おんたけ‐きょう〔‐ケウ〕【御嶽教】
読み方:おんたけきょう
教派神道の一。自然宗教的な山岳信仰から出発、下山応助により組織化され、明治15年(1882)神道大成派から独立。神仏習合的で、木曽の御嶽山を崇拝し、御嶽大神(国常立尊(くにのとこたちのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなびこなのみこと))を祭る。「みたけきょう」と称した時期もある。
みたけ‐きょう〔‐ケウ〕【▽御×嶽教】
読み方:みたけきょう
みたけきょう 【御嶽教】
おんたけきょう 【御岳教】
御嶽教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/15 05:36 UTC 版)
設立 | 1882年(明治15年) |
---|---|
設立者 | 下山応助 |
種類 | 宗教法人 |
法人番号 | 1150005000062 |
本部 |
大和本宮:奈良県奈良市大渕町3775 木曽本宮:長野県木曽町福島和合4412-1 |
座標 |
大和本宮北緯34度42分30.1秒 東経135度44分28.5秒 / 北緯34.708361度 東経135.741250度座標: 北緯34度42分30.1秒 東経135度44分28.5秒 / 北緯34.708361度 東経135.741250度 木曽本宮北緯35度48分59.8秒 東経137度40分43.0秒 / 北緯35.816611度 東経137.678611度 |
ウェブサイト | http://www.ontakekyo.or.jp/ |
御嶽教(おんたけきょう)は、木曽御嶽山信仰(御嶽講)を起源とする教派神道(神道十三派)の一つ。奈良県奈良市に教団本部(御嶽山大和本宮)を置く。創始者は下山応助とされている。長野県木曽町に教団本部のある「木曽御嶽本教」としばしば混同されるが、別の団体である。
概要
『宗教年鑑 令和6年版』における信者数は、25,380人[1]。長野県木曽郡木曽町に御嶽登拝の安全を祈願するための神殿である木曽大教殿がある。御嶽山を信仰根本道場としている。
江戸時代に覚明が黒沢口登山道、普寛が王滝口登山道を開闢する。1873年(明治6年)に東京・浅草の下山応助が全国の御嶽大神を崇拝する信仰者を集団結合させ、1882年(明治15年)に平山省斎が初代管長となり、教派神道の一派として成立、政府の公認を得た。
経典は「御嶽教経典」と、準経典として「御嶽教神拝詞集」と「御嶽教信仰規範」がある。
祭神は国常立尊、大己貴命、少彦名命の三柱の大神を奉斎主神として「御嶽大神」と奉称し、木曽御嶽山の開闢大道彦たる覚明、普寛の二霊神を崇敬神として「開山霊神」と奉称する。また天神地祇八百万神を配祀神としている。
修験道を起源としているが、仏教色は薄く祭祀も神道に準じている。
施設
関連項目
脚注
外部リンク
- 御嶽教大本庁 - 公式サイト
御嶽教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:51 UTC 版)
御嶽教(おんたけきょう)は、奈良県奈良市に教団本部(御嶽山大和本宮)を置く教派神道で、神道十三派の一つ。御嶽教の山の本部である木曽大教殿が長野県木曽町福島新満郡にある。1984年(昭和59年)4月に、日本全国に御嶽教の教会、枝教会、布教所が978(愛知県263、岐阜県98、埼玉県47、長野県40など)ほどあった。 詳細は「御嶽教」を参照
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