ルネ・クレールとは? わかりやすく解説

クレール【René Clair】


ルネ・クレール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/19 08:55 UTC 版)

ルネ・クレール
René Clair
1958年
本名 ルネ=リュシアン・ショメット
René-Lucien Chomette
生年月日 (1898-11-11) 1898年11月11日
没年月日 (1981-03-15) 1981年3月15日(82歳没)
出生地 フランス共和国 パリ
死没地 フランス オー=ド=セーヌ県ヌイイ=シュル=セーヌ
職業 映画監督脚本家映画プロデューサー
ジャンル 映画
活動期間 1924年 - 1965年
配偶者 ブローニャ・パールマッター
主な作品
巴里の屋根の下
自由を我等に
受賞
ヴェネツィア国際映画祭
楽しい映画賞
1932年自由を我等に
国際映画批評家連盟賞
1952年 『夜ごとの美女
その他の賞
ロカルノ国際映画祭
金豹賞
1946年そして誰もいなくなった
1947年沈黙は金
最優秀監督賞
1946年『そして誰もいなくなった』
1947年『沈黙は金』
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ルネ・クレール(René Clair, 本名:ルネ=リュシアン・ショメット(René-Lucien Chomette)、1898年11月11日 - 1981年3月15日) は、フランス映画監督脚本家映画プロデューサーで「詩的リアリズム」の監督といわれる。

来歴

1898年11月11日、パリでルネ=リュシアン・ショメットとして生まれ、エミール・ゾラが「パリの胃袋」と呼んだ中央卸売市場のあったパリ1区レ・アル地区で育った。その後、リセ・モンテーニュ (fr) とリセ・ルイ=ル=グランで学んだ。第一次世界大戦では衛生兵として参加して救急車を運転した。戦後、ルネ・デプレ(René Després)の名でジャーナリストとなった。シャンソン歌手のダミアに歌詞を提供したことから、ダミアに紹介されて映画に出演した。出演した映画にロシアのヤーコフ・プロタザノフ監督の『死の意味』(1921年)、ルイ・フイヤード監督でサンクトペテルブルク出身のサンドラ・ミロヴァノフ主演の『孤児の娘』(1921年)があり、ロシア革命から逃げてきた白系ロシア人たちとの交流が生まれる。

1922年からブリュッセルで映画技法を学んだ。1924年、監督処女作となる『眠る巴里』 (Paris qui dort、次いでアバンギャルド短編映画『幕間』を発表した。ロシア領ポーランド生まれの舞台装置家ラザール・メールソン英語版などと知り合う。以後、『巴里の屋根の下』(1930年)で「詩的レアリスム」の監督として評価されることになる。『自由を我等に』(1931年)[1]など、詩情と諧謔と風刺に溢れる多くの映画を発表した。喜劇の『最後の億万長者』(1934年)は日本では評価されたものの、失敗したことから映画プロデューサーアレクサンダー・コルダに誘われて1935年からはイギリスに渡り、『幽霊西へ行く』(1935年)など2本の作品を発表した。

第二次世界大戦時にはハリウッドに移り、『奥様は魔女』(1942年)やアガサ・クリスティ原作の『そして誰もいなくなった』(1945年)など5本の作品を発表したが、ヴィシー政権からは国籍を剥奪された。戦後、1947年の『沈黙は金』でフランス映画界に復帰した。

その後も『悪魔の美しさ』(1950年)や『夜ごとの美女』(1952年)、『夜の騎士道』(1955年)などを発表し、高く評価された。1953年にはケンブリッジ大学から名誉教授号が授与された。同年、シネマフランセのグランプリを受賞した。1960年にはアカデミー・フランセーズの会員に選出された。1970年には日本万国博覧会のために来日した。

1981年3月15日、ヌイイ=シュル=セーヌで死去した。

人物

ジャック・フェデージャン・ルノワールジュリアン・デュヴィヴィエマルセル・カルネと並んで、古典フランス映画における「ビッグ5」(「詩的リアリズム」)の一人として知られる。映画監督のアンリ・ショメットは兄弟である。

アンパンマンなどで知られる漫画家やなせたかしはくレールを敬愛していることで知られている[2]

監督作品

参考文献

  • 中条省平『フランス映画史の誘惑』(集英社新書 2003年
  • Denise Bourdet, René Clair, dans: Pris sur le vif, Paris, Plon, 1957
  • Barthélémy Amengual, René Clair, Paris, Seghers, 1963, coll. "Cinéma d'aujourd'hui".
  • René Clair, catalogue de l'exposition du Palais de Chaillot, janvier-mars 1983, Paris, La Cinémathèque française.
  • Olivier Barrot, René Clair ou Le Temps mesuré, Édition 5 Continents, 1985, coll. "Bibliothèque du Cinéma".
  • Pierre Billard, Le Mystère René Clair, Paris, Plon, 1998.
  • Noël Herpe, Le Film dans le texte : l'œuvre écrite de René Clair, Paris, Jean-Michel Place, 2001; (dir.) René Clair ou le cinéma à la lettre, AFRHC, 2000; numéro spécial de la revue 1895, AFRHC, 1998.
  • Noël Herpe (dir.) et Emmanuelle Toulet (dir.), René Clair ou le cinéma à la lettre, Paris, AFRHC, 2000.

脚注

  1. ^ チャーリー・チャップリンの『モダン・タイムス』が酷似しているとドイツの製作会社トビス社 (Tobis Filmが告訴したが、証人に立ったクレールが「もし『モダン・タイムス』が自分の映画からヒントを得ているならば、光栄に思う」と証言して告訴は取り下げになった。
  2. ^ 大アンケートによる洋画ベスト150 文春ビジュアル文庫 424p-427pの、やなせの文「どうしてクレール?」
  3. ^ 山田宏一蓮實重彦『トリュフォー 最後のインタビュー』(平凡社 2014年p.531)。

外部リンク


前任
フェルナン・グレッグ
アカデミー・フランセーズ
席次19

第20代:1960年 - 1981年
後任
ピエール・モワノー



固有名詞の分類


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