1981年の映画とは? わかりやすく解説

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1981年の映画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/26 14:27 UTC 版)

1981年の映画(1981ねんのえいが)では、1981年(昭和56年)の映画分野の動向についてまとめる。


注釈

  1. ^ 『The Hollywood Story』では、115.6 $MILLIONS となっている[1]
  2. ^ キネマ旬報1983年2月下旬号では『男はつらいよ 寅次郎かもめ歌』の配給収入は13億7100万円となっている[36]
  3. ^ キネマ旬報1983年2月下旬号では『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』の配給収入は12億1000万円となっている[36]
  4. ^ キネマ旬報1983年2月下旬号では『典子は、今』の配給収入は11億6000万円となっている[38]
  5. ^ 1981年2月から1982年1月までの1年間の東宝の年間配給収入は117億8000万円[39]
  6. ^ キネマ旬報1983年2月下旬号では『さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅』の配給収入は11億3000万円となっている[38]
  7. ^ キネマ旬報1983年2月下旬号では『野菊の墓』の配給収入は8億1000万円となっている[36]
  8. ^ 1981年2月から1982年1月までの1年間の東映の年間配給収入は78億6000万円 [39]
  9. ^ 『角川映画 1976‐1986 日本を変えた10年』では『悪霊島』と『蔵の中』は2本立て扱いで、配給収入は合計9億3000万円となっている[40]
  10. ^ 日本映画製作者連盟の発表では配給収入は13億円となっている[42]
  11. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史』では配給収入は13億7100万円となっている[37]
  12. ^ 日本映画製作者連盟の発表では配給収入は12億円となっている[42]
  13. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史』では配給収入は11億3000万円となっている[37]
  14. ^ 日本映画製作者連盟の発表では配給収入は10億8000万円となっている[42]
  15. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史』では配給収入は単独10位の10億1000万円となっている[37]
  16. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史』では配給収入はベストテンのランク外となっている[37]
  17. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史』では配給収入は23億1000万円となっている[37]
  18. ^ 日本映画製作者連盟の発表では配給収入は20億5000万円となっている[42]
  19. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史』では配給収入は15億9200万円となっている[37]
  20. ^ キネマ旬報では川喜多長政の死亡記事が1981年の10大ニュースの第5位となっている[46]
  21. ^ キネマ旬報では氏名が河原崎長十郎の長男である河原崎長一郎と誤植されている[44]

出典

  1. ^ Finler, Joel Waldo (2003) (英語). The Hollywood Story. Wallflower Press. p. 360. ISBN 978-1-903364-66-6. https://openlibrary.org/books/OL8767837M/The_Hollywood_Story 2024年2月12日閲覧。 
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  7. ^ a b c d 東宝 1982b, p. 142.
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  10. ^ アベル・ガンス:プロフィール・作品情報・最新ニュース”. 映画.com. 2024年3月24日閲覧。
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  28. ^ 第26作 男はつらいよ 寅次郎かもめ歌”. 『男はつらいよ』公式サイト. 松竹映画. 2016年12月28日閲覧。
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  37. ^ a b c d e f g h 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2012年5月、400頁。ISBN 978-4873767550 
  38. ^ a b 「邦画フリーブッキング配収ベスト9作品」『キネマ旬報1982年昭和57年)2月下旬号、キネマ旬報社、1982年、123頁。 
  39. ^ a b c d e f 竹入栄二郎「アイドル映画 データ分析」『キネマ旬報1983年昭和58年)8月下旬号、キネマ旬報社、1983年、40 - 41頁。 
  40. ^ 中川右介「資料編 角川映画作品データ 1976-1993」『角川映画 1976‐1986 日本を変えた10年』角川マガジンズ、2014年、281頁。ISBN 4-047-31905-8 
  41. ^ 「1981年度日本映画・外国映画業界総決算 外国映画」『キネマ旬報1982年昭和57年)2月下旬号、キネマ旬報社、1982年、130頁。 
  42. ^ a b c d 1981年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
  43. ^ Beulah Bondi”. IMDb. 2018年12月16日閲覧。
  44. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 映画界物故人 1982, p. 115.
  45. ^ Paul Hörbiger”. IMDb. 2018年12月16日閲覧。
  46. ^ 「81年映画界10大ニュース選出」『キネマ旬報1982年昭和57年)2月下旬号、キネマ旬報社、1982年、116 - 117頁。 





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