全日空機宮崎空港オーバーラン事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/21 14:00 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動 ![]()
同型機のYS-11
|
|
出来事の概要 | |
---|---|
日付 | 1969年10月20日 |
概要 | オーバーラン |
現場 | ![]() |
乗客数 | 49 |
乗員数 | 4 |
負傷者数 | 43 |
死者数 | 0 |
生存者数 | 53 (全員) |
機種 | 日本航空機製造YS-11 |
運用者 | ![]() |
機体記号 | JA8708 |
出発地 | ![]() |
目的地 | ![]() |
全日空機宮崎空港オーバーラン事故(ぜんにっくうきみやざきくうこうオーバーランじこ)とは、1969年(昭和44年)に発生した航空事故である。
事故の概要
1969年10月20日、鹿児島空港(旧)を離陸した全日本空輸104便はYS-11(機体記号:JA8708)で運航されていた。午後2時ごろに宮崎空港を日向灘方向から自動誘導着陸方式で進入し、東側から着陸滑走中、過走帯末端から逸脱し滑走路端200m離れた山内川の土手で欄座し、機首と主翼が大破した。この事故で乗員4名乗客49名のうち乗員乗客43名が負傷し、そのうち8名が重傷だった。負傷者の中には新婚旅行中のカップルも含まれていた。また空港は一時閉鎖されたが、事故機と反対側の滑走路は使用可能であるとして数時間後には再開された[1]。
事故原因
1970年6月30日に、運輸省航空事故調査委員会(当時)は、事故原因はパイロットミスと気象条件が複合したためとした。当日の宮崎空港付近の気象条件は悪く、午前には全日空のボーイング727が着陸復航していた。事故機は激しい雨と追い風の中で着陸しようとしたが、事故機の接地速度が着陸重量に対応した速度を上回ったうえに、接地点がかなり内側であった。ハイドロプレーニング現象による影響もありオーバーランしたと推定された[2]。
また、当時の全日空はジェット機導入と路線拡大のためパイロット不足に陥っており、事故機のパイロット(当時31歳)も機長昇格が早めになされており、経験不足であったとの指摘もある。実際に事故機の機長が路線運航で宮崎空港に着陸したのは数度しかなく、この事故当日のように悪天候のなか難しい着陸をするのも初めてであったためである。
出典
外部リンク
全日空機宮崎空港オーバーラン事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 16:25 UTC 版)
「全日空の航空事故およびインシデント」の記事における「全日空機宮崎空港オーバーラン事故」の解説
1969年10月20日、全日空104便として運航されていたYS-11型機 (JA8708) が、宮崎空港への着陸の際に滑走路をオーバーランして滑走路先の土手に激突し大破全損した。乗員乗客43名が負傷した。 詳細は「全日空機宮崎空港オーバーラン事故」を参照
※この「全日空機宮崎空港オーバーラン事故」の解説は、「全日空の航空事故およびインシデント」の解説の一部です。
「全日空機宮崎空港オーバーラン事故」を含む「全日空の航空事故およびインシデント」の記事については、「全日空の航空事故およびインシデント」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
パイロットエラーによる航空事故 |
アダム航空574便墜落事故 中華航空140便墜落事故 全日空機宮崎空港オーバーラン事故 日本近距離航空機中標津空港事故 アエロメヒコ航空498便空中衝突事故 |
日本で発生した航空事故 |
日本航空123便墜落事故 大日本航空球磨号墜落事故 全日空機宮崎空港オーバーラン事故 日本近距離航空機中標津空港事故 全日空機雫石衝突事故 |
YS-11による航空事故 |
全日空機大島空港オーバーラン事故 全日空機宮崎空港オーバーラン事故 日本近距離航空機中標津空港事故 全日空機淡路島空中接触事故 全日空松山沖墜落事故 |
- 全日空機宮崎空港オーバーラン事故のページへのリンク