スターシップ
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スターシップ (Starship) は、宇宙船の一種である恒星船。
- スターシップ (バンド) - アメリカのバンド。ジェファーソン・エアプレインが改名したジェファーソン・スターシップを再改名したもの。
- ビーチクラフト スターシップ - アメリカのビジネス航空機。
- M60A2 - アメリカの主力戦車M60パットンの派生型。152mmガン/ランチャーを始めとした先進技術が多数取り込まれたが、高コストと運用の難しさから「スターシップ」という皮肉を込めたあだ名がつけられた。
- スターシップ号 - イギリスのロックグループ、レッド・ツェッペリンの専用旅客機。
- スターシップ (宇宙船) - 米スペースX社の有人宇宙船。
- STARSHIP -光を求めて- - 日本のロックバンド、THE ALFEEの楽曲。単に「STARSHIP」と呼ばれることもある。
- STARSHIPエンターテインメント - 韓国の芸能事務所。
関連項目
スターシップ
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「ジェファーソン・エアプレイン」の記事における「スターシップ」の解説
スターシップの更なる詳細は「スターシップ (バンド)」を参照 やがて、レコード会社やプロデューサーが求めるような、MTV時代に生き残るためのスタイルを受け入れようと考えたスリック/トーマスがバンドの方向性を握るようになる。バンドの変容は進み、あるライブでは女性バック・コーラスを配置する案まで出て、これにカントナーは激怒。また、当時勢いに乗っていたロックバンド「ジャーニー」の前座を務めるという提案もあったが、かつて一緒にツアーをした時に比べ「極度に安い報酬を提案された」ために拒否、という話も残っている。このような経緯から、もはや主導権が取れなくなったカントナーは、もう1枚アルバムを制作した後に解散するという意思を表明するが、他メンバーは存続を要求。1984年、結局カントナーが単独で脱退し、残ったメンバー達にバンド名「ジェファーソン・スターシップ」を使わないように訴訟を起こす。(公判中、一時スターシップ・ジェファーソンと名乗って公演を続けたといい、事態の混乱を物語っている)1985年の判決の結果、両者とも使えないことになり、折衷案として「ジェファーソン」をはずして「スターシップ」となり、新たにRCAと4枚のアルバム制作の契約を結んで再出発した。 バンドは当時先端のサウンドを全面的に取り入れ、マーティン・ペイジによるシングル「シスコはロックシティ(We Built This City)」(これは邦題だけで実際は特定の街を歌ったものではない。)は、エアプレイン時代から通算してもシングル初となる全米1位(1985年11月16日付 - 23日付)を獲得。エアプレイン以来果たせなかった日本公演も実現している。 外部ライターの楽曲を中心に、完全にマーケティング主導型の制作をする「コーポレート・ロック体制」に変更。ファン層は入れ替わった。「Sara」(1986年3月15日付)、「Nothing's Gonna Stop Us Now(愛はとまらない)」(1987年4月4日付-11日付)の2曲はNo.1ヒットになったが、熱心なロック・ファンからは見放されてしまった。1988年に年齢と音楽性の不一致を理由に、ジェファーソン・エアプレイン時代から在籍した最後のメンバーである、グレイス・スリックがライブ活動からの引退を表明、そのまま脱退してしまう。中心メンバーがミッキー・トーマスとクレイグ・チャキーソだけになったバンドは、メンバーを補充しながら活動を継続し、もう1枚のアルバム『Love Among The Cannibals』(最高64位)は低迷し、シングル「It's Not Enough」(最高12位)、「I Didn't Mean to Stay All Night」(最高75位)と思うようなヒットは出せなかった。そして、1990年に解散を決めた。トーマス以外は全てスタジオミュージシャンを起用する事を要求する程に、レコード会社のコントロールは熾烈になり、大企業により『バンドの音楽性もミュージシャンのパーソナリティも破壊されてしまった』と、1974年のジェファーソン・スターシップデビューから在籍し続けた最後の一人であったチャキーソが後に語っている。
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