登場する文化・風俗
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クルーガーランド金貨 - 南アフリカ共和国造幣局発行の地金型金貨。カフカのリュックを見て大島は「ずいぶん重そうだけど、中にはいったいなにが詰まってるんだろう。クルーガー金貨?」と問う。 「流刑地にて」 - フランツ・カフカの短編小説。「不思議な処刑機械の出てくる話」(田村カフカ談)。田村カフカはこう述べている。「その複雑で目的のしれない処刑機械は、現実の僕のまわりに実際に存在したのだ。それは比喩とか寓話とかじゃない。」 『虞美人草』 - 夏目漱石の長編小説。大島に図書館に来てからどんなものを読んだのかと問われ、カフカは「今は『虞美人草』、その前は『坑夫』です」と答える。 『坑夫』 - 夏目漱石の長編小説。カフカは大島に向かって『坑夫』の所感を述べる。その感想は長く、話終わるまでに文庫版で3ページ費やされている。 フランツ・シューベルト『ピアノソナタ第17番ニ長調』 - 大島はこの曲を車の中でかけながらカフカにこう話す。「シューベルトというのは、僕に言わせれば、ものごとのありかたに挑んで敗れるための音楽なんだ。それがロマンティシズムの本質であり、シューベルトの音楽はそういう意味においてロマンティシズムの精華なんだ。」 ウィリアム・バトラー・イェイツ - アイルランドの詩人、劇作家。1923年にノーベル文学賞受賞。大島が本に記したメモに「僕らの責任は想像力の中から始まる。イェーツが書いている。In dreams begin the responsibilities――まさにそのとおり。」と書かれてある。ただし大島は正確には引用していない。この言葉は詩集『Responsibilities』(1914年)のエピグラフ「In dreams begins responsibility」からとられている。 「クロスロード」 - ロバート・ジョンソンの自作のブルーズ曲。原題は "Cross Road Blues"、または "Crossroads"。英国のロックバンド「クリーム」がカバーして有名になった。カフカはこの曲をMDウォークマンで聴く。 「リトル・レッド・コルヴェット」 - 米国のミュージシャン・プリンスの作品。1982年発表のアルバム『1999』に収められている。翌年シングルカットされ全米チャート6位を記録した。カフカはプリンスの音楽を「奇妙に切れ目のない音楽」と評する。なお本文中の表記は「リトル・レッド・コーヴェット」。 T・S・エリオット - イギリスの詩人、劇作家。エリオットの詩「The Hollow Men」を大島は引き合いに出す。「ただね、僕がそれよりも更にうんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。T・S・エリオットの言う〈うつろな人間たち〉だ。」。エリオットのこの詩は長編『騎士団長殺し』でも引用される。 『マクベス』 - ウィリアム・シェイクスピアの戯曲。ジョニー・ウォーカーはマクベスの2つの台詞を引用する(文中で引用されている訳は、福田恒存)。村上はのちに『1Q84』の登場人物に、『マクベス』の一節(原文、訳文の両方)をまるまる引用させている。 アントン・チェーホフ - ロシアの劇作家、短編小説家。カーネル・サンダーズは星野に向かって次のように話す。 「ロシアの作家アントン・チェーホフがうまいことを言っている。『もし物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはならない』ってな。どういうことかわかるか?」「チェーホフが言いたいのはこういうことだ。必然性というのは、自立した概念なんだ。」「お前の抱えている石は、チェーホフの言うところの『拳銃』なんだ」。 村上は『1Q84』の登場人物にも同様のことを言わせている。拳銃をひとつ用意してほしいと頼む青豆にタマルは次のように言う。「チェーホフがこう言っている。物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはならない、と。」「物語の中に、必然性のない小道具は持ち出すなということだよ」 スペイン内戦 - 1936年から1939年にかけてスペインで勃発した内戦。大島とカフカとの間で次のような会話が交わされる。「いつかスペインに行きたい」「どうしてスペインなの?」「スペイン戦争に参加するんだ」「スペイン戦争はずっと前に終わったよ」「知ってるよ。ロルカが死んで、ヘミングウェイが生き残った」 生き霊 - カフカは「人が生きながら幽霊になることってあるの?」と大島に尋ねる。大島は「たとえば『源氏物語』の世界は生き霊で満ちている」「紫式部の生きていた時代にあっては、生き霊というのは怪奇現象であると同時に、すぐそこにあるごく自然な心の状態だった。そのふたつの種類の闇をべつべつに分けて考えることは、当時の人々にはたぶん不可能だっただろうね。」と答えている。 村上自身も河合隼雄と1995年に行った対談の中で、同じような質問をしている。「『源氏物語』の中にある超自然性というのは、現実の一部として存在したものなんでしょうかね」という問いかけに対する河合の返答は、「あんなの(注・怨霊等)はまったく現実だとぼくは思います」「もう全部あったことだと思いますね」 『雨月物語』 - 上田秋成の読本(よみほん)作品。「菊花の約」(きっかのちぎり)の編が紹介されている。 『大人は判ってくれない』 - フランソワ・トリュフォー監督の最初の長編映画。高松市内の映画館で星野が見る映画。また兵隊たちに連れられた建物の中でカフカはこの映画の一シーンを思い出す。 『ピアニストを撃て』 - トリュフォーの2作目の長編映画。高松市内の映画館で星野が見る映画。 ロシア遠征 - 1812年にフランス帝国のナポレオン1世がロシアに侵攻し、敗北、退却するまでの一連の歴史的事件。山のキャビンでカフカ少年はロシア遠征について書かれた本を読む。カフカ自身による説明が本書に記されている。「この実質的な意味をほとんど持たない戦争のおかげで、おおよそ40万人のフランス軍兵士が見知らぬ広大な土地で命を落とすことになった。戦闘はもちろん残酷ですさまじいものだった。医師の数がじゅうぶんではなく、医薬品も不足していたために、深い傷を負った兵士のおおかたは、そのまま苦痛の中で死んだ。」 マツダ・ファミリア - 1963年10月から2003年10月まで、マツダが製造生産していた小型自動車。高松市内のレンタカー店で星野は白のファミリアを借りる。 「マイ・フェイヴァリット・シングズ」 - ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』のうちの一曲。カフカの頭の中にあるのはジョン・コルトレーンがカバーしたバージョン。森の中で彼はコルトレーンのソプラノ・サックスを模した口笛を吹く。
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「ダンス・ダンス・ダンス」の記事における「登場する文化・風俗」の解説
音楽 ジェファーソン・エアプレイン 主に1960年代に活躍したアメリカのロックバンド。のちにスターシップへと発展した。本文の中で「死後硬直の死体を思わせるジェファーソン・エアプレイン」と表現される。 「ボーン・トゥー・ルーズ」 レイ・チャールズが1962年に発表した歌。Ted Daffan's Texansの古いカントリーソングのカバー。「アナウンサーがここでオールディーズを一曲、と言った。レイ・チャールズの『ボーン・トゥー・ルーズ』だった。それは哀しい曲だった。『僕は生まれてからずっと失い続けてきたよ』とレイ・チャールズが歌っていた。『そして僕は今君を失おうとしている』。その唄を聴いていて、僕は本当に哀しくなった」 ジェネシス 英国のロックバンド。ユキのトレーナー・シャツに「GENESIS」というレタリングが入っているのが「僕」の目に入る。「ジェネシス――また下らない名前のバンドだ」と「僕」は思う。 「ロカフラ・ベイビー」 エルヴィス・プレスリー主演の映画『ブルーハワイ』(1961年)の挿入歌。「僕」は古代エジプトの水泳教師を描いた映画を想像する。「白い歯を見せてにっこりと笑い、優雅に小便をする。ウクレレをもたらせたらナイルの河岸に立って『ロカフラ・ベイビー』でも歌い出しそうである。こういう役は彼にしかできない」 アル・マルティーノ 米国の歌手・俳優。映画『ゴッドファーザー』のジョニー・フォンテーン役として知られる。「恐ろしいほどの完璧な暗闇」の中で「僕」は思う。「なんでもいいから音楽が聴きたかった。あまりにも静かすぎるのだ。ミッチ・ミラー合唱団だって我慢する。アンディー・ウィリアムズとアル・マルティーノがデュエットで唄っても我慢する」 トーキング・ヘッズ アメリカ合衆国のロックバンド。本書には2回登場する。「TALKING HEADS」と書かれたトレーナー・シャツを着たユキを見て「僕」は次のように述べる。「『トーキング・ヘッズ』と僕は思った。悪くないバンド名だった。ケラワックの小説の一節みたいな名前だ。『語りかける頭が俺の隣でビールを飲んでいた。俺はひどく小便がしたかった。小便をしてくるぜとと俺は語りかける頭に言った』 懐かしきケラワック。今はどうしているものか」「僕」の乗る車でトーキング・ヘッズの1979年のアルバム『フィア・オブ・ミュージック』がかかる。なお村上は「フェア・オブ・ミュージック」と表記している。 「オール・アローン・アム・アイ」 ブレンダ・リーが1962年に発表したヒット曲。全米3位を記録した。「そういえば僕もその頃はロック・レコードを集めていた。45回転のシングル盤を。レイ・チャールズの『旅立てジャック』やら、リッキー・ネルソンの『トラヴェリン・マン』やら、ブレンダ・リーの『オール・アローン・アム・アイ』、そういうのを百枚くらい」 「トラヴェリン・マン」 リッキー・ネルソンが1961年に発表したシングルのA面曲。全米1位を記録した。B面は「ハロー・メリー・ルー」。歌詞の一部(3行分)が本書で引用されている。「僕は頭の中で試しに『トラヴェリン・マン』の歌詞を思い出して歌ってみた。信じられない話だけれど、まだ歌詞を全部覚えていた。どうしようもない下らない歌詞だったが、歌ってみるとちゃんとすらすら出てきた」 「サマータイム・ブルース」 エディ・コクランの1958年のヒット曲。全米8位を記録した。カーステレオに入れたテープから流れる。 「カム・ゴー・ウィズ・ミー」 ザ・デル・ヴァイキングスの1957年のヒット曲。カー・ステレオから流れる「カム・ゴー・ウィズ・ミー」にあわせて「僕」は一緒に合唱する。 「シュガー・シャック」 ジミー・ギルマー&ザ・ファイアボールの1963年のヒット曲。5週連続で全米1位を記録した。レンタカー・オフィスで「僕」が借りたオールディーズのテープに入っており、「僕」は次のように書く。「ジミー・ギルマー『シュガー・シャック』。僕は歯の隙間から口笛を吹いて運転した。道路の左手には真っ白な原野が広がっていた。『ただの小さな木作りのコーヒー・ショップ。エスプレッソが御機嫌にうまいんだ』。良い唄だ。一九六四年」 「シャフトのテーマ」 映画『黒いジャガー』(原題: Shaft)のテーマ曲。アイザック・ヘイズが作詞作曲し歌唱した。正式の邦題は「黒いジャガーのテーマ」。「僕はラジオから流れる『シャフトのテーマ』を聴きながら買ってきた野菜をひとつひとつきちんと放送して冷蔵庫にしまった。その男は誰だ? シャフト!」 「イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー」 ボブ・ディランのアルバム『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』(1965年)の収録曲。五反田君が女の子とベッドルームに行ったあとテープから流れる。 カウント・ベイシー 米国のジャズ・ピアニスト、バンド・リーダー。本書では2回登場する。「毎日が同じような繰り返しだった。そうこうするうちにエリオットの詩とカウント・ベイシーの演奏で有名な四月がやってきた」「風呂を出ると僕はカリフラワーを茹で、それを食べながらビールを飲み、アーサー・プライソックがカウント・ベイシー・オーケストラをバックに唄うレコードを聴いた。無反省にゴージャスなレコード。十六年前に買った。一九六七年。十六年間聴いている。飽きない」。「カウント・ベイシーの演奏で有名な」とあるのは、ベイシーが1957年にアルバムの中で発表した "April in Paris" のことを指す。 「エヴリデイ・ピープル」 スライ&ザ・ファミリー・ストーンが1968年に発表したシングル曲。翌1969年に全米1位を記録した。曲の歌詞(村上訳)が本文に出てくる。また「僕」は五反田君に向かって同曲の歌詞を引用する。 「ハングリー・ハート」 ブルース・スプリングスティーンが1980年に発表したシングル曲。ハワイのラジオ局から流れる。以下は「僕」の言葉。「ブルース・スプリングスティーンが『ハングリー・ハート』を歌った。良い歌だ。世界もまだ捨てたものではない。ディスク・ジョッキーもこれは良い歌だと言った」 フランツ・シューベルト「ピアノ三重奏曲第2番 作品100」 アイザック・スターン、レナード・ローズ、ユージン・イストミンのトリオによる同曲のレコードが登場する。「僕はずっと昔から、春になるとこのレコードをよく聴いた。春の夜が含むある種の哀しみが、この曲のトーンに呼応しているように僕は感じていた」と「僕」は記す。 「サマー・イン・ザ・シティ」 ラヴィン・スプーンフルが1966年に発表した歌。全米1位を記録した。「僕」はユキの目を見て思う。「その目は僕に夏の光を思わせた。鋭く水中に差し込んで屈曲し輝いて散るあの夏の光」。そしてユキと別れると「僕」は口笛で「サマー・イン・ザ・シティ」を吹きながら車で表参道を通る。 その他 キース・ヘリング 1990年に死去した米国の画家。「僕」のハーフコートにはキース・ヘリングのバッジがついている。 ダンキンドーナツ 1948年に米国で創業したファーストフードチェーン店。1998年を境に、米軍基地内を除いて日本から姿を消した。本書では8回登場する。 トヨタ・カローラ・スプリンター 「カローラ・スプリンター」はトヨタ自動車の「スプリンター」シリーズの初代の名称。スプリンターは1968年から2002年まで生産・販売されていた。北海道の空港のレンタカーオフィスで主人公が借りる車。 バージニア・スリム タバコの銘柄の一つ。2010年に「バージニア・エス」と改称した。ユキがバージニア・スリムを吸う仕草を「僕」は次のように表現する。「ナイフで切り取ったような薄い鋭角的な唇にフィルターがそっとくわえられ、火をつけるときに長いまつげが合歓の木の葉のようにゆっくりと美しく伏せられた。額に落ちた細い前髪が彼女の小さな動作にあわせて柔らかく揺れた。完璧だった」 ル・コルビュジェ スイスで生まれフランスで主に活躍した建築家。映画『片想い』の五反田君の部屋にル・コルビュジェの絵がかかっている。 パブロ・ピカソ スペイン出身の画家・彫刻家。牧村拓が主人公に向かって「君は俺に何かを連想させる。何だろう?」と問いかけると、「何だろう? ピカソの『オランダ風の花瓶と髭をはやした三人の騎士』だろうか?」と「僕」が自問する場面がある。ピカソにこのような作品は存在しない。 T・S・エリオット 英国の詩人、文芸批評家。上記の引用部分は、エリオットの長編詩『荒地』の書き出しが「April is the cruellest month」であることにちなんでいる。 三菱・ランサー 三菱自動車工業が生産している自動車の名称。オリジナルのランサーは2010年5月をもって販売終了した。ホノルルのレンタカー屋で「僕」が借りる車。 ロバート・フロスト 米国の詩人。ピューリッツァー賞を4度受賞している。「僕は一度ディック・ノースがロバート・フロストの詩を朗読するのを聞いた。詩の内容まではもちろんわからなかったけれど、なかなか上手い朗読だった。リズムが美しく、情感がこもっていた」 佐藤春夫 近代日本を代表する詩人、小説家のひとり。「佐藤春夫の短編を久し振りにゆっくりと読みかえしてみた。何ということもなく気持ちの良い春の宵だった」という箇所がある。 イザベル・アジャーニ フランスの女優。「泉に車を落としたらイザベル・アジャーニみたいな泉の精が出てきた」と「僕」がユキに説明する場面がある。 ニキ・ラウダ オーストリア出身のF1レーシングドライバー。1975年、1977年、1984年のF1チャンピオン。ドライブ中「Uターンして東京に帰ろう」と言うユキに「僕」はこう答える。「ここは東名高速だよ。たとえニキ・ラウダといえどもここでUターンはできない」 ビョルン・ボルグ 村上は「ビヨン・ボルグ」と表記している。スウェーデン出身の男子プロテニス選手。コート上で常に冷静沈着なことから「アイス・マン」と呼ばれていた。「真似しないでよ」と言うユキに「僕」は次のように反論する。「真似じゃないよ。それは君自身のこだまだよ。コミュニケーションの欠落を証明するためにビヨン・ボルグが激しく打ち返してるんだ。スマッシュ!」 シェーキーズ 米国発祥のピッツェリア・チェーン。物語の終盤、「僕」と五反田君はシェーキーズに入りピザとビールをとる。
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登場する文化・風俗
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「ノルウェイの森」の記事における「登場する文化・風俗」の解説
ホンダ・N360 本田技研工業が1967年から1972年まで生産・販売していた軽自動車。キズキの親が所有していた車。 『グレート・ギャツビー』 F・スコット・フィッツジェラルドの長編小説。アメリカがバブル景気に沸く狂騒の20年代の堕落パーティーをフィールドとし、1925年に出版された。村上春樹の翻訳書は2006年に新潮社より刊行された。「十八歳の歳の僕にとって最高の書物はジョン・アップダイクの『ケンタウロス』だったが何度か読みかえすうちにそれは少しずつ最初の輝きを失って、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビイ』にベスト・ワンの地位をゆずりわたすことになった。そして『グレート・ギャツビイ』はその後ずっと僕にとっては最高の小説でありつづけた」と記されている。ワタナベと同じ寮に住む永沢さんは「『グレート・ギャツビイ』を三回読む男なら俺と友だちになれそうだな」と言い、ワタナベと友だちになる。また、阿美寮でワタナベが「僕はジェイ・ギャツビイが対岸の小さな光を毎夜見守っていたのと同じように、その仄かな揺れる灯を長いあいだ見つめていた」と語る場面がある。 F・スコット・フィッツジェラルド 直子はワタナベに「ねえ、自分のこと普通の人間だという人間を信用しちゃいけないと書いていたのはあなたの大好きなスコット・フィッツジェラルドじゃなかったかしら? あの本、私あなたに借りて読んだのよ」と発言している。直子が引用した言葉は2017年の最新作『騎士団長殺し』で再び引用される。 「ディア・ハート」 ヘンリー・マンシーニの1964年の作品。アンディ・ウィリアムズが歌ったバージョンも、マンシーニが「ヘンリー・マンシーニ・アンド・ヒズ・オーケストラ」名義で発表したバージョンも共にヒットした。直子の大好きな曲として登場する。ワタナベは直子へのクリスマス・プレゼントに「ディア・ハート」の入ったレコードを選び、レイコは直子の"お葬式"で同曲を最初に演奏している。 エウリピデス 古代アテナイの三大悲劇詩人のひとり。ワタナベと緑が受講している「演劇史II」の授業で、エウリピデスの『エレクトラ』がテキストに使われている。 ハンフリー・ボガート アメリカの映画俳優。ワタナベは、緑と初めて出会ったときに「ねえ、あなたってなんだかハンフリー・ボガートみたいなしゃべり方するのね。クールでタフで。」と評されている。 『グリーン・ホーネット』 アメリカのヒーロー物のテレビ番組・ラジオ番組。映画デビュー前のブルース・リーが助演していたことで知られる。緑は高校時代の同級生の思い出話をする際、同番組を引き合いに持ち出し、「車は運転手つきで、その運転手たるや『グリーン・ホーネット』に出てくる運転手みたいに帽子かぶって白い手袋はめてるのよ。なのにその子、自分のこと恥ずかしがってるのよ。信じられないわ。信じられる?」と発言している。 『性的人間』 大江健三郎が1963年に著した中編小説。緑はワタナベに「『戦争と平和』もないし、『性的人間』もないし、『ライ麦畑』もないの。それが小林書店。そんなもののいったいどこがうらやましいっていうのよ? あなたうらやましい?」と発言するシーンがある。 アップル・レコード ビートルズが1968年に設立したレコードレーベル。大学2年の秋の日曜日(1969年10月頃)、ワタナベは昼食に誘われ緑の家に行く。緑はアップル・レコードのりんごのマークが大きく印刷されたネイビー・ブルーのTシャツを着て一心不乱に料理を作る。 『卒業』 1967年公開のアメリカ映画。日本では1968年6月に公開された。ワタナベはその翌年新宿の二番館で『卒業』を見ており、「それほど面白い映画とも思えなかったけれど、他にやることもないので、そのままもう一度くりかえしてその映画を観た」とも述べている。その後京都の高原のコーヒー・ハウスで再びこの映画の話題が出る。ラジオからサイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」が流れたとき、次のような会話がレイコとの間で交わされる。「この映画観ましたよ」「誰が出てるの?」「ダスティン・ホフマン」「その人知らないわねえ」 『ライ麦畑でつかまえて』 J・D・サリンジャーの長編小説。1951年に出版された。村上春樹の翻訳書は2003年に白水社より刊行された。レイコがワタナベと初めて会ったときに、「あなたって何かこう不思議なしゃべり方するわねえ」「あの『ライ麦畑』の男の子の真似してるわけじゃないわよね」といった人物評を彼に下している。 シェヘラザード 『千夜一夜物語』の語り手。「もし話のつづき聞きたいんなら明日話してあげるわよ。長い話だから一度には話せないのよ」と言うレイコに、ワタナベは「まるでシエラザードですね」と応えるシーンがある。 ブラームス「ピアノ協奏曲第2番」 ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)とカール・ベーム(指揮)が1967年に録音したレコードについて、レイコは次のように語る。「昔はこのレコードをすりきれるくらい聴いたわ。本当にすりきれちゃったのよ。隅から隅まで聴いたの。なめつくすようにね」 デサフィナード ニュウトン・メンドンサが作詞し、アントニオ・カルロス・ジョビンが作曲したボサノヴァの曲。主な収録アルバムに、ジョアン・ジルベルトの『想いあふれて』(1959年)、スタン・ゲッツとチャーリー・バードの『ジャズ・サンバ』(1962年)、スタン・ゲッツとジョアン・ジルベルトの『ゲッツ/ジルベルト』(1964年)などがある。レイコは「デサフィナード」の演奏を、それぞれ阿美寮とワタナベの吉祥寺の下宿で披露している。 DUG 1967年、新宿の紀伊國屋書店裏にオープンしたジャズ喫茶。ワタナベと緑が入る店として数回登場する。 「まぼろしの世界」 アメリカのロックバンド、ザ・ドアーズが1967年に発表した曲。原題は "People Are Strange"。緑の「ジム・モリソンの歌にたしかそういうのあったわよね」という言葉を受けて、ワタナベは「まぼろしの世界」の歌詞(People are strange when you are a stranger)を引用する。 セロニアス・モンク アメリカのジャズピアニスト。モンクの弾く「ハニサックル・ローズ(Honeysuckle Rose)」が「DUG」でかかる。 金槐和歌集 源実朝の歌集 建暦三年(1213年)完成。緑に「すごくってどれくらい?」と聞かれてワタナベが答える「山が崩れて海が干上がるくらい可愛い」は、金槐和歌集掉尾の「山はさけ 海はあせなむ 世なりとも 君にふた心 わがあらめやも」からの引用である。 ロベール・カサドシュ フランスのピアニスト(1899年 - 1972年)。ワタナベはアルバイト先で知り合った伊東という学生のアパートで、ロベール・カサドシュの弾くモーツァルトのピアノ・コンチェルトを聴く。なお、カサドシュは『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』にも登場する。「ハードボイルド・ワンダーランド」の章で語り手の「私」は次のように叙述する。「ベッドに寝転んで、ロベール・カサドシュがモーツァルトのコンチェルトを弾いた古いレコードを聴いた。モーツァルトの音楽は古い録音で聴いた方がよく心になじむような気がする。でももちろんそういうのも偏見かもしれない。」 テネシー・ウィリアムズ アメリカ合衆国ミシシッピ州出身の劇作家。1970年4月の水曜日、ワタナベと緑は「テネシー・ウィリアムズの戯曲についての総論・そのアメリカ文学における位置」という講義を聴く。 「ウェディング・ベル・ブルーズ」 アメリカのシンガーソングライター、ローラ・ニーロが1966年に発表したデビュー・シングル。1969年、フィフス・ディメンションがカバーし、ビルボードチャートの1位を記録した。本書では「ウェディング・ベル・ブルーズ」はバート・バカラックの作品となっているが、誤りである。
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登場する文化・風俗
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「国境の南、太陽の西」の記事における「登場する文化・風俗」の解説
「プリテンド」 - アメリカのポピュラー・ソング。ナット・キング・コールのバージョン(1953年)が最もよく知られる。「僕」と島本さんが何度も繰り返して聴いた「プリテンド」もナット・キング・コールのバージョンである。 「国境の南」 - アメリカのポピュラー・ソング。ジーン・オートリー主演の同名映画(1939年)のために書かれた楽曲である。「ナット・キング・コールが『国境の南』を歌っているのが遠くの方から聞こえた。(中略)その曲を聴くたびにいつも、国境の南にはいったい何があるんだろうと思った」と少年時代を回顧する場面でまず登場する。そして箱根の別荘でも「国境の南」はかかる。「僕らは昔のようにソファーに並んで座って、ナット・キング・コールのレコードをターンテーブルに載せた。(中略) ナット・キング・コールは『国境の南』を歌っていた。その曲を聴くのは本当に久しぶりだった」 シアサッカー - 布地の種類の一つ。しじらの入った織物。「僕」は3回目のデートでイズミを抱き寄せる。「それは夏の終わりのことで、彼女はシアサッカーのワンピースを着ていた。腰のところで紐を結ぶようになっていて、それが尻尾のように後ろにさがっていた」 トヨタ・コロナ - トヨタ自動車が1957年から2001年まで生産・販売していた乗用車。「僕」は有紀子の父親と出会わなかったときのことを考える。「たぶん今でも教科書を編集していたはずだ」という言葉のあとに次のように述べる。「西荻窪のぱっとしないマンションに住んで、エアコンのききのわるい中古のトヨタ・コロナにでも乗っていたことだろう」 『BRUTUS』 - マガジンハウスが発売している情報誌。1980年5月創刊。『BRUTUS』の特集記事「東京バー・ガイド」に「ロビンズ・ネスト」が掲載される。 「スタークロスト・ラヴァーズ」 - デューク・エリントンの『サッチ・スウィート・サンダー』(1957年)に収められた曲。作曲はエリントンとビリー・ストレイホーン。中盤、島本さんと「僕」は「ロビンズ・ネスト」で再会するが、その場面でピアニストが「スタークロスト・ラヴァーズ」を弾く。それは「僕」がその曲を好きなことをピアニストが知っていたからだった。「エリントンの作った曲の中ではそれほど有名な方ではないし、その曲にまつわる個人的な思い出があったわけでもないのだが、何かのきっかけで耳にしてから、僕はその曲に長いあいだずっと心を引かれつづけていた」 チャーリー・パーカー - ジャズのアルトサックス奏者。「最近のジャズ・ミュージシャンはみんな礼儀正しくなった」と「僕」は島本さんに説明する。「経営する方にとっては礼儀正しくてこぎれいな連中の方がずっと扱いやすい。それもそれでまた仕方ないだろう。世界じゅうがチャーリー・パーカーで満ちていなくてはならないというわけじゃないんだ」 『アラビアのロレンス』 - 1962年公開のイギリス映画。有紀子は「僕」に『アラビアのロレンス』は何度見ても面白いと言う。 ジョルジュ・スーラ - 19世紀のフランスの画家。義父の会社の社長室にかけてある灯台と船の絵を、「僕」は「スーラーの絵のように見えたが、あるいは本物かもしれない」と思う。 メルセデス・ベンツ・260E - 娘の友だちの母親が乗る車。 「バーニング・ダウン・ザ・ハウス」 - トーキング・ヘッズが1983年に発表したシングル。全米チャート9位を記録した。幼稚園まで娘を迎えに行った際、娘の友だちの母親の車から「バーニング・ダウン・ザ・ハウス」が流れる。 ヨシエ・イナバ - 日本のファッションデザイナー稲葉賀恵が1981年に発表したブランド。娘の友だちの母親との会話で登場する。「彼女はイナバ・ヨシエの服のファンで、シーズンの前にはカタログで欲しい服を全部予約してしまうのだと言った」
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登場する文化・風俗
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「羊をめぐる冒険」の記事における「登場する文化・風俗」の解説
ファラ・フォーセット アメリカの女優・モデル。1973年にリー・メジャーズと結婚した際に、芸名を「ファラ・フォーセット・メジャーズ」とした。「僕」は耳専門のモデルからこう言われる。「ファラ・フォーセット・メジャーズの鼻を見るたびにくしゃみが出る人を知ってるわよ」 ポールモール ブリティッシュ・アメリカン・タバコ社が生産・販売するタバコのブランド。「僕」は事務所の応接用のシガレット・ケースからフィルターつきのポールモールを一本取って火をつける。 『ドイツ・イデオロギー』『カラマーゾフの兄弟』『静かなドン』 カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスとの共著作。黒服と会ったあと、新宿に向かう車の中で「僕」は次のように述べる。「僕は『カラマーゾフの兄弟』と『静かなドン』を三回ずつ読んだ。『ドイツ・イデオロギー』だって一回読んだ。円周率だって小数点以下十六桁まで言える」 ハイネケン オランダのビール。黒服と会ったあと、新宿の高層ホテルのバーで「僕」が3回注文する。2回目は2本。1978年時点で日本国内での製造販売はなかった(1984年からキリンビールがライセンス生産)。「僕は高層ホテルの最上階に上って、広いバーに入り、ハイネケン・ビールを注文した」。 ジョニー・リヴァーズ アメリカの歌手、ミュージシャン。「僕」の家でガール・フレンドは、リヴァーズの歌う「ミッドナイト・スペシャル」「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」「シークレット・エージェント・マン」「ジョニー・B・グッド」などの曲を聴く。 『荒野の七人』 1960年公開のアメリカ映画。ジョン・スタージェス監督。空港に向かう途中、「僕」とガール・フレンドの乗る車の後ろにつけたハイ・エースが『荒野の七人』のテーマ曲のイントロをもじったホーンを鳴らす。なお同テーマ曲はエルマー・バーンスタインが作曲した。 「峠の我が家」 アメリカの民謡で、カンザス州の州歌。原題 Home on the Range。「僕」とガール・フレンドは次のような会話を交わす。「ああいう人ばかりが住んでいる場所があるんだよ。そこでは乳牛がやっとこを探しまわってるんだ」「なんだか『峠の我が家』みたいね」なお短編『ニューヨーク炭鉱の悲劇』にも同曲は登場する。「私、『蛍の光』って大好きよ。あなたは?」「『峠の我が家』の方が良いな、かもしかやら野牛やらが出てきて」 『インベーダー』 アメリカのABC系列で1967年から1968年まで放送されたテレビドラマ。原題 The Invaders。黒服の男によって追い込まれた状況を「僕」が説明すると、ガール・フレンドは「そういうのって、テレビの『インベーダー』みたいじゃないの?」と言う。 フィッシャーマンズ・セーター アイルランドやスコットランドなどに住む漁師の仕事着が起源のセーター。凹凸がはっきりした縄状のケーブル網みを特徴とする。十二滝町に向かう準備として「僕」は札幌のデパートでぶ厚いフィッシャーマン・セーターを買う。 『スイスのロビンソン』 ヨハン・ダビット・ウィースの児童文学。鼠の別荘に辿り着いた「僕」は次のような感想を述べる。「家が古びていくのとは対照的に樹木は休むことなく生長しつづけ、まるで『スイスのロビンソン』に出てくる樹上家屋のように建物をすっぽりと包んでいた」 『プルターク英雄伝』 プルタルコスが著した古代ギリシア・ローマの著名な人物の伝記。邦訳は『プルターク英雄伝』のタイトルがなじみが深い。鼠の別荘に置いてある本のひとつ。「『プルターク英雄伝』や『ギリシャ戯曲選』やその他の何冊かの小説だけが風化をまぬがれて生き残っていた」 パーシー・フェイス アメリカの作曲家、編曲家、指揮者。ガール・フレンドのいない鼠の別荘で、「僕」はパーシー・フェイス・オーケストラの「パーフィディア」を聴きながらひとりで夕食をとる。パーシー・フェイスは村上の小説に最も多く登場する音楽家の一人である。本書のほかに『ダンス・ダンス・ダンス』『ねじまき鳥クロニクル』『アフターダーク』、短編「女のいない男たち」などに登場する。 神々の黄昏 村上は「ゲッテルメルング」とルビを振っている。北欧神話の世界における終末の日のこと。原語では「ラグナロク」と言うが、リヒャルト・ワーグナーがこれを「ゲッテルメルング」(神々の黄昏)と訳したため、日本では「神々の黄昏」の訳語が定着している。パーシー・フェイス・オーケストラの「パーフィディア」など古いレコードを何枚か聴きながら「僕」は思う。「もしそうであったとすれば(中略)、鼠も羊もみつからぬうちに期限の一ヵ月は過ぎ去ることになるし、そうなればあの黒服の男は僕を彼のいわゆる『神々の黄昏(ゲッテルメルング)』の中に確実にひきずりこんでいくだろう」 レーベンブロイ ドイツのビール 独: Löwenbräu。村上は英語読みの「ローエンブロウ」と表記している。羊男が2回目に訪ねて来て、「僕」がギターを叩き割った後で台所に取りに行くビール。小説の舞台である1978年時点では日本では製造販売されていない(1983年からアサヒビールがライセンス生産)。「僕は冷蔵庫から新しいローエンブロウの青い缶を取り出し、それを手に持ったまま帰りにもう一度鏡の中の居間を眺め、それから本物の居間を眺めた。」 『我輩はカモである』 1933年公開のアメリカ映画。マルクス兄弟主演。原題 Duck Soup。「僕」は鏡の前でこう思う。「我々は顔を見合わせてため息をついた。我々は違う世界に住んで、同じようなことを考えている。まるで『ダック・スープ』のグルーチョ・マルクスとハーポ・マルクスみたいに」
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登場する文化・風俗
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「アフターダーク」の記事における「登場する文化・風俗」の解説
「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」 - ジェリー・ゴフィンとキャロル・キングが作詞作曲した楽曲。パーシー・フェイス楽団の演奏によるものがデニーズの店内で流れる。なおパーシー・フェイスのバージョンはアルバム『Themes for Young Lovers』(1963年)で聴くことができる。 カーティス・フラー - トロンボーン奏者。フラーのアルバム『ブルースエット』に収められた「ファイブ・スポット・アフターダーク」を聴いたとき、高橋は「両方の目からうろこがぼろぼろ落ちるような気がした」と語っている。 マーティン・デニー - 作曲家、ミュージシャン。エキゾチック・サウンドで一世を風靡した。マーティン・デニー楽団の「モア」がデニーズの店内で流れる。 ベン・ウェブスター - テナーサックス奏者。マリとカオルが入ったバーで、ウェブスターの古いレコードがかかる。 『アルファヴィル』 - 1965年公開のフランス映画。ジャン=リュック・ゴダール監督、エディ・コンスタンティーヌ、アンナ・カリーナ主演。ラブホテルの名前として登場する。 ペット・ショップ・ボーイズ - イギリスの音楽グループ(デュオ)。「ジェラシー」がすかいらーくの店内でかかる。 ホール・アンド・オーツ - アメリカの音楽グループ(デュオ)。「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」が同じくすかいらーくの店内でかかる。 「雪が降る」 - ベルギーの歌手アダモの歌。アダモ自身も歌った同曲の日本語歌詞を、コムギが歌う。 イヴォ・ポゴレリチ - ピアニスト。白川はポゴレリチの演奏する『イギリス組曲』を誰もいない勤務先でかける。 『ある愛の詩』 - 1970年公開のアメリカ映画。高橋はマリに向かって映画のあらすじを詳しく説明する。 タカナシ乳業 - 日本で初めて「ローファットミルク」を発売した乳業メーカー。白川は妻に頼まれた「タカナシのローファット牛乳」をセブンイレブンで買う。 ソニー・ロリンズ - サックス奏者。ロリンズの「ソニームーン・フォア・トゥー」を高橋はバンドの練習で演奏する。 スガシカオ - 日本のシンガーソングライター。高橋が入ったセブンイレブンで「バクダン・ジュース」が流れる。
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「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の記事における「登場する文化・風俗」の解説
『巡礼の年』 - フランツ・リストのピアノ曲集。作中では、曲集のうち『第1年:スイス』の第8曲「ル・マル・デュ・ペイ(郷愁、ノスタルジア等と訳される)」が重要なモチーフとして登場する。 カベルネ・ソーヴィニオン - ワイン用のブドウの品種の一つ。恵比寿の外れにあるバーで沙羅はナパのカベルネ・ソーヴィニオンのワインを選ぶ。 ヴォルテール - フランスの哲学者。つくるが「思考とは髭のようなものだ。成長するまでは生えてこない。たしか誰かがそう言った」と言うと、友人の灰田が「ヴォルテールです」と答える。 バリー・マニロウ - アメリカの歌手。大学時代のつくるの住むマンションに姉が残していったレコードとして登場する。 ペット・ショップ・ボーイズ - イギリスの音楽グループ(デュオ)。同じくつくるの姉が残していったレコードとして登場する。 アーノルド・ウェスカー - イギリスの劇作家。戯曲『調理場』の中の台詞を灰田が引用する。 「ラウンド・ミッドナイト」 - セロニアス・モンク作曲のジャズのスタンダード・ナンバー。緑川が灰田の父の前で弾く曲。 『知覚の扉』 - オルダス・ハクスリーが1954年に著した書籍。緑川は灰田の父に向かって言う。「死を引き受けることに合意した時点で、君は普通ではない資質を手に入れることになる。(中略) 君はオルダス・ハクスレーがいうところの『知覚の扉』を押し開くことになる。そして君の知覚は混じりけのない純粋なものになる」 「ラスベガス万才」 - エルヴィス・プレスリーが1964年に発表した楽曲。「アオ」の携帯電話の着信メロディとして登場する。作中では「ラスヴェガス万歳!」と表記されている。 「冷たくしないで」 - エルヴィス・プレスリーが1956年に発表した楽曲。アコーディオン弾きの老人の演奏に合わせてフィンランド語で歌われる。
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登場する文化・風俗
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音楽 「レイニー・ナイト・イン・ジョージア」 ブルック・ベントンが1970年に歌ったヒット曲。作者はトニー・ジョー・ホワイト。「ポップス・テレフォン・リクエスト」でかかる。 「フール・ストップ・ザ・レイン」 クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルが1970年1月に発表したシングル曲(Who'll Stop the Rain)。のちにアルバム『コスモズ・ファクトリー』に収録された。「ポップス・テレフォン・リクエスト」でかかる。後述するように『群像』掲載時はローリング・ストーンズの「ブラウン・シュガー」だったが、単行本化の際「フール・ストップ・ザ・レイン」に差し替えられた。 「カリフォルニア・ガールズ」 ザ・ビーチ・ボーイズが1965年に発表した曲。アルバム『サマー・デイズ』からシングル・カットされた。村上が訳した歌詞の一部が本文に登場する。 ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第3番」 小指のない女の子が勤めるレコード店で登場する。「僕」は差し出されたヴィルヘルム・バックハウスの盤とグレン・グールドの盤からグールドの盤を選ぶ。 『ナッシュヴィル・スカイライン』 ボブ・ディランが1969年に発表したアルバム。「僕」は電話の受話器から「ナッシュヴィル・スカイライン」が聴こえると書いているが、正確には同アルバムにその名前の曲は収録されていない。2曲目に収録されている「ナッシュヴィル・スカイライン・ラグ」はインストゥルメンタル。 「心の届かぬラヴ・レター」 エルヴィス・プレスリーが1962年に歌った曲。全米チャート2位を記録した。映画『ガール!ガール!ガール!』の挿入歌でもある。村上が訳した歌詞の一部が本文に登場する。 「エヴリデイ・ピープル」 スライ&ザ・ファミリー・ストーンが1968年に発表した曲。翌年、全米チャート1位となる。ジェイズ・バーのジュークボックスでかかる。 「ウッドストック」 ジョニ・ミッチェルの曲。ミッチェルのアルバム『レディズ・オブ・ザ・キャニオン』(1970年4月)とCSN&Yのアルバム『デジャ・ヴ』(1970年3月)にそれぞれ収録される。後者のバージョンはシングルカットされ、同グループの代表曲の一つとなった。ジェイズ・バーのジュークボックスでかかる。 「スピリット・イン・ザ・スカイ」 ノーマン・グリーンバウムが1969年に発表した曲。ジェイズ・バーのジュークボックスでかかる。 「ヘイ・ゼア・ロンリー・ガール」 エディ・ホールマンが1969年に発表した曲。ルビー&ザ・ロマンティックスが1963年に発表した「ヘイ・ゼア・ロンリー・ボーイ」がオリジナルで、ホールマンのカバー・バージョンがヒットした。ジェイズ・バーのジュークボックスでかかる。 「くよくよするなよ」 ボブ・ディランが1963年に発表した曲。同年にピーター・ポール&マリーがカバーしたバージョンがヒットした。「そんなわけで、僕は時の淀みの中ですぐに眠りこもうとする意識をビールと煙草で蹴とばしながらこの文章を書き続けている。(中略) 今、僕の後ろではあの時代遅れなピーター・ポール&マリーが唄っている。『もう何も考えるな。終わったことじゃないか。』」 「グッド・ラック・チャーム」 エルヴィス・プレスリーが1962年に歌った曲。全米チャート1位を記録した。物語の終盤、「ポップス・テレフォン・リクエスト」でかかる。 その他 フィアット・600 1955年から1969年の間に生産されたイタリアの乗用車。鼠の愛車。車体の色は黒。 リチャード・バートン イギリスの映画俳優。「僕」と鼠は泥酔して車を石柱にぶつける。「僕たちはフィアットの屋根に並んで腰を下ろしたまま、白み始めた空を見上げ、黙って何本か煙草を吸った。僕は何故かリチャード・バートンの主演した戦車映画を思い出した」とある。なおバートンの主演した戦車映画は『砂漠の鼠』(1953年)と『ロンメル軍団を叩け』(1971年)の2本。本書の設定年が1970年であることから、言及されたのは前者と推測される。 『感情教育』 ギュスターヴ・フローベールの長編小説。傍に『感情教育』を置いている「僕」に鼠が「何故本ばかり読む?」と問う。「僕」は「フローベルがもう死んじまった人間だからさ」と答える。 ギムレット ジンベースのカクテル。グレープフルーツのような乳房をつけ派手なワンピースを着た30歳ばかりの女がジェイズ・バーで飲む酒。 ロジェ・ヴァディム フランス出身の映画監督。鼠は「僕」に「『私は貧弱な真実より華麗な虚偽を愛する。』知ってるかい?」と言う。鼠によればこの言葉はヴァディムの言葉だという。 ジュール・ミシュレ 19世紀のフランスの歴史家。ミシュレの『魔女』の一節が本文に引用されている。翻訳者(篠田浩一郎)の名前も明記されている。 トライアンフTR III トライアンフ・TRは、英国のトライアンフが1953年から1981年まで生産したスポーツカーのシリーズ名。現在の鼠の車。 『コンボイ』 サム・ペキンパー監督の1978年の映画。「僕」の妻はペキンパーの映画の中では『コンボイ』が最高だと言う。 『尼僧ヨアンナ』 ポーランドの映画監督イェジー・カヴァレロヴィチが1961年に製作した映画。原作はヤロスワフ・イヴァシュキェヴィッチの同名の小説。「ペキンパー以外の映画では、僕は『灰とダイヤモンド』が好きだし、彼女は『尼僧ヨアンナ』が好きだ」と本文に記されている。
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登場する文化・風俗
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「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の記事における「登場する文化・風俗」の解説
音楽 「The End of the World」 スキータ・デイヴィスが1962年に発表したヒット曲。邦題は「この世の果てまで」。巻頭のエピグラフにこの歌の歌詞の一節が引用されている。 ボブ・ディラン アメリカのミュージシャン。「ハードボイルド・ワンダーランド」の章の扉絵に彼の名前と姿のようなものが描かれている。 「ダニー・ボーイ」 両編で登場するアイルランドの民謡。物語の冒頭、エレベーターに乗った「私」は「ダニー・ボーイ」を口笛で吹く。また、図書館の女の子の家で「私」はビング・クロスビーの唄にあわせて同曲を唄う。「世界の終り」の章では、「僕」は手風琴で同曲を弾く。 ロベール・カサドシュ フランスのピアニスト(1899年 - 1972年)。「私」は次のように叙述する。「ベッドに寝転んで、ロベール・カサドシュがモーツァルトのコンチェルトを弾いた古いレコードを聴いた。モーツァルトの音楽は古い録音で聴いた方がよく心になじむような気がする。でももちろんそういうのも偏見かもしれない。(中略) 結局私は二十三番と二十四番のピアノ・コンチェルトを全部聴いてしまった。」なお、ロベール・カサドシュは『ノルウェイの森』にも登場する。語り手の「僕」はアルバイト先で知り合った伊東のアパートで、カサドシュの弾くモーツァルトのピアノ・コンチェルトを聴く。 モーツァルト「ピアノ協奏曲第23番」「第24番」 上記参照。 「アイ・ゴー・トゥ・ピーセズ」 英国の二人組グループ、ピーター&ゴードンが1964年に発表したシングル曲。「私」はこの曲を口笛で吹きながら「良い唄だ。甘くて切ない。デュラン・デュランなんかよりずっと良い」と思う。太った娘にどんな内容の唄かと尋ねられ、「体がバラバラになってなくなってしまう唄さ」と答える。 レイモン・ルフェーブル フランスの編曲家・作曲家。イージーリスニング界の第一人者として知られる。タクシーを下りたあと「私」は次のような感想を述べる。「ジム・モリソンが死んで十年以上になるが、ドアーズの音楽を流しながら走っているタクシーにめぐりあったことは一度もない。世間には変化することとしないことがあるのだ。変化しないことはいつもまで経っても変化しない。(中略) デパートの拡声装置からはレイモン・ルフェーブル・オーケストラが流れ、ビヤホールではポルカがかかり、歳末の商店街ではヴェンチャーズのクリスマス・ソングが聴こえるものなのだ」 アントン・ブルックナー オーストリアの作曲家。ビアホールでブルックナーのシンフォニーがかかる。「ブルックナーのシンフォニーの番号なんてまず誰にもわからない」と「私」は感想を述べる。 「ウォッチング・ザ・リヴァー・フロー」 1971年7月に発表されたボブ・ディランのシングル曲。同年11月にアルバム『グレーテスト・ヒット第2集』に収録された。「私」の乗る車のデッキでかかる曲の一つ。 「寂しき4番街」 1965年9月に発表されたボブ・ディランのシングル曲。原題は "Positively 4th Street"。「私」は次のように叙述する。「ボブ・ディランは『ポジティヴ・フォース・ストリート』を唄っていた。二十年経っても良い唄というのは良い唄なのだ」 フランク・チャックスフィールド イギリス生まれのイージーリスニング音楽家。図書館の女の子の家のFM放送でフランク・チャックスフィールド・オーケストラの「ニューヨークの秋」がかかる。 その他 ウィリアム・シェイクスピア 「私は死ぬこと自体はそんなに怖くなかった。ウィリアム・シェイクスピアが言っているように、今年死ねば来年はもう死なないのだ」と主人公が語る箇所がある。この言葉の出典は『ヘンリー四世 第2部』。原文は「he that dies this year is quit for the next.」である。 『キー・ラーゴ』 1948年公開のアメリカ映画。「私」は自宅のビデオデッキでこの映画を見る。「私は『キー・ラーゴ』のローレン・バコールが大好きだった。『三つ数えろ』のバコールももちろん良いが、『キー・ラーゴ』の彼女には何かしら他の作品には見られない特殊な要素が加わっているように私には思える。それがいったい何であるのかをたしかめるために私は何度も『キー・ラーゴ』を観ているのだが、正確な答はまだ出ていない」。 『時の旅人』 ノーマン&ジーン・マッケンジーが著したH・G・ウェルズの伝記『The Time Traveller : The Life of H.G. Wells』の邦訳書。1978年に早川書房より刊行された。1984年にハヤカワ文庫として上下巻で文庫化された。図書館の女の子のデスクの上にハヤカワ文庫版の下巻が置かれてるのを「私」は見つける。 『静かなる男』 1952年公開のアメリカ映画。ジョン・フォード監督。「私」がベッドにねそべってこの映画のビデオ・テープを観ていると、東京ガスの制服を着た中年の男がやってくる。 ベンソン&ヘッジス 英国のタバコのブランド。二人組の男のうち「ちび」と名づけられた男がこの銘柄のタバコを吸う。 ジャン=リュック・ゴダール フランスの映画監督。「ちび」はデュポンのライターでベンソン&ヘッジスに火をつける。「私」は次のように述べる。「ちびは一言も口をきかずに、煙草の先端が燃えていくのをじっと見つめていた。ジャン・リュック・ゴダールの映画ならここで『彼は煙草が燃えていくのを眺める』という字幕が入るところだが、幸か不幸かジャン・リュック・ゴダールの映画はすっかり時代遅れになってしまっていた。」 ジョンソンズのボマー・ジャケット 二人組の男は洋服だんすの扉を開け「私」の洋服を切り裂く。切り裂かれたもののひとつ。 イワン・ツルゲーネフ ロシアの小説家。廃墟と化した部屋の中で「私」はツルゲーネフの『ルージン』を読む。 『ストリートファイター』 1975年公開のアメリカ映画。チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン主演。「私」がときどき利用するレンタルビデオ・ショップの入口でこの映画のビデオが流れる。 『緑色革命』 チャールズ・A・ライクが1970年に著した書籍。邦訳は1971年に早川書房より刊行された。私が次のように語る場面がある。「そのために私は自己を変革するための訓練さえしたのだ。『緑色革命』だって読んだし、『イージー・ライダー』なんて三回も観た」 トヨタ・カリーナ トヨタ自動車が1970年から2001年まで生産・販売していた乗用車。「私」はレンタカーの代理店で「カリーナ 1800GT・ツインカムターボ」を借りる。 『カラマーゾフの兄弟』 フョードル・ドストエフスキーの最後の長編小説。「私」は太った娘に言う。「あの本にはいろんなことが書いてある。小説の終りの方でアリョーシャがコーリャ・クラソートキンという若い学生にこう言うんだ。ねえコーリャ、君は将来とても不幸な人間になるよ。しかしぜんたいとしては人生を祝福しなさい」
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登場する文化・風俗
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「1973年のピンボール」の記事における「登場する文化・風俗」の解説
アルテックA5 アメリカの音響機器メーカー「アルテック」が発売していた大型スピーカーシステムのひとつ。土星生まれの男が属するグループが占拠した大学の九号館には、「二千枚のレコード・コレクションとアルテックA5を備えた小綺麗な音楽室」があり、秋の終わりまでにはグループの全員がクラシック・マニアになっていたと「僕」は書き記す。 「ハロー・メリー・ルウ」 リッキー・ネルソンが1961年に発表したシングル「トラベリン・マン」のB面に収められた曲。「トラベリン・マン」は全米チャート1位を記録し、「ハロー・メリー・ルウ」は同9位を記録した。「十二の歳に直子はこの土地にやってきた。。一九六一年、西暦でいうとそういうことになる。リッキー・ネルソンが『ハロー・メリー・ルウ』を唄った年だ」 「ラバー・ボール」 ボビー・ヴィーが1960年に発表したシングル曲。 リチャード・ニクソン アメリカの第37代大統領。本書では2回登場する。1回目は「歴代大統領の銅像が全部建てられるくらいの銅貨」という比喩のあと。「僕」は「もっともあなたにリチャード・M・ニクソンの銅像を建てる気があればのことだが」と述べる。2回目は双子が驚くほど世間を知らないと「僕」が語る場面。「ベトナムが二つの部分にわかれて戦争をしていることを納得させるのに三日かかり、ニクソンがハノイを爆撃する理由を説明するのにあと四日かかった」 レフ・トロツキー ウクライナ生まれの革命家、ソビエト連邦の政治家。本書では2回登場する。 『勇気ある追跡』 1969年公開のアメリカ映画。ジョン・ウェイン、グレン・キャンベル出演の西部劇。 「ペニー・レイン」 ビートルズが1967年に発表したシングル曲。事務員の女の子の人となりについて「僕」はこう述べる。「一日に二十回も『ペニー・レイン』を(それもサビ抜きで)口ずさむことを別にすればこれといった欠点はなかった」 ウィリアム・スタイロン アメリカの小説家・随筆家。『ソフィーの選択』(1979年)の著者として知られる。 『シンシナティ・キッド』 1965年公開のアメリカ映画。本文に書かれてあるとおり、スティーブ・マックイーンとエドワード・G・ロビンソンが出演している。 『純粋理性批判』 イマヌエル・カントの著書。「僕」は双子のいれてくれたコーヒーを飲みながら『純粋理性批判』を何度も読み返す。 また、配電盤の葬式の際のお祈りの言葉として、その一節「哲学の義務は、誤解によって生じた幻想を除去することにある。」が引用されている。 ケネス・タイナン 英国の演劇評論家、劇作家。ロマン・ポランスキーが1971年に発表した映画『マクベス』の共同脚本も書いている。「僕」の仕事のひとつとして、「一九七一年九月号の『エスカイヤ』に載っているケネス・タイナンの『ポランスキー論』」が登場する。 フョードル・ドストエフスキー ロシアの代表的小説家のひとり。「『殆んど誰とも友だちになんかなれない。』 それが僕の一九七〇年代におけるライフ・スタイルであった。ドストエフスキーが予言し、僕が固めた」 ミルドレッド・ベイリー 1930年代に活躍した女性ジャズ歌手。ベイリーの「イッツ・ソー・ピースフル・イン・ザ・カントリー」を「僕」が口笛で二回吹くと、双子の女の子はいい曲ねと賞める。 ビックス・バイダーベック アメリカのジャズ・コルネット奏者。1931年8月に28歳の若さでこの世を去った。村上は和田誠との共著『ポートレイト・イン・ジャズ』(新潮社、1997年12月)の中でビックス・バイダーベックに触れている。 マッカーサー・パーク ジミー・ウェッブが作詞作曲し、リチャード・ハリスが歌った曲。1968年に全米2位を記録した。ジェイズ・バーでかかる。 ジャン&ディーン アメリカの2人組音楽グループ。主に1960年代前半に人気を博した。問題は自分に合った場所が全て時代遅れになりつあることだ、と述べたあとで「僕」はこう記す。「もう誰もミニ・スカートなんてはかないしジャンとディーンなんて聴かない。最後に靴下どめのついたガードルをはいた女の子を見たのはいつのことだったろう?」
※この「登場する文化・風俗」の解説は、「1973年のピンボール」の解説の一部です。
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