思想・活動
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黒田寛一から厚い信頼を受けており、革マル派結成時の副議長(組織名:倉川篤、愛称:クラさん)であったことは松崎本人も認めている(松崎明『松崎明秘録』(同時代社))。1970年代から次第に革マル派から離れ、JR総連幹部になった頃には関係は切れていたと松崎は主張している。 動労ではカリスマ的な指導力で、闘争を高揚させて国鉄労働運動、ひいては総評労働運動をリードしてきた。その頂点が1972年のマル生反対闘争であり、国鉄総裁が国会で陳謝して勝利解決した。その闘いから「鬼の動労」と呼ばれるようになる。 その後は、動労内の反主流派を積極的に排除する動きをみせるようになった。「共産党系活動家」として排除された者達(背景に共産党が「『スト万能論』批判」を行ったことがある)が1974年に全動労を結成、「中核派活動家」として排除された者達(背景に成田闘争への立場の違いがある)が1979年に動労千葉を結成して、動労は分裂した。これらの動きにより中核派との抗争が激化し、松崎個人に対して宣戦布告とも言える「カクマル松崎せん滅」のスローガンを突きつけられることになる。また、右翼団体からも言動・思想で対立軸になっている為批判をされているが、一水会の鈴木邦男とは反権力・反公安で親交があった。 1975年のスト権ストの敗北以降、春闘でのストライキはあったものの、1980年代の国鉄分割民営化においては激しく闘うことはなく、組合員の雇用を守るため、民営化に協力している。その際、過去の闘争を否定し、国鉄幹部や自民党議員との会談において「私は犯罪者でした」と語るなど「転向」した(いわゆるコペ転)。JR以降の思想と行動は東日本会社との蜜月関係である「労使協調」を除けば、反戦運動を闘争方針に掲げたり、月刊誌「自然と人間」では過去の動労の闘争を再評価するなど、「動労に先祖返りした」と言われる所以である。1986年自民党機関誌、自由新報の「生まれかわる国鉄 関係者に聞く」(1986年4月29日)にインタビュー記事が掲載される。 2007年11月30日、警視庁公安部は、松崎をJR総連の内部組織「国際交流推進委員会」の基金口座から3000万円を引き出し横領した業務上横領容疑で書類送検した。直後に松崎はハワイの高級住宅街にある別荘を3千数百万円で購入。この購入資金は同協会職員の個人口座を通じてハワイの不動産会社に送金されており、公安部は横領した金が充てられた疑いがあるとみた。松崎は「妻名義の土地を売却して得た資金なども口座に入っており、私的流用はしていない」と容疑を否定。JR総連も「横領された事実はない」とした。2007年12月28日、東京地検は嫌疑不十分で不起訴処分とした。 2010年、かつての宿敵・中野洋(元動労千葉委員長)の逝去にあたり、『われらのインター』31号(2010.4.15)に追悼文を発表し、「革共同が分裂し、私は革マル派、彼は中核派のメンバーとなった。党派の対立の中で袂を分かつことになった。……共に闘い抜きたかったが、路線の違いは致し方ない。しっかりと目を見開いたままの戦闘態勢を堅持した中野洋さん、心から称え、冥福を祈ります」と記した。かつての宿敵の死を追悼したこの寄稿が、皮肉にも松崎にとっての遺作となった。 松崎明の逝去に対して、革マル派は機関紙『解放』ほかの自己刊行物で完全に沈黙した。2011年3月3日、都内のホテルでJR総連・JR東労組主催の『松崎 明さんを偲ぶ会』が開かれ、約2000人が出席し、佐藤優らがあいさつした。
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思想・活動
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思想誌『VOL』の創立メンバーであり、誌名の命名者。編集委員を務める。 NHKの番組『新世代が解く!ニッポンのジレンマ』初回放送(2012年元旦)において、視聴者投票1位を獲得。 国家を表象や言説に還元する思想を否定し、実体的な運動として捉え直さなければならないと主張。「表象分析批判」「実体回帰論」という2000年代思想のトレンドを形成した。宮崎哲弥からは、萱野の仕事は論壇思想の状況を一転させたと評価されている。 朝日新聞「ニッポン前へ委員会」委員(2011年 -2015年 ) 朝日新聞書評委員(2013年 - 2015年) 朝日新聞「未来への発想委員会」委員(2013年 - ) 政府諮問機関「衆議院選挙制度に関する調査会」委員(2014年 - 2015年 )
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