スターシステムとメディア総合利用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 06:56 UTC 版)
「ナチスの映画政策」の記事における「スターシステムとメディア総合利用」の解説
1933年以前、ドイツにも映画スターが存在していたが、スターシステムはまだ初期段階にあって、特にハリウッドに比べれば、まだ発展途上にあった。ヒトラー帝国のイメージを改善すべく、ゲッベルスはスターシステムを大々的に推進したが、当初は上手くいかなかった。多くの映画スター達に、独裁政権に奉仕する準備ができていなかったためである。マレーネ・ディートリヒは、エルンスト・ルビッチ、ゲオルク・ヴィルヘルム・パープスト、フリッツ・ラングと同じくドイツを去った。公然とナチ政権を拒否したディートリヒとドイツでも成功したスウェーデン出身のグレタ・ガルボの両者は、ヨーゼフ・ゲッベルスが魅力的な提案を行ったにもかかわらず、表看板として利用することはできなかった。他の人々は、ハインリヒ・ゲオルゲやグスタフ・グリュントゲンス(ドイツ語版)のように、当初はヒトラー独裁政権をあからさまに非難したが、最終的には協力関係を持つに至った。 これまでのスターとは別に、新たなスターを生み出す取り組みも行われた。最もよく知られている例の1つに、1937年にウーファと専属契約を結んだスウェーデン出身のツァラー・レアンダーで、数年後にはドイツで最も有名な映画女優となった。レアンダーの広告キャンペーンはウーファの広報部が行い、以前のスウェーデンで制作された映画については触れることなく、スター歌手として設定された。報道機関には事前に人物評が届けられ、新スターの取り上げ方について指示された。レアンダーにも、公への登場の仕方について詳細な指示が出された。 劇映画は、新作の流行歌(シュラーガー音楽)の広告としてよく利用された。レアンダーだけでなく、他の人気映画俳優のハンス・アルバース、マリカ・レック(ドイツ語版)、ヨハネス・ヘースタース、イルゼ・ヴェルナー(ドイツ語版)、またハインツ・リューマンさえもレコード業界で過去最高の売上を達成した。映画スターは、映画よりレコードからの収入が多いことが多かった。流行歌のいくつかは「Ich weiß, es wird einmal ein Wunder gescheh’n(仮訳:奇跡は起きるもの」)」や「Davon geht die Welt nicht unter(仮訳:世界が終わるわけじゃない)」(いずれもレアンダーが1942年の『大いなる愛(ドイツ語版)』で歌ったもの)は、ある目的をもって流布された。そのセンチメンタルな意味の他に、政治的なサブテキストを隠し持ち、ナチの耐久政策のスローガンとして利用するためであった。映画スターたちは、映画やレコードだけでなく、大ドイツ放送(ドイツ語版)のラジオ番組でも、日々の暮らしの至る所に存在した。1936年からベルリン圏内で定期番組を放送していたパウル・ニプコウのテレビ局(ドイツ語版)の番組でさえ、映画と映画スターは確固たる地位を築いていた。さらにメディアの総合利用では、アーティストの絵葉書(ドイツ語版)、タバコに添付され大人気を博したコレクションカード、また多くの世帯で日刊紙に取って代わって購読されていた日刊の写真付き映画雑誌『イルストリールター・フィルムクリーア(ドイツ語版)』にまで広がっていた。いかにナチ映画が他のメディアと一体化していたかについては、例えばヒット映画『希望音楽会(ドイツ語版)』に見ることができる。物語は、実際に戦時中に毎週放送されたベルリンで行われる流行歌催事を中心としていた。 政治の自己演出の新機軸となったものに、ヒトラー、ゲッベルス、ゲーリングといった高位の政治家が映画スターと共に公に姿を現したことが挙げられる。特に女性スターは、男性結社の性格が強いナチの催事に華を添えるものであった。ヒトラーが好んで祝宴の際に隣席に招いたのは、オルガ・チェホーヴァとリル・ダーゴヴァーであった。なおヘルマン・ゲーリングは1935年に人気女優エミー・ゾンネマンと結婚している。ヨーゼフ・ゲッベルスと有名な映画女優との関係についても、多くが伝わっている。 政治指導部と個人に近いことが、しばしば栄達の成否の決め手となった。例えばレナーテ・ミュラー(ドイツ語版)は、ゲッベルスを敵に回してしまった。俳優の起用頻度を決めるリストがあり、5つに区分されていた。最上位は「あらゆる状況下で空白期間なく起用」(例えば、ツァラー・レアンダー、リル・ダーゴヴァー、ハインツ・リューマン)で、最下位は「あらゆる状況下で起用は望ましくない」であった。 いかに映画スターがナチ体制にとって重要であったかは、ヒトラーが1938年に著名なアーティスト(映画俳優や監督)向けの税負担軽減を指令し、収入の40%を広告経費として控除可能としたことからも明らかである。 戦争はスターのイメージを世俗化することになった。部隊慰問の一環として、スターは前線に設けられた小さなステージに登場し、また街頭では冬季救済事業のために募金、物品収集活動に加わった。ほとんどの男性映画スターは徴兵免除となったが、例えばハインツ・リューマンは、ニュース映画の撮影チームを伴い、軍事訓練コースに参加している。不興を買った映画アーティストのみが前線に送られた。
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