『ライ麦畑でつかまえて』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 01:59 UTC 版)
「J・D・サリンジャー」の記事における「『ライ麦畑でつかまえて』」の解説
12月に『ライ麦畑でつかまえて』の原型となる作品『僕はちょっとおかしい(I'm Crazy)』が雑誌『コリアーズ』に掲載される。1946年、シルヴィアとの短い結婚生活が終わり、離婚したことによって生活も大きく変化した。ヤッピーのような生活を送り、またニューヨークのボヘミアンとも多く交流を持つようになる。 1949年頃、コネチカット州ウェストポートに家を借り執筆生活に専念、『ライ麦畑でつかまえて』の執筆を開始した。1950年1月、短編小説『コネチカットのひょこひょこおじさん』(『ナイン・ストーリーズ』収録作品)の映画化『愚かなり我が心』をハリウッドのサミュエル・ゴールドウィンが全米公開するが、映画の評判は芳しくなく、サリンジャーもこの映画を見て激怒し、それ以来自分の作品の映画化を許可することはなかった。1950年秋『ライ麦畑でつかまえて』が完成する。当初ハーコード・プレスから作品は出版される予定だったが、「狂人を主人公にした作品は出版しない」と出版を拒否される。結局リトル・ブラウン社から刊行された。文壇からは賛否両論があり、また保守層やピューリタン的な道徳的思想を持った人からは激しい非難を受けた。しかし主人公ホールデンは同世代の若者からは圧倒的な人気を誇り、2007年までに全世界で6000万部以上の売り上げを記録。現在でも毎年約50万部が売れているとされる。 しかしこの成功によって、ニューヨークで静かな生活を送ることは次第に難しくなっていった。結果、ニューハンプシャー州のコネチカット川のほとりにあるコーニッシュの土地を購入、原始的な生活を送り(家にはライフラインがなかったとされる)、地元の高校生達と親しくなり、交流を深めることになる。しかし、その関係も長くは続かず、親しくしていた女子高生の1人が、学生新聞の記事として書くことを条件に受けたインタビューの内容を、スクープとして地元の新聞にリークしてしまった。このことに激怒し、高校生達とも縁を切り、社会から孤立した生活を送るようになった。
※この「『ライ麦畑でつかまえて』」の解説は、「J・D・サリンジャー」の解説の一部です。
「『ライ麦畑でつかまえて』」を含む「J・D・サリンジャー」の記事については、「J・D・サリンジャー」の概要を参照ください。
- 『ライ麦畑でつかまえて』のページへのリンク