ネーション・オブ・イスラム
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ネーション・オブ・イスラム(英語: Nation of Islam, NOI)は、アメリカ合衆国におけるアフリカ系アメリカ人のイスラム運動組織。後述するように伝統的なイスラム教の教義を大きく否定しているため、イスラム教の一派というよりも、イスラム教から派生した新宗教と見なされている。
概要

本組織はブラック・ムスリム・ムーヴメント (Black Muslim Movement) とも呼ばれ、世界恐慌中の1930年にデトロイトでマフディー(救世主)を名乗ったウォーレス・ファード(アフガニスタン出身とされている)によって創始された。黒人の経済的自立を目指す社会運動であり、白人社会への同化を拒否し、黒人の民族的優越を説く宗教運動でもある。
ファードは聖書を否定し、アフリカ系アメリカ人の神はただアッラーフのみであり、奴隷化される以前の宗教はキリスト教ではなくイスラム教であったのだと説き、白人に対する民族 (ネーション) としての黒人のアイデンティティを主張した。彼は1934年に謎の失踪を遂げるが、その創立したテンプル・オブ・イスラムと呼ばれる教団はイライジャ・ムハンマドが後継し、発展していった。
イライジャ・ムハンマドの布教によって全米に広がった NOI は、第二次世界大戦後に入信したマルコム・Xの活躍で大発展を遂げる。イライジャの思想の宣伝活動者となったマルコムは、黒人の貧困救済を唱えて北部の都市部で苦しむ黒人たちの間に勢力を広げる一方、白人を悪魔と呼んで激しく批判した。このため、NOI は Black Muslims と呼ばれ、公民権運動によって権利向上を目指していた黒人を含め、アメリカ社会全体から過激派や分離主義者と見られることが多かった。そこには白人優勢のメディアが大きな影響を与えていたと考えられる。
1960年代に入るとマルコム・Xとイライジャ・ムハンマドの関係が悪化し、マルコムは教団を追放されて伝統的イスラム教に回帰(当のマルコム・Xは1965年当教団の暗殺指令を受けた信者により銃殺されている)。また、教団よりクラレンス13Xの名を与えられていたクラレンス・エドワード・スミスもマルコム・Xとイライジャ・ムハンマドの関係悪化に嫌気を指して仲間を率いて離脱し、世界を10%のエリートが85%を支配して無知な状態に置いていると説き、自らをその85%を啓蒙する知識を持った残りの5%であるとして5パーセントネーションを1963年に結成した。アメリカのヒップホップ・ミュージシャンには信仰している者が多く歌詞に登場することがある。
イライジャも1975年に死去し、後を継いだ息子のワリス・ディーン・ムハンマドは、父の残した教義から伝統的なスンナ派イスラムの教義と齟齬のある部分を排除し、黒人分離主義的な運動をやめて合衆国への忠誠を説き始め、教団名も "American Muslim Mission" (アメリカ・ムスリム伝道団)、後に"American Society of Muslims"(アメリカ・ムスリム協会)に改めたが、彼が引退した2003年に組織は解散している。
一方で、組織の急激な穏健化に不満を抱いたルイス・ファラカンを中心とする人々は分派を結成。ファラカンはイライジャの思想を継承し、黒人の社会運動と社会に対する過激な発言や行動を続けている。現在、NOI と呼ばれている組織はファラカン派が発展したもので、1995年にはワシントンD.C.で大デモ活動「百万人大行進」 (Million Man March) を行って健在を示した。ファラカンは2012年現在も組織を率いている。信徒数は公表されていないが、ニューヨーク・タイムズの推計では2007年時点で2万から5万人の間であろうとしている[1]。黒人至上主義、反ユダヤ主義な主張も目立ち、極右団体として警戒されることもある。ファラカンは、2019年、その過激な主張から、Facebookのアカウントを停止させられた[2]。
教義
伝統的なイスラム教を信じる世界の多くのムスリムは、独特の教義を持つ NOI の信徒をムスリムであると認めないことが多い。
以下の点では、NOI は伝統的イスラム教と一致する。
しかし、以下のような大きな相違点がある。
- 黒人至上主義
- 預言者・使徒
- マフディ
脚注
- ^ MacFarquhar, Neil (2007年2月26日). “Nation of Islam at a Crossroad as Leader Exits”. The New York Times
- ^ “フェイスブックが極右活動家らに利用停止措置 憎悪対策の一環”. AFPBB News. (2019年5月3日) 2019年5月3日閲覧。
参考文献
- 荒このみ訳「マルコムX事典」雄松堂出版 ISBN 978-4-8419-0500-7
関連項目
外部リンク
ネーション・オブ・イスラム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 07:19 UTC 版)
「サンフランシスコにおける人民寺院」の記事における「ネーション・オブ・イスラム」の解説
ジョーンズは、ネーション・オブ・イスラム(英語: Nation of Islam (NOI))を人種差別主義、かつ性差別主義であると見做しており、サンフランシスコのウエスタン・アディション(英語版)で近接している位置に所在していることもあって、ネーション・オブ・イスラムと人民寺院の間で暴力を伴う抗争が発生することを危惧していた。彼は、教団のサンフランシスコ本部での火災について、ネーション・オブ・イスラムが原因であると主張し緊張を煽った。人民寺院信者のアル・ミルズが、ネーション・オブ・イスラムの構成員の写真を撮影したことで口論となった後、ジョーンズは警告を発するために、屈強なアフリカ系アメリカ人の人民寺院警備員をネーション・オブ・イスラムのモスクに送り込んだ。 しかしながら、ネーション・オブ・イスラムとの関係は後に改善された。亀裂を修復するために、2つの組織は1976年にロサンゼルス・コンベンション・センターで歴史的な「スピリチュアル・ジュビリー」(英語: Spiritual Jubilee)を開催した。何千人もの人々が市民センターを埋め尽くし、人民寺院信者は赤と黒の服、ネーション・オブ・イスラムの信者は白の服を着ていた。人民寺院支援者のグッドレット、フレイタス、アンジェラ・デイヴィスが、カリフォルニア州副知事のマーヴィン・ダイマリー(英語版)、ロサンゼルス市長のトム・ブラッドリー(英語版)と共にこのイベントに参加した。ジョーンズが演壇に上がると、堂々とした人民寺院の「赤旅団」(英語: Red Brigade)の警備員が、演壇の前に半月の形に整列し、ネーション・オブ・イスラムの警備員と肩を並べて立っていた。歓声を上げる聴衆を落ち着かせた後、ジョーンズは次の様に述べている。「私たちは、この2つの象徴的な融和に感謝しています...人民寺院とネーション・オブ・イスラムが一つに集まることが出来れば、誰もが集まることが出来るのです...数年前であれば、私たちは緊張の為に通りを歩くことさえ出来なかったのです」
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