塩見孝也
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塩見 孝也(しおみ たかや、1941年5月22日 - 2017年11月14日[1])は、日本の新左翼活動家、元赤軍派議長、最高指導者、テロリスト。「日本のレーニン」と呼ばれた[2]。「一向健」の組織名やペンネームでも知られた[3][4]。
- ^ a b “元赤軍派議長、塩見孝也氏が死去”. 福井新聞 (2017年11月15日). 2017年11月15日閲覧。
- ^ (惜別)塩見孝也さん 元赤軍派議長 - 2018年1月20日 朝日新聞
- ^ 『日本赤軍!世界を疾走した群像』図書新聞 2010年 p32 一向一揆と高倉健からとられた。
- ^ ペンネーム(本名)一覧表 リベラシオン社
- ^ a b 「塩見孝也と銀河の会」リーフレットの草案(上) 塩見孝也
- ^ 塩見孝也『赤軍派始末記: 元議長が語る40年』19ページ
- ^ 『国民政治年鑑』1981年版605ページ
- ^ 「よど号」など一連の赤軍派事件 塩見に無期求刑 再販の可能性大きい『朝日新聞』1979年(昭和54年)9月3日夕刊 3版 9面
- ^ 『日本赤軍!世界を疾走した群像』図書新聞 2010年 p47-48
- ^ 『若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』朝日新聞社
- ^ 『この人に聞きたい青春時代2』鹿砦社 2001年 132頁
- ^ 本人のプロフィール
塩見孝也
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「革命の子どもたち (2010年の映画)」の記事における「塩見孝也」の解説
テロリストで元赤軍派の議長、最高指導者。1941年生まれ。1989年に出所するまで19年9か月の獄中生活をおくり、晩年にあたる撮影当時はシルバー人材センターの紹介で駐車場の管理人の職に就きながら思想活動を続けていた。2017年に心不全で死去。
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