ツァラー・レアンダーとは? わかりやすく解説

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ツァラー・レアンダー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/26 05:17 UTC 版)

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Zarah Leander
ツァラー・レアンダー
『世界の涯てに』(1937年)
本名 Sara Stina Hedberg
生年月日 (1907-03-15) 1907年3月15日
没年月日 (1981-06-23) 1981年6月23日(74歳没)
出生地  スウェーデンヴェルムランド地方ヴェルムランド県カールスタード
死没地  スウェーデンストックホルム
国籍  スウェーデン
職業 歌手・女優
ジャンル 舞台・映画・テレビ
活動期間 1929 - 1979
配偶者 Nils Leander(1927年結婚、1932年離婚)
Vidar Forsell(1932年結婚、1943年離婚)
Arne Hülphers(1956年結婚)
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ツァラー・レアンダー(Zarah Leander, 本名:Sara Stina Hedberg, 1907年3月15日 - 1981年6月23日)は、スウェーデン出身の歌手・女優である。

略歴

カールスタードで生まれ、最初の結婚後の1929年に歌手デビューを果たす。1931年には映画デビューの傍ら、舞台『メリー・ウィドウ』主演で注目を集めた。

1936年9月ウィーンアン・デア・ウィーン劇場においてラルフ・ベナツキーのミュージカル・コメディ『アクセル、天国の扉の前で』(Axel an der Himmelstür)に出演し、大成功を収める。それがきっかけで、帝国映画院副総裁ハンス・ヴァイデマンと映画監督カール・フレーリッヒにより、ドイツ映画界進出を持ち掛けられた[1]。同年ドイツ最大の映画会社ウーファと3本の映画出演とシナリオ選択権付の専属契約を結んだ。ウーファ社は、レアンダーを「新たなガルボ」として売り出すという目的のもと、社の総力を挙げた宣伝活動を行っている[2]。デトレフ・ジールク(ダグラス・サーク)監督の映画『世界の涯てに』(1937)に主演して一躍ドイツ映画のトップスターの地位に躍り出る。

1943年に一時帰国するが、第二次大戦後は再びドイツでの活動を再開し、主に歌手として70年代まで活動を続けた。

主な映画出演

参考文献

  • 瀬川裕司『ナチ娯楽映画の世界』(平凡社、2000)
  • クラウス・クライマイアー著/平田達治・山本佳樹訳『ウーファ物語(ストーリー)―ある映画コンツェルンの歴史―』(鳥影社、2005)

脚注

  1. ^ クラウス・クライマイアー著『ウーファ物語(ストーリー)―ある映画コンツェルンの歴史―』p528
  2. ^ この宣伝活動の詳細に関しては、クライマイアー著『ウーファ物語』p529~531に詳述

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