しょうわ〔セウワ〕【昭和】
読み方:しょうわ
《「書経」尭典の「百姓昭明にして、万邦を協和す」から》昭和天皇の時の年号。1926年12月25日〜1989年1月7日。
[補説]
2016年に実施した「あなたの言葉を辞書に載せよう。2016」キャンペーンでの「昭和」への投稿から選ばれた優秀作品。
◆国際社会において、日本が最も存在感を示した時代。
kniさん
◆戦争の悲劇と日本国の繁栄の両極端があった、日本人が忍耐と底力をみせた時代。
キャラコさん
◆総日本人が全力で突っ走っていた時代。
itteyoshiさん
◆わんぱくとけんかが許された時代。
kaさん
◆人と人との顔が近かった時代。人と人とが助け合っていた時代。人のココロがあたたかかった時代。
快速準急さん
◆新しい物がどんどん誕生して希望に溢れていた時代。
未来さん
◆平成に対する美化された時代。
春夏さん
◆時代遅れの物事を揶揄する言葉。
tridさん
◆家に電話しないと友達と連絡が取れなかった時代。
yuko3さん
◆スターとアイドルの時代。
rose.mさん
しょうわ〔セウワ〕【昭和】
昭和
昭和
昭和
昭和
昭和
昭和
昭和
昭和
昭和
昭和
昭和
昭和
昭和
昭和
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昭和
昭和
昭和
昭和
昭和
昭和
昭和
昭和
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/19 05:16 UTC 版)
注釈
出典
- ^ 昭和天皇は父・大正天皇の病状を受け1921年(大正10年)11月25日に「摂政宮」に就いている。
- ^ 昭和天皇は1989年(昭和64年)1月7日午前6時33分に崩御し、皇太子明仁親王(現・上皇)が同時刻に直ちに皇位継承。同日中に元号を改める政令が新天皇の署名によって公布され、同政令の附則の施行期日の定めに基づき、昭和は同日午後12時を以て幕を閉じ、翌1月8日午前0時を以て平成と改元された。
- ^ 1947年(昭和22年)の旧皇室典範の廃止・日本国憲法及び現皇室典範の施行によって、元号に関する条文が削除され、元号は法的根拠を消失した。しかし、その後も慣習として昭和の年号は公私を問わず広く使用され続けた結果、1979年(昭和54年)の元号法の制定に至った。
- ^ 「明治」は11度目の正直=選から漏れた元号案、最多は40回、時事ドットコム、2019年2月2日15時19分。
- ^ 「昭和改元の詔」の日付は大正15年12月25日であり、同じ日に公布された大喪使官制(昭和元年勅令第1号)の日付は昭和元年12月25日となっている。
- ^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店〈岩波新書355〉1959年 32ページ
- ^ 第1回は1927年(昭和2年)5月28日「居留民保護」の名目で出兵。第一次大戦以来山東省には日本の各種の権益が多く、多くの日本人も居留していた。徐州に迫っていた国民政府軍(国民革命軍)の阻止が主目的で在った。第2回は1928年(昭和3年)4月19日に一次出兵と同じ目的で一個師団を投入した。しかし、中国統一や民族運動に譲歩していた英米とは違って、日本は中国の民族運動を抑えるためであった。5月3日には居留民殺傷という理由で済南城を攻撃し占領した。第3回は9日後の1928年(昭和3年)5月9日にさらに一個師団を増派し、合わせて15,000の大群で華北を抑えた。(遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 39と44-45ページ)
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久20頁〜21頁
- ^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 78-79ページ
- ^ 反対は日本のみ、ほかにシャム(タイ)のみが棄権
- ^ 飛行機、戦車、火砲などの近代装備の大幅な充実
- ^ 武蔵、大和などの世界最大の戦艦や航空母艦の建艦
- ^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 135-137ページ
- ^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 136ページ
- ^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 169ページ
- ^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 171ページ
- ^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 172ページ
- ^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 172-174ページ
- ^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 239ページ
- ^ もういちど読む山川日本戦後史18頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久94頁
- ^ “1947年9月19日 「天皇メッセージ」伝えられる”. 沖縄県公文書館. 2019年4月23日閲覧。
- ^ “天皇メッセージ”. 沖縄県公文書館 (1947年9月19日). 2019年4月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月23日閲覧。
- ^ 『図説 日本史通覧』291頁大型本2015年3月黒田 日出男(監修)帝国書院編集部(編集)
- ^ もういちど読む山川日本戦後史26頁
- ^ 『図説 日本史通覧』290頁大型本2015年3月黒田 日出男(監修)帝国書院編集部(編集)
- ^ もういちど読む山川日本戦後史25頁
- ^ もういちど読む山川日本戦後史30頁
- ^ もういちど読む山川日本戦後史16頁
- ^ 朝鮮戦争と日本の関わり―忘れ去られた海上輸送― (PDF) 防衛研究所戦史部石丸安蔵
- ^ 竹島領有権問題について 自民党領土に関する特別委員会委員長石破茂 2006年(平成18年)5月16日
- ^ もういちど読む山川日本戦後史40頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久100頁〜101頁
- ^ ビデオの『日本の記録の12巻〜映像100年史星条旗の下』説明→民主化の内容ではアメリカ合衆国のニューディール政策より大きな政府を目指す革新政策であった
- ^ 『日本の記録の12巻〜映像100年史 星条旗の下での民主化』
- ^ もういちど読む山川日本戦後史21頁
- ^ 『図説 日本史通覧』292頁大型本2015年3月黒田 日出男(監修)帝国書院編集部(編集)
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久88頁〜89頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久102頁〜103頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久120頁〜121頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久140頁上段
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久140頁下段
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久136頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久140頁
- ^ もういちど読む山川日本戦後史102頁
- ^ もういちど読む山川日本戦後史130頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久142頁
- ^ “あのとき!1967年 非核の誓い、国会答弁”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2009年3月7日) 2011年4月3日閲覧。
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久180頁〜181頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久146頁〜147頁
- ^ もういちど読む山川日本戦後史139頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久194頁〜195頁
- ^ もういちど読む山川日本戦後史134頁
- ^ 『もういちど読む山川日本戦後史』104頁老川 慶喜【著】
- ^ 耐久財の変容、中央調査社
- ^ 台所・厨房機器の保有率の推移、中央調査社
- ^ 民俗学がわかる事典―読む・知る・愉しむ [単行本] 新谷 尚紀 (著)232頁
- ^ 民俗学がわかる事典―読む・知る・愉しむ [単行本] 新谷 尚紀 (著)233頁
- ^ 『もういちど読む山川日本戦後史』121頁老川 慶喜【著】
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久148頁〜149頁
- ^ a b 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久272頁〜273頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久154頁〜155頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久210頁〜211頁
- ^ 民俗学がわかる事典―読む・知る・愉しむ [単行本] 新谷 尚紀 (著)218頁
- ^ a b 『もういちど読む山川日本戦後史』120頁老川 慶喜【著】
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久144頁〜145頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久220頁〜221頁
- ^ 『もういちど読む山川日本戦後史』107頁老川 慶喜【著】
- ^ 『もういちど読む山川日本戦後史』117頁老川 慶喜【著】
- ^ a b 『もういちど読む山川日本戦後史』119頁老川 慶喜【著】
- ^ 『もういちど読む山川日本戦後史』118頁老川 慶喜【著】
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久212頁〜213頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久202頁〜203頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久246頁〜247頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久168頁〜169頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久150頁〜151頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久214頁〜215頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久254頁〜257頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久288頁〜289頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久268頁〜269頁
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久290頁〜291頁
- ^ 『もういちど読む山川日本戦後史』161頁老川 慶喜【著】
- ^ 『もういちど読む山川日本戦後史』160頁老川 慶喜【著】
- ^ 『もういちど読む山川日本戦後史』164頁老川 慶喜【著】
- ^ 『もういちど読む山川日本戦後史』165頁老川 慶喜【著】
- ^ 『もういちど読む山川日本戦後史』166頁老川 慶喜【著】
- ^ 『もういちど読む山川日本戦後史』167頁老川 慶喜【著】
- ^ 時代の流れが図解で分かる。『早わかり昭和史』古川隆久302頁〜303頁
- ^ 政友会217議席,民政党216議席,無産諸派8議席,実業同志会4議席,革新3議席,中立その他18議席
- ^ 民政党273,政友会174,国民同志会6,無産諸派5
- ^ 政友会301議席,民政党146議席,無産諸派5議席
- ^ 民政党205議席,政友会171議席,昭和会22議席,社会大衆党18議席,国民同盟15議席
- ^ 民政党179,政友会175,社会大衆等37,昭和会19,国民同盟11等
- ^ 当選者、推薦381名,非推薦者85名
- ^ もういちど読む山川日本戦後史42頁
- ^ もういちど読む山川日本戦後史59頁
- ^ 今日の歴史(1月7日) 聯合ニュース
- ^ 朝鮮戦争に出動した日本特別掃海隊 (PDF) - 防衛省
- ^ もういちど読む山川日本戦後史89頁
- ^ テレビアニメとしてはそれ以前に『もぐらのアバンチュール』『新しい動画 3つのはなし』『インスタントヒストリー』『おとぎマンガカレンダー』などが放映されている。
- ^ 懐かしの昭和・平成流行事典2001年〜1945年の56頁
- ^ 懐かしの昭和・平成流行事典2001年〜1945年の52頁
- ^ 元々は昭和天皇の誕生日。戦前・戦中は「天長節」、戦後は「天皇誕生日」という名称であったが、昭和天皇崩御を受け「みどりの日」と改められていた。
- ^ 『平成トレンド史』4頁〜5頁著者原田曜平
- ^ ただし、平成生まれの国政選挙立候補者は2名存在した。
- ^ “存在感増した京都党、平成生まれ市議も誕生 京都市議選”. 京都新聞. (2015年4月13日). オリジナルの2015年4月13日時点におけるアーカイブ。 2020年6月3日閲覧。
- ^ コラム 6 元号伝説 - ポスト「大正」は「光文」か?、史料にみる日本の近代、国立国会図書館
- ^ 室町幕府第15代将軍足利義昭が一例で、その偏諱を貰って名前に「昭」の字を用いた大名も各地に存在した。他には徳川斉昭、盛田昭夫も。
- ^ 時差の都合で日付の差異が絡むため。
昭和(戦中)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 05:15 UTC 版)
1945年(昭和20年)4月 - 高等商船学校神戸分校(旧・神戸高等商船学校)の敷地内に、運輸通信省所管海技専門学院を設立。所在地: 兵庫県武庫郡本庄村深江(現在の神戸市東灘区深江南町5丁目) 5月 - 運輸通信省の改組で、運輸省所管海技専門学院となる。 5月 - 近接の川西航空機甲南製作所を目標とした神戸大空襲によって、本校施設に大きな被害が発生。 8月 - 阪神大空襲によって、本校施設に再度大きな被害が発生(後述)。
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昭和(あだ名)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/02 01:48 UTC 版)
香帆ルートで登場する、クラスのいじめられっ子。いがぐり頭でだみ声で、昭和の香りがするとの理由からこのあだ名を付けられた。弘之が(期せずして)助けてあげたことで恩にきている。香帆がクラスメイト達に暴行されそうになった時は体を張って香帆を守る。また、香帆を暴行しようとしたクラスメイト達を弘之が叩きのめした時は、証言を買って出て弘之の退学を阻止する役割を果たす。
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昭和(第二次世界大戦まで)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 09:19 UTC 版)
「日本の漫画の歴史」の記事における「昭和(第二次世界大戦まで)」の解説
昭和最初期には、経営母体が変わりながら断続的に廃刊と再創刊を繰り返していた『東京パック』が、「エログロナンセンス」の世相に沿うように、田中比左良、小野佐世男らによるエロティックな要素の強い世相風刺画を掲載し、人気を盛り返した。また、プロレタリア文学の影響を受けた漫画家グループによる「プロレタリア漫画」が勃興し、政治的主張の手段としての漫画表現が模索された。のちに『東京パック』は編集方針がプロレタリア漫画寄りになり、反発したグループが独自に『月刊マンガ・マン』を立ち上げた。 1932年、上記『マンガ・マン』の寄稿者を中心にした近藤日出造、横山隆一、杉浦幸雄ら20代の若手漫画家が発表のチャンスを求め、新漫画派集団を結成した。新漫画派集団の作家たちの作風は楽天や岡本らが確立した旧来の漫画技法と異なり、欧米のナンセンス漫画の影響を受け、毛筆ではなくペンによって描画する、キャプションや台詞などの文字をあまり添えない、などを特徴としていた。これら日本独自のナンセンス漫画は、たちまちに人気を獲得し、のちに第二次世界大戦終結直後の漫画界の中核を成す存在となった。これに触発され、北澤楽天門下生による「三光漫画スタジオ」、麻生豊・堤寒三門下の「新鋭漫画グループ」など、若手グループが乱立した。 1930年代には新聞・雑誌が(主要対象が大人向けであるか否かに関わらず)幼年漫画(児童漫画)の欄を設け、全盛となった。雑誌では田河水泡『のらくろ二等卒』に始まる『のらくろ』シリーズ(少年倶楽部)、阪本牙城『タンクタンクロー』(幼年倶楽部)など、新聞では宮尾しげを『漫画太郎』『団子串助漫遊記』(東京毎夕新聞)、長崎抜天『ソコヌケドンチャン』(時事漫画→時事新報漫画と読物)、宍戸左行『スピード太郎』(読売サンデー漫画→よみうり少年新聞)などが単行本化され、ベストセラーとなった。なお、これらのうち雑誌および単行本は、一般家庭の子供たちには、高価で近づきがたいものだった。彼らの関心の中心は、関東大震災以後に普及した紙芝居であった。紙芝居は、手書きによるものも、印刷によるものも、全国配給ルートが確立されていた。 全年齢向け新聞漫画では田中比左良『甘辛親家庭』(読売サンデー漫画)、麻生豊『只野凡児』(朝日新聞夕刊)、横山隆一『江戸っ子健ちゃん』→『フクちゃん』(朝日新聞)が人気を得た。 この時期、専業漫画家とファインアートの作家とのあいだの垣根は低く、山下新太郎や東郷青児が『読売サンデー漫画』に、藤田嗣治が望月桂(犀川凡太郎)主宰の同人誌『バクショー』に、それぞれ漫画作品を寄稿している。 戦時中は多くの漫画家が軍の意向で戦意高揚的な連載作品や、プロパガンダの製作に従事させられたが、1938年には太田耕士、小野澤亘(さわ・わたる)、久米宏一らが反戦漫画同人誌『カリカレ』を立ち上げるなど、抵抗の動きも見られた。太田の検挙による廃刊後、小野沢と久米は北京に渡って『北京漫画』の立ち上げに関わり、当地の漫画家に影響を与えている。
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昭和(戦前・戦中)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:46 UTC 版)
1926年(昭和元年)- 10月4日、公定歩合をさらに2厘引下げ1銭8厘とする。11月12日、帝国蚕糸倉庫に、横浜正金銀行経由で生糸救済資金220万円を融資。11月20日政府・日銀は、鈴木商店・日本製粉の救済のため資金援助措置を決定、台湾銀行から両社に800万円ずつ融資。 1927年(昭和2年)3月9日、公定歩合を2厘引下げ1銭6厘とする。10月10日、さらに1厘引下げ。 3月21日、市中銀行に対し非常貸出しを実施、3月23日までに6億円を突破。4月18日総裁は財界動揺防止に関し声明を発表。4月24日総裁は取引先以外の銀行へも援助を与える旨声明、4月25日までの対市中銀行貸出残高20億円を突破。 5月9日、日本銀行特別融通および損失補償法、台湾に金融機関に対する資金融通に関する法律それぞれ公布、2法による日銀貸出高8億7943億円。 1928年(昭和3年)5月8日、日銀特別融資打切り、特別融通法によるものは6億8793億円、金融市場は超緩和。 5月15日、総裁井上は全国手形交換所大会で特別融資の結果日銀が金融統制力を喪失した状況下では金解禁は尚早と発言。 1930年(昭和5年)- 10月7日、公定歩合を1厘引下げ1銭4厘とする。 1931年(昭和6年)金輸出再禁止に伴い管理通貨制度を確立した。 10月6日、公定歩合を2厘引上げ1銭6厘とする。11月5日、蔵相は日銀の制限外発行税率を6分に決定。 1932年(昭和7年)- 3月12日、公定歩合を2厘引下げ1銭6厘とする。6月8日2厘、8月18日2厘引下げ。3月12日、蔵相は日銀の制限外発行税率を5分に決定。6月18日兌換銀行券条例改正、保証発行限度の拡張、限外発行税最低率の引下げなど。6月18日、日銀納付金法・日銀参与会法それぞれ公布。 11月25日、新規国債2億円(4%利半国庫債券)の直接引受。12月24日から売りオペ。12月24日、所有国債の対市中売却操作を初実施。 1933年(昭和8年)- 7月3日、公定歩合を2厘引下げ、1銭とする。 1934年(昭和9年)- 4月7日、日本銀行金買入法公布、政府の産金時価買入策の拡大。 1936年(昭和11年)- 4月7日、公定歩合を1厘引下げ9厘とする。12月28日蔵相は日銀券制限外発行税率を年3分に決定。 1937年(昭和12年)- 7月15日、公定歩合を引下げ、国債担保貸付利子歩合を1厘引下げて9厘とし、商業手形割引歩合は据置。 1938年(昭和13年)- 7月23日、外国為替基金を設定。 1940年(昭和15年)- 8月7日、満洲中央銀行に対する1億円の借款供与契約成立。 1942年(昭和17年)2月24日、日本銀行法(昭和17年法律第67号、以下「旧法」)公布、管理通貨制度の法的確立。 5月1日、旧法に基づく法人に改組。日本銀行条例・兌換銀行条例の廃止。 6月18日、タイ大蔵省と2億円の借款供与に関する協定に調印。 7月28日、中央儲備銀行に対する1億円の借款供与契約調印。11月18日、政府保証軍需手形再割引とそれを担保とする貸付に優遇措置実施。 1944年(昭和19年)- 4月4日貸出利率調整制度実施、従来の高率適用手続は廃止。
※この「昭和(戦前・戦中)」の解説は、「日本銀行」の解説の一部です。
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昭和(戦前・戦中)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 07:01 UTC 版)
昭和に入り宗教統制が行われる中、宗教団体法が1940年(昭和15年)に施行された。これに対し、日蓮正宗は1941年(昭和16年)3月10日、大石寺御影堂にて『僧俗護法会議』を開き、「本宗六百年来の伝統と信条を生かすために、不純なる合同は絶対に斥(しりぞ)けることで一決した」。これを受けて、大石寺第62世日恭は文部省宗務局長と面会し、合同反対と単独認可を訴えた。その結果、3月31日付をもって単独宗制の認可決定が出された。 解散の覚悟まで迫られた末の独立維持は「日蓮正宗並びに大石寺が持つ底力の強さは、遺憾なく世間に知らしめることができた」ともいえる。このことは、1941年4月1日付の朝日新聞「仏教の宗派は半減」「日蓮正宗(略)だけがそのまま一派として残った」からも読み取れる。しかし宗派存続と引き換えに、神嘗祭遥拝等の容認や神宮大麻の受け取りなど、国家神道への妥協も余儀なくされた。
※この「昭和(戦前・戦中)」の解説は、「日蓮正宗」の解説の一部です。
「昭和(戦前・戦中)」を含む「日蓮正宗」の記事については、「日蓮正宗」の概要を参照ください。
昭和
「昭和」の例文・使い方・用例・文例
- それは昭和初期の映画だと思います
- 館内には昭和初期の教育資料等を展示しています
- 昭和45年に第1回の調査が実施された
- 昭和天皇が靖国神社で75年までに戦後計8回参拝した。
- 昭和20年に第二次世界大戦は終わった。
- これは昭和座から舞台中継です。
- ニホンカモシカは昭和 30 年に特別天然記念物に指定された.
- 新憲法は何年[昭和何年]に公布されたか.
- 1989 年 1 月昭和天皇の没後, 年号「平成」が採用された.
- 昭和の聖代に遭遇した君達は幸福な人だ
- 今上陛下のご即位とともに大正は昭和と改元せられた
- そんな古臭い説は昭和の今日通用しない
- 年号を昭和と改む
- 正に昭和の聖代を飾るべき一大著述である
- この仕事を終わってから昭和三年を迎えたいと思っている
- 今年は昭和何年か
- 昭和三年
- 正に昭和の聖代を飾るべき大著述である
- 昭和の聖代にそんなことがあってたまるものか
昭和と同じ種類の言葉
「昭和」に関係したコラム
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FXやCFDなどの取引が行われている市場の休場日は、その国の祝日や土曜日、日曜日になります。しかし、その国が祝日であっても他の国々では祝日ではないことが多いので取引は行われます。例えば、2012年9月...
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株式の投資基準とされるPSR(Price to Sales Ratio)とは、時価総額と売上高との比率を表したもので、株価売上率、株価売上高倍率などともいいます。PSRは、次の計算式で求めることができ...
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株式の投資基準とされる売上高連単倍率とは、企業の連結決算ベースの予想売上高が個別財務諸表ベースの予想売上高の何倍かを表したものです。売上高連単倍率は、次の計算式で求めることができます。売上高連単倍率=...
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東京証券取引所(東証)では、規模別株価指数の算出のために一部上場銘柄を大型株、中型株、小型株の3つに分類しています。その基準は、時価総額や株式の流動性などによって順位づけしたものになっています。大型株...
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株式の投資基準とされるPBR(Price Book-value Ratio)とは、時価総額が株主資本の何倍かを示す指標のことで、株価純資産倍率とも呼ばれています。PBRは、次の計算式で求めることができ...
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株式市場に上場している銘柄を分類する方法の1つに、株価水準が挙げられます。株価水準では、株価の高い、安いによって銘柄を分類します。一般的に株価水準では、次のように分類します。値がさ株(値嵩株)中位株低...
- >> 「昭和」を含む用語の索引
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