革命の子どもたち_(2010年の映画)とは? わかりやすく解説

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革命の子どもたち (2010年の映画)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/26 04:50 UTC 版)

革命の子どもたち
Children of the Revolution
監督 シェーン・オサリバン
出演者 重信房子
重信メイ
ウルリケ・マインホフ
ベティーナ・ロール
足立正生
塩見孝也
大谷恭子
音楽 ジャイルズ・パッカム
撮影 バセーム・ファヤド
ロビン・プロビィン
アクセル・シュネパット
配給 太秦[1]
公開 2010年11月22日[2]
2011年2月19日[2]
2011年4月22日[2]
2011年5月2日[2]
2014年7月5日[2]
上映時間 96分(IDFA[3]
92分(IMDb[4]
88分(MOVIE WALKER PRESS[1]
製作国 イギリス
言語 ドイツ語
英語
日本語
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革命の子どもたち』(かくめいのこどもたち、英語:Children of the Revolution)は、ロンドンを拠点に活動するアイルランド出身の映画監督シェーン・オサリバン英語版[5]による長編ドキュメンタリー映画[6]。撮影地はヨルダン[4]アイルランド映画委員会英語版共同制作[3]。2010年アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭英語版初上映[2][3]

世界革命による資本主義勢力の打倒を試みた、現代史で最も悪名高い2人の女性革命家の母としての素顔にスポットを当てながら、アーカイブ映像とそれぞれの子どもたちや周囲の証言を通して、その背景と神話の裏側に迫る[6]

キャスト

[1]

重信房子
映像記録から再構成[4]テロリストで元日本赤軍の最高指導者[7]。1945年、東京都世田谷区で4人きょうだいの次女として生まれる[7]。本映画の公式サイトでは「戦後の血盟団事件に参加していた、極右だった父・末夫の影響を強く受ける。」との触れ込みがあるが[7]、当の末夫は事件に参加していた事実はなく、師と仰ぐ井上日召から「お前は優しすぎるので、実行には向かない。」と言われ郷里に帰されていた[8]。帰郷した末夫は教師となっており、房子の件でマスコミから取材を受けて名が知れても著名な活動は見られず、あくまで一般人である[9]
重信メイ
中東問題のジャーナリスト[7]。1973年、房子とパレスチナ人活動家の間に生まれる[7]。房子に対しては一貫して擁護の立場をとっている[10]。「親子の愛情というのは当たり前のもの」と思っていたところ、そうでもないウルリケとその娘のベティーナの例を目の当たりにした[10]。一緒に過ごした時間が限られていた中で、房子が「いろんな形で表現しようと努力」したからこそ親子の愛情が成り立つのであって、そこから受けるプラスの感情が大きかったと語る[10]
ウルリケ・マインホフ
映像記録から再構成[4]。左翼系の雑誌コンクレット英語版の記者を経て、のちにドイツ赤軍と改称した極左地下組織「バーダー・マインホフ・グルッペ」の共同指導者となったテロリスト[7]。1934年生まれ[7]。1976年に収監先の刑務所内で首吊り自殺を遂げた[7]
ベティーナ・ロール英語版
ジャーナリスト[7]。1962年、ウルリケとコンクレット誌編集長で夫のクラウス・ロールとの間に双子の姉妹として生まれる[7]。両親が離婚後、父のもとで暮らしていたベティーナたちはウルリケと同志たちによって誘拐され、パレスチナのキャンプ場でテロリストとしての訓練を受けさせられるところであったが、移動中に発見され当局によって無事保護された[7]。メイとは反対にウルリケに対して批判的立場をとっている[10]。結婚して妻となり、息子をもうけて母となり、家庭をつくってハンブルグで暮らしている[7]
足立正生
若松プロダクション出身の脚本家・映画監督[7]。1939年生まれ[7]。日本を離れてパレスチナ解放闘争に加わり、日本赤軍の広報的役割をも担っていた[7]。1997年にレバノンで逮捕され、3年の禁固刑を終えてから日本へ強制送還され帰国した[7]
塩見孝也
京大から出たテロリストで元赤軍派の議長、最高指導者[7]。1941年生まれ[7]。1989年に出所するまで19年9か月の獄中生活をおくり[7]、晩年にあたる撮影当時はシルバー人材センターの紹介で[11]駐車場の管理人の職に就きながら思想活動を続けていた[7]。2017年に心不全で死去[11]
大谷恭子
ベトナム反戦運動学生運動の経験がある人権派弁護士で重信房子の裁判の弁護人[7]。1950年生まれ[7]

スタッフ

  • 監督・プロデューサー:シェーン・オサリバン英語版[1]
  • 撮影監督:バセーム・ファヤド、ロビン・プロビィン、アクセル・シュネパットドイツ語版[1]
  • 音楽:ジャイルズ・パッカム[1]

DVD

脚注

  1. ^ a b c d e f 革命の子どもたち”. MOVIE WALKER PRESS. 2022年6月10日閲覧。
  2. ^ a b c d e f Children of the Revolution (2010) - Release Info” (英語). IMDb. 2022年6月10日閲覧。
  3. ^ a b c Children of the Revolution (2010) - Shane O'Sullivan” (英語). en:International Documentary Film Festival Amsterdam. 2022年6月10日閲覧。
  4. ^ a b c d Children of the Revolution (2010)” (英語). IMDb. 2022年6月10日閲覧。
  5. ^ 現代外国人名録2016「シェーン オサリバン」の解説”. コトバンク. 2022年6月10日閲覧。
  6. ^ a b Children of the Revolution” (英語). en:Irish Film Institute. 2022年6月10日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v Cast & Staff”. 映画『革命の子どもたち』公式サイト. 2022年6月10日閲覧。
  8. ^ 昭和の不思議101 2020年秋の男祭号大洋図書、2020年10月、112頁。 ISBN 9784813029397https://books.google.co.jp/books?id=6xQxEAAAQBAJ&pg=PA112#v=onepage&q&f=false 
  9. ^ 鈴木邦男. “重信家三代の家族愛”. マガジン9. 2022年6月10日閲覧。
  10. ^ a b c d 鈴木邦男 (2014年7月9日). “「平和」のイメージを捨て去ることは日本にとって大きな損失│重信メイさんに聞いた”. マガジン9. 2022年6月12日閲覧。
  11. ^ a b 雨宮処凛 (2017年11月30日). “革命バカ一代、塩見孝也、死す。”. ハフポスト NEWS. https://www.huffingtonpost.jp/karin-amamiya/shiomi-takaya_a_23292454/ 2022年6月10日閲覧。 

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