全日空機大島空港オーバーラン事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/09 08:13 UTC 版)
![]()
1972年に撮影された事故機
|
|
出来事の概要 | |
---|---|
日付 | 1977年(昭和52年)9月8日 |
概要 | パイロットエラーによるオーバーラン |
現場 | ![]() |
乗客数 | 50 |
乗員数 | 5 |
負傷者数 | 13 |
死者数 | 0 |
生存者数 | 55 (全員) |
機種 | 日本航空機製造YS-11 |
運用者 | ![]() |
機体記号 | JA8755 |
出発地 | ![]() |
目的地 | ![]() |
全日空機大島空港オーバーラン事故(ぜんにっくうきおおしまくうこうオーバーランじこ)とは、1977年(昭和52年)9月8日に発生した航空事故である。
事故の概要
1977年(昭和52年)9月8日午後1時に東京・東京国際空港を離陸した全日本空輸855便は、YS-11(機体記号:JA8755)で運航されていた。伊豆大島の大島空港に午後1時44分に南側から着陸しようとしたが、1200m滑走路の中ほどに着陸したあと、オーバーランし車輪を排水溝にひっかけて折損し、胴体着陸し機体は中破した。この事故で乗員乗客55名のうち乗客13名が全治3日から10日のけがを負った。
事故原因
1980年(昭和55年)2月13日に、運輸省航空事故調査委員会は、当事故の原因は、同機が着陸の際、雨にぬれた滑走路の中央標識付近に、速い速度で接地したため、滑走路内に停止できず、オーバーランしたものであると発表した。
その他
- 事故を起こした機体は、7年前の1970年(昭和45年)12月29日にも熊本空港で離陸できずにオーバーランをする事故を起こしている。ただし、こちらの事故の原因は昇降舵の凍結によるものであり[1]本事故との関連性は無い。
脚注
- ^ 離陸できず突込む 熊本空港でYS11『朝日新聞』1970年(昭和45年)12月30日朝刊 12版 18面
参考文献
- 全日本空輸株式会社所属 日本航空機製造式YS-11A JA8755 に関する航空事故報告書 (PDF)
- 朝日新聞 1977年9月9日紙面
外部リンク
全日空機大島空港オーバーラン事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 16:25 UTC 版)
「全日空の航空事故およびインシデント」の記事における「全日空機大島空港オーバーラン事故」の解説
1977年9月8日、全日空855便YS-11型機 (JA8755) が、羽田空港を離陸し大島空港に着陸する際に、滑走路からオーバーランして車輪が破損、機体が中破した。乗客13名が負傷した。滑走路全長の中央付近に着地したため残りの滑走路長では停まりきれなかったことが原因である。 詳細は「全日空機大島空港オーバーラン事故」を参照
※この「全日空機大島空港オーバーラン事故」の解説は、「全日空の航空事故およびインシデント」の解説の一部です。
「全日空機大島空港オーバーラン事故」を含む「全日空の航空事故およびインシデント」の記事については、「全日空の航空事故およびインシデント」の概要を参照ください。
- 全日空機大島空港オーバーラン事故のページへのリンク