している。しかしながら討論の2か月後には、シャプレーに向かって、「私の講義は専門的すぎたように思います」と語っている。 ラッセルはこの討論会について、ヘールに宛てた手紙で、「私の教え子は話術をもっと上達させなければならない」と書いている。また、ハーバード大学天文台長の選考にかかわっていたジョージ・アガシーは、シャプレーの講演を評価せず、ハーバード大学長のアボット・ローレンス・ローウェル(英語版)に、「成熟感や力強さに欠け、その地位にふさわしい人物という印象を受けませんでした」と報告した。 討論の1年後、2人の主張は『アメリカ研究評議会報』に掲載されることになった。当初は討論会での講演内容を2人に10ページずつ書いてもらう予定だったが、カーチスは、10ページに収めるには電報のような書き方をしなければならないとして、もう10ページの増量を求めた。シャプレーは、反論の機会を得るため、事前に2人の論文を交換し合うべきではないかと提案した。シャプレーはこの案を、「私が前に進んで銃弾を一気に浴びせると、あなたは棍棒(あるいはハンマー)をふるう。そうしたら私はあなたの後ろにこっそり回り、角製の柄のナイフでグサッとやる」と表現している。カーチスもこれに同意し、論文の内容については事前に2人の間で意見が交わされ、最終的にそれぞれ24ページの論文となって雑誌に掲載された。
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