ダッカ日航機ハイジャック事件
ダッカ日航機ハイジャック事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 01:03 UTC 版)
「日本赤軍事件」の記事における「ダッカ日航機ハイジャック事件」の解説
詳細は「ダッカ日航機ハイジャック事件」を参照 1977年9月28日に、インドのボンベイ国際空港を離陸直後の日本航空のダグラスDC-8型機をハイジャックし、バングラデシュのダッカ国際空港に強制着陸させた。福田赳夫首相は要求(クアラルンプール事件と同じような内容)に応じ、「超法規的措置」として拘束中のメンバーら6人(日本赤軍・奥平純三、東アジア反日武装戦線・大道寺あや子と浴田由紀子、赤軍派・城崎勉、獄中組合・泉水博と仁平映)を解放し、600万ドルの身代金を支払った。 釈放されたメンバーはダッカ国際空港で日本赤軍と合流し、シリアのダマスカス空港で給油した後、アルジェリアのダニエル空港で人質を解放した。日本政府がSATを設置する要因となった事件。
※この「ダッカ日航機ハイジャック事件」の解説は、「日本赤軍事件」の解説の一部です。
「ダッカ日航機ハイジャック事件」を含む「日本赤軍事件」の記事については、「日本赤軍事件」の概要を参照ください。
ダッカ日航機ハイジャック事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 06:13 UTC 版)
「日本航空ハイジャック事件」の記事における「ダッカ日航機ハイジャック事件」の解説
1977年9月28日、フランスのパリ発アテネ、カイロ、カラチ、ボンベイ、バンコク、香港経由羽田行きの日本航空472便ダグラスDC-8-62型機が、経由地であるインドのボンベイ国際空港を離陸直後、武装した日本赤軍グループ5人にハイジャックされた。同機はバングラデシュの首都ダッカにあるジア国際空港に強行着陸し、犯人グループは人質の身代金として600万ドルと、日本で服役および勾留中の9人の釈放と日本赤軍への参加を要求した。これに対して福田赳夫内閣総理大臣が「人命は地球より重い」と述べて、身代金の支払いおよび超法規的措置として収監メンバーなどの引き渡しを決断。身代金と釈放に応じた6人を特別機でダッカへ輸送し、これにより人質の大部分が解放された。その後、同機は残りの人質を乗せてアルジェリアのダル・エル・ペイダ空港へ向かい、当地まで残った人質と乗員全員が解放された。 詳細は「ダッカ日航機ハイジャック事件」を参照
※この「ダッカ日航機ハイジャック事件」の解説は、「日本航空ハイジャック事件」の解説の一部です。
「ダッカ日航機ハイジャック事件」を含む「日本航空ハイジャック事件」の記事については、「日本航空ハイジャック事件」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
日本人の国外犯罪 | ドバイ日航機ハイジャック事件 藤田小女姫殺害事件 ダッカ日航機ハイジャック事件 大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件 ジャカルタ事件 |
- ダッカ日航機ハイジャック事件のページへのリンク