ギャグ・パロディ注とは? わかりやすく解説

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ギャグ・パロディ注

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 15:23 UTC 版)

金田一耕助の冒険」の記事における「ギャグ・パロディ注」の解説

アイリス・イン(iris in)画面中に円形の窓が開き、それが拡大して場面転換が行われる手法逆に場面円形閉じられる手法アイリス・アウトという。『エルダーブッシュ峡谷戦い』(1913年D・W・グリフィス監督)で、撮影監督ビリー・ビッツァ―が開発した007シリーズアバンタイトル(通称ガンバレルショット)も、このアイリス・イン物語が始まる。 このように本作は、パロディというよりも過去映画への素直なオマージュとなっている表現の方が多い。 蒸気機関車大井川鐵道旧国鉄C11形蒸気機関車227号機を撮影したもの。大林宣彦ドキュメンタリー映画すばらし蒸気機関車』(1970年/高林陽一監督)、『最後蒸気機関車』(1973年/同監督)で音楽担当しており、機関車には造詣が深い。この列車の中は「昭和20年代」という設定で、乗務員乗客当時風俗登場している。C11 227は、1998年の夏に、アンパンマン登場キャラクターSLマン」を模した赤い塗装となり、2012年・2013年の夏には大井川鐵道キャラクターSLくん」を模した青色車体塗装、さらに2014年夏には「きかんしゃトーマス」意匠施してきかんしゃトーマス号」として運転され2020年現在まで現役運行中である。 備前一宮駅岡山県吉備線の一駅。始発総社駅金田一耕助はさらに岡山駅から東京に向かう過程にある。映画『悪魔の手毬唄』1977年/市川崑監督)のラストシーンが「総社」駅(実際撮影は、駅舎ともども大井川鐵道家山駅)で、そこから物語本作繋がっているように見え構成になっている古谷一行東映製作本作は、本来、同社製作の『悪魔が来りて笛を吹く』(1979年/斎藤光正監督)で金田一耕助演じた西田敏行主演する予定だった。西田スケジュール都合でそれが叶わず、テレビシリーズ耕助役だった古谷オファー回ってきたが、結果的に古谷映画耕助演じた唯一の作品となった耕助衣装で、胸と尻にジーンズポケット付いているのは、古谷自身アイデアよるもの古谷本作を「最後金田一耕助」のつもりで演じたという。 パズルを解く列車女学生演じているのは檀ふみ大林宣彦檀ふみの父・檀一雄に『花筐』の映画化申し入れていた関係で、縁があった。当時25歳だったが、慶應義塾大学数年渡って留年中で、実際に女子大生であった大林映画には『HOUSE ハウス』『瞳の中の訪問者』(1977年)に続く出演。またTV版横溝正史シリーズ悪魔が来りて笛を吹く』(1977年/TBS)では、ヒロイン椿美禰子演じている。 「CROSSWORD PUZZLE by CHESTERTON」「チェスタトン」はブラウン神父シリーズ作者G・K・チェスタトンから。チェスタトンのある有名なミステリー小説トリックは、アガサ・クリスティや、横溝正史かの有名なミステリー作品トリック流用されている。 「あの有名な言語学者の」金田一耕助と、言語学者民俗学者アイヌ研究者金田一京助とを間違えている。ただし、金田一耕助の名前は京助から取られたものであり、出身同じく東北ということになっている。 「インディアン・ライラック(百日紅)」「取るに足らぬ男です」原作百日紅の下にて』のラストでの、金田一耕助自身台詞から。金田一耕助は、この事件解決後に獄門島に向かう。 耕助自身言及した象徴的な台詞だが、これを口にした俳優は、現在までで、古谷一行池松壮亮(『シリーズ・横溝正史短編集 金田一耕助登場!/百日紅の下にて2016年NHK)の二人だけである。 オープニング・タイトル和田誠によるアニメーション動画担当したのは堀口忠彦で、二人後年、『怪盗ジゴマ 音楽篇』(1987年)でも、監督動画としてペア組んだ同じくオープニングとエンディングアニメーションだった、ブレイク・エドワーズ監督の『ピンク・パンサークルーゾー警部)』シリーズ意識した演出和田誠は、毎日新聞連載され横溝正史エッセイ真説金田一耕助』(1976年)のイラスト担当した時には金田一耕助風貌オリジナルで、単行本化の際には映画版石坂浩二を基に描いていたが、今回映画文庫版二分冊の『金田一耕助の冒険』(1979年/角川文庫)のカバーでは、古谷一行モデル描き直している。等々力警部モデル田中邦衛金助耕田の一険等々力警部懐中電灯照らした順にタイトルを読むと、このように読めるアナグラムとしてのお遊び正面から歩いてくる金田一耕助和田誠は『真説金田一耕助』の連載第一回イラストで、山道向こうからやって来る耕助描いたそれ以前横溝正史ブーム始まって最初映画化である『本陣殺人事件』(1975年/高林陽一監督)の時には中尾彬金田一耕助後ろ姿登場していた。真正面から歩いてくる耕助石坂浩二)を描いたのは、和田と『犬神家の一族』(1976年/市川崑監督)での演出がほぼ同時期である。 ストップモーション連続のような中抜き作画は、手抜きではなく、『犬神』で、野々宮珠世島田陽子)を沈むボートから救う耕助シーンを、ストップモーション連続写真処理していたことへの和田誠オマージュ市川崑ファンである和田誠は、そのシーンを「意味がなくて印象的」と評価している。ただし市川崑自身は「テンポ速めるため」とその意図説明している。リメイク版犬神家の一族』(2006年)では、当該シーン通常の撮影戻された。 フケ原作にもある、耕助頭を掻いて撒き散らす頭皮カス市川崑金田一映画シリーズでは、この癖が特に強調されていた。 蝙蝠鍾乳洞落武者八つ墓村』から。 日本刀本陣殺人事件』の凶器等々力警部フルネーム等々力大志警視庁捜査一課勤務金田一耕助東京での相棒東京到着から、時代現代1979年)になる。 劇中で、等々力警部金田一耕助のことをしばしば「耕助ちゃん」「耕ちゃん」と親しげに呼ぶが、原作で彼を「耕さん」などと下の名前で呼ぶのは、パトロン久保銀造風間俊六、Y先生横溝正史)らごく近親者限られていて、等々力終始一貫して金田一さん」「金田一先生」と呼んでいる。このように原作から乖離して映画オリジナルキャラクターになったのは、つかこうへいによる脚色大きい。 演じ田中邦衛は、横溝正史原作映画には松竹版八つ墓村』(1977年/野村芳太郎監督)の尼子落武者役に続く出演本作への起用は、前年田中つかこうへい舞台ヒモのはなし』『改訂版出発』に主演した縁による。等々力タキシード着ているのも、『熱海殺人事件』の木村伝兵衛(くわえ煙草伝兵衛)のスタイル踏襲したもの。古谷一行俳優座後輩で(田中7期生古谷16期生)、二人舞台上で共演経験があったが、映画での共演はこれが初めて。 「岡山磯川さん」岡山県警磯川常次郎警部のこと。金田一耕助とは、デビュー作本陣殺人事件以来岡山起きた事件多くコンビ組んだ等々力警部とは原作悪魔が来りて笛を吹く』で交信がある他、作者死去のため、書かれないまま構想のみに終わった千社札殺人事件』で、両警部協力して事件に当たる予定だった。 「元気、元気」当時所ジョージ持ちネタその後は「元気な子どもは股間鉄砲百合」などと続くが、ここでは省略されている。 「そうじゃそうじゃ総社駅ひっかけた駄洒落映画『悪魔の手毬唄』ラストで、耕助石坂浩二)が磯川警部若山富三郎)に問いかけ言葉に、駅名で「そうじゃ」と答えているように見えることを踏まえている。 『悪魔の手毬唄』は、原作設定昭和30年だが、映画では昭和27年変更されている。市川崑金田一シリーズとしては2作目だが、作品中の時系列では「最後の事件」に当たり(『病院坂』の一年後という設定)、『金田一耕助の冒険』がさらにその後の「本当最後の事件」になることを暗示している。 付けヒゲ等々力警部両端ピンと立った口ヒゲは、アガサ・クリスティー生み出した名探偵エルキュール・ポアロ模したもの。ポアロは元々自前ヒゲたくわえていたが、最終作『カーテン』では、後年付けヒゲにしていたことが語られている。 「映画も本でも、これで当たるんなら結構なこっちゃないですか」1979年の映画公開時点で、角川文庫横溝正史作品67点を数え4000部を突破している。ただし、横溝正史ブーム東宝製作のシリーズが『病院坂の首縊りの家』(1979年/市川崑監督)で一旦終了一段落しており、この後映画化は『悪霊島』(1981年/篠田正浩監督)、『八つ墓村』(1996年/市川崑監督)、『犬神家の一族』(2006年/市川崑監督)の三本しかなく、いずれもはかばかしい興行収入挙げられずに終わった。 「いやあ、あなたのカインド・オブ・ウェアもなかなか決まってますよ」本作衣装協力は、メンズ・フォーマルウェアの老舗カインドウェアだが、間に「オブ」を挟むと「一種洋服」「どちらかというと洋服に近いもの」という意味になる。耕助は英語に堪能なので、これは誤りではなく故意。当然、等々力警部耕助の皮肉には気づいていない。 フォトスタジオでの耕助等々力ポーズ明日に向って撃て!』(1969年/ジョージ・ロイ・ヒル監督)のラストシーンブッチ・キャシディポール・ニューマン)とサンダンス・キッドロバート・レッドフォード)のポーズから。この写真撮影は、本映画宣伝ポスター使用されたものを撮影しているという設定実際にこのポーズには「アサッテ向かって撃て!」というキャッチコピー付けられていた。後にDVDパッケージにも使用されている。この写真撮影シーン映画ラスト近くでのシーン含めて)には、実際映画スタッフ映画評論家ら(キャスト参照)が数多くカメオ出演している。カメラマン姫田真佐久は、本作ネタにされた『人間の証明』(1977年/佐藤純彌監督)、『野性の証明』1978年/佐藤純彌監督)の撮影監督を、木村大作『八甲田山』1977年/森谷司郎監督)、『聖職の碑』(1978年/森谷司郎監督)の撮影監督務めている。 「また恐ろしい偶然が重なりそうだなんつうんじゃなでしょうね」『犬神家の一族』での耕助あまりにも多くの偶然を計算入れなければならないものですから」、犬神佐清恐ろしい偶然が何度も何度も重なってきたのでした」という台詞1976年市川崑監督映画でも踏襲)を踏まえたもの。 耕助等々力背後泥棒警官刑事背後でも堂々と泥棒を働くギャグは、サイレント喜劇以来ギャグ定番キーストン・コップスチャールズ・チャップリン初期作品にも頻繁に見られる本作前年公開の『ラトルズ ALL YOU NEED IS CASH』にも同様のギャグがあった。 ゴジラ美術館中にロダンの「考える人」のポーズを取るゴジラ像がある。この時期『メカゴジラの逆襲』1975年/本多猪四郎監督)を最後にシリーズ休眠中だった。復活するのは『ゴジラ』1984年/橋本幸治監督)まで待たなければならない大林宣彦は、本多猪四郎映画の師とリスペクトしていて、自作『漂流教室』1987年)、『異人たちとの夏』(1988年)では俳優として出演請うている。また『水の旅人 侍KIDS』(1993年)には遺影として出演させている。 火の鳥同じく美術館天井飾られているのは、手塚治虫創造したキャラクター火の鳥 (漫画)」(フェニックス)。前年1978年市川崑監督によって実写アニメーション合成の黎明編』が映画化されていた。主役イザ・ナギ演じたのは、後に大林映画常連となる尾美としのり(尾美トシノリ名義)で、これが主演デビューである。 大林手塚治虫の熱心なファンで、『ブラック・ジャック』一編春一番』を『瞳の中の訪問者』のタイトル1977年制作している。ブラック・ジャック役は宍戸錠。 マリアヒロイン・マリアの名前は、『ウエスト・サイド物語』(1961年)のシャーク団リーダー・ベルナルドの妹(ナタリー・ウッド)、および『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年)の元修道女でトラップ家の家庭教師ジュリー・アンドリュース)から取られている。どちらの映画も、監督ロバート・ワイズ熊谷美由紀ヒロイン起用は、ダイアローグ・ライターのつかこうへいの引きによるもの当時つかは美由紀の姉の熊谷真実恋愛関係にあった(後、結婚および離婚)。美由紀はつかから初演技について「今持っている若さがどれだけ出るか、存在感素直に出せばいい」と告げられ出演決意したという。 美術品窃盗団ポパイポパイ」はアメリカカートゥーンからだが、1976年より平凡出版マガジンハウスから発刊されている男性向けファッション雑誌の名称でもある。メンバーニックネームも、それぞれ当時大人向け雑誌の名前から付けられていた。「パンチ」→「平凡パンチ」(1964~1988平凡出版マガジンハウス)、「サンデー」→「漫画サンデー」(19592013実業之日本社)、「ポスト」→「週刊ポスト」(1969~ /小学館)、「ピア」→「ぴあ」(19722011/ぴあ)。メンバー白塗りの顔に種々のペイント施しているのは、ロック・バンドKISS」の真似シナリオ段階ではオートバイでの暴走族集団だったのがローラースケート集団変更されたのは、「小遣い稼ぎスリルを楽しむだけの泥棒」に暴走族相応しくない考えた大林監督判断よる。パンチ」役の江木俊夫は、前年フォーリーブス解散伴って俳優業プロデュース業シフトしており、横溝正史作品には『横溝正史シリーズII/不死蝶』(1978年/TBS)の玉造康雄役に続く出演だった。ちなみに、同じフォーリーブス北公次映画『悪魔の手毬唄』青池歌名雄役で出演している。 リムジン強奪した自動車次々強盗繰り返すのは『俺たちに明日はない』(1967年/アーサー・ペン監督)から。 ホッケーマスク今、本作観ると、『13日の金曜日シリーズ真似だろうと思われそうだが、殺人鬼ジェイソン・ボーヒーズがホッケーマスクをかぶるようになったのは『13日の金曜日PART3』(1982年/スティーヴ・マイナー監督以降なので、本作の方が先。パロディではない。 東京中央夕陽に顔が染まるころ中央署が登場するたびに解体されてどんどんボロボロになっていくのは、シリーズものコメディシットコムよくあるルーティーン繰り返し)・ギャグ小林信彦唐獅子株式会社シリーズ1977年~)では、須磨義輝飼っているブルドッグが、登場するたびにどんどん悲惨な状況になっていく。1979年当時警視庁本部庁舎旧庁舎解体新庁舎建て替え進められていた(1980年6月竣工)。 バッファロー軍団等々力警部部下たち。『野性の証明』1978年)の自衛隊員役のエキストラとして出演していた「野性軍団」のメンバーが、本作併映『蘇える金狼』1979年/村川透監督)にもそのまま野性軍団」として出演していたのに対抗して本作下っ端集団が「野牛軍団」を名乗ったもの。 「デカ角刈りサングラス当時刑事ドラマ大都会』(1976~1979年/日本テレビ)での黒岩頼介(渡哲也)のスタイルそもそも渡哲也は、映画ゴキブリ刑事』『ザ・ゴキブリ』(1973年/小谷承靖監督)で、このスタイル披露していて、彼のトレードマークになっていた。これは後続『西部警察』19791984年/テレビ朝日大門圭介にも受け継がれた。等々力警部文句を付けているが、後のシーンでは、自身サングラスをかけている。 「おまけに太陽見りゃあ吠えたがる」刑事ドラマ『太陽にほえろ!』19721986年/日本テレビ)のタイトルから。 矢野等々力部下演者重松収。ちょうど松田優作主演の『探偵物語』(1979年~1980年)にダンディー役で出演中であったため、全く同じスタイル登場しているが、もともとは『太陽にほえろ!』ロッキーこと岩城刑事木之元亮)を真似たのである。 街のドラキュラ吸血鬼ドラキュラは、大林監督にとって重要なモチーフで、デビュー前自主映画作家だった時代に、16mフィルムで『EMOTION 伝説午後 いつか見たドラキュラ』(1966年)を撮っている。これは後に劇場公開もされた。 ドラキュラ演じた岸田森は、『呪いの館 血を吸う眼』(1971年/山本迪夫監督)、『血を吸う薔薇』(1974年/山本迪夫監督)で和製ドラキュラ演じさらにはドラキュラ都へ行く』(1979年/スタン・ドラゴッティ監督)ではジョージ・ハミルトン吹き替え担当晩年には『もんもんドラエティ』(1981年/テレビ東京)で「本物の」ドラキュラ役を演じたほどで、映画ファンにはドラキュライメージ浸透していた。 大林作品には、やはり自主映画製作時代の『喰べた人』(1963年)にエキストラとして出演したのが出会い最晩年、『火曜サスペンス劇場/可愛い悪魔』(1982年/日本テレビ)にもカメオ出演している。また『横溝正史シリーズII/夜歩く』(1978年)では蜂谷小市扮した。角川映画には『蘇える金狼』1979年)に石井役、『戦国自衛隊』(1979年/斎藤光正監督)に直江文吾役、『白昼の死角』(1979年/村川透監督)に隅田光一役で、立て続け出演している。 「イヤーン」ドラキュラ花嫁役は、大林宣彦監督商業デビュー作HOUSE ハウス』(1977年)で「スウィート」を演じた宮子昌代本作での役名同じくスウィート」で、『瞳の中の訪問者』(1978年)に続き大林映画には、三作連続して出演している。大林は彼女を主演にして『さびしんぼう』を撮ることを予定していたが、この映画直後結婚本当に花嫁となって引退した。 「菊人形、ほら逆さ吊り、口にほら漏斗出してやってくれよ、みつくろって適当にそれぞれ犬神家の一族『獄門島』『悪魔の手毬唄』殺害方法三本の手中央署の保管庫にあった美術品盗難事件証拠品一つ。『本陣殺人事件』および『悪魔が来りて笛を吹く』には、指が二本欠けた三本指の男」が登場している。手首石膏像を海から釣り上げた釣人演じているのは、ATG版『本陣殺人事件』(1975年)を監督した高林陽一。『本陣』の音楽担当したのも大林宣彦である。大林映画には、他に『ねらわれた学園』1981年)に剣道大会第1回副査役で、『時をかける少女』1983年)に時計屋男役で、『廃市』(1983年)に謡いの客役で、カメオ出演している。 高校大パニック殺人事件証拠品一つ付いていた映画高校大パニック』(1978年/石井聰亙澤田幸弘監督)から。 料理長殿ご用心殺人事件証拠品一つ付いていた映画料理長シェフ)殿、ご用心』(1978年/テッド・コッチェフ監督)から。 リンゴ殺人事件証拠品一つ付いていた郷ひろみ樹木希林歌謡曲林檎殺人事件』(1978年/作詞:阿久悠作曲:穂口雄右)から。もともとはドラマムー一族』(1978年/TBS)の挿入歌。 「ぼくねえ、テレビもやったんですよ」『横溝正史シリーズ』(1977年「Ⅰ」1978年」/TBS)のこと。第1シリーズは『犬神家の一族』『本陣殺人事件』『三つ首塔』『悪魔が来りて笛を吹く『獄門島』『悪魔の手毬唄』の全6作、第2シリーズは『八つ墓村』『真珠郎』『仮面舞踏会』『不死蝶』『夜歩く』『女王蜂』『黒猫亭事件』『仮面劇場』『迷路荘の惨劇』の全9作。古谷一行は更に『名探偵・金田一耕助シリーズ』(19832005年/TBS)で、32本に渡り金田一耕助演じた。 「例のアメリカ旅行の話、どうなったんですか」原作での金田一耕助は、1973年最後の事件とされる病院坂の首縊りの家』のラストで、アメリカ失踪している。映画病院坂の首縊りの家』(1979年/市川崑監督)にも同様の描写がある。 「イイイーイイー、ヤッ!」等々力ティッシュ撒き散らし耕助ワカメ裏声掛け声とともに投げ出すのは、当時クリネックス・ティシューCMパロディ女神天使ティッシュを箱から抜き出して宙に舞わせるシーンBGMに、耕助の声のようなコーラス掛かっていた。 「一、二、三、四、三四郎富田常雄姿三四郎』から。映画としては、黒澤明監督姿三四郎』(1943年)他、6度続編含む)映画化されている。本作撮影監督木村大作は、1977年版の『姿三四郎』(岡本喜八監督)で撮影監督担当している。姿三四郎柔道家だが、この一団はなぜか全員竹刀持っている下駄クローズアップしているのは、黒澤明下駄描写時間経過表現していたことに対すオマージュ。 「病院坂」「市川病院すぐそば」映画病院坂の首縊りの家』(1979年)から。「市川」は監督市川崑のこと。原作の『病院坂』は、昭和28年起きた事件未解決に終わり20年後の昭和48年解決するという筋立てであるが、映画では原作後半省略されて、事件昭和26年起き、その年のうちに解決したようにまとめられている。本作の「未解決事件20年後に解決」というプロットは、その映画版病院坂』で失われた設定復活させたもの。 「美しい日本も、美し事件も、どんどん無くなっちまいますねえ」戦後都市化相俟って通り魔的な動機なき犯罪増加したことに対す耕助憂い犯人情念基づいた綿密な計画犯罪描いてきた横溝正史本格探偵小説が、1960年代社会派推理小説台頭によって旧弊作り物に過ぎないとされ、正史自身休筆余儀なくされていた事実踏まえている。角川書店による横溝正史ブームは、探偵小説の持つロマンチシズム復活示唆するものでもあった。耕助の、あるいは横溝正史理想とする「美し事件」がどういうものかは本作ラスト耕助モノローグで「日本おどろおどろしい殺人」「過去魑魅魍魎払い捨てるための殺人」だと語られる。 「昔、アメリカにいた頃に」『本陣殺人事件』に、戦前十代の頃、渡米して放浪カレッジ通っていたなどの描写がある。 「お履きになって下駄の底にローラースケート付けられている。『けんかえれじい』(1966年鈴木清順監督)で、スッポン(川津祐介)が旧制中学校校舎廊下を、軍属から逃走するときに使用したもの。 時代劇撮影する映画監督跳び上がっているのが大林宣彦監督自身撮影は、成城にあった三船プロダクション敷地内セット行われた懐剣持った姫役はデビュー直後石井めぐみ時代劇への憧れもたびたび語っている大林監督だが、本格的な時代劇監督作品一本もない。ただ、本作のように、劇中劇ならば『麗猫伝説』(1983年)、『海辺の映画館―キネマの玉手箱』(2020年)などの例がある。 撮影所部外者闖入して大騒動になるギャグは、『チャップリンの活動狂』(1914年/ジョージ・ニコルズ監督)が最も初期の例集団通り過ぎた後は…しっちゃかめっちゃかになる描写は、これもサイレント喜劇定番ギャグから。『キートンのセブン・チャンス』(1925年/バスター・キートン監督)では、キートン花嫁集団追い回されるシークエンスで、このギャグ繰り返される。 「『金田一耕助の冒険』、これ、ぼくの短編集ね」角川文庫からは、「~の中の女」シリーズ11作を収録した一冊本として、杉本一文の描く金田一耕助表紙1976年7月刊行されていたが、本作映画化合わせて二分冊され、表紙古谷一行モデルにした和田誠の絵に差し替えられ、1979年6月刊行された。現在はいずれ絶版であるが、電子書籍で読むことが可能である。 『瞳の中の女』「まあ、たいへんあいまいな事件申し訳ありませんが、ひとつぐらいこんな話があってもいいじゃないですか」正確には「ひとつくらいこんな話もいいではありませんか」。金田一耕助が、事件最後に真相横溝先生に語る、というのが「~の中の女」の大方の枠組みで、これも実際に耕助先生向かって言った言葉。『瞳の中の女』は、金田一耕助事件簿中、唯一の未解決事件ということになってはいるが、それは被疑者死亡ないしは失踪してしまっているためで、一応の結末示されている。 「ぼくよりいい男だな、こりゃ」美術品窃盗団アジト上映されているのは『三つ首塔』(1956年/松田定次監督)。映っているのは初代金田一耕助役の片岡千恵蔵映画石坂浩二が、テレビで古谷一行原作通り和服耕助演じるまで、耕助役の俳優全て洋装だった。 不二子原作瞳の中の女』に登場する川崎不二子石膏像映画では「灰田不二子」と表記されているが、原作では灰田とは密通関係にあるだけで、正妻ではない。 石膏像モデルになっているのは山口百恵山口(と三浦友和)と大林監督とは、一連のグリコCMで縁があり、前作ふりむけば愛』(1978年)でも二人主演している。 彫像実在人物にそっくりなのは、『おしゃれ泥棒』(1966年/ウィリアム・ワイラー監督)に出てくる贋作ヴィーナス像オードリー・ヘップバーンにそっくりに作られているのが元ネタ。 A MOVIE大林監督映画冒頭冠されることが多いタイトル。「これは映画です。あくまで虚構です。現実お話ではありません」の意。 瞳の中の訪問者原作瞳の中の女』に登場する実質上の主人公記憶喪失者の杉田弘。演じた峰岸徹は、『瞳の中の訪問者』(1977年)の登場人物風間史郎のままの姿で出演音楽も同映画BGM掛かる。『瞳の中の訪問者』では、彼がヒロインの瞳の中に映っているが、本作では彼の瞳の中に女の顔浮かんでいる設定で、立場逆転している。事件キーパーソンであるにもかかわらずこの後映画には全く出てこない。 峰岸徹大林宣彦ワールド象徴する俳優一人で、『瞳の中の訪問者以来、『金田一』、『ねらわれた学園』(1981年)、『廃市』(1983年)、『天国にいちばん近い島』(1984年)、『さびしんぼう』(1985年)、『彼のオートバイ、彼女の島』『野ゆき山ゆき海べゆき』(1986年)、『異人たちとの夏』(1988年)、『北京的西瓜』(1989年)、『あした』(1995年)、『22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語』(2007年)、遺作となったその日のまえに』(2008年)まで、13作の大林映画出演した横溝正史作品への出演は、ドラマ火曜日の女シリーズ / おんな友だち』(1971年/原作:『悪魔の手毬唄』)の青池慎一(原作歌名雄)役以来。後に『金田一耕助シリーズ / 悪霊島』(1999年)では越智竜平役で、俳優座同期古谷一行共演している。 灰田邸『瞳の中の女』の事件の場所となったアトリエ原作では吉祥寺にあるという設定主人の名前は原作では「灰田太三」だが、映画では「灰田勝彦」と、実在歌手同名になっている金田一耕助11代目)と等々力警部劇中映画瞳の中の女』は、本作横溝正史原作使用した唯一のシーンだが、耕助等々力警部杉田弘を追うのは、彼が記憶取り戻した後のことで、このシーン登場するのはおかしい。脚本段階では耕助役の三船敏郎には台詞があり、そこで『瞳の中の女』は十年前事件で、劇中映画でも杉田弘が殴られシーン耕助回想だった、という説明がされていた。 三船敏郎着用耕助着物は、東宝から借りてきたもので、石坂浩二着ていた「本物」。 三船三橋達也特別出演は、製作に三船プロ擁したための角川春樹戦略よるもの同様に三船プロ制作ドラマ横溝正史シリーズII/迷路荘の惨劇』(1978年)にも三橋篠崎慎吾役で出演していた。 「頭、掻きすぎたのね」頭を掻く薄ら禿なのは、前述耕助の癖から。この台詞脚本にはない、熊谷美由紀アドリブである。 等々力警部の「ようしっ、わからぬか!」は市川崑金田一耕助シリーズ警部役を務めた加藤武の「ようしっ、わかった!」のもじり。 「話がピーマン当時流行語。「話の中身何もないの意味本作翌年には『ピーマン80』(居作昌果監督)という映画公開されている。 「Shut up! Baby.」等々力警部アメリカかぶれだったり、暴力的だったりするのは、映画『ダーティハリー』1971年/ドン・シーゲル監督)のハリー・キャラハン刑事クリント・イーストウッド)の影響『太陽にほえろ!』初めとした70年代日本刑事ドラマ大多数も、『ダーティハリー』影響にあって暴力的なアクションお茶の間頻繁に流れるようになっていた。それは『太陽以前刑事ドラマ、たとえば『七人の刑事』(1961年1969年/TBS)などの地味で渋い刑事たちの姿と比較してみれば顕著である。現実刑事の姿とは異な過激な描写には、批判の声少なくなかったが、視聴者支持圧倒的で、類似の番組後続した。ただ、等々力警部どんなに格好付けても、ダーティハリーには程遠く決めてみせてもまるで決まらない、というギャグになっている。 「『スターログ』? 知らねえな」アメリカSF映画雑誌日本版映画公開一年前1978年発刊1987年休刊。 「『バラエティどうしたの? 『バラエティ』」角川書店発行サブ・カルチャー雑誌1977年発刊1986年休刊発刊当初角川映画宣伝目的であることが顕著だったが、後期は、角川三人娘フィーチャーすることに多く紙面割かれるアイドル雑誌変貌した三人娘角川事務所退社と共に、その役目終えた『蘇える金狼』大藪春彦原作村川透監督松田優作主演角川映画1979年)。地方では本作併映だった。 アデランス風に飛ばされ耕助帽子捕まえたのは南たかし。1970年代アデランスCM長らく出演していた。これは、朝丘雪路風に帽子飛ばされてしまい、それを女の子連れの南に受け止めてもらって、「アデランスって、素敵ですわね(突風でも飛ばないから)」と視聴者向かって微笑バージョン元ネタにしている。 「金田一さん、あなたの推理間違っている」佐藤友之著『金田一耕助さん・あなたの推理間違いだらけ!(1集・2集)』(1978年/青年書館)のこと。いわゆる便乗本(後でいう謎本)。横溝作品ミス重箱の隅をつつくようにあげつらっており、揶揄優先して全く批評になっていない牽強付会な説も多く(『本陣殺人事件』の真犯人を、本文誤植取り上げて一柳双子兄弟一柳腎臓だと主張するなど)、高木彬光の他、藤本泉栗本薫らも痛烈に批判している。 床屋の客・高木先生高木彬光本人推理作家時代小説作家。『刺青殺人事件』(1948年)でデビュー名探偵神津恭介大前田英策、弁護士百谷泉一郎検事霧島三郎捜査検事・近松茂道グズ茂)、名探偵墨野隴人など、数多く名探偵生んだ角川書店は、横溝正史フェアの後、森村誠一フェア続いて高木彬光フェア開催している。「光クラブ事件」をモデルとした金融詐欺事件扱った代表作白昼の死角』(1979年/村川透監督)が角川映画として映画化ドラマ化もされた(高木彬光シリーズ)。 「ところで神津恭介君…」『刺青殺人事件』でデビューした眉目秀麗名探偵明智小五郎金田一耕助並んで、「日本三大名探偵」と称される。『成吉思汗の秘密』を一応の区切りとして、映画公開当時神津恭介シリーズ新作があまり発表されていなかった。それには理由があったことが、後年高木著書によって明かされることになる。 金田一耕助探偵事務所原作シリーズ耕助最初に事務所開設したのは、『黒蘭姫によれば1947(昭和22)年、「京橋裏の三角ビル」。後述するように、後に耕助緑が丘荘に事務所移転するEnjoy Cocaine耕助事務所ドアにあるロゴコカ・コーラロゴ似せているが、実は「コカイン」。シャーロック・ホームズが「7%の溶液中毒だったことは有名だが、耕助アメリカ放浪時代薬物中毒に陥っていたことが『本陣殺人事件』で語られている。ちなみにコカ・コーラコカまさしくコカ使用していたことに由来するが、1903年を境に禁止されたため、耕助アメリカ時代飲んだコカ・コーラには、コカ成分含まれていない。 「浩二さん? いや、耕助ですが。ルリ子さんですって? 違いますね!」東宝市川崑監督版で金田一耕助演じていた石坂浩二のこと。「ルリ子」は浅丘ルリ子で、当時石坂浩二の妻。 「泥棒芸術家だが、探偵批評家に過ぎない」G.K.チェスタートンブラウン神父の童心第一話青い十字架」中の台詞犯罪者独創的な天才だが、探偵はそれに対す批評家にすぎない」に基づく。近年は『名探偵コナン』で怪盗キッド同様の台詞を口にしている。 「ピピポポピピポポ」スター・ウォーズシリーズ1977年~)のR2-D2音真似耕助隣人演じ志穂美悦子は、東映版スターウォーズ』である『宇宙からのメッセージ』1978年/深作欣二監督)で、原典レイア姫に当たるエメラリーダ姫を演じた大林映画には『瞳の中の訪問者』に続く出演同作では片平なぎさと共にヌードになることを大林監督から要請されているが断っている。 志穂美はこの後『転校生』大野先生役で、角川映画には『蒲田行進曲』(1982年/深作欣二監督)に本人役、『里見八犬伝』(1983年/深作欣二監督)に毛野役、『二代目はクリスチャン』(1985年/井筒和幸監督)にシスター今日子役で出演し常連となっている。また、本作、『蒲田』、『二代目』、『熱海殺人事件』(1986年/高橋和男監督)の水野朋子役とつかこうへい映画常連でもあった。 「先生先生耕助を慕う少女演じているのは、同年映画悪魔が来りて笛を吹く』(斎藤光正監督)で椿美禰子演じた斉藤とも子BGMにも山本邦山の同テーマ使用されている。 「Maxim大林宣彦監督による、AGF・マキシムコーヒーのCM元ネタ当時大林宣彦数多く海外スター起用したCM撮っており、これもカーク・ダグラスカップを指でチンと鳴らすのが定番シリーズになっていた。女性お姫様抱っこして昇り口づけをするのは、元々のCMにもあった『風と共に去りぬ』(1939年/ヴィクター・フレミング監督)のパロディ江ノ島鎌倉観光500形電車江ノ島鎌倉観光は、現在の江ノ島電鉄江ノ電)。500形江ノ電代表する車両だったが、80年代からモデルチェンジ進み2003年に完全に廃車となった理由旧型には冷房搭載困難だったためである。耕助等々力向かっているのが鎌倉方面であるとすると、原作吉祥寺にあるとされる灰田邸とは設定合致しない。 「私たち刑事情熱をもって事件当たったってのは、大正昭和初期まででしたな。今はダメです」等々力警部大正時代から刑事だったとすると、1979年当時70歳超えていることになる。しかし原作でも等々力登場金田一よりも早く名探偵由利麟太郎三津木俊助ものの第一作石膏美人』(1936年)でトリオ組んでいて、その時は既に壮年であった修道電車内で、耕助等々力の隣に座っているスチール残されているが、本編ではカットされていて出番がない。しかしエンディングにはキャスト名が「川口裕子」とクレジットされている。 たね『悪魔が来りて笛を吹く』に登場する椿家女中同名。灰田邸の外見映画版椿邸に似せている。たねは、原作では脇役だが、映画版演じた二木てるみには重要な役割が担わされていた。本作では名前が共通しているだけで、特に関連はない。園芸ばさみを持っている姿は『バーニング』(トニー・メイラム監督)の殺人鬼クロプシー(バンボロ)を連想ざせるが、こちらは1981年の映画なので、元ネタではない。 演者樹木希林横溝正史原作作品への出演は、ドラマ火曜日の女/いとこ同士原作三つ首塔』/1972年/日本テレビ)』の佐竹かほる役以来大林映画にはこの後『転校生』1982年)に斉藤直子役、『さびしんぼう』1985年)にテルエ役で出演している。 「わたくし、20年ほど前に一度拝見したことがあるんですが」「あら、小学生の頃に」『瞳の中の女事件20年前に起きたというのは、原作1958年執筆されているから確かに現在の耕助30代であるなら、小学生時代事件に関わったことになる。原作年齢と、演じている俳優年齢との齟齬によるギャグ原作通り設定なら、1979年当時耕助66になっている明智小十郎演者東千代之介東映時代劇の黄金期支えた美男スター俳優で、喋り口調時代劇そのままBGMにも東映時代劇の象徴とも言える元禄花見踊』が使用されている。名前は江戸川乱歩創造した名探偵・明智小五郎から。 綾香明智小十郎愛人だが、名前は『白昼の死角』の鶴岡七郎愛人綾香から取られている。演じているのは小川亜沙美ちなみに映画版白昼の死角』では島田陽子(『犬神家の一族』のヒロインでもある)が、テレビドラマ版では浜木綿子演じていた。 「キスミー」「カネボウよ」「フォー・ビューティフル・ヒューマン・ライフ!」「Kiss Me」は伊勢半化粧品ブランド、「カネボウ」も同様(現在はトリニティ・インベストメント吸収合併)。小十郎本来の意味で「Kiss Meと言ったに対して愛人綾香化粧品名と勘違いしたという、すれ違いギャグ。「Kanebo, For Beautiful Human Life」は当時カネボウキャッチフレーズだった。また「キスミー」は『人間の証明』にも登場する有名な台詞。 「遅かりしよな」歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』での塩冶判官浅野内匠頭)の台詞遅かりし由良助」から。大星由良之助大石内蔵助)が主君切腹の場に駆けつけるのが遅れたため。史実としては、内蔵助内匠頭切腹時には赤穂にいて、主君対面していない映画化歌舞伎から離れているものが多いため、この台詞内匠頭が口にする作品少ない。千代之介は東映時代三本の『忠臣蔵映画出演しているが、浅野内匠頭扮したのは『赤穂浪士 天の地の巻』(1956年/松田定次監督)。 「夢じゃ、夢じゃ夢じゃ! 夢でござる!」映画柳生一族の陰謀』(1978年/深作欣二監督)での、柳生但馬守宗矩萬屋錦之介)の台詞から。但馬守実際に手にした首は、徳川家光松方弘樹)のもの。もちろんそのような史実はない。 「でかしたぞ、萬屋!」坂上二郎役名は「石田五右衛門」(石川五右衛門のもじり)であって、「萬屋」は故売屋としての屋号という設定長らく沈滞していた時代劇復興させたとして『柳生一族の陰謀』の評価高く萬屋錦之介に対して旧友千代之介がエール送っていると取れ台詞。 「耕助、出な。背中流したげる」耕助等々力との親密な関係を表現する銭湯シーン原作耕助は、事件解決する岡山県磯川警部訪ねて湯治場静養に行くのが習慣になっていた(『人面瘡』の「薬師の湯」、『首』の「熊の湯」、『悪魔の手毬唄』の「亀の湯」など)。等々力警視庁警部なので、一緒に湯治場旅行するなどの描写はほぼない(『三つ首塔』は兵庫県の「の湯」が舞台となっているが、等々力湯治に来たわけではない)。 年々減少一途をたどる銭湯だが、1979年当時は、耕助事務所があったとされる中央区でも、30程度銭湯残っていた。 「今度ねえ、緑ヶ丘緑ヶ丘荘ってアパート見つけたんですよ」金田一耕助緑ヶ丘荘に引っ越して探偵事務所開業したのは、原作シリーズでは1957年昭和32)年という設定原作短編集金田一耕助の冒険』中の事件はほぼその時期に起きており、『瞳の中の女事件は翌1958年起きている。事務所を開く前は、耕助親友風間俊六愛人節子経営する大森割烹旅館松月」に居候していた。映画悪魔が来りて笛を吹く』には俊六(梅宮辰夫)、節子(名前は敏江変更正妻となっている/浜木綿子)が登場している。 下駄看板に「ゲッタウェイ」とあるのは、映画『ゲッタウェイ』1972年/サム・ペキンパー監督)から。スティーブ・マックイーン主演アクション映画で、もちろん下駄屋は出てこない。下駄屋を演じているのは、美術監督薩谷和夫大林映画美術一手引き受けていただけでなく、こうしたチョイ役出演も多い。『HOUSE ハウス』(1977年)では「靴屋おじさん」役で出演していて、今回と同じ役だと判断してよい。 ハンガー顔写真耕助事務所ジャケット引っかけハンガーがあり、そこに中尾彬顔写真が貼られている。中尾は『本陣殺人事件』で金田一耕助演じていた。時代設定映画製作時の現代(昭和50年)としたため耕助ジャケットジーンズ姿のヒッピースタイルだった。 その隣には、耕助代表作文字あしらった着物や、初代・金田一耕助片岡千恵蔵写真飾られている。 金田一耕助独身を守る会当時実在していた、女性中心金田一耕助ファンクラブ名探偵ファンクラブとしては日本初で、原作者横溝正史に、「金田一耕助結婚させないください」あるいは「私を耕助さんのお嫁にしてください」といった類の嘆願書を送るなどの活動をしていた。 富士急ハイランド遊園地での追跡劇は、『見知らぬ乗客』(1951年/アルフレッド・ヒッチコック監督)へのオマージュ元ネタクライマックス・シーンは「メリーゴーラウンド回転木馬)」だが、本作ではそれが「ローター」に置き換わっている。乗客回転する壁に遠心力押し付けられ、床が下がって宙に浮くローターは、当時全国各地遊園地設置されていたが、気分悪くする乗客増えたため、次第撤去され、現在はどこの遊園地にもない。 「まさに羨望RX-7マツダ・RX-7CMからのパロディBGM上條恒彦。 「何のために鳥取から出てきたんですか」鳥取出身小野ヤスシ持ちネタ。 「さては、マカオ警視庁の陳警部! まさか!」「陳警部」は、中国舞台にしたサスペンス小説ドラマ・映画にはよくある名前。『Gメン'75』1975年1982年/TBS)の「香港カラテシリーズ」でも、インターポール刑事として、陳警部の名前が使用されている。 明智秘書高木」の名前は、明智小五郎探偵助手小林少年から。チャイナ服におさげをしているのは、『燃えよドラゴン』(1973年/ロバート・クローズブルース・リー監督)に始まる日本でのカンフー映画流行影響映画公開時にはやや下火となっていたが、同時公開ジャッキー・チェン主演ドランクモンキー 酔拳』(1979年/ユエン・ウーピン監督)が再ブーム巻き起こしたジャッキー・チェンは、後に『ポリス・ストーリー/香港国際警察』シリーズ1985年~)で「陳警部」を演じることになる。 高木演じている草野大悟は、大林作品へは、自主映画『喰べた人』にエキストラとして出演して以来横溝正史原作作品では、ドラマ火曜日の女/いとこ同士原作三つ首塔』)』(1972年/日本テレビ)に鬼頭七役で、『横溝正史シリーズ/本陣殺人事件』(1977年)には三本指の男役で、また角川映画白昼の死角』(1979年)では色川貢役で出演している。 今泉老人ホーム経営者演じている伊豆肇は、『横溝正史シリーズII/迷路荘の惨劇』(1978年)では天坊邦武役で、『高木彬光シリーズ/白昼の死角』(1979年)では米村産業大谷役で出演している。さらに『金田一耕助の冒険』の原作となった『~の中の女』シリーズドラマ化し、金田一耕助初めTV登場させた『月曜日秘密』(1957年/日本テレビ)では、脚本担当していた。 明智文江名前は明智小五郎夫人文代から。演じている吉田日出子は、この年初演のオンシアター自由劇場上海バンスキング』の正岡まどか役で美声披露一躍名を馳せた劇団同年紀伊國屋演劇賞団体賞を受賞している(翌年つかこうへい事務所受賞)。 吉田は、後年東宝版八つ墓村』(1996年/市川崑監督)で、郵便局長の「ひで」役を演じたマザーグース合唱団岸信介 (指揮者)創設した合唱団グループ「舫(もやい)の会」に所属する合唱団1956年発足し、現在も活動中。 「マザーグース」はミステリーの「見立て殺人」の題材として、英米作品にはお馴染み童謡集。イーデン・フィルポッツだれがコマドリを殺したのか?』、ヴァン・ダイン僧正殺人事件』、アガサ・クリスティーそして誰もいなくなった』等が有名。横溝正史もそれらの先行作品肖って俳諧発句用いた『獄門島』創作童謡による『悪魔の手毬唄』執筆している。 「波も涙も暖かい1959年公開されフランク・キャプラ監督アメリカ映画。 「思わず出てくる日」「上手(ジョーズ)ですねえ、いいですよ」映画魚が出てきた日』(1967年/マイケル・カコヤニス監督)から。「出てきた」は、放射能汚染された無数の死骸。しかしここでは、合唱合わせてサメ現れる映画ジョーズ』(1975年/スティーヴン・スピルバーグ監督)に引っ掛けた駄洒落。 「目ン無い千鳥ジョナサンか」「目ン無い千鳥」は、作詞サトウハチロー作曲古賀政男、歌:霧島昇ミス・コロムビアによる1940年昭和15年)の流行歌。「ジョナサンか」は70年代世界的なベストセラーとなったリチャード・バックによる小説かもめのジョナサン」からのパロディ1973年にはアメリカで同名タイトル映画作られた。国内でも東映映画トラック野郎シリーズに「やもめのジョナサン」というキャラクター登場。 「飛べ!フェニックス1965年公開されロバート・アルドリッチ監督アメリカ映画。 「とんでとんで」「とんでもない!」円広志1978年ヒット曲夢想花』のサビフレーズ引っ掛けた駄洒落ピアノ演奏している音楽教師の世田役は、これも大林映画常連音楽監督宮崎尚志。 「ビッグ・ウェンズデー1978年作られアメリカサーフィン映画監督ジョン・ミリアス日本では本作と同じ1979年公開された) スーパーマンション空をスーパーマン飛んでいる。本作公開前年1978年に、映画『スーパーマン』リチャード・ドナー監督)がリメイクされて大ヒットたばかりだった。 里子文江使用人。名前は『悪魔の手毬唄』青池里子から取られているが、特に関連はない。支那そばフリークという設定映画オリジナルである。 演じているのは明日香和泉(現・明日香七穂)。当時AGFコーヒーJJCM(シルビア・クリステル出演)のキャンペーンガールをしており、来日したカーク・ダグラスにも会っている。そこで大林監督抜擢され映画デビュー果たしたその後大林映画常連となり、『ねらわれた学園』(1981年)の高倉先生役、『可愛い悪魔』(1982年)の涼子の姉役、『時をかける少女』(1983年)の喪服女役『さびしんぼう』(1985年)のカズオの母役、『四月の魚』(1986年)のスクリプター役、『野ゆき山ゆき海べゆき』(1986年)、『異人たちとの夏』(1988年)のマネージャー役、『あした』(1995年)の路地主婦役、『SADA戯作阿部定生涯』(1998年)のモガ役、『三毛猫ホームズの黄昏ホテル』(1998年)の津山代役、『淀川長治物語 神戸篇サイナラ』(2000年) の花婿の母役、『マヌケ先生』(2001年)の料亭仲居役、『理由』(2004年)の雀荘きさらぎ」の店主木田好子役とそれぞれ短い出番ながら、印象深い役を数多く演じている。古谷一行とは、『金田一耕助の傑作推理 香水心中』(1987年TBS)の青野百合子役でも共演している。 「薔薇は君より美しい」「君は薔薇より美しい」がさかさまになっている。元のフレーズは、カネボウ化粧品イフGのCMソングから。歌手布施明で、このCMキャンペーンきっかけとなって布施CM出演していたオリビア・ハッセー結婚したその後離婚)。 「乙女動悸がムネムネしてますの」「ドキがムネムネ」は元々はトニー谷ギャグ近年では『クレヨンしんちゃん』野原しんのすけきれいなおねいさん出逢ったときに多用している。 ニセ文江バストさらけ出すのは、黒柳徹子CM着ていたバスト写真柄のTシャツ元ネタ腕組みし手を上げると裸の胸が現れるというもので、黒柳自身気に入っていたが、世間顰蹙遭って即座に放送中止になってしまった。 掛かっているBGMは、アーケードゲームスペースインベーダー」(株式会社タイトー)の発射音および爆発音1978年以来社会現象と言えるほどの大ブームとなっていた。 「このコーヒースパルタカスとっつぁんお飲みになってるの」映画スパルタカス』(1960年/スタンリー・キューブリック監督)の主演は、前述したMAXIMCMカーク・ダグラス。 「オーノー!」斧による惨殺は、映画犬神家の一族』の殺害方法ドア開けると風が吹き花弁が舞う演出は、大林映画定番。『瞳の中の訪問者』では、ブラック・ジャック宍戸錠)が登場するたびに部屋の中であるにもかかわらず風が吹き込んでくる。『花筐/HANAGATAMI』(2017年)では、吉良長塚圭史)の登場シーン盛大な花吹雪舞っている。 「私が二度目ものですから」原作瞳の中の女』の設定基づいたセリフ。しかし映画ではその設定改変加えられている。 「山の吊り橋ゃ、どなたが通る」「…犯人が歌っちゃってるよ。いいのかよ、あんなのが犯人で。俺は許せないよ」文江歌っているのは『山の吊橋』(1959年/作詞横井弘/作曲吉田矢健治/歌:春日八郎)。犯人らしくない犯人刑事怒り覚えるのは、つかこうへい熱海殺人事件』(1973年)の木村伝兵衛くわえ煙草伝兵衛)の台詞から。 「等々力さんの名前はまだないんですねえ」床に星型プレート埋め込まれているのは、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム模したもの。磯川警部プレートはあるが、等々力警部はまだ顕彰されていないということ金田一耕助組んで事件当たった相棒最多は、圧倒的に等々力警部で、60以上に登場している。しかし横溝正史作品傑作評価が高い作品は、『本陣殺人事件以降、その殆どが岡山磯川警部とのコンビ作である。本作等々力警部は、磯川警部へのジェラシー露骨に顕している。 「耕助ちゃん、そのうち日比谷の空に妖しく輝く星、それ見たらおいらだと思ってドラマウルトラセブン/第49史上最大侵略 後編』(1968年/TBS)のモロボシ・ダン台詞「西の空に、明けの明星が輝く頃、一つの光が宇宙へ飛んでいく。それが僕なんだよ」から。 「さよなら三角白昼の死角言葉遊び唄「さよなら三角、また来て四角」と、高木彬光原作映画白昼の死角』(1979年/村川透監督)を掛けた駄洒落映画中の「太陽クラブ」は実在した闇金光クラブ」がモデルで、事件戦後すぐの1948年起きており、小説・映画時代背景昭和20~30年代であるため、遊んでいる子供たちも、その頃風俗として和服出演している。 藤井たか子子どもたちに交じって遊ぶ日傘の女。同じく白昼の死角』に登場する主人公鶴岡七郎の妻。演じているのは赤座美代子だが、映画版白昼の死角』では丘みつ子が、ドラマ版では森下愛子演じていた。 赤座本作以降『ねらわれた学園』1981年)の三田村圭子役、『火曜サスペンス劇場/可愛い悪魔」(1982年/日本テレビ)の川村圭子役、『天国にいちばん近い島』(1984年)の村田圭子役、『四月の魚』(1986年)の衣笠不二子役、『はるか、ノスタルジィ』(1993年)の娼家女役『あした』1995年)の朝倉恵の母役、『SADA戯作阿部定生涯』(1998年)の阿部いと役と大林映画常連となった八甲商事鶴岡太陽クラブ事件の後立ち上げた手形金融業六甲商事」から。シナリオ段階では「サラリーローン太陽クラブ」だった。 「別にねえ、長生きするって意味じゃないんですよ、ただあれはキャッチフレーズなの。しつっこい人だなあ、豚じゃなくブスだって!」映画白昼の死角』のキャッチコピー生きろ、豚は死ね」を踏まえた台詞(さらに元ネタとなっているのは、石原慎太郎1960年発表した戯曲生きろ、豚は死ね』)。また、ブス遠慮なく罵倒するのは、つかこうへい熱海殺人事件』(1973年)にも見られる鶴岡七郎白昼の死角』に続いて本作でも鶴岡七郎演じている夏八木勲当時夏木勲)だが、なぜかシナリオでは「隅田光一」という名前になっている。しかし『白昼の死角』で隅田演じていたのは岸田森であり、藤井たか子との関係を考えても、夏八木隅田とするのはおかしい。シナリオでは当初太陽クラブ社長(つまり隅田光一)」という設定だったため、役名のみが残ってしまったもの。ちなみにドラマ版で鶴岡演じたのは『化石の荒野』(1982年/長谷部安春監督)他で夏八木共演することになる畏友渡瀬恒彦だった。 夏八木は、横溝正史作品には『八つ墓村』(1977年)の尼子落武者義孝役、『悪魔が来りて笛を吹く』(1979年)の等々力警部役に続く登板角川映画には『人間の証明』(1977年以来10本の映画出演した常連であった。 「せめて夜が来る前は お前の涙を信じようダウン・タウン・ブギウギ・バンドの歌『欲望の街』(作詞阿木燿子作曲宇崎竜童)。映画白昼の死角』の主題歌テレビドラマ版白昼の死角』でも主題歌として使用された。 サラ金大王サラ金」は「サラリーマン金融」の略称。1970年代半ばより、悪徳消費者金融による過酷な取り立て脅迫などが社会問題化し、「サラ金地獄」と呼ばれていた。「サラ金大王」の社長蛸島裕太郎(佐藤蛾次郎)は、テレビマスコミ登場して自己の正当性主張していた一連の金融会社経営者たちをモデルとしている。「コレラ発生した」と、サラ金大王たちが乱入して隅田たちを追い出すのは、『白昼の死角』での、ある詐欺事件導入部そのまま模している。 佐藤蛾次郎は、同映画にも「カトウ・ガタロウ」役で出演した最後に彼らが横にスライドしてきて哄笑するシーンも、同映画CM真似たもの。 サラ金大王配下A(四人並んだ時の向かって一番右の人物カメラマン池田伝一。伝説実写版『鉄人28号』1960年)の撮影が有名。大林宣彦とはCM時代からの畏友『時をかける少女』でも撮影協力担当している。 サラ金大王配下B(向かって左から二番目人物音響監督大内勇吉。こちらも大林宣彦監督CMを「マンダム」ほか、数多く担当した『ねらわれた学園』1981年)にも剣道第2回大会主査役でカメオ出演している。 サラ金大王配下C(向かって一番左の人物演者広瀬正一東宝の元大部屋俳優で、『キングコング対ゴジラ』1962年)のキングコング役が有名。東宝大部屋廃止された後、俳優業減少したが、大林宣彦映画には『HOUSE ハウス』(1977年)のラーメン屋の客役以降本作『ねらわれた学園』1981年)の関酒店の隣の老人役、『日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群』(1988年)の浜の勝造役と病気で完全に引退するまで出演し続けた。これも東宝特撮対す畏敬示した大林宣彦意向による起用である。 暑さもあえぐ午後野良犬』(1929年/黒澤明監督)および『狼たちの午後』1975年/シドニー・ルメット監督)から。 WANTED中央署の逆さになった手配書描かれているのは、さいとう・たかをゴルゴ13』の主人公デューク東郷義理人情御中元中央署の落ちた額に書かれていた標語星セント・ルイスギャグ世の中大切なもの義理人情お中元」から。 ディスコで歌う少年歌手歌っているのは原田潤ドラマ熱中時代』(1978年/日本テレビ)の主題歌『ぼくの先生フィーバー』でデビューこの後のディスコシーンも含めて映画サタデー・ナイト・フィーバー』(1977年監督ジョン・バダム)で「フィーバー」が流行語になったことを踏まえたパロディ。 「あの首は、今度殺される人のところに必ずあるわよ」ある秘密物品転々とする過程で、死体次々と現れるパターンは、ダシール・ハメットマルタの鷹』(1930年)が確立したサスペンス・ミステリーのスタイル映画化作品としては、ハンフリー・ボガート主演の『マルタの鷹』(1941年/ジョン・ヒューストン監督)が最も有名。本邦でも、ウィリアム・アイリッシュ原作の『ああ爆弾』(1964年/岡本喜八監督)がこのパターン応用変形となっている。 「大きくなったなあ」「だって、あれから2年だもん」「下駄屋の娘」役は大林監督実子大林茱萸。彼女が『HOUSE ハウス」の原案者としてデビューしたのが2年前、小学校6年生12歳の時だった。同作では、やはり薩谷和夫親子役で「靴屋女の子」として出演もしていることを踏まえた台詞大林映画多くは、妻の大林恭子プロデューサー務め、娘の千茱萸スタッフ・キャストとして参加するファミリー・ムービーの性格持っている。しかし原作金田一耕助は、ここで「家族っていうのもいいなあ」と述懐するような伴侶子供も、少なくとも原作シリーズ本文中から読み取れる範囲内においては全く持つことがなかった(ただし、『仮面城』事件で彼が引き取った三太少年養子になったとすれば唯一の家族ということになる)。 「たたりじゃ、たたりじゃ」「ぼく、八つ馬鹿バカ松竹版八つ墓村』のキャッチフレーズにも使われた「たたりじゃ」の台詞は、元々は登場人物一人、「濃茶の尼」の台詞高木が頭に懐中電灯巻き付けているのは、同じく八つ墓村』で、最初32人殺し行った田治見要蔵スタイルBGMには、イメージアルバム『金田一耕助の冒険 特別版』の羽田健太郎作曲のものが流用されている。 「省エネルギーだ、消せ消せ」「省エネ」は「省エネルギー」のこと。1973年オイルショック以降頻繁に使用されるようになり、同年流行語大賞にも選ばれている。 「死後痙攣!」死体がなぜか動いてしまうのは、『犬神家の一族』(1976年)の犬神佐武生首、『八つ墓村』(1977年)の落武者生首など、映画化され横溝作品にはよく見られるが、原作にそんな非科学的描写はない。 元々は、鶴屋南北『東海道四谷怪談』民谷伊右衛門台詞「首が飛んで動いてみせらあ」や、小泉八雲ろくろ首』に見られるように、怪談定番表現古垣和哉原作短編集中の『柩の中の女』の登場人物美術家原作下の名前は「敏雄」。原作には「三十七、八、色の青黒い神経質そうな人物」とある。演じ仲谷昇は、横溝正史原作作品では、ドラマ火曜日の女/いとこ同士原作三つ首塔』/1972年)』に上野誠也役で、ドラマ横溝正史シリーズ/獄門島』(1977年)に鬼頭与三役で、『横溝正史シリーズII/迷路荘の惨劇』(1978年)に古舘人役で、映画悪魔が来りて笛を吹く』(1979年)に椿英輔役で出演している。 テレビ局ゲスト笹沢左保本人推理作家時代小説家・エッセイスト江戸川乱歩賞候補となった招かれざる客』(1960年)でデビュー生涯380冊を超える著書出版した多作家。特に『木枯し紋次郎シリーズは、映画化ドラマ化され、笹沢の代表作となった本作では、古垣の横で、無言サインに応じている。大林宣彦映画には『HOUSE ハウス』(1977年)の木枯役に続く出演だが、これは、大林が笹沢原作のドラマ新・木紋次郎』(1977年/東京12チャンネル)のオープニング・タイトル演出した縁による。 「そのために不二子さんは湖に身を投げて自殺し片桐氏海外逃亡してしまったんです」原作瞳の中の女』の不二子何者かによって殺害されており、状況が全く違う。他の原作から名前を借りてきた登場人物過去についても、経緯全て原作無視した映画オリジナルとなっている。 「みなさん、またお目にかかれましたね」老人ホーム住人たちは、映画まぼろしの市街戦』(1966年/フィリップ・ド・ブロカ監督)に登場する精神病院患者たちイメージ描かれている。 森友吉原短編集中の『柩の中の女』の登場人物富士郎」と、『鞄の中の女』の登場人物安井友吉」を合体させている。「富士郎」は芸術家。「安井友吉」は酒屋小僧演じ山本麟一は、片岡千恵蔵主演の『三つ首塔』(1956年)では大山役、高倉健主演『悪魔の手毬唄』(1961年)では栗林役、西田敏行主演の『悪魔が来りて笛を吹く』(1979年)では目賀重亮役と三代金田一耕助俳優共演している。大林映画には『瞳の中の訪問者』(1978年)のたわし刑事『鉄腕アトム』田鷲警部)役に続く出演片桐悟郎原作短編集中の『鞄の中の女』の登場人物彫刻家原作下の名前は「梧郎」。原作には「親の遺産たんまりもらって道楽三昧に世を送ってる男」とある。 「思いがけずいい目にも会いましたよ」耕助取り出したライター式の燭台は、盗まれ美術品のうちの一つ耕助文江の車のトランク発見した、という流れ横溝正史少年もの金田一耕助シリーズ黄金の指紋』には「皇帝燭台」が登場している。 「シャーロック・ホームズファンですの」「ホームズは僕のライバルですよ」原作金田一耕助の冒険』のタイトルは、アーサー・コナン・ドイルシャーロック・ホームズの冒険にちなんで、中島河太郎短編集春陽堂文庫編纂した時に付けたもの。天眼鏡ホームズ象徴するアイテム。『本陣殺人事件』で、久保銀造から「ホームズのように天眼鏡を使うのかね」と尋ねられ耕助は「僕はここを使います」と自分の頭を指さしホームズへのライバル意識露わにしている。 老人ホーム老人Aを演じているのは大泉滉。『キートンの探偵学入門』(1924年)での付け髭バスター・キートンのような人物演じさせている。大林作品にはこの後、『火曜サスペンス劇場/麗猫伝説』(1984年/日本テレビ)に監督役、『野ゆき山ゆき海べゆき』(1986年)に小使さん役、『日本殉情おかしな二人 ものくるほしきひとびと群れ』(1988年)に正田仁左衛門役で出演している。 「昔々映画監督」「どんな作品を?」「『HORSE ホース』ですの」「観てないな」老人ホーム老人Bを演じているのは大林宣彦監督自身。『HORSE ホース』は『HOUSE ハウス』(1977年)のこと。BGMにも『HOUSE ハウス』のテーマ掛かる。 「空を見ろ! いい天気だ!」『スーパーマン』キャッチフレーズ、「空を見ろ」「だ」「飛行機だ」「あっ、スーパーマンだ」から。演じているのはCMプロデューサー前川。 「少年少女たち、どきなさい」「これは面白くて為になる」『少年倶楽部』などを発行していた講談社が、戦前から標榜していたキャッチフレーズが「面白くて為になる」。横溝正史は、戦後改題された『少年クラブ』に、金田一耕助シリーズ少年もの『大迷宮』『金色魔術師』『大宝窟』などを連載していたが、もちろん大人もののようエロチックグロテスクな死体出てこない。 「これは猥褻物だ。撤去します」逆さま胴体は、『犬神家の一族』の第三殺人方法。 「警察にも三分の理があるんですよ」もちろん本来の言葉は「盗人泥棒)にも三分の理」。 「お前の顔の方がよっぽど猥褻だ!」画家演じた映画評論家田山力哉1930年1997年)は、批判少なくなかった日活ロマンポルノに対して全面肯定立場取り終生エロ表現の規制反対続けたまた、市川崑の『犬神家の一族』について「市川崑の最もつまらない映画」と酷評角川映画全般についても、大量宣伝駄作連発し一般人邦画対す評価下げた批判していた。本作への出演は、あくまで大林宣彦との縁によるものである。大林作品には、『ねらわれた学園』1981年)にもカメオ出演している。 「も唄ってる昼下り映画雨に唄えば』(1952年/ジーン・ケリースタンリー・ドーネン監督)と、浅丘ルリ子歌謡曲昼下がり』(1971年/作詞梅本としを 作曲小谷充)から。 「お楽しみこれからだ世界初トーキー映画と言われるジャズ・シンガー』(1927年/アラン・クロスランド監督)の名台詞また、和田誠名台詞集めたエッセイシリーズ『お楽しみこれからだ映画の名セリフ』(1975年~ /文藝春秋)のタイトルでもある。耕助等々力取っているポーズは、やはり『雨に唄えば』のダンスシーン&ポスターから。 いしだあゆみ歌手女優映画公開当時は特に横溝正史作品との接点はなかったが、後に片岡鶴太郎主演『悪魔の手毬唄』1993年)で、青池リカ演じた。 「お父さん、怖いよ」角川映画第三弾『野性の証明』1978年/佐藤純彌監督)での長井頼子薬師丸ひろ子)の台詞から。テレビCMでも広く流された。子供たちのリーダー・リカを演じているのは、ドラマ版『森村誠一シリーズII/野性の証明』(1979年/TBS)で長井頼子役だった三輪里香角川春樹事務所専属女優であったが、いわゆる角川三人娘」の中に数えられるともなく映画出演本作のみである。 「この子たちは私の命だ!」新田次郎原作森谷司郎監督聖職の碑』(1978年)での赤羽長重鶴田浩二)の台詞から。 「天は我々を見放した!」新田次郎原作森谷司郎監督『八甲田山』1977年)での神田大尉北大路欣也)の台詞から。どちらも雪山での遭難題材としているため、突然、吹雪舞っている。五右エ門がいきなり服を脱いで裸になるのは、映画中、発狂してになって矛盾脱衣凍死する兵卒原田君事)を模している。 「NEVER GIVE UP『野性の証明』および角川文庫森村誠一フェアキャッチコピー。 「ごめんなさい。私、尽くされタイプなの」CMディレクター英子演じているのは、ファッションモデル宇佐美恵子(当時27歳)。1975年から、マツダコスモAPシリーズCM出演していたが、カップル出演するのがお約束の車のCMで、女性のみをアピールし単独出演するのは珍しかった田中邦衛は、「土曜ワイド劇場」(1977年2017年/テレビ朝日)で前年から始まった赤川次郎原作の『幽霊シリーズ』で、若い女大生夕子翻弄される中年警部宇野役を演じている。また、1978年発行され吉行淳之介夕暮まででも、若い女性手玉取られる中年男性が描かれており、当時はこうした女性上位歳の差カップル話題になっていた(『夕暮まで』は1980年黒木和雄監督によって映画化される)。 「12代目金田一耕助映画金田一耕助演じた片岡千恵蔵初代)岡譲司2代)、河津清三郎3代)、池部良4代)、高倉健5代)、中尾彬6代)、石坂浩二7代)、渥美清8代)、西田敏行(9代)、古谷一行10代本作)、三船敏郎11代・本作)と数えて12代目テレビドラマ含まない実際12代目鹿賀丈史13代目豊川悦司となる。 「悪女来り嘘を吐く」『悪魔が来りて笛を吹く』のもじりだが、原作タイトル自体木下杢太郎の詩『玻璃問屋』中の「盲目来り笛を吹く」のもじりである。 ディスコシーン直前富士急ハイランドシーンのラストから、耕助等々力が服を脱ぎ捨ててダンスするシーンまで、これも『サタデー・ナイト・フィーバー』のパロディ。 「これが最後だ」「まだ終わりません!」映画病院坂の首縊りの家』(1979年)のキャッチコピー。『金田一耕助の冒険』のテレビCMでも、この台詞受けて古谷一行が「まだまだ終わらないからね!」と明るく叫んでいた。 明智小十郎白装束姿なのは『忠臣蔵』の浅野内匠頭切腹シーンからの引用。ここで小十郎首を切られて死ぬが、『病院坂』では山内敏男あおい輝彦)が生首風鈴になっている当初監督市川崑は『病院坂』をシリーズ完結編とする意向だったが、その後さらに、『八つ墓村』(1997年)と『犬神家の一族』(2006年)の二本監督することになった。さらに『本陣殺人事件』の映画化進めていたことが知られている。 『青い山脈明智小十郎の前で流れている音楽作詞は『人間の証明中にも使用された『帽子』と同じ西条八十作曲服部良一。歌は一般に知られている藤山一郎のものではなく奈良光枝金田一耕助シリーズでは、時代背景感じさせるために、たびたび当時流行歌流れるが、本作では「単に懐メロ流れている」という形にしかなっていない。なぜ流れているかも不明なシュールなギャグである。 ちなみに本作脚本担当した斎藤耕一は、後に『青い山脈'88』を監督した。 「今度謎解きするとき呼んでつじつま合わせが大変ですな」「それが生きがいなんです横溝正史は『犬神家の一族執筆時、あえて結末考えず書き始めたために、大変苦労している(角川文庫版初版解説より)。 『江戸川乱歩傑作選新潮文庫江戸川乱歩処女作『二銭銅貨』のほか、名探偵明智小五郎デビュー作『D坂の殺人事件』心理試験』など、乱歩初期名作短編を九編、収録しており、現在も装丁変えて発行されている。角川書店社長が、ライバル書店である新潮社の、しかも金田一ライバル名探偵短編集読んで笑っている(つまり『金田一耕助の冒険』よりずっと面白い)という、身も蓋もない自虐ギャグ団地の中の金田一耕助寒村旧家舞台にすることが多い印象のある横溝作品だが、社会派推理小説対抗していた時期には、主に東京近郊現代的な市街地での殺人事件扱っていた。団地舞台にした作品としては『白と黒』(19601961年)があり、その原型となったのは『~の中の女』シリーズ中の『渦の中の女』である。 「ここに開かずの間があるでしょ! 開かずの間が!」「秘密の通路があるはずだよ!」原作女王蜂』には、事件の鍵となる「開かずの間」が、『八つ墓村』には「秘密の通路」が登場している。 「あんたたち、血が汚れてるだろう、血が!」映画八つ墓村』(1977年)には、「血の濁った多治見」(工藤校長井川丑松)、「呪われた血の多治見家」(多治見久弥)といった台詞がある。 団地亭主主婦の「血液型に関する会話は、『八つ墓村』や『仮面舞踏会』での親子関係についてのある話題踏まえたもの。 亭主演じているのは、本作プロデューサー角川春樹自身であるが、この時期、彼は、自分製作する映画のすべてにチョイ役出演していた。同じく自分監督する映画カメオ出演していたアルフレッド・ヒッチコック倣ったのである横溝正史作品には、角川映画第一作犬神家の一族』(1976年)には渡辺刑事役で、『悪魔が来りて笛を吹く』(1979年)には闇屋植松役で、『悪霊島』(1981年)にはディレクター役で出演しているほか、本作では後述する通り本人役でも出演している。 「あー、いやなもん見ちゃったな。不吉な夢だ」黒い背景に、表情カット重ねて耕助推理ひらめき表現するのは、市川崑金田一耕助シリーズ演出から。 「ぼくの推理よく当たるんですよ。隣の映画監督さん、もうお亡くなりになったでしょう?」「いや、今、便所です」依頼人一目見ただけで、その素性経歴ピタリ当てる天才型」のシャーロック・ホームズとの差別化図って、「凡人型」の後続探偵たちは、最初推理外してしまう例が多い。金田一耕助『獄門島』事件以降最初事件ヒント見逃した勘違いしたりしている。 「何というお姿に」「あまりにもすぎます」壁などに当たってぺしゃんこになるのは、ディズニー初めとするカートゥーンギャグ定番。最も初期の例は、1920年代フライシャー兄弟短編作品にまで遡れる。ハンナ・バーベラ・プロダクションの『トムとジェリー』では、トムジェリーしょっちゅうペラペラになっていた。 「ふりむけば愛前述の『ふりむけば愛』(1978年)から。 「そうか!」「分かった!?前述加藤武台詞から。 「何という偶然」前述の『犬神家の一族』の台詞から。 変装マスクと服を剥いで正体現す演出は、片岡千恵蔵主演多羅尾伴内シリーズ、後に『金田一耕助シリーズにも取り入れられスタイル本作でも『三つ首塔上映シーン見られる原作耕助は、大人ものでは殆ど変装をしないが、『金色魔術師』などの少年ものでたびたび変装披露しているのは、映画からの逆輸入である。テレビドラマ江戸川乱歩美女シリーズでも、天知茂明智小五郎毎回見せ場にしていた。 「名探偵登場ニール・サイモン脚本ロバート・ムーア監督ミステリ映画パロディ名探偵登場』(1976年)から。ニック&ノーラ・チャールズ夫妻サム・スペードエルキュール・ポアロミス・マープルチャーリー・チャンという五大名探偵パロディとなっている。名探偵とは言うものの、ろくに伏線示さず推理をすっ飛ばして真犯人指摘するダメミステリーの典型として登場している。また、ハヤカワポケットミステリ1956年から発行しているミステリーアンソロジー『名探偵登場シリーズから。 「湖に君は身を投げたザ・テンプターズの『エメラルドの伝説』(1968年/作詞なかにし礼作曲村井邦彦)から。ボーカル萩原健一は、松竹版八つ墓村』(1977年)で主役寺田辰也を演じている。また作曲村井邦彦は、映画『悪魔の手毬唄』1977年)でも作曲担当。 「おはんでござりやす」「よーお!」「鬼首村」は「おにこべむら」と読む。映画『悪魔の手毬唄』1977年)の舞台となる岡山県架空山村で、仁礼家由良家の二大勢力が対立している。 「おはん」は、物語途中途中登場する謎の老婆原作では「おりん」だが、『悪魔の手毬唄』元ネタとなった深沢七郎小説『楢山節考』主人公の名前が「おりん」であることや、同時期にはなれ瞽女おりん』(1977年篠田正浩監督)という映画公開されていたことなどを考慮したためか、「おはん」と変更された。市川崑は、後に吉永小百合主演で、宇野千代原作の『おはん』(1984年)を映画化している。おはんは既にこの世の人ではないので、これから先の物語は、全て冥界での出来事、という解釈成り立つ。 陸橋から落ち耕助その後何事もなかったように再び走り始める。これも『キートンのセブン・チャンス』(1925年)に、キートンが、掴まった木から崖下落ち、また走り出すというギャグがある。 岬クライマックス真犯人指摘名探偵岸壁や岬で行うのは、松本清張原作野村芳太郎監督『ゼロの焦点』1961年)が嚆矢だが、本作当時二時間ドラマ頻出して話題となるほどには定着していなかった。 スチールアニメーション耕助坂道転げ落ちるのをコマ撮りアニメーション表現するのは、大林監督自主映画時代ら行っていた手法商業映画デビューHOUSE ハウス』でも頻繁に行っている他、『時をかける少女』1983年)では、原田知世のタイムトラベルシーンに多用された。 「不二子さん」当時吉田日出子35歳で、20年前は15歳ということになってしまう。山口百恵1979年当時20歳。ある(主に死んだ思われていた)人物変貌して別人として登場する例は、説話草双紙親しんでいた横溝正史が、作中好んで多用していた設定。しかし映像化された際には、物語として必然性がないため、省略改変されることが多かった原作不二子は完全に殺害されており、死体発見されているが、本作での彼女の再登場は、他の原作参考にして、横溝正史趣味反映させたものと言える企画段階では「不二子」には、大屋政子配役する予定であった山口百恵のような美女も、時が経てばかくも変貌する、というギャグ狙ったのだったが、当然のごとく依頼断られている。吉田日出子起用最後になったためか、パンフレット初めとした関連本には、本映画吉田スチールは殆ど掲載されていない(後発DVDジャケットにはある)。 「Mama,Do you remember,the old straw hat you gave to me.ジョー山中の『人間の証明のテーマ』(1977年訳詞角川春樹ジョー山中 作曲大野雄二)の歌い出し。この歌詞は、西条八十の『帽子』の「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね」を、角川春樹ジョー山中英語訳したものだが、原詩帽子なくした経緯は殆ど省略されている。角川映画第二弾『人間の証明』(1977年佐藤純彌監督)のテーマソングとして、CMでも頻繁に流され、「CMだけで映画を観た気にさせられて、実際に映画を観に行く気になれなくなった」と揶揄された。 「とってもデリッチュ」「昔のことは忘れましょうね」ハウス食品「デリッシュカレー」のCMから。映画人間の証明』で八恭子演じた岡田茉莉子は、1975年、同CM出演していた。『人間の証明』で過去清算しようとする女性演じたのと、過去カレーCM出ていたことを「忘れたい」という意味と、二重の意味が持たされている。岡田茉莉子は、横溝正史作品には『横溝正史シリーズII/女王蜂』(1978年)に神尾秀子役、『金田一耕助の傑作推理/霧の山荘』(1985年)に紅葉照子役、『横溝正史傑作サスペンス犬神家の一族』(1990年)に犬神松子役で出演している。 男の子役は、『人間の証明』の主題歌歌ったジョー山中息子で、本編でも山中演じたジョニー・ヘイワードの幼少時代演じた山中光(山中ひかり)。『人間の証明』のポスター彼のアップだった。 「面白きこともなき世を面白く高杉晋作辞世伝えられている句。晋作この上の句しか詠んでいない(下の句すみなすものは心なりけり」は野村望東尼付けた角川春樹横溝正史どちらも本人ロケされた邸宅実際に世田谷区成城にあった横溝正史邸。縁側正史障子貼っているのは、映画悪魔が来りて笛を吹く』(1979年)の予告CM現存していない)に出演して障子倒して登場していたから。横溝正史特別出演は、『犬神家の一族』(1976年/那須ホテル主人役)、『悪魔が来りて笛を吹く』(1979年/闇屋親父役)、『病院坂の首縊りの家』(1979年/老推理作家役・横溝正史自身)に続く四作目であるが、これが最後となった。 さらに角川春樹は、少年時代にいじめに遭うシーン本作三度目出演を果たす予定であったが、それが口を横に引っ張られて「角川ウンコ」と言わされるというものであったため、それはさすがに顰蹙ものだろうという判断で、シナリオ段階のみのアイデア終わり撮影はされなかった。 「大作並みですから」「中身薄いですな」当時、大予算掛けた角川映画人間の証明』(1977年)、『野性の証明』1978年)が「大作だが中身は薄い」と多く批評家から酷評されて、賞レースから全く無視されていたことを自虐ギャグにしている。角川映画が各映画賞制覇したのは『蒲田行進曲』(1982年深作欣二監督)で、この時、角川春樹歓喜したという。 「私はこんな映画にだけは出たくなかった」同じく映画悪魔が来りて笛を吹く』のキャッチコピー「私はこの小説だけは映画にしたくなかった」(陰惨すぎるという意味)と本人語っていたことを踏まえている。 「結局金田一がモッタモタしてたからいけないんだよね」「みんな死んじまわなきゃ、推理できないもんね」金田一耕助主要作品における殺人防御率が低いことは、ミステリファンの間ではよく揶揄される話題。しかし実際には他の名探偵で、連続殺人未然防げない探偵少なくない童謡殺人見立て殺人扱った作品は特にそうである。 ちなみに同じく見立て殺人扱った横溝正史の『人形佐七捕物帳/羽子板娘』(1938年)では、人形佐七は見事、第三の事件防いでいる。 「同じ短編集だからって、それはないよな」前述通り本作登場人物は『瞳の中の女』『柩の中の女』『鞄の中の女』と、それぞれ無関係独立した作品から取られていて、無理やり一つの筋にまとめられオリジナル作品になっている。そのため、原作不二子殺害し杉田弘を昏倒させた真犯人が誰なのかは、今回映画でも分からずじまいである。そもそも原作被疑者となっている登場人物たちが、映画には殆ど未登場である。結果として原作続き映像化する」試みは全く為されていない。事件結局未解決のままである。 「読んだら見るな、見てから読むな」『人間の証明』(1977年)から始まった角川文庫×角川映画メディアミックスキャッチコピー読んでから見るか、見てから読むか」のもじり。 「芸術全て美化するヨハン・ゲオルク・ズルツァー美し諸芸術一般理論』での「様々に教えられているような自然の曖昧な模倣ではなく人間必要なものすべてを美化することにこそ、美し諸芸術本質求められねばならない」に基づく台詞。 「だいたい事件ってのは、一から十まできっかり収まるところへ収まるってもんじゃないですよ、現実には~」この金田一耕助長いモノローグは、ダイアローグ・ライターを担当したつかこうへい代表作熱海殺人事件』で、木村伝兵衛くわえ煙草伝兵衛部長刑事が、陳腐なブス殺しを「美し殺人事件」に仕立て上げようとする心理告白する台詞共通している。この部分がつかのオリジナルであることを、つかが参加する前の準備稿シナリオ読んだモルモット吉田確認している(『金田一耕助映像読本』より) 「毛唐みたいに、ピストルバンバン撃ち合う明日殺人違って日本殺人は、過去魑魅魍魎払い捨てるための殺人なんです角川映画としての金田一耕助シリーズは、本作完結する予定だったが、さらに1981年には篠田正浩監督による『悪霊島』が製作される。その冒頭で、1980年起きた原作にはない、マーク・チャップマンによるジョン・レノン銃殺事件挿入したのは脚本担当した清水邦夫だったが、その意図は、現代犯罪まさしく無計画な動機なき通り魔犯罪であり、過去情念基づいた横溝正史世界こそが取り戻すべき日本の美であると明確に対照させるためで、本作耕助メッセージ呼応したものになっている。 煙とともに消失する耕助最も古い特撮技術で、『月世界旅行』(1902年監督:ジョルジュ・メリエス)の月人消失シーン見られる本邦では尾上松之助主演豪傑児雷也』(1921年監督:牧野省三)で使用されたのが現存する最古の例。 名探偵犯罪意外な真犯人」が、その事件の捜査担当者、という作品決し少なくはない。しかしシリーズ探偵が「最後の事件」で犯人となる例は、有名作品が数例あるのみである。横溝正史は『病院坂』を「金田一耕助最後の事件」にしようと決心した際に、当然、それらの先例想起したが、耕助死なせる忍びず、「失踪扱いしていた。 浜辺殺害現場耕助死体周り飾っているのは、それぞれ琴糸日本刀(『本陣殺人事件』)、釣鐘『獄門島』)、火焔太鼓(『悪魔が来りて笛を吹く』)、逆さ両足(『犬神家の一族』)、死体の口に漏斗大判小判『悪魔の手毬唄』)、風鈴(『病院坂の首縊りの家』)。 耕助向かって拳銃を撃つ等々力警部ラストでの耕助等々力敵対関係には、ビリー・ザ・キッドパット・ギャレット、追う者と追われる者との、ホモ・ゼクシャルを暗示させる関係のイメージ重ねられている。特に映画ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』(1973年/サム・ペキンパー監督)の、クリス・クリストファーソンジェームズ・コバーンとのライバル関係描写影響大きい。 再び消失する耕助等々力警部発砲とともにフォトスタジオでの耕助消失シーンリフレインされる。リフレイン技術自体歴史的に古く、『イントレランス』(1916年/監督:D・W・グリフィス)の揺りかごシーン繰り返しから使用されていた。本邦の『狂つた一頁』(1926年/監督:衣笠貞之助)にもいくつかのカットリフレイン見られる。 しかし、ここでの耕助二度目消失何を意味するのかは定かではない単なる回想なのか、時間跳躍したのか、耕助の死は夢だったのか、解釈多様だが、この点についての制作者批評家による指摘は殆ど行われていない。 エンディング主人公一人孤独に道の彼方に消えていくのは、チャーリー・チャップリン映画ラスト「放浪」暗示するために行っていた手法(ただし『モダン・タイムス』だけはポーレット・ゴダード二人、「幸福」を暗示して終わる)。和田誠は、横溝正史真説金田一耕助』の挿画担当した際も、第一回山道をこちらに向かって歩いてくる耕助の姿に呼応して最終回背中見せて立ち去っていく耕助イラスト描いている。後に、篠田正浩監督悪霊島』(1981年)や、市川崑リメイク版犬神家の一族』(2006年)のラストシーンも、全く同じ構図ショット締めくくられた。 エンドクレジットで、逃げ出す和田誠」タイトルデザインの和田誠文字が横に移動して消えていくのを、大林は、こんなふざけた映画から和田逃げ出したのだと面白がった。

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