仁礼家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 23:36 UTC 版)
屋号は「秤屋」。 仁礼 仁平(にれ にへい) 仁礼家先代主人、故人。鬼首村に新しい産業としてブドウの栽培を持ち込み、一代で財産を築く。嘉平、次子、咲枝を含め、六子の父。 仁礼 嘉平(にれ かへい) 仁礼家当主。仁平の第一子で長男。60歳前後。大柄でがっしりした体つき。父の事業をさらに広げ、 「やり手」と噂される鬼首村の主権者。事件の昨年に妻と死別した寡男。 かつて由良敦子と噂があった。 文子の戸籍上の父だが、血縁上伯父と姪にあたることは村では周知の事実。青池リカに、自分の娘の文子と歌名雄との縁談を持ちかける。 仁礼 秀子(にれ ひでこ) 1954年(昭和29年)に亡くなった嘉平の妻。文子の戸籍上の母。実家は兵庫県の城崎で温泉旅館を経営している。身籠っていた咲枝を実家で出産させ、生まれた文子を夫と自分の籍に入れた。 次子(つぎこ) 仁平の次女で嘉平の妹。神戸に嫁いでいる。J学院の専門部に進学した咲枝を婚家に下宿させていた。 咲枝(さきえ) 仁平の三女で嘉平の妹。7人きょうだいの末子で嘉平とは17歳離れている。 戸籍上は文子の叔母だが実母。才女で学力に秀でていたため総社の女学校卒業後、19歳の時に神戸のJ学院の専門部に進学し、昭和6年より神戸にある長姉の婚家に下宿していた。その折に恩田と出会い懇ろになる。恩田と関係を持って文子を産むが、文子が私生児であったため、嘉平夫婦の子として入籍させた。文子を産んだ直後鳥取県に嫁ぎ、夫とは円満で3人の子に恵まれている。 仁礼 直平(にれ なおへい) 嘉平の長男。満州より復員。36歳。父に似て体が大きく、〝えらもん〟と評判の人物。終戦後すぐに結婚して子どもが3人いる。 仁礼 路子(にれ みちこ) 直平の妻。 仁礼 勝平(にれ かつへい) 嘉平の次男。鬼首村青年団団長。歌名雄とは同い年であり、仲がよい。 仁礼 文子(にれ ふみこ) 嫁入り前に咲枝が城崎で産んだ娘。嘉平の末娘として育つが、血縁上は姪にあたる。1933年(昭和8年)5月4日生まれで泰子、千恵子、里子とは同い年。しもぶくれの顔にうけ口で八重歯の美人。無邪気で愛嬌がある。実母が叔母の咲枝であることは知らなかったが、自分が嘉平の実子ではなく私生児であることは周知の事実であり、歳を重ねるごとに苦に病み、肩身の狭い思いをしていた。 歌名雄に思いを寄せており、由良泰子に嫉妬している。実は恩田幾三(後述)の娘である。
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