ヴァルター・ベリーとは? わかりやすく解説

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ヴァルター・ベリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/08 08:31 UTC 版)

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ヴァルター・ベリー
基本情報
出生名 Walter Berry
生誕 1929年4月8日
出身地  オーストリア ウィーン
死没 (2000-10-27) 2000年10月27日(71歳没)
 オーストリア ウィーン
学歴 ウィーン国立音楽大学
ジャンル クラシック音楽
職業 歌手
活動期間 1917年 - 1981年
レーベル EMI・DECCA・DG

ヴァルター・ベリー(Walter Berry, 1929年4月8日 - 2000年10月27日)は、オーストリアオペラ歌手である。

キャリア

ウィーン音楽大学でガロスに師事した後、1949年ウィーン国立歌劇場のアンサンブルとなる。
1952年ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのオペラ『魔笛』におけるパパゲーノ役でデビューし、翌1953年からはザルツブルク音楽祭のステージにも立つようになる。 以降、ウィーン国立歌劇場のステージには、通算で1228回出演し、40以上のプレミア上演に係わっている。 1955年にはアルバン・ベルクのオペラ『ヴォツェック』で主役を演じ、国際的に知られるところとなり、1958年には北米デビューも果たす。 その後、1960年代以降はベルリンミュンヘンニューヨーク等の主な歌劇場で活躍した。
1963年にはウィーン国立歌劇場の宮廷歌手を拝した。
同年、ベルリン・ドイツ・オペラと共に来日し、日生劇場での杮落としシリーズとして上演された『フィガロの結婚』でフィガロを演じた。

1981年からはウィーン国立歌劇場名誉団員。1989年からはウィーン国立音楽大学で教鞭を執っていた。2000年10月、心筋梗塞のためウィーン市内で死去。

レパートリー

豊かな声量とその表現力から、オペラでの活躍が際立っていた。その外にもリートや宗教曲の録音も幾つかの録音が残されている。

オペラでは、実に100を超えるレパートリーを誇った。また後年、ハインツ・ツェドニックと共にウィーンの伝統的な歌を歌った録音もある。

下記に主なレパートリーを挙げておく。

参考文献

  • 名演奏家事典 ≪下≫ 音楽の友社 刊
  • エリザベート・ビルンバウム著『ヴァルター・ベリー伝』(原題:Walter Berry. Die Biografie)2001年 ヘンシェル社刊 – ISBN 3-89487-379-5 邦訳版未刊行

外部リンク

  • [1] 訃報(ドイツ語)




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