『ゲッツ/ジルベルト』
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「イパネマの娘」の記事における「『ゲッツ/ジルベルト』」の解説
世界的にもっとも有名な「イパネマの娘」は、ヴァーヴ・レコードから発売されたアルバム『ゲッツ/ジルベルト』に収録されたバージョンである。1963年3月、スタン・ゲッツ(テナー・サックス)、ジョアン・ジルベルト(ギター、ポルトガル語のボーカル)、アントニオ・カルロス・ジョビン(ピアノ)、アストラッド・ジルベルト(英語のボーカル)の4人はニューヨークのA&Rレコーディング・スタジオ(英語版)でこの作品を録音した。 通説ではアストラッドは当初歌う予定はなく、夫のジョアンにつきあってスタジオに来て、たまたま歌ってみたところ、あまりにできが良かったのでそのままレコーディングされたとの伝説がある。実際にはアストラッドはブラジルで若干の歌手活動の経験もあり、全くの素人ではなかった。アストラッド自身による売り込みがあり、コマーシャリズム面からの手腕に長けたプロデューサーのクリード・テイラーが、英語を話せ、かつ歌えるアストラッドの商業的価値を計算し、宣伝効果を狙って「飛び入り参加のハプニングであった」とする筋書きを描いたと言われている(ジョアン・ジルベルトは英語を話せなかった)。 『ゲッツ/ジルベルト』は録音から1年後の1964年3月に発表された。同年5月、ジョアンのポルトガル語歌唱部分を(シングル版に収まらないという理由で)切り捨てて、残りを切り継ぐ形でシングル・カットされた。B面はゲッツの1964年のアルバム『リフレクションズ(英語版)』に収録された「風に吹かれて」であった。英語版「イパネマの娘」は同年7月18日から7月25日にかけて2週連続でビルボード・Hot 100の5位を記録。また、イージーリスニング・チャートで1位を記録し、グラミー賞最優秀レコード賞を受賞した。 ゲッツのボサ・ノヴァに対する理解は十分なものではなく、また彼生来の傲慢な性格からジョアンやアストラッドに対しても冷淡な態度を取った(録音後、ゲッツがテイラーに「アストラッドにはギャラを出すな」と命令したエピソードが知られている)。ジョアンもゲッツの横柄な態度やボサ・ノヴァへの無理解、テイラーのビジネス優先な扱いに、いたく心証を害した。スタジオで両者の間に挟まれてしまったトム・ジョビンが苦労したというエピソードが残っている。 アストラッドは「イパネマの娘」のヒットによってアメリカで人気歌手となったが、ジョアンとアストラッドは程なく離婚している。アストラッドはクリード・テイラーの後押しによって多くのボサ・ノヴァ曲を英語で歌唱し、「ボサ・ノヴァの女王」とまで呼ばれて世界的にボサ・ノヴァ歌手として有名になったが、実はボサ・ノヴァ発祥の地であるブラジル本国ではこのヒット後もほとんど知名度のない存在であった。なお、アストラッドが片言の日本語歌詞で歌うバージョンも存在する。 この史実は、ボサ・ノヴァがアメリカ的コマーシャリズムに蹂躙された代表例として批判され、コアなボサ・ノヴァ愛好者たちからアルバム『ゲッツ/ジルベルト』およびアストラッド・ジルベルトが複雑な扱いを受ける一因にもなっている。
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