登場する文化・風俗等とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 登場する文化・風俗等の意味・解説 

登場する文化・風俗等

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/10 04:26 UTC 版)

スプートニクの恋人」の記事における「登場する文化・風俗等」の解説

ジャック・ケルアック アメリカ小説家詩人最初にミュウ会った頃、すみれは「いつも上着ポケットに『オン・ザ・ロード』か『ロンサム・トラヴェラー』をつっこんで、暇があればページをくっていた」。 ラパッロ条約 1922年イタリアラパッロRapallo)においてドイツソビエト連邦との間で成立した条約ミュウは「ラッパロ条約」とすみれに向かって言うが、正確には「ラパッロもしくは「ラパロ」である。 バナナ・ダイキリ カクテルの種類一つ。 すみれはバナナ・ダイキリを5杯飲んで酔っぱらい、「わたしには性欲というものがよく理解できないの」と「ぼく」うちあけるグレゴリー・ペック アメリカの映画俳優すみれの父親を「ぼく」は、「非常にハンサムな人で、とくに鼻筋は『白い恐怖』の頃のグレゴリー・ペック髣髴とさせた」と表現する。『白い恐怖』はアルフレッド・ヒッチコック監督した1945年公開アメリカ映画パワーブック Appleがかつて製造・販売していたノートパソコン。すみれが使用するPCとして登場する。 「すみれ」 エリーザベト・シュヴァルツコップ歌、ヴァルター・ギーゼキングピアノ伴奏の「すみれ」を、子供時代のすみれは繰り返し聴くアストラッド・ジルベルト ブラジル出身ボサノヴァ歌手。すみれと「ぼく」が入るなじみの喫茶店ジルベルトの歌う "(Take Me to) Aruanda" がかかる。 ミッソーニ イタリアアパレルメーカーミッソーニデザインしたビニールスポーツ・バッグが、ミュウ持ち物として登場する。 『エヴゲーニイ・オネーギンアレクサンドル・プーシキン韻文小説。「諸国歴史出来事の/うずたかい塵の山など/あさる気はなかったけれど」という言葉引用されている。 ジャン=リュック・ゴダール フランスの映画監督。すみれの声が「ジャン・リュック・ゴダールの古い白黒映画台詞みたいに」聞こえた、という箇所がある。 「マック・ザ・ナイフベルトルト・ブレヒト戯曲三文オペラ』の劇中歌1959年ボビー・ダーリン歌って全米1位を記録した。「君のいないぼくの生活は、『マック・ザ・ナイフ』の入っていない『ベスト・オブ・ボビー・ダーリン』みたいなものだ」と「ぼく」はすみれに言う。 グルーチョ・マルクス アメリカ喜劇役者グルーチョ言ったという台詞「彼女はわたしに激しく恋をしていて、おかげで前後見境がつかなくなっている。それが彼女がわたしに恋をした理由だ!」を「ぼく」会話の中で引用するフランツ・リストピアノ協奏曲第1番ローマですみれとミュウコンサートに行く。そこでマルタ・アルゲリッチピアノ、ジュゼッペ・シノーポリ指揮の同曲を鑑賞するジュリアス・カッチェン 米国ピアニストギリシャコテージミュウとすみれは、カッチェンの演奏するブラームスの「バラード」を聴く。 『ラ・ボエームジャコモ・プッチーニ作曲オペラ『007 ロシアより愛をこめて』 1963年公開イギリス映画「ぼく」はすみれに向かって「そんなことをしていたら、まるで『ロシアより愛をこめて』に出てきたロッテ・レーニャみたいに見えるよ」と諭す。 『ワイルドバンチ1969年公開アメリカ映画サム・ペキンパー監督出演者アーネスト・ボーグナインインタビュー答えた言葉をすみれが引用する

※この「登場する文化・風俗等」の解説は、「スプートニクの恋人」の解説の一部です。
「登場する文化・風俗等」を含む「スプートニクの恋人」の記事については、「スプートニクの恋人」の概要を参照ください。


登場する文化・風俗等

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 05:38 UTC 版)

1Q84」の記事における「登場する文化・風俗等」の解説

BOOK 1 『渚にて』 - グレゴリー・ペック主演アメリカ映画1959年製作。青豆テレビ深夜放送でこの映画を見る。そして「なるほど、睾丸思い切り蹴られるというのは、こういう感じ心持ちなのか」とそれなりに納得をする。 アリストテレスニコマコス倫理学』 - アリストテレス残した草案講義ノートなどを後に息子ニコマコス編纂したもの。リライトした『空気さなぎ』を元のものに差し替えたらどうかと提案する天吾に、小松同書言葉引用する。なお文中では「ニーコマス倫理学」と表記されている。 『平家物語』 - ふかえり天吾の前で「壇浦合戦」の部分暗誦する。暗誦した箇所(「源氏つはものども、すでに平家の舟に」から「ちいろの底へぞ入給ふ」まで)はそのまま書き表されている。 『サハリン島』 - 小説家劇作家アントン・チェーホフ書いたノンフィクション作品1895年刊行された。ふかえりに乞われて、天吾同書朗読する読まれる文章原卓也訳したものが元になっている。 『ゲッタウェイ』 - スティーブ・マックイーンアリ・マッグロー主演アメリカ映画1972年製作。あゆみは青豆発言に対して『ゲッタウェイ』みたいじゃないスティーブ・マックイーン映画札束ショットガンそういう好きだな」と言うBOOK 2 アントン・チェーホフ - 拳銃をひとつ用意してほしいと頼む青豆タマル次のように言う。 「チェーホフがこう言っている。物語の中拳銃出てきたら、それは発射されなくてはならない、と」「物語の中に、必然性のない小道具持ち出すということだよ」 村上は『海辺のカフカ』の登場人物カーネル・サンダーズ)にも同様のことを言わせている。 「ロシア作家アントン・チェーホフうまいこと言っている。『もし物語の中拳銃出てきたら、それは発射されなくてはならない』ってな。どういうことかわかるか?」「チェーホフ言いたいのはこういうことだ。必然性というのは、自立した概念なんだ」「お前の抱えている石は、チェーホフの言うところの『拳銃』なんだ」。 東條英機自殺未遂事件 - 東條英機逮捕指令出た1945年9月11日拳銃心臓の近く撃ち抜く米軍病院手術施され自殺未遂終わった。この東條事件タマル言葉の中で登場する村上エッセイ次のような感想述べている。「東条さんは自殺しくじり占領軍逮捕されアメリカ兵血液輸血され一命とりとめそのあと裁判かけられ絞首刑処せられた。という話だ。もし本当にそうだとしたら、これは『ちぇ、ったくもう』どころではない」 ウラジミール・ホロヴィッツ - ウクライナ生まれピアニスト天吾小説とりかかる場面で登場する。「彼は真新しい八十八個の鍵盤前にしたウラジミール・ホロヴィッツのように、十本の指を静かに空中に波打たせた。それから心を定めワードプロセッサー画面に文字打ち込み始めたウィンストン・チャーチル - イギリスの政治家、軍人青豆と「さきがけ」のリーダーとの間で次のような会話交わされる。 「復讐ほどコスト高く、益を生まないものはほかにない、と誰かが言った」 「ウィンストン・チャーチル。ただしわたしの記憶によれば、彼は大英帝国予算不足言い訳するためにそのように発言したんだ。そこには道義的意味合いはない」 チャーチルのこの言葉原文は「Nothing is more costly, nothing is more sterile, than vengeance. 」である。発言時期1946年。 『華麗なる賭け』 - スティーブ・マックイーンフェイ・ダナウェイ主演アメリカ映画1968年製作。青豆はBOOK2の終盤マンションを出ることを決意する。そして服装整える際、鏡の前で「『華麗なる賭け』に出ていたフェイ・ダナウェイみたいに見えないものだろうか」と思う。青豆乗せたタクシーの運転手は、ミシェル・ルグラン作曲した映画のサウンド・トラックハミングするBOOK 3 『東京日記』 - 内田百閒百閒随筆Ⅰ」収録のものから引用天吾病室で眠る父親の前で朗読する。ここで引用されているのは「その六」の一部。 『アフリカの日々』 - アイザック・ディネーセン1937年発表した小説原題Out of Africa)。天吾大村看護婦に乞われて『アフリカの日々』を朗読する。なお朗読される文章横山貞子訳文をもとにしている。 『マクベス』 - ウィリアム・シェイクスピア四大悲劇一つ天吾大学時代から暗記していた同戯曲一節原文訳文)を引用するホンダ・シビック - 本田技研工業1972年から販売している乗用車安達クミ天吾の間で以下のような会話交わされる。「本名安達クミ。なかなかぱっとしない名前でしょう」「悪くないよ。コンパクト余計な飾りがない」「ありがとう。そんな風に言われると、なんかホンダ・シビックになったような気がするね」 スマイリーフェイス - 1963年アメリカで生まれたキャラクター群。日本ではスマイルマーク」「ニコちゃんマーク」などと呼ばれている。同キャラクターは「天吾」の章で登場する。「(注・安達クミの)シャツには大きなスマイル・マークプリントしてあった。天吾スマイル・マーク最後に目にしたのは、一九七〇年代初めだった。グランド・ファンク・レイルロードとんでもなく騒々しい曲がジュークボックス震わせていた頃ことだ」 『罪と罰』 - フョードル・ドストエフスキー長編小説牛河青年時代述懐する場面で登場する。「俺は言うなればソーニャ会えなかったラスコーリニコフのようなものだ、とよく思ったものだ」と牛河は言う。ソーニャラスコーリニコフは『罪と罰』の登場人物。 『神々の黄昏』 - リヒャルト・ワーグナー楽劇舞台祝祭劇『ニーベルングの指環四部作の4作目に当たる。父親葬儀天吾は思う。「この男はそのユニフォーム(注・NHK集金人制服)に包まれこの世界生まれ落ち、それに包まれ焼かれていくのだ。実際に目の前にしてみると、彼が最後に身につける衣服として、それ以外のもの天吾にも思いつけなかった。ヴァーグナー楽劇出てくる戦士たちが鎧に包まれたまま火葬付されるのと同じことだ。」「そこにはおごそかな要素はまったくなかった。『神々の黄昏』の音楽聞こえてこなかった。」 カール・ユング - スイス精神科医心理学者タマルは突然、牛河向かってユングチューリッヒ湖畔に築いた建物について語り始める。 「その家はまだ今でもチューリッヒ湖畔に建っている。(中略)話によればそのオリジナルの『塔』の入り口には、ユング自身の手によって文字刻まれた石が、今でもはめ込まれているということだ。『冷たくても、冷たくなくても、神はここにいる』、それがその石にユングが自ら刻んだ言葉だ」 建物自体に関する記述はほぼ史実どおりであるが、タマル引用する言葉事実異なる。ラテン語刻まれ言葉「VOCATVS ATQVE NON VOCATVS DEVS ADERIT」は英語では通常、「Called or not called, the god will be there」と訳され日本出版されている『ユング自伝 1・2』(みすず書房)には「呼ばれようと、呼ばれまいと神は存在するという訳文で紹介されている。BOOK3の英語版翻訳担当したフィリップ・ガブリエルは、本書該当箇所を「Cold or Not, God Is Present」と訳した。 『ヘンリー四世 第2部』 - ウィリアム・シェイクスピア作の歴史劇タマルユング言及したあとにシェイクスピア言葉引用する。 「シェイクスピア書いているように(中略今日死んでしまえば明日死なずにすむ。お互いなるたけ良い面を見ようじゃないかタマルはこの言葉について「『ヘンリー四世』だったか『リチャード三世』だったか、その台詞出典思い出せ」ないと述べているが、出典は『ヘンリー四世 第2部』である。ただし元になった言葉原文は「he that dies this year is quit for the next.」であり、このときもタマル正確に引用していない。 なお『ヘンリー四世』のこの言葉は、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で次のように引用されている。「私は死ぬこと自体そんなに怖くなかったウィリアム・シェイクスピア言っているように、今年死ねば来年はもう死なないのだ」

※この「登場する文化・風俗等」の解説は、「1Q84」の解説の一部です。
「登場する文化・風俗等」を含む「1Q84」の記事については、「1Q84」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「登場する文化・風俗等」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「登場する文化・風俗等」の関連用語

登場する文化・風俗等のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



登場する文化・風俗等のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのスプートニクの恋人 (改訂履歴)、1Q84 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS