ロッテ・レーニャとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 芸能人 > 俳優・女優 > オーストリアの俳優 > ロッテ・レーニャの意味・解説 

ロッテ・レーニャ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/24 21:12 UTC 版)

ロッテ・レーニャ
Lotte Lenya
カール・ヴァン・ヴェクテンによる撮影、1962年
本名 Karoline Wilhelmine Blamauer
生年月日 (1898-10-18) 1898年10月18日
没年月日 (1981-11-27) 1981年11月27日(83歳没)
出生地 オーストリア=ハンガリー帝国 ウィーン
死没地 アメリカ合衆国 ニューヨーク市
国籍  オーストリア
配偶者 クルト・ヴァイル(1929-33, 1937-50), George Davis(1951-57), Russell Detwiler(1962-69), Richard Siemanowski(1971-73)
主な作品
ローマの哀愁
007 ロシアより愛をこめて
テンプレートを表示

ロッテ・レーニャLotte Lenya, 1898年10月18日 - 1981年11月27日)は、オーストリア出身の歌手、女優。

略歴

本名はカロリーネ・ヴィルヘルミーネ・ブラマウアー(Karoline Wilhelmine Blamauer)。ウィーンに生まれる。1920年代から1930年代にかけてドイツミュージカル舞台で活躍した。1925年、クルト・ヴァイルと知り合い、翌1926年に結婚。1933年に一度離婚したものの、1937年に復縁して以降、ヴァイルが1950年に死去するまで添い遂げた。

映画初出演は1931年、パプストの『三文オペラ』でのジェニー・ダイヴァ(タイヴァ)役であった。続いて1961年の『ローマの哀愁』の伯爵夫人役でアカデミー助演女優賞にノミネートされている。3本目の映画出演が1963年の『007 ロシアより愛をこめて』のローザ・クレッブ役である。

ヴァイルの死後は3回結婚したが、1981年にニューヨークで死去したのちに、ニューヨーク州ハベストロー・Mount Repose Cemeteryのヴァイルの墓石の隣に埋葬された。

主な出演作品

  • 三文オペラ Die 3 Groschen-Oper (1931) - ジェニー・ダイヴァ (Jenny Diver)[1]
  • ローマの哀愁 The Roman Spring of Mrs. StoneLove (1961) : アカデミー助演女優賞・ノミネート - ゴンザレス伯爵夫人(Contessa Magda Terribili-Gonzales)
  • 007 ロシアより愛をこめて 007 From Russia with Love (1963) - クレッブ大佐 (Rosa Klebb)
  • 約束 The Appointment (1969) - エマ・バラディール(Emma Valadier)
  • Semi-Tough (1977)  : 女流アメリカン・フットボールもの - Clara Pelf

伝記

  • 『ロッテ・レーニャ ワイマール文化の名花』
ドナルド・スポトー、谷川道子訳、文藝春秋、1992年

脚注

  1. ^ 戦前の日本では「タイヴァ」表記もあるが、ドイツ語の語頭のDは有声音。

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ロッテ・レーニャ」の関連用語

ロッテ・レーニャのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ロッテ・レーニャのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのロッテ・レーニャ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS