横瀬氏
由良家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 23:36 UTC 版)
屋号は「枡屋」。 由良 卯太郎(ゆら うたろう) 由良家先代主人、故人。泰子の戸籍上の父。乳母日傘で育ち、おっとりした人柄。仁礼家の繁栄に危機感を抱き、対抗策として恩田幾三の事業に乗ったあげく大損害を被り、悲嘆のうちに命を落とす。死因は脚気衝心。1935年(昭和10年)8月10日没。 由良 五百子(ゆら いおこ) 卯太郎の母。1955年(昭和30年)で83歳になる。油揚げを作るのが上手い。家計の管理を嫁の敦子に任せず、今も自分が管理している。手毬唄の歌詞を知る数少ない人物。 由良 敦子(ゆら あつこ) 卯太郎の妻。未亡人。大柄で 負けん気が強く、「八幡様」と呼ばれている。 仁礼嘉平に対抗意識を燃やしている。夫の存命中、恩田幾三との不倫関係の果てに身ごもり、産まれた泰子を夫との子として届ける。 一時、嘉平と男女関係になるが、放庵が泰子の出生の秘密を嘉平に明かしたことが原因で別れた。 由良 敏郎(ゆら としろう) 卯太郎と敦子の息子で由良家当主。35歳。風采の上がらない男。1953年(昭和28年)にシベリアより復員。その翌年に結婚したばかりで子どもはまだいない。妹の泰子とは異父兄妹。 由良 栄子(ゆら えいこ) 敏郎の妻。事件前、舅の法事に来た放庵に稲荷寿司を包んで渡した。 由良 泰子(ゆら やすこ) 歌名雄の恋人。1933年(昭和8年)4月16日生まれで文子、千恵子、里子と同い年。純日本式の美人で両親や兄弟とは容姿が全く似ていない。お高く留まった立ち振る舞いが目立つ。戸籍上は卯太郎の末娘であるが、実は母の敦子が恩田幾三との間に産んだ不義の子である。
※この「由良家」の解説は、「悪魔の手毬唄」の解説の一部です。
「由良家」を含む「悪魔の手毬唄」の記事については、「悪魔の手毬唄」の概要を参照ください。
由良家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 12:06 UTC 版)
清和源氏新田流とする。新田氏の子孫を称したが、実際は上野国新田荘横瀬郷を本拠とした小野姓横瀬氏とされる。由良国繁が幕府旗本となり、孫の貞房以降が高家となった。1千石。維新後に新田姓に改め、新田氏嫡流を巡って交代寄合の岩松家と争ったが、岩松家が嫡流と認められて男爵となった。
※この「由良家」の解説は、「高家 (江戸時代)」の解説の一部です。
「由良家」を含む「高家 (江戸時代)」の記事については、「高家 (江戸時代)」の概要を参照ください。
- 由良家のページへのリンク